《山海经校注》 晋 郭璞注      目录   山经   1 卷一南山经(山海经第一)    1 南山经     1 鹊山招摇山    2 堂庭山    3 猿翼山    4 杻阳山    5 柢山    6 亶爰山    7 基山    8 青丘山    9 箕尾山    2 南次二经    1 柜山    2 长右山    3 尧光山    4 羽山    5 瞿父山    6 句余山    7 浮玉山    8 成山    9 会稽山    10 夷山    11 仆勾山    12 咸阴山    13 洵山    14 虖勺山    15 区吴山    16 鹿吴山    17 漆吴山    3 南次三经    1 天虞山    2 祷过山    3 丹穴山    4 发爽山    5 旄山    6 非山    7 阳夹山    8 灌湘山    9 鸡山    10 令丘山    11 仑者山    12 禺稿山    13 南禺山    2 卷二西山经(山海经第二)    1 西山经    1 华山钱来山    2 松果山    3 太华山    4 小华山    5 符禺山    6 石脆山    7 英山    8 竹山    9 浮山    10 羭次山    11 时山    12 南山    13 大时山    14 嶓冢山    15 天帝山    16 皋涂山    17 黄山    18 翠山    19 騩山    2 西次二经    1 钤山    2 泰冒山    3 数历山    4 高山    5 女床山    6 龙首山    7 鹿台山    8 鸟危山    9 小次山    10 大次山    11 熏吴山    12 厎阳山    13 众兽山    14 皇人山    15 中皇山    16 西皇山    17 莱山    3 西次三经    1 崇吾山    2 长沙山    3 不周山    4 峚山    5 钟山    6 泰器山    7 槐江山    8 昆仑山    9 乐游山    10 蠃母山    11 玉山    12 轩辕山    13 积石山    14 长留山    15 章莪山    16 阴山    17 符愓山    18 三危山    19 騩山    20 天山    21 泑山    22 翼望山    4 西次四经    1 阴山    2 劳山    3 罢父山    4 申山    5 鸟山    6 上申山    7 诸次山    8 号山    9 盂山    10 白于山    11 申首山    12 泾谷山    13 刚山    14 刚山尾    15 英鞮山    16 中曲山    17 邽山    18 鸟鼠同穴山    19 崦嵫山    3 卷三北山经(山海经第三)    1 北山经    1 单狐山    2 求如山    3 带山    4 谯明山    5 涿光山    6 虢山    7 虢山尾    8 丹熏山    9 石者山    10 边春山    11 蔓联山    12 单张山    13 灌题山    14 潘侯山    15 小咸山    16 大咸山    17 敦薨山    18 少咸山    19 狱法山    20 北岳山    21 浑夕山    22 北单山    23 罴差山    24 北鲜山    25 堤山    2 北次二经    1 管涔山    2 少阳山    3 县雍山    4 狐岐山    5 白沙山    6 尔是山    7 狂山    8 诸余山    9 敦头山    10 钩吾山    11 北嚣山    12 梁渠山    13 姑灌山    14 湖灌山    15 洹山    16 敦题山    3 北次三经    1 太行山    2 龙侯山    3 马成山    4 咸山    5 天池山    6 阳山    7 贲闻山    8 王屋山    9 教山    10 景山    11 孟门山    12 平山    13 京山    14 虫尾山    15 彭毗山    16 小侯山    17 泰头山    18 轩辕山    19 谒戾山    20 沮洳山    21 神囷山    22 发鸠山    23 少山    24 锡山    25 景山    26 题首山    27 绣山    28 松山    29 敦与山    30 柘山    31 维龙山    32 白马山    33 空桑山    34 泰戏山    35 石山    36 童戎山    37 高是山    38 陆山    39 沂山    40 燕山    41 饶山    42 干山    43 伦山    44 碣石山    45 鴈门山    46 帝都山    47 錞于毋逢山    4 卷四东山经(山海经第四)    1 东山经    1 樕蟊(矛改朱)山    2 藟山    3 栒状山    4 勃?山    5 番条山    6 姑儿山    7 高氏山    8 岳山    9 柟山    10 独山    11 泰山    12 竹山    2 东次二经    1 空桑山    2 曹夕山    3 峄皋山    4 葛山尾    5 葛山首    6 余峨山    7 杜父山    8 耿山    9 卢其山    10 姑射山    11 北姑射山    12 南姑射山    13 碧山    14 缑氏山    15 姑逢山    16 凫丽山    17 (石垔)山    3 东次三经    1 尸胡山    2 岐山    3 诸钩山    4 中父山    5 胡射山    6 孟子山    7 跂踵山    8 踇隅山    9 无皋山    4 东次四经    1 北号山    2 旄山    3 东始山    4 女烝山    5 钦山    6 子桐山    7 剡山    8 太山    5 卷五中山经(山海经第五)    1 中山经    1 薄山甘枣山    2 历儿山    3 渠猪山    4 葱聋山    5 (水委)山    6 脱扈山    7 金星山    8 泰威山    9 橿谷山    10 吴林山    11 牛首山    12 霍山    13 合谷山    14 阴山    15 鼓镫山    2 中次二经    1 济山辉诸山    2 发视山    3 豪山    4 鲜山    5 阳山    6 昆吾山    7 葌山    8 独苏山    9 蔓渠山    3 中次三经    1 萯山敖岸山    2 青要山    3 騩山    4 宜苏山    5 和山    4 中次四经    1 厘山鹿蹄山    2 扶猪山    3 厘山    4 箕尾山    5 柄山    6 白边山    7 熊耳山    8 牡山    9 讙举山    5 中次五经    1 薄山苟床山    2 首山    3 县斸山    4 葱聋山    5 条谷山    6 超山    7 成侯山    8 朝歌山    9 槐山    10 历山    11 尸山    12 良余山    13 蛊尾山    14 升山    15 阳虚山    6 中次六经    1 缟羝山平逢山    2 缟羝山    3 廆山    4 瞻诸山    5 娄涿山    6 白石山    7 谷山    8 密山    9 长石山    10 傅山    11 橐山    12 常烝山    13 夸父山    14 阳华山    7 中次七经    1 苦山休与山    2 鼓钟山    3 姑媱山    4 苦山    5 堵山    6 放皋山    7 大山    8 半石山    9 少室山    10 泰室山    11 讲山    12 婴梁山    13 浮戏山    14 少陉山    15 太山    16 末山    17 役山    18 敏山    19 大騩山    8 中次八经    1 荆山景山    2 荆山    3 骄山    4 女几山    5 宜诸山    6 纶山    7 陆(危邑)山    8 光山    9 岐山    10 铜山    11 美山    12 大尧山    13 灵山    14 龙山    15 衡山    16 石山    17 若山    18 彘山    19 玉山    20 讙山    21 仁举山    22 师每山    23 琴鼓山    9 中次九经    1 岷山女几山    2 岷山    3 崃山    4 崌山    5 高梁山    6 蛇山    7 鬲山    8 隅阳山    9 岐山    10 勾檷山    11 风雨山    12 玉山    13 熊山    14 騩山    15 葛山    16 贾超山    10 中次十经    1 首阳山    2 虎尾山    3 繁缋山    4 勇石山    5 复州山    6 楮山    7 又原山    8 涿山    9 丙山    11 中次十一经    1 荆山翼望山    2 朝歌山    3 帝囷山    4 视山    5 前山    6 丰山    7 兔床山    8 皮山    9 瑶碧山    10 支离山    11 祑(上竹下周)山    12 堇理山    13 依(车古)山    14 即谷山    15 鸡山    16 高前山    17 游戏山    18 从山    19 婴(石垔)山    20 毕山    21 乐马山    22 葴山    23 婴山    24 虎首山    25 婴山    26 大孰山    27 卑山    28 倚帝山    29 鲵山    30 雅山    31 宣山    32 衡山    33 丰山    34 妪山    35 鲜山    36 章山    37 大支山    38 区吴山    39 声匈山    40 大騩山    41 踵臼山    42 历石山    43 求山    44 丑阳山    45 奥山    46 服山    47 杳山    48 几山    12 中次十二经    1 洞庭山篇遇山    2 云山    3 龟山    4 丙山    5 风伯山    6 夫夫山    7 洞庭山    8 暴山    9 即公山    10 尧山    11 江浮山    12 真陵山    13 阳帝山    14 柴桑山    15 荣余山    海经   1 卷一海外南经(山海经第六)    1 结匈国    2 南山    3 比翼鸟    4 羽民国    5 二八神    6 毕方鸟    7 讙头国    8 厌火国    9 三株树    10 三苗国    11 臷国    12 贯匈国    13 交胫国    14 不死民    15 岐舌国    16 昆仑虚    17 羿与凿齿战    18 三首国    19 周饶国    20 长臂国    21 狄山离朱、视肉    22 南方祝融    2 卷二海外西经(山海经第七)    1 灭蒙鸟    2 夏后启    3 三身国    4 一臂国    5 奇肱国    6 形天与帝争神    7 女祭女戚    8 (上次下鸟)鸟、(詹鸟)鸟    9 丈夫国    10 女丑之尸    11 巫咸国    12 并封    13 女子国    14 轩辕国    15 穷山    16 诸夭之野    17 龙鱼陵居    18 白民国    19 肃慎国    20 长股国    21 西方蓐收    3 卷三海外北经(山海经第八)    1 无綮之国    2 钟山之神烛阴    3 一目国    4 柔利国    5 共工之臣相柳氏    6 深目国    7 无肠国    8 聂耳国    9 夸父与日逐走    10 博父国    11 禹所积石山    12 拘缨国    13 寻木    14 跂踵国    15 欧丝之野    16 三桑无枝    17 范林    18 务隅山(帝颛顼葬所)    19 平丘甘柤    20 北海诸兽    21 北方禺强    4 卷四海外东经(山海经第九)    1 嗟丘    2 大人国    3 奢比尸    4 君子国    5 ??    6 朝阳之谷神天吴    7 青丘国九尾狐    8 帝(禹)命竖亥步    9 黑齿国    10 汤谷十日    11 雨师妾(国)    12 玄股国    13 毛民国    14 劳民国    15 东方句芒    5 卷五海内南经(山海经第十)    1 瓯居海中    2 三天子鄣山    3 桂林八树    4 伯虑国    5 枭阳国    6 兕    7 苍梧山(帝舜与帝丹朱葬所)    8 泛林    9 狌狌知人名    10 犀牛    11 夏后启之臣孟涂    12 窫窳龙首    13 建木    14 氐人国    15 巴蛇食象    16 旄马    17 匈奴开题之国    6 卷六海内西经(山海经第十一)    1 危与贰负杀窫窳    2 大泽    3 鴈门山    4 高柳    5 后稷之葬    6 流黄酆氏国    7 流沙    8 东胡    9 夷人    10 貊国    11 孟鸟    12 海内昆仑之虚    13 赤水    14 河水    15 洋水    16 弱水    17 开明兽    18 开明西凤皇    19 开明北不死树    20 开明东诸巫疗窫窳    21 服常树上三头人    22 开明南树鸟    7 卷七海内北经(山海经第十二)    1 蛇巫山上操柸人    2 西王母    3 大行伯    4 犬封国(文马吉量)    5 鬼国    6 蜪犬    7 穷奇    8 帝尧台    9 大蜂    10 蟜    11 阘非    12 据比尸    13 环狗    14 ??   15 戎    16 林氏国驺吾    17 昆仑虚南泛林    18 从极之渊冰夷    19 阳污之山    20 王子夜尸    21 宵明、烛光    22 盖国    23 朝鲜    24 列姑射    25 射姑国    26 大蟹    27 陵鱼    28 大??   29 明组邑    30 蓬莱山    31 大人之市    8 卷八海内东经(山海经第十三)    1 钜燕    2 国在流沙中者    3 国在流沙外者    4 西胡白玉山    5 雷泽中雷神    6 都州    7 琅邪台    8 韩鴈    9 始鸠    10 会稽山    11 岷三江    9 卷九大荒东经(山海经第十四)    1 少昊之国甘山    2 皮母地丘    3 大言山    4 大人国大人市    5 小人国靖人    6 犁(霝鬼)尸    7 潏山    8 蒍国    9 合虚山    10 中容国    11 君子国    12 司幽国    13 明星山    14 白民国    15 青丘国    16 柔仆民    17 黑齿国    18 天吴    19 鞠陵于天山    20 禺(豸虎)、禺京    21 玄股国    22 有易杀王亥摇民    23 女丑、大蟹    24 孽摇頵羝山与汤谷扶木    25 奢比尸    26 五采鸟相乡弃沙    27 猗天苏门山埙民国    28 壑明俊疾山    29 三青马、三骓    30 女和月母国    31 应龙杀蚩尤与夸父    32 东海夔牛    10 卷十大荒南经(山海经第十五)    1 (足朮)踢、双双    2 苍梧之野(舜与叔均葬所)    3 黑水玄蛇    4 巫山黄鸟    5 三身国    6 季禺国、羽民国、卵民国    7 不姜山    8 盈民国    9 不死国    10 去山    11 不廷胡余    12 因因乎    13 季厘国    14 臷民国    15 融天山    16 羿杀凿齿    17 蜮民国    18 宋山枫木    19 祖状尸    20 焦侥国    21 禹攻云雨    22 有国曰颛顼    23 张弘国    24 驩头    25 岳山    26 天台高山    27 羲和生日    28 盖犹山    29 小人菌人    30 南类山    11 卷十一大荒西经(山海经第十六)    1 不周负子山    2 淑士国    3 女娲之肠    4 石夷    5 狂鸟    6 白氏国    7 长胫国    8 西周国(叔均)    9 柜格松    10 先民国    11 北狄国    12 太子长琴    13 五采鸟三名    14 有虫状如菟    15 丰沮玉门山    16 灵山十巫    17 沃民沃野    18 三青鸟    19 轩辕台    20 龙山    21 女丑尸    22 女子国    23 桃山    24 丈夫国    25 弇州山鸣鸟    26 轩辕国    27 西海神弇兹    28 日月山(颛顼令重黎绝地天通)    29 天虞    30 常羲生月    31 青?黄??   32 孟翼之攻颛顼之池    33 鏖鏊钜山    34 屏蓬    35 黄姖尸、比翼鸟、天犬    36 昆仑西王母    37 常阳山    38 女祭、女薎    39 寿麻国    40 夏耕尸    41 吴回    42 盖山国朱木    43 一臂民    44 大荒山三面一臂人    45 夏后开(启)    46 互人国    47 鱼妇(颛顼)    48 (鸟蜀)鸟    49 偏句、常羊山    12 卷十二大荒北经(山海经第十七)    1 附禺山(帝颛顼葬所)    2 胡不与国    3 肃慎国    4 大人国    5 鲧攻程州山    6 先民山盘木    7 叔歜国(犬昔)(犬昔)    8 北齐国    9 先槛大逢山禹所积石山    10 始州国    11 大泽    12 毛民国    13 儋耳国    14 北极天柜山九凤、强良    15 夸父追日    16 无肠国    17 共工臣相繇    18 岳山寻竹    19 不句山    20 黄帝女魃    21 深目民国    22 赤水女子献    23 犬戎(赤兽戎宣王尸)    24 齐州山    25 一目人    26 继无民    27 中(车扁)国    28 犬戎国    29 苗民    30 泂野山若木    31 牛黎国    32 章尾山烛龙    13 卷十三海内经(山海经第十八)    1 朝鲜、天毒    2 壑市    3 泛叶    4 鸟山    5 韩流生帝颛顼    6 不死山    7 肇山柏高    8 都广之野(后稷葬所)    9 若木    10 灵山蝡蛇    11 盐长国鸟氏    12 九丘建木    13 窫窳、猩猩    14 巴国(巴人)    15 流黄辛氏国    16 朱卷国黑蛇    17 赣巨人    18 黑人    19 嬴民、封豕    20 苗民神延维    21 鸾鸟凤鸟    22 (上山下囷)狗、孔鸟    23 三天子之都山    24 苍梧丘(舜葬所)    25 蛇山翳鸟    26 相顾之尸    27 伯夷父    28 幽都山、大幽国    29 钉灵国    30 伯陵生鼓、延、殳    31 鲧    32 番禺、奚仲    33 般    34 帝俊赐羿彤弓素矰    35 晏龙    36 帝俊八子    37 巧倕、叔均    38 炎帝子孙    39 鲧窃息壤    附录   1 山海经叙录    1 西汉刘秀上山海经表    2 东晋郭璞注山海经叙    3 旧本山海经目录    4 清郝懿行山海经笺疏叙    2 所据板本及诸家旧注书目    3 引用书目    山海经山经柬释卷一  山海经第一    南山经   南山经1之首曰(昔隹)山2。其首曰招摇之山,临于西海之上,多桂,多金玉。有草焉,其状如韭而青华3,其名曰祝余,食之不饥。有木焉,其状如谷4而黑理,其华5四照,其名曰迷谷,佩之不迷。有兽焉,其状如禺而白耳,伏行人走,其名曰狌狌6,食之善走。丽?7之水出焉,而西流注于海,其中多育沛8,佩之无瘕9疾。   1 王念孙云:“文选头陀寺碑文注引无经字。”珂案:无经字是也,说见海经新释卷一篇首注1。   2 郝懿行云:“任昉述异记作雀山,文选注王巾头陀寺碑引此经作鹊山。”珂案:太平御览卷五十引此经亦作鹊山;(昔隹),古鹊字。   3 珂案:华,古花字;宋本作花,下同此。   4 珂案:经文如谷与下文其名曰迷谷之谷,宋本均作榖,是也。郝懿行云:“陶宏景注本草经云:『榖即今构树是也;榖构同声,故榖亦名构。』”   5 珂案:华,光华。   6 王念孙云:“类聚兽部引作有兽人面,名曰狌狌。”珂案:狌狌即猩猩;关于猩猩之传说,见海经新释卷五“狌狌知人名”节注2。   7 郭璞云:“?音几。”   8 郭璞云:“未详。”   9 郭璞云:“瘕,虫病也。”   又东三百里,曰堂1庭之山,多棪木2,多白猿,多水玉3,多黄金。   1 郭璞云:“一作常。”珂案:文选上林赋注引此经正作常。   2 珂案:尔雅释木云:“棪,樕其。”郭璞注:“棪,实似柰,赤可食。”音掩。   3 郭璞云:“水玉,今水精也。相如上林赋曰:『水玉磊砢。』赤松子所服;见列仙传。”珂案:列仙传云:“赤松子,神农时雨师,服水玉以教神农,能入火自烧。炎帝少女追之,亦得仙俱去。”   又东三百八十里,曰猿翼之山1,其中多怪兽,水多怪鱼2,多白玉,多蝮虫3,多怪蛇,多怪木,不可以上。   1 郝懿行云:“初学记二十七卷引此经作稷翼之山,多白玉。”珂案:王念孙云:“一切经音义九十三引作即翼之山,下文又有即翼之泽。”是也。   2 郭璞云:“凡言怪者,皆谓貌状倔奇不常也。尸子曰:『徐偃王好怪,没深水而得怪鱼,入深山而得怪兽者,多列于庭。』”   3 郭璞云:“蝮虫,色如绶文,鼻上有针,大者百余斤,一名反鼻虫;古虺字。”   又东三百七十里,曰杻1阳之山,其阳多赤金,其阴多白金。有兽焉,其状如马而白首,其文如虎而赤尾,其音如谣2,其名曰鹿蜀,佩之宜子孙。怪水出焉,而东流注于宪翼之水。其中多玄龟,其状如龟而鸟首虺尾,其名曰旋龟,其音如判木3,佩之不聋,可以为底4。   1 郭璞云:“音纽。”   2 郭璞云:“如人歌声。”   3 郭璞云:“如破木声。”   4 郭璞云:“底,躏也;为犹治也。外传曰:『疾不可为。』”珂案:底同胝,足茧也;可以为底,可以治足茧也。   又东三百里柢山1,多水,无草木。有鱼焉,其状如牛,陵居,蛇尾有翼,其羽在魼2下,其音如留牛3,其名曰鯥,冬死而夏生4,食之无肿疾5。   1 郭璞云:“柢音蔕。”珂案:经文又东,宋本无又字,经文柢山,宋本、吴宽抄本、明藏经本,柢上有曰字,此脱。   2 郭璞云:“亦作胁。”郝懿行云:“广雅云:『胠,胁也。』经作魼者,盖同声假借字。”   3 珂案:留牛未详;东山经首说之鱼“其状如犁牛”,郭璞云:“牛似虎文者。”或即此;留、犁音相近。   4 郭璞云:“此亦蛰类也;谓之死者,言其蛰无所知如死耳。”   5 郝懿行云:“说文云:『肿,痈也。』”   又东四百里,曰亶爰之山1,多水,无草木,不可以上。有兽焉,其状如狸而有髦,其名曰类2,自为牝牡,食者不妒。   1 郭璞云:“亶音蝉。”   2 郭璞云:“类或作沛,髦或作发。”杨慎云:“今云南蒙化府有此兽,土人谓之香髦,具两体。”珂案:经文有髦,太平御览卷九一三作有发。   又东三百里,曰基山,其阳多玉,其阴多怪木1。有兽焉,其状如羊,九尾四耳,其目在背,其名曰猼訑2,佩之不畏3。有鸟焉,其状如鸡而三首六目,六足三翼,其名曰(尚鸟)(付鸟)4,食之无卧5。   1 珂案:太平御览卷五○引此经多怪木上有多金二字。   2 郭璞云:“博施二音。施(訑)一作阤。”   3 郭璞云:“不知恐畏。”   4 珂案:御览卷五0引此作鷩(付鸟),毕沅、郝懿行均校作鷩(付鸟)。   5 郭璞云:“使人少眠。”   又东三百里,曰青丘之山1,其阳多玉,其阴多青?2。有兽焉,其状如狐而九尾3,其音如婴儿,能食人;食者不蛊4。有鸟焉,其状如鸠,其音若呵5,名曰灌灌6,佩之不惑。英水出焉,南流注于即翼之泽7。其中多赤?8,其状如鱼而人面,其音如鸳鸯,食之不疥9。   1 郭璞云:“亦有青丘国在海外。”珂案:青丘国见海外东经(海经新释卷四)。   2 郝懿行云:“?当为雘;说文云:『雘,善丹也。』初学记五卷引此经正作雘。”珂案:毕沅校本亦作雘。   3 郭璞云:“即九尾狐。”   4 郭璞云:“噉其肉令人不逢妖邪之气。或曰:蛊,蛊毒。”   5 郭璞云:“如人相呵呼声。”   6 郭璞云:“或作濩濩。”珂案:吕氏春秋本味篇云:“肉之美者,獾獾之炙。”高诱注:“獾獾,鸟名,形则未闻。獾一作获。”即此鸟也。   7 珂案:见上文“猿翼之山”注1。   8 珂案:?音儒;赤?,盖人鱼之类。参见海经新释卷七“陵鱼”节注1。   9 郭璞云:“一作疾。”   又东三百五十里,曰箕尾之山1,其尾踆2于东海,多沙石。汸3水出焉,而南流注于淯,其中多白玉。   1 郝懿行云:“玉篇作箕山,无尾字。”   2 郭璞云:“踆古蹲字,言临海上;音存。”郝懿行云:“说文云:『蹲,踞也。』又云:『?,倨也。』无踆字。”   3 郭璞云:“音芳。”   凡(昔隹)山之首,自招摇之山,以至箕尾之山,凡十山,二千九百五十里。其神状皆鸟身1而龙首,其祠之礼:毛2用一璋玉瘗3,糈用稌米4,一璧,稻米、白菅为席5。   1 郝懿行云:“北堂书钞一百三十三卷引此经作人身。”   2 郭璞云:“言择牲取其毛色也。”珂案:毛谓祀神所用毛物也,猪鸡犬羊等均属之。此言“毛用一璋玉瘗”者,以祀神毛物与璋玉同瘗也。郭注不确,诸家亦竟无释。   3 郭璞云:“半圭为璋;瘗,薶也。”   4 郭璞云:“糈,祀神之米名,先吕反;稌,稌稻也,他睹反。”珂案:楚辞离骚云:“巫咸将夕降兮,怀椒糈而要之。”王逸注:“糈,精米,所以享神。”   5 郭璞云:“菅,茅属也;音间。”郝懿行云:“席者,藉以依神。”   南次二经之首,曰柜山1,西临流黄2,北望诸毗,东望长右3。英水出焉,西南流注于赤水,其中多白玉,多丹粟4。有兽焉,其状如豚,有距5,其音如狗吠,其名曰狸力6,见则其县多土功。有鸟焉,其状如鸱而人手7,其音如痹8,其名曰鴸,其名自号也9,见则其县多放士10。   1 郭璞云:“音矩。”   2 珂案:国名,即流黄酆氏、流黄辛氏,见海内西经及海内经。   3 郭璞云:“(诸毗、长右),皆山名。”珂案:诸毗亦水名,见后郭注。毗音符夷切,毕沅云。   4 郭璞云:“细丹沙如粟也。”   5 郝懿行云:“说文云:『距,鸡距也。』”   6 珂案:吴任臣本有郭注“一作狸刀”四字,诸本俱无。   7 郭璞云:“其脚如人手。”   8 郭璞云:“未详。”   9 珂案:自呼其名也;诗:“山鸟自呼名。”下文“其鸣自呼”、“其鸣自詨”等均此意。   10珂案:关于鴸之神话,参见海经新释卷一“讙头国”节注2及卷五“苍梧山”节注2。   东南四百五十里,曰长右之山1,无草木,多水。有兽焉,其状如禺而四耳,其名长右2,其音如吟3,见则郡县大水4。   1 郝懿行云:“广韵引此经长右作长舌。”   2 郭璞云:“以山出此兽,因以名之。”郝懿行云:“广韵引此经作长舌。”   3 郭璞云:“如人呻吟声。”   4 珂案:宋本郡县上有其字,是也。   又东三百四十里曰尧光之山,其阳多玉,其阴多金1。有兽焉,其状如人而彘鬣,穴居而冬蛰,其名曰猾褢2,其音如斲木3,见则县有大繇4。   1 珂案:太平御览卷八一三引此经作克光之山,其阴多铁。   2 郭璞云:“滑怀两音。”   3 郭璞云:“如人斫木声。”   4 郭璞云:“谓作役也。或曰其县是乱。”珂案:繇、乱形近易讹。   又东三百五十里,曰羽山1,其下多水,其上多雨,无草木,多蝮虫。   1 郭璞云:“今东海祝其县西南有羽山,即鲧所殛处,计其道里不相应,似非也。”珂案:鲧殛羽山见海经新释卷十三“鲧窃息壤”节注4。   又东三百七十里,曰瞿父之山,无草木,多金玉。   又东四百里,曰句余之山1,无草木,多金玉。   1 郭璞云:“今在会稽余姚县南,句章县北,故此二县因此为名云;见张氏地理志。”   又东五百里,曰浮玉之山,北望具区1,东望诸毗2。有兽焉,其状如虎而牛尾,其音如吠犬,其名曰彘,是食人。苕水出于其阴,北流注于具区。其中多鮆鱼3。   1 郭璞云:“具区,今吴县西南太湖也,尚书谓之震泽。”   2 郭璞云:“水名。”   3 郭璞云:“鮆鱼狭薄而长头,大者尺余,太湖中今饶之,一名刀鱼。”珂案:鮆音咨。   又东五百里,曰成山,四方而三坛1,其上多金玉,其下多青雘。(外门内豖)2水出焉,而南流注于3虖勺4,其中多黄金5。   1 郭璞云:“形如人筑坛相累也;成亦重耳。”   2 郭璞云:“音涿。”珂案:藏经本(外门内豖)水作(外门内豕)水,王念孙校郭注昔涿作音豕,是也。   3 郭璞云:“一作流注于西。”珂案:是经文虖勺上有西字。   4 郭璞云:“虖音呼;勺或作多,下同。”   5 郭璞云:“今永昌郡水出金同糠,在沙中。尸子曰:『清水出黄金、玉英。』”   又东五百里,曰会稽之山1,四方,其上多金玉,其下多砆石2。勺水出焉,而南流注于湨3。   1 郭璞云:“今在会稽郡山阴县南,上有禹冢及井。”   2 郭璞云:“砆,武夫石,似玉。”珂案:武夫石参见海经新释卷十三“九丘建木”节注6。   3 珂案:湨音决。   又东五百里,曰夷山,无草木,多沙石,湨1水出焉,而南流注于列涂。   1 郭璞云:“一作浿。”   又东五百里,曰仆勾1之山,其上多金玉,其下多草木,无鸟兽,无水。   1 郭璞云:“一作夕。”郝懿行云:“夕疑多字之讹。”珂案:勾易讹为多字也。   又东五百里,曰咸阴之山,无草木,无水。   又东四百里,曰洵山1,其阳多金,其阴多玉。有兽焉,其状如羊而无口,不可杀也2,其名曰(羊患)3。洵水出焉,而南流注于阏4之泽,其中多芘蠃5。   1 郭璞云:“一作旬。”   2 郝懿行云:“不可杀,言不能死也;无口不食,而自生活。”   3 郭璞云:“音还,或音患。”   4 郭璞云:“音遏。”   5 郭璞云:“紫色螺也。”郝懿行云:“郭云紫色螺,即知经文芘当为茈,字之讹也。古字通以茈为紫。御览引此经芘作茈。”珂案:见太平御览卷九四一。   又东四百里,曰虖勺之山,其上多梓柟1,其下多荆杞2。滂水3出焉,而东流注于海。   1 郭璞云:“梓,山楸也;柟,大木,叶似桑,今作楠,音南。”   2 郭璞云:“杞,苟杞也,子赤。”   3 郭璞云:“音滂沱之滂。”   又东五百里,曰区吴之山,无草木,多沙石。鹿水出焉,而南流注于滂水。   又东五百里,曰鹿吴之山,上无草木,多金石。泽更之水出焉,而南流注于滂水。水1有兽焉,名曰蛊雕2,其状如雕而有角,其音如婴儿之音,是食人。   1 珂案:王念孙校衍水字。   2 郭璞云:“蛊或作纂。”   东五百里,曰漆吴之山,无草木,多博石1,无玉。处于2东海3,望丘山,其光载出加载4,是惟日次5。   1 郭璞云:“可以为博石。”   2 何焯云:“处于之上疑有脱文。”   3 郝懿行云:“东海,一本作海东。”珂案:宋本、吴宽抄本并作海东,则东字宜属下读。   4 郭璞云:“神光之所潜耀。”   5 郭璞云:“是日景之所次舍。”   凡南次二经之首,自柜山至于漆吴之山,凡十七山,七千二百里。其神状皆龙身而鸟首。其祠:毛用一璧瘗,糈用稌1。   1 郭璞云:“稻穬也。”郝懿行云:“穬字疑衍,或梗字之讹。”   南次三经之首,曰天虞之山,其下多水,不可以上。   东五百里,曰祷过之山,其上多金玉,其下多犀、兕1,多象。有鸟焉,其状同鵁2,而白首、三足3、人面,其名曰瞿如,其鸣自号也。?4水出焉,而南流注于海。其中有虎蛟5,其状鱼身而蛇尾6,其音7如鸳鸯,食者不肿,可以已痔8。   1 珂案:犀、兕之状见海经新释卷五“兕”节注2及“狌狌”节注1。   2 郭璞云:“鵁似凫而小,脚近尾。”珂案:鵁音交。   3 郭璞云:“或作手。”   4 郭璞云:“音银。”   5 郭璞云:“蛟似蛇,四足,龙属。”   6 珂案:文选江赋注引此经蛇尾下有有翼二字。   7 珂案:王念孙校音作首,引有多证,此不具。   8 珂案:太平御览卷七四三引此经已痔作为痔,并引郭注云,为,治也。   又东五百里,曰丹穴之山,其上多金玉。丹水出焉,而南流注于渤海1。有鸟焉,其状如鸡2,五采而文,名曰凤皇,首文曰德,翼文曰义,背文曰礼3,膺文曰仁,腹文曰信。是鸟也,饮食自然,自歌自舞,见则天下安宁4。   1 郭璞云:“渤海,海岸曲崎头也。”   2 郝懿行云:“史记司马相如传正义、文选注颜延之赠王太常诗、艺文类聚九十九卷及初学记五卷引此经,鸡并作鹤;薛综注东京赋引作鹄。”   3 珂案:二句王念孙校作翼文曰顺、背文曰义,引有多证。郝懿行亦同王校。   4 珂案:凤皇见海经新释卷十三“鸾鸟凤鸟”节注1。   又东五百里,曰发爽1之山,无草木,多水,多白猿。泛水出焉,而南流注于渤海。   1 郭璞云:“或作●。”珂案:吴任臣本、百子全书本、宏道堂本●均作丧;●同丧,见广韵。   又东四百里,至于旄山之尾,其南有谷,曰育遗1,多怪鸟,凯风自是出2。   1 郭璞云:“或作隧。”   2 郭璞云:“凯风,南风。”   又东四百里,至于非山之首,其上多金玉,无水,其下多蝮虫。   又东五百里,曰阳夹之山,无草木,多水。   又东五百里,曰灌湘之山1,上多木,无草;多怪鸟,无兽。   1 郭璞云:“一作灌湖射之山。”   又东五百里,曰鸡山,其上多金,其下多丹雘1。黑水出焉,而南流注于海。其中有鱄鱼2,其状如鲋3而彘毛4,其音如豚,见则天下大旱。   1 郝懿行云:“说文云:『丹,巴越之赤石也;雘,善丹也。』”   2 郭璞云:“音团扇之团。”   3 郝懿行云:“广雅云:『鲋,鰿也。』即今鲫鱼。鲫、鰿同字,见玉篇。”   4 郝懿行云:“广韵作豕尾。”珂案:太平御览卷三五作彘尾,文选江赋注同。   又东四百里,曰令丘之山,无草木,多火。其南有谷焉,曰中谷,条风1自是出。有鸟焉,其状如枭,人面四目而有耳,其名曰颙2,其鸣自号也,见则天下大旱。   1 郭璞云:“东北风为条风。”   2 郭璞云:“音娱。”郝懿行云:“玉篇、广韵并作(禺鸟)。”   又东三百七十里,曰仑者之山1,其上多金玉,其下多青雘。有木焉,其状如谷2而赤理,其汗如漆,其味如饴,食者不饥,可以释劳3,其名曰白咎4,可以血玉5。   1 珂案:太平御览卷五0引无者之二字。   2 珂案:谷当为榖,字之讹也。   3 郝懿行云:“高诱注淮南精神训云:劳,忧也。”   4 郭璞云:“或作睾苏;睾苏一名白咎,见广雅,音羔。”   5 郭璞云:“血谓可用染玉作光彩。”   又东五百八十里,曰禺稿1之山,多怪兽,多大蛇。   1 珂案:宋本、吴任臣本、毕沅校本,稿均作槁。   又东五百八十里,曰南禺之山,其上多金玉,其下多水。有穴焉,水出1辄入,夏乃出,冬则闭。佐水出焉,而东南流注于海,有凤皇、鹓雏2。   1 珂案:经文出,宋本、藏经本、何焯校本、吴任臣本并作春。   2 郭璞云:“亦凤属。”   凡南次三经之首,自天虞之山以至南禺之山,凡一十四山,六千五百三十里。其神皆龙身而人面。其祠皆一白狗祈1,糈用稌。   1 郭璞云:“祈,请祷也。”毕沅云:“祈当为(上几下皿);说文云,以血有所(气刀)涂祭也。”   右南经之山志(郝懿行云:“篇末此语,盖校书者所题,故旧本皆亚于经。”珂案:此疑是古经原有之总结,止作“南经之山”,无“志”字,“志”字是后人妄加,说见海经新释卷一篇首注1),大小凡四十山,万六千三百八十里。   山海经山经柬释卷二  山海经第二    西山经   西山经华山之首,曰钱来之山,其上多松,其下多洗石1。有兽焉,其状如羊而马尾,名曰羬羊2,其脂可以已腊3。   1 郭璞云:“澡洗可以磢体去垢?。磢,初两反。”郝懿行云:“磢当为(爽瓦);说文云,磋垢瓦石。”   2 郭璞云:“今大月氐国有大羊如驴而马尾;尔雅云,羊六尺为羬,谓此羊也。”珂案:羬音咸。郭注月氐国大羊即大尾羊,尾可供食,盖视肉之类也;见海经新释卷一“狄山”节注7。   3 郭璞云:“治体皴;腊音昔。”郝懿行云:“说文云:『昔,干肉也,籀文作腊。』此借为皴腊之字。今人以羊脂疗皴有验。”   西四十五里,曰松果之山。濩水1出焉,北流注于渭,其中多铜。有鸟焉,其名曰(虫鸟)渠2,其状如山鸡,黑身赤足,可以已(月暴)3。   1 郝懿行云:“水经注作灌水。”珂案:王念孙、毕沅并校改作灌。   2 郭璞云:“(虫鸟),音彤弓之彤。”   3 郭璞云:“谓皮皴起也。”珂案:(月暴)音暴。   又西六十里,曰太华之山1,削成而四方,其高五千仞2,其广十里,鸟兽莫居。有蛇焉,名曰肥3,六足四翼,见则天下大旱4。   1 珂案:即西岳华山,在今陕西省华阴县西南。   2 郭璞云:“仞,八尺也。上有明星玉女,持玉浆,得上服之,即成仙。道险僻不通。诗含神雾云。”郝懿行云:“明星玉女,华山?名也。”   3 郝懿行云:“当为遗;刘昭注郡国志及艺文类聚九十六卷并引此经作肥遗。”   4 郭璞云:“汤时此蛇见于阳山下。复有肥遗蛇,疑是同名。”珂案:郭云“复有肥遗蛇”,见北次三经浑夕山、彭毗山。又有肥遗鸟,见此经下文英山。   又西八十里,曰小华之山1,其木多荆杞,其兽多(牛乍)牛2,其阴多磬石3,其阳多(王雩)琈之玉4,鸟多赤鷩5,可以御火,其草有萆荔6,状如乌韭,而生于石上,亦缘木而生,食之已心痛。   1 郭璞云:“即少华山。”   2 郭璞云:“今华阴山中多山牛山羊,肉皆千斤,牛即此牛也;音昨。”   3 郭璞云:“可以为乐石。”   4 珂案:(王雩)琈,音屿浮,玉名,形态未详,山经中多记有之,此其一也。   5 郭璞云:“赤鷩,山鸡之属;音鳖。”   6 珂案:萆荔,香草,楚辞离骚作薜荔,音蔽戾。   又西八十里,曰符禺之山,其阳多铜,其阴多铁。其上有木焉,名曰文茎,其实如枣,可以已聋。其草多条,其状如葵,而赤华黄实,如婴儿舌,食之使人不惑。符禺之水出焉,而北流注于渭。其兽多葱聋,其状如羊而赤鬣1。其鸟多?2,其状如翠3而赤喙,可以御火4。   1 郝懿行云:“此即野羊之一种,今夏羊亦有赤鬣者。”   2 郭璞云:“音旻也。”郝懿行云:“?当为(昏鸟);御览引此正作(昏鸟)。说文云:『(昏鸟),鸟也。』广韵云:『(昏鸟)鸟似翠而赤喙。』”   3 郭璞云:“翠似燕而绀色也。”   4 郭璞云:“畜之辟火灾也。”   又西六十里,曰石脆1之山,其木多棕柟,其草多条,其状如韭,而白华黑实2,食之已疥。其阳多(王雩)琈之玉,其阴多铜。灌水出焉,而北流注于禺水。其中有流赭3,以涂牛马无病4。   1 珂案:脆,王念孙、毕沅、郝懿行并校作?。   2 珂案:条草与上文同名异状。   3 郭璞云:“赭,赤土。”   4 郭璞云:“今人亦以朱涂牛角,云以辟恶。马或作角。”   又西七十里,曰英山,其上多杻橿1,其阴多铁,其阳多赤金。禺水出焉,北流注于招水2,其中多(鱼丰)鱼3,其状如鳖,其音如羊。其阳多箭(上竹下媚)4,其兽多(牛乍)牛、羬羊。有鸟焉,其状如鹑,黄身而赤喙,其名曰肥遗,食之已疠5,可以杀虫。   1 郭璞云:“杻似棣而细叶,一名土橿,音纽;橿,木中车材,音姜。”   2 郭璞云:“音韶。”   3 郭璞云:“音同蚌蛤之蚌。”   4 郭璞云:“今汉中郡出(上竹下媚)竹,厚里而长节,根深,笋冬生地中,人掘取食之。(上竹下媚)音媚。”   5 郭璞云:“疠,疫病也;或曰恶创。”失名云:“一音赖。”   又西五十二里,曰竹山,其上多乔木,其阴多铁。有草焉,其名曰黄雚,其状如樗,其叶如麻,白华而赤实,其状如赭1,浴之已疥,又可以已胕2。竹水出焉,北流注于渭,其阳多竹箭3,多苍玉。丹水出焉,东南流注于洛水,其中多水玉,多人鱼4。有兽焉,其状如豚而白毛5,大如笄6而黑端7,名曰豪彘8。   1 郭璞云:“紫赤色。”   2 郭璞云:“治胕肿也;音符。”   3 郭璞云:“箭,筱也。”珂案:筱,小竹也,见说文。   4 郭璞云:“如(鱼帝)鱼四脚。”珂案:关于人鱼,见海经新释卷七“陵鱼”节注1。   5 珂案:王念孙、郝懿行俱校毛下复有毛字,属下读,是也。   6 郭璞云:“笄,簪属。”   7 珂案:文选长杨赋李善注引此经黑端下有以毛射物四字,疑今本脱去之。   8 珂案:即豪猪,俗称箭猪。   又西百二十里曰浮山,多盼木1,枳叶而无伤2,木虫居之3。有草焉,名曰熏草,麻叶而方茎,赤华而黑实,臭如蘼芜4,佩之可以已疠。   1 郭璞云:“音美目盼兮之盼。”郝懿行云:“郭既音盼,知经文必不作盼,未审何字之讹。”   2 郭璞云:“枳,刺针(针)也,能伤人,故名云。”珂案:广雅云:“伤,箴也。”此言枳叶有刺,盼木叶似枳叶而无刺,故云无伤也。   3 郭璞云:“在树之中。”   4 郭璞云:“蘼芜,香草;易曰:『其臭如兰。』眉无两音。”   又西七十里,曰羭次之山,漆水出焉,北流注于渭。其上多棫橿1,其下多竹箭,其阴多赤铜,其阳多婴垣之玉2。有兽焉,其状如禺而长臂,善投,其名曰嚣3。有鸟焉,其状如枭,人面而一足,曰橐(上非下巴)4,冬见夏蛰,服之不畏雷5。   1 郭璞云:“棫,白桵也;音域。”   2 郭璞云:“垣或作短,或作根,或作埋,传写谬错,未可得详。”珂案:经文婴垣之玉,江绍原谓当即婴脰之玉,见下文西次三经“泑山”注2。   3 郭璞云:“亦在畏兽画中,似猕猴投掷也。”珂案:嚣,郝懿行云,嚣、夒声相近;毕沅校本作嚣,云嚣、夒形相近;说文云:“夒,母猴,似人。”嚣当即夒之讹变也。参见海经新释卷九“东海夔牛”节注2。   4 郭璞云:“音肥。”珂案:经文曰橐(上非下巴)上王念孙校增名字。   5 郭璞云:“着其毛羽,令人不畏天雷也。或作灾。”   又西百五十里,曰时山,无草木。逐1水出焉,北流注于渭,其中多水玉。   1 郭璞云:“或作遂。”   又西百七十里,曰南山,上多丹粟。丹水出焉,北流注于渭。兽多猛豹1,鸟多尸鸠2。   1 郭璞云:“猛豹似熊而小,毛浅,有光泽,能食蛇,食铜铁,出蜀中。豹或作虎。”郝懿行云:“猛豹即貘豹也,貘豹、猛豹声近而转。”   2 郭璞云:“尸鸠,布谷类也。鸠或作丘。”郝懿行云:“鸠或作丘者,声近假借字。”   又西百八十里,曰大时之山,上多谷1柞2,下多杻橿,阴多银,阳多白玉。涔3水出焉,北流注于渭。清水出焉,南流注于汉水。   1 珂案:谷字吴任臣本作榖,是也,即构,诸本作谷皆误。   2 郭璞云:“柞,栎。”   3 郭璞云:“音潜。”   又西三百二十里,曰嶓冢之山1,汉水出焉,而东南流注于沔;嚣水出焉,北流注于汤2水。其上多桃枝钩端3,兽多犀兕熊罴,鸟多白翰4赤鷩。有草焉,其叶如蕙5,其本6如桔梗,黑华而不实,名曰蓇蓉7,食之使人无子。   1 郭璞云:“嶓音波。”   2 郭璞云:“或作阳。”   3 郭璞云:“钩端,桃枝属。”珂案:桃枝,竹名;尔雅释草:“桃枝四寸有节。”疏:“凡竹相去四寸有节者,名桃枝竹。”   4 郭璞云:“白翰,白鵫也,亦名鵫雉,又曰白雉。”   5 郭璞云:“蕙,香草,兰属也。”   6 郭璞云:“本,根也。”   7 郭璞云:“蓇音骨。”   又西三百五十里,曰天帝之山,上多棕柟,下多菅蕙1。有兽焉,其状如狗,名曰溪边2,席其皮者不蛊。有鸟焉,其状如鹑,黑文而赤翁3,名曰栎4,食之已痔。有草焉,其状如葵5,其臭如蘼芜,名曰杜衡6,可以走马7,食之已瘿8。   1 郭璞云:“菅,茅类也。”   2 郭璞云:“或作谷遗。”   3 郭璞云:“音汲瓮之瓮。”珂案:说文四云:“翁,颈毛也。”   4 郭璞云:“音沙砾之砾。”   5 郭璞云:“史记司马相如传索隐引此经作叶如葵。”   6 郭璞云:“香草也。”   7 郭璞云:“带之令人便马;或曰,马得之而健走。”   8 郝懿行云:“说文云:『瘿,颈瘤也。』淮南墬形训云:『险阻气多瘿。』”   西南三百八十里,曰皋涂之山1,蔷2水出焉,西流注于诸资之水;涂水出焉,南流注于集获之水。其阳多丹粟,其阴多银、黄金,其上多桂木。有白石焉,其名曰礜,可以毒鼠3。有草焉,其状如槁茇4,其叶如葵而赤背,名曰无条,可以毒鼠。有兽焉,其状如鹿而白尾5,马脚人手6而四角,名曰如7。有鸟焉,其状如鸱而人足,名曰数斯,食之已瘿8。   1 郝懿行云:“史记司马相如传索隐引此经作鼻涂。”   2 郭璞云:“音色;或作蒉,又作葍。”   3 郭璞云:“今礜石杀鼠,音豫;蚕食之而肥。”   4 郭璞云:“槁茇,香草。”毕沅云:“即槁本也;本、茇声之缓急。”珂案:槁本见中次三经青要之山,槁作 ,字同。   5 郝懿行云:“史记司马相如传索隐引此经无白尾二字。”   6 郭璞云:“前两脚似人手。”   7 珂案:王念孙、郝懿行并校如当作玃如。   8郭璞云:“或作?。”   又西百八十里,曰黄山,无草木,多竹箭。盼水出焉1,西流注于赤水,其中多玉。有兽焉,其状如牛,而苍黑大目,其名曰(敏牛)2。有鸟焉,其状如鸮,青羽赤喙,人舌能言,名曰鹦3。   1 郭璞云:“音美目盼兮之盼。”郝懿行云:“郭既音盼,知经文必不作盼,未审何字之讹。”珂案:上文浮山盼木,郭音与此相同。   2 郭璞云:“音敏。”珂案:周书王会篇云:“数楚每牛,每牛者,牛之小者也。”即此。   3 珂案:即鹦鹉。   又西二百里,曰翠山,其上多棕柟,其下多竹箭,其阳多黄金1、玉,其阴多旄牛、¤、麝2;其鸟多鸓3,其状如鹊,赤黑而两首四足,可以御火。   1 珂案:项絪本、毕沅校本、百子全书本黄下无金字。   2 郭璞云:“¤似羊而大角细食,好在山崖间;麝似獐而小,有香。”   3 珂案:经文鸓,王念孙、毕沅、郝懿行并校作(叠鸟);音叠。   又西二百五十里,曰騩山1,是錞2于西海,无草木,多玉。凄3水出焉,西流注于海,其中多采石4、黄金,多丹粟。   1 郭璞云:“音巍;一音隗嚣之隗。”   2 郭璞云:“錞犹堤埻也;音章闰反。”汪绂云:“錞犹蹲也。”珂案:汪说于义近之,錞盖蹲字假音也。   3 郭璞云:“或作浽。”   4 郭璞云:“采石,石有采色者;今雌黄、空青、碧绿之属。”   凡西经之首,自钱来之山至于騩山,凡十九山,二千九百五十七里。华山冢也1,其祠之礼:太牢2。羭山神也,祠之用烛3,斋百日以百牺4,瘗用百瑜5,汤6其酒百樽,婴7以百珪百璧。其余十七山之属,皆毛牷8用一羊祠之9。烛者百草之未灰10,白席采等纯之11。   1 郭璞云:“冢者,神鬼之所舍也。”   2 郭璞云:“牛羊豕为太牢。”   3 郭璞云:“或作炀。”郝懿行云:“说文云:『烛,庭燎火烛也;炀,炙燥也。』”   4 郭璞云:“牲纯色者为牺。”珂案:经文斋,汪绂本作齐,是也,古斋字多作齐。   5 郭璞云:“瑜亦美玉名;音臾。”   6 郭璞云:“或作温。”郝懿行云:“汤读去声;今人呼温酒为汤酒本此。”珂案:汤酒,今作烫酒。   7 郭璞云:“婴谓陈之以环祭也;或曰婴即古罂字,谓盂也。”珂案:江绍原中国古代旅行之研究第一章注10云,婴系以玉祀神之专称,其说近是,可供参考。   8 郭璞云:“牷谓牲体全具也。”珂案:牷音全。   9 失名云:“二吴(吴管、吴任臣)本均作牢,恐非。”珂案:经文用一羊祠之,汪绂本无用字。   10郝懿行云:“此盖古人用烛之始,经云『百草未灰』,是知上世为烛,亦用麻蒸苇苣为之。详见诗疏及周礼疏。”   11郭璞云:“纯,缘也;五色纯之,等差其文彩也。”   西次二经之首,曰钤山1,其上多铜,其下多玉,其木多杻橿。   1 郭璞云:“音?钳之钳;或作冷,又作涂。”   西二百里,曰泰1冒之山,其阳多金,其阴多铁。浴水2出焉,东流注于河,其中多藻玉3,多白蛇4。   1 郭璞云:“或作秦。”珂案:初学记卷六及太平御览卷六二引此经正作秦。   2 珂案:浴水,初学记及御览并引作洛水,是也。   3 郭璞云:“藻玉,玉有符彩者;或作柬,音练。”珂案:初学记及御览引此经多作有。   4 郭璞云:“水蛇。”   又西一百七十里,曰数历之山,其上多黄金,其下多银,其木多杻橿,其鸟多鹦。楚水出焉,而南流注于渭,其中多白珠1。   1 郭璞云:“今蜀郡平泽出青珠。尸子曰:『水员折者有珠。』”   又西北五十里高山1,其上多银,其下多青碧2、雄黄,其木多棕,其草多竹。泾3水出焉,而东流注于渭,其中多磬石、青碧。   1 珂案:宋本、吴宽抄本、吴任臣本、汪绂本、毕沅校本、百子全书本,经文高山上并有曰字,此脱。   2 郭璞云:“碧亦玉类也。”珂案:说文一云:“碧,石之青美者。”此碧所以称青碧也。   3 郭璞云:“音经。”   西南三百里,曰女床之山,其阳多赤铜,其阴多石涅1,其兽多虎豹犀兕。有鸟焉,其状如翟而五采文2,名曰鸾鸟,见则天下安宁3。   1 吴任臣云:“本草:『黑石脂一名石墨,一名石涅,南人谓之画眉石。』杨慎补注曰:『石涅可以染黑色;论语“涅而不淄”,即此物也。又可以书字,谓之石墨。』”   2 郭璞云:“翟似雉而大,长尾。或作(乐鸟);(乐鸟),雕属也。”珂案:文选东京赋薛综注引此经翟作鹤,五采作五色。   3 郭璞云:“旧说鸾似鸡,瑞鸟也,周成王时西戎献之。”   又西二百里,曰龙首之山,其阳多黄金,其阴多铁。苕水出焉,东南流注于泾水1,其中多美玉。   1 珂案:宋本、毛扆校本东南流上有而字。   又西二百里,曰鹿台之山,其上多白玉,其下多银,其兽多(牛乍)牛、羬羊、白豪1。有鸟焉,其状如雄鸡而人面,名曰凫徯,其鸣自叫也2,见则有兵。   1 郭璞云:“豪,貆猪也。”珂案:豪即豪彘,已见上文竹山;以其毛白,故称白豪。   2 郝懿行云:“北堂书钞一百三十卷引此经面作首,鸣作名,盖形声之讹。”   西南二百里,曰鸟危之山,其阳多磬石,其阴多檀楮1,其中多女床2。鸟危之水出焉,西流注于赤水,其中多丹粟。   1 郭璞云:“楮即榖木。”珂案:榖木已见南山经首招摇之山,即构树。   2 郭璞云:“未详。”   又西四百里,曰小次之山,其上多白玉,其下多赤铜。有兽焉,其状如猿,而白首赤足,名曰朱厌,见则大兵1。   1 郭璞云:“一作见则有兵起焉,一作见则为兵。”郝懿行云:“北堂书钞一百十三卷、太平御览三百二十九卷引此经并作见则有兵。”   又西三百里,曰大次之山,其阳多垩1,其阴多碧,其兽多(牛乍)牛、¤羊。   1 郭璞云:“垩似土色,甚白;音恶。”郝懿行云:“中山经:『葱聋之山,多白垩,黑、青、黄垩。』明垩色非一,不独白者名垩也。”   又西四百里,曰熏吴之山,无草木,多金玉。   又西四百里,曰厎1阳之山,其木多稷2、柟、豫章3,其兽多犀、兕、虎、(犬勺)4、(牛乍)牛。   1 郭璞云:“音旨。”珂案:经文厎,王念孙、毕沅、郝懿行并校作厎。   2 郭璞云:“稷似松,有刺,细理;音即。”   3 郭璞云:“豫章,大木,似楸,叶冬夏青,生七年而后可知也。”   4 郭璞云:“(犬勺),音之药反。”郝懿行云:“玉篇云:『(犬勺),兽,豹文。』音与郭同。”   又西二百五十里,曰众兽之山,其上多(王雩)琈之玉,其下多檀楮,多黄金,其兽多犀兕。   又西五百里,曰皇人之山,其上多金玉,其下多青雄黄1。皇水出焉,西流注于赤水,其中多丹粟。   1 吴任臣云:“苏颂云:『阶州山中,雄黄有青黑色而坚者,名曰熏黄。』青雄黄意即此也。”   又西三百里,曰中皇之山,其上多黄金,其下多蕙、棠1。   1 郭璞云:“彤棠之属也。蕙或作羔。”   又西三百五十里,曰西皇之山,其阳多金,其阴多铁,其兽多麋1鹿、(牛乍)牛。   1 郭璞云:“麋大如小牛,鹿属也。”   又西三百五十里,曰莱山,其木多檀楮,其鸟多罗罗1,是食人。   1 郭璞云:“罗罗之鸟,所未详也。”郝懿行云:“海外北经有青兽,状如虎,名曰罗罗,此鸟与之同名。”   凡西次二经之首,自钤山至于莱山,凡十七山,四千一百四十里。其十神者,皆人面而马身。其七神皆人面牛身,四足而一臂,操杖以行:是为飞兽之神;其祠之,毛用少牢1,白菅为席。其十辈2神者,其祠之,毛一雄鸡,钤而不糈3;毛采4。   1 郭璞云:“羊猪为少牢也。”   2 郝懿行云:“辈犹类也。”   3 郭璞云:“钤,所用祭器名,所未详也。或作思训祈不糈,祠不以米。”郝懿行云:“钤疑祈之声转耳,经文祈而不糈,即祠不以米之义;思训未详。”   4 郭璞云:“言用杂色鸡也。”珂案:此言祠此人面马身之十辈神,毛物但用一杂色雄鸡,而不以米也。   西次三经之首,曰崇吾1之山,在河之南,北望冢遂2,南望瑶(去王)3之泽,西望帝之搏4兽之丘5,东望(虫焉)6渊。有木焉,员叶而白柎7,赤华而黑理,其实如枳8,食之宜子孙。有兽焉,其状如禺而文臂,豹虎9而善投,名曰举父10。有鸟焉,其状如凫,而一翼一目,相得乃飞,名曰蛮蛮11,见则天下大水。   1 郝懿行云:“博物志及史记封禅书索隐引此经并作崇丘;博物志又作参嵎。”   2 郭璞云:“山名。”   3 郭璞云:“音遥。”   4 郭璞云:“搏或作簿。”   5 珂案:经文丘,邵恩多校本、何焯校本、毕沅校本、百子全书本并作山。   6 郭璞云:“音于然反。”   7 珂案:柎,花萼房也,音附。   8 郝懿行云:“说文云:『枳,木,似橘。』考工记云:『橘逾淮而北,为枳。』”   9 吴任臣云:“字有误。”珂案:经文虎,疑是尾字之误。   10郭璞云:“或作夸父。”珂案:郝懿行云:“尔雅云:『豦,迅头。』郭注云:『今建平山中有豦,大如狗,似猕猴,黄黑色,多髯鬣,好奋迅其头,能举石擿人,玃类也。』如郭所说,惟能举石擿人,故经曰善投,因亦名举父。举、豦声同,故古字通用;与夸声近,故或作夸父。”则夸父者,猿类之兽也。东山经柟山有兽,“状如夸父而彘毛,其音如呼,见则天下大水”;北次二经梁渠之山有鸟,“状如夸父,四翼一目,犬尾,名曰嚣,其音如鹊,食之已腹痛,可以止衕”:均形似猿猴之怪鸟兽也。而神之多力奋迅者,亦或以夸父名矣。参见海经新释卷三“夸父与日逐走”节注1。   11郭璞云:“比翼鸟也,色青赤,不比不能飞,尔雅作鹣鹣鸟也。”珂案:参见海经新释卷一“比翼鸟”节注1。   西北三百里,曰长沙之山1。泚水出焉,北流注于泑水2,无草木,多青雄黄。   1 郝懿行云:“穆天子传云:『送天子至于长沙之山。』即此。”   2 郭璞云:“音黝,水色黑也。”珂案:即下文云“东望泑泽”是也。   又西北三百七十里,曰不周之山1。北望诸毗之山,临彼岳崇之山,东望泑泽,河水所潜也,其原浑浑泡泡2。爰有嘉果,其实如桃3,其叶如枣,黄华而赤柎,食之不劳4。   1 郭璞云:“此山形有缺不周?处,因名云。西北不周风自此山出。”珂案:郭注“山形有缺”,乃共工与颛顼争为帝,怒触之所致也;参见海经新释卷三“共工之臣相柳氏”节注1及卷十一“不周负子山”节注1。   2 郭璞云:“浑浑泡泡,水濆涌之声也;咆二音。”   3 珂案:汉武故事“西王母种桃三千岁一着子”云云,说盖本此也。   4 郝懿行云:“劳,忧也。太平御览九百六十四卷引此经作其实如桃李、其华食之不饥,与今本异。”   又西北四百二十里,曰峚山1,其上多丹木,员叶而赤茎,黄华而赤实,其味如饴,食之不饥。丹水出焉,西流注于稷泽2,其中多白玉,是有玉膏,其原沸沸汤汤3,黄帝是食是飨。是生玄玉4。玉膏所出,以灌丹木。丹木五岁,五色乃清,五味乃馨。黄帝乃取峚山之玉荣5,而投之钟山之阳6。瑾瑜之玉为良7,坚粟精密8,浊泽有而光9。五色发作,以和柔刚。天地鬼神,是食是飨;君子服10之,以御不祥。自峚山至于钟山,四百六十里11,其闲尽泽也。是多奇鸟、怪兽、奇鱼,皆异物焉。   1 郭璞云:“音密。”郝懿行云:“郭注穆天子传及李善注南都赋、天台山赋引此经俱作密山,盖峚、密古字通也。”   2 郭璞云:“后稷神所凭,因名云。”珂案:关于后稷,参见海经新释卷十一“西周国”节注2。   3 郭璞云:“玉膏涌出之貌也。河图玉版曰:『少室山,其上有白玉膏,一服即仙矣。』亦此类也。沸音拂。”   4 郭璞云:“言玉膏中又出黑玉也。”   5 郭璞云:“谓玉华也。”   6 郭璞云:“以为玉种。”   7 郭璞云:“言最善也。或作食。觐臾两音。”珂案:此段通篇多系韵语,作食则于韵不协,疑郭所见别本已讹。   8 郭璞云:“说玉理也。”郝懿行云:“王引之说经文粟当为栗。”珂案:王念孙(引之父)校正作栗。   9 郭璞云:“浊谓润厚。”珂案:经文泽,邵恩多校宋本、吴慈培临黄荛圃校宋本、吴宽抄本均作黑,于义为长。又经文有而,唯吴任臣本同,汪绂本、毕沅校本、百子全书本并作而有,应乙正。   10珂案:服,佩带也。   11郝懿行云:“下又云四百二十里。”   又西北四百二十里,曰钟山,其子曰鼓,其状如1人面而龙身2,是与钦(丕鸟)3杀葆江于昆仑之阳4,帝乃戮之钟山之东曰瑶(王改山)崖5,钦(丕鸟)化为大鹗,其状如雕而黑文白首,赤喙而虎爪,其音如晨鹄6,见则有大兵;鼓亦化为鵔7鸟,其状如鸱,赤足而直喙,黄文而白首,其音如鹄8,见则其邑大旱。   1 珂案:经文如字,王念孙校衍,是也。   2 郭璞云:“此亦神名,名之为钟山之子耳,其类皆见归藏启筮。启筮曰:『丽山之子,青羽人面马身。』亦似此状也。”珂案:经文“钟山,其子曰鼓”者,谓钟山山神之子曰鼓也。海外北经云:“钟山之神,名曰烛阴(烛龙),其为物人面蛇身。”正与鼓之状合,是知鼓即钟山山神烛阴(烛龙)之子耳,参见海经新释卷三“钟山之神烛阴”节注1。又郭注“其类皆见归藏启筮”者,谓诸山水神之子之状皆见归藏启筮也。所举丽山之子之状,即其一例。又文选鹦鹉赋注引归藏启筮云:“金水之子,其名曰羽蒙,是生百鸟。”亦其一例。   3 郭璞云:“音邳。”郝懿行云:“后汉书张衡传注引此经作钦駓,庄子大宗师篇作堪坏,云:『堪坏得之,以袭昆仑。』释文云:『崔作邳。』司马云:『堪坏神名,人面兽形。』淮南子作钦负。是钦堪、坏负并声类之字。”   4 郭璞云:“葆或作祖。”珂案:文选思玄赋云:“过钟山而中休,瞰瑶溪之赤岸,吊祖江之见刘。”李善注引此经作祖江。又陶潜读山海经诗亦作祖江。   5 珂案:经文瑶(王改山)崖,王念孙云:“张衡传注、御览妖异三作瑶岸。”郝懿行亦校瑶岸。   6 郭璞云:“晨鹄,鹗属,犹云晨凫耳。”   7 郭璞云:“音俊。”   8 郝懿行云:“说文云:『鹄,鸿鹄也。』”珂案:黄帝戮鼓与钦●,亦犹黄帝梏贰负与危之类是也;参见海经新释卷六“危与贰负杀窫窳”节注3。   又西百八十里,曰泰器之山。观水出焉1,西流注于流沙。是多文鳐鱼2,状如鲤鱼3,鱼身而鸟翼,苍文而白首,赤喙,常行4西海,游于东海5,以夜飞。其音如鸾鸡6,其味酸甘,食之已狂,见则天下大穰7。   1 珂案:经文观水,吕氏春秋本味篇作雚水,高诱注:“雚水在西极。”文选吴都赋及曹植七启李善注引此经均作濩水。   2 郭璞云:“音遥。”珂案:吕氏春秋本味篇云:“味之美者,雚水之鱼,名曰鳐。”吴都赋及曹植七启注引此经止作鳐鱼,无文字。   3 珂案:经文鲤鱼,王念孙校衍鱼字。   4 珂案:经文常行,吕氏春秋本味篇及初学记卷三十均作常从。   5 珂案:经文游于东海,文选吴都赋及曹植七启注引游上均有而字。   6 郭璞云:“鸾鸡,鸟名,未详也;或作栾。”郝懿行云:“鸾或作栾,古字假借,鸾鸡疑即鸾也。初学记三十卷引此经无鸡字。”   7 郭璞云:“丰穰收熟也。韩子曰:『穰岁之秋。』”   又西三百二十里,曰槐江之山。丘时之水出焉,而北流注于泑水。其中多蠃母1,其上多青雄黄,多藏琅玕、黄金、玉2,其阳多丹粟,其阴多采黄金银3。实惟帝之平圃4,神英招司之5,其状马身而人面,虎文而鸟翼,徇6于四海,其音如榴7。南望昆仑,其光熊熊,其气魂魂8。西望大泽,后稷所潜也9;其中多玉,其阴多榣木之有若10。北望诸毗11,槐鬼离仑居之12,鹰鹯13之所宅也。东望恒山四成14,有穷鬼居之,各在一搏15。爰有淫水,其清洛洛16。有天神焉,其状如牛,而八足二首马尾,其音如勃皇17,见则其邑有兵。   1 郭璞云:“即螺也。”珂案:经文蠃,音螺;郭注螺,中次三经青要之山作仆累。   2 郭璞云:“琅玕,石似珠者;藏犹隐也。郎干二音。”郝懿行云:“藏,古字作臧,臧,善也:此言琅玕黄金玉之最善者。”   3 郝懿行云:“采谓金银之有符采者。”   4 郭璞云:“即玄圃也。”珂案:玄圃,穆天子传、淮南子墬形篇作县圃,玄、县声同,古字通用。   5 郭璞云:“司,主也。招音韶。”   6 郭璞云:“徇谓周行也。”   7 郭璞云:“音留,或作籀;此所未详也。”   8 郭璞云:“皆光气炎盛相焜耀之貌。”   9 郭璞云:“后稷生而灵知,及其终,化形遯此泽而为之神,亦犹傅说骑箕尾也。”毕沅云:“即稷泽,稷所葬也。”珂案:稷葬所参见海经新释卷六“后稷之葬”节注1。   10郭璞云:“榣木,大木也;言其上复生若木。大木之奇灵者为若,见尸子。”   11郭璞云:“山名。”珂案:诸毗亦水名,见南次二经浮玉山。   12郭璞云:“离仑其神名。”   13郭璞云:“鹯亦鸱属也。”   14郭璞云:“成亦重也。”郝懿行云:“文选注长笛赋引此经作桓山四成。”珂案:王念孙校同郝注。   15郭璞云:“搏犹胁也;言群鬼各以类聚,处山四胁,有穷其总号耳。搏亦作抟。”   16郭璞云:“水留下之貌也。淫音遥也。”郝懿行云:“陶潜读山海经诗云:『落落清瑶流。』是洛洛本作落落,淫本作瑶,皆假借声类之字。”   17郭璞云:“勃皇未详。”   西南四百里,曰昆仑之丘,是实1惟帝之下都2,神陆吾司之3。其神状虎身而九尾,人面而虎爪4;是神也,司天之九部及帝之囿时5。有兽焉,其状如羊而四角,名曰土蝼,是食人。有鸟焉,其状如蜂6,大如鸳鸯,名曰钦原7,?鸟兽则死,?木则枯8。有鸟焉,其名曰鹑鸟9,是司帝之百服10。有木焉,其状如棠,黄华赤实11,其味如李而无核,名曰沙棠,可以御水,食之使人不溺12。有草焉,名曰(上艹下宾)草13,其状如葵,其味如葱,食之已劳14。河水出焉,而南流东注于无达15。赤水出焉,而东南流注于泛天之水16。洋水出焉17,而西南流注于丑涂之水18。黑水出焉,而西流于大杅19。是多怪鸟兽20。   1 珂案:经文是实,王念孙校衍是字,实作寔。   2 郭璞云:“天帝都邑之在下者。”珂案:郭注天帝即黄帝,见海经新释卷六“海内昆仑之虚”节注2。   3 郭璞云:“即肩吾也。庄周曰:『肩吾得之,以处大山』也。”郝懿行云:“郭说见庄子大宗师篇;释文引司马彪云:『山神不死,至孔子时。』”   4 珂案:此神即海内西经之开明兽也,见海经新释卷六“海内昆仑之虚”节注2。   5 郭璞云:“主九域之部界、天帝苑圃之时节也。”   6 珂案:经文蜂,宋本作蜂,即蜂字。   7 郭璞云:“钦或作爰,或作至也。”   8 珂案:?音弱,螫也。   9 郝懿行云:“鹑鸟,凤也;海内西经云,昆仑开明西北皆有凤皇,此是也。埤雅引师旷禽经曰:『赤凤谓之鹑。』”   10郭璞云:“服,器服也;一曰,服,事也。或作藏。”郝懿行云:“或作藏者,百藏,言百物之所聚。”   11郭璞云:“棠,梨也。”珂案:经文黄华赤实,宋本、毛扆本作华黄赤实。   12郭璞云:“言体浮轻也;沙棠为木,不可得沉。”   13郭璞云:“音频。”   14珂案:已劳,谓已忧也。吕氏春秋本味篇云:“菜之美者,昆仑之苹。”   15郭璞云:“山名。”   16珂案:大荒南经云:“有泛天之山,赤水穷焉。”是泛天亦山名。   17郭璞云:“或作清。”   18郭璞云:“丑涂亦山名也;皆在南极。”珂案:大荒南经云:“有山名(歹ㄎ)涂之山,青水穷焉。”即此山此水。见海经新释卷十“禹攻云雨”节注1。   19郭璞云:“山名也。”   20郭璞云:“谓有一兽九首、有一鸟六首之属也。”珂案:九首开明兽,六首树鸟,并见海内西经(海经新释卷六)。   又西三百七十里,曰乐游之山。桃水出焉,西流注于稷泽1,是多白玉。其中多?鱼2,其状如蛇而四足,是食鱼。   1 珂案:稷泽已见上文峚山。   2 郭璞云:“音滑。”珂案:经文?、注文滑,王念孙、毕沅、郝懿行并校作(鱼胃)、渭。   西水行四百里,曰流沙,二百里至于蠃母之山1,神长乘司之2,是天之九德也3。其神状如人而(犬勺)4尾。其上多玉,其下多青石而无水。   1 珂案:此处经文,疑当作西水行四百里,流沙二百里,至于蠃母之山,曰字衍。   2 郝懿行云:“水经注云:『禹西至洮水之上,见长人受黑玉。』疑即此神。”珂案:郝引水经注洮水文,“黑玉”下当有“书”字。   3 郭璞云:“九德之气所生。”   4 郭璞云:“之药反。”   又西三百五十里,曰玉山1,是西王母所居也。西王母其状如人,豹尾虎齿而善啸,蓬发戴胜2,是司天之厉及五残3。有兽焉,其状如犬而豹文,其角如牛4,其名曰狡,其音如吠犬,见则其国大穰。有鸟焉,其状如翟而赤,名曰胜5遇,是食鱼,其音如录6,见则其国大水。   1 郭璞云:“此山多玉石,因以名云。穆天子传谓之群玉之山。”   2 郭璞云:“蓬头乱发;胜,玉胜也。”   3 郭璞云:“主知灾厉五刑残杀之气也。”珂案:关于西王母,参见海经新释卷七“西王母”节注1。   4 郭璞云:“或作羊。”   5 郭璞云:“音姓。”   6 郭璞云:“音录;义未详。”吴任臣云:“疑为鹿之借字。”郝懿行云:“经文作录,郭复音录,必有误。”   又西四百八十里,曰轩辕之丘1,无草木。洵2水出焉,南流注于黑水,其中多丹粟,多青雄黄。   1 郭璞云:“黄帝居此丘,娶西陵氏女,因号轩辕丘。”   2 郭璞云:“音询。”   又西三百里,曰积石之山,其下有石门,河水冒以西流1。是山也,万物无不有焉。   1 郭璞云:“冒,犹覆也。”珂案:经文西流,王念孙、郝懿行并于西下校增南字。又关于积石山,参见海经新释卷三“禹所积石山”节注1。   又西二百里,曰长留之山1,其神白帝少昊居之2。其兽皆文尾3,其鸟皆文首4。是多文玉石。实惟员神磈5氏之宫。是神也,主司反景6。   1 珂案:经文长留,太平御览卷三八八引作长流。   2 郭璞云:“少昊金天氏,帝挚之号也。”珂案:关于少昊,见海经新释卷九“少昊之国”节注2。   3 郭璞云:“文或作长。”   4 郭璞云:“文或作长。”   5 郭璞云:“音隗。”   6 郭璞云:“日西入则景反东照,主司察之。”郝懿行云:“是神,员神,盖即少昊也;红光,盖即蓐收,见下文泑山。”   又西二百八十里,曰章莪之山,无草木,多瑶碧1。所为甚怪2。有兽焉,其状如赤豹3,五尾一角,其音如击石,其名如狰4。有鸟焉,其状如鹤,一足,赤文青质而白喙,名曰毕方5,其鸣自叫也,见则其邑有讹火6。   1 郭璞云:“碧亦玉属。”珂案:经文章莪,太平御览卷八0九引作章义,多瑶碧上有是字。   2 郭璞云:“多有非常之物。”   3 郝懿行云:“赤豹,广韵引此经无赤字。”   4 珂案:经文如狰,宋本、吴宽抄本并作曰狰,王念孙、孙星衍、郝懿行校同,是也。   5 珂案:关于毕方,见海经新释卷一“毕方鸟”节注1。   6 郭璞云:“讹亦妖讹字。”珂案:讹火,即怪火也。   又西三百里,曰阴山。浊浴1之水出焉,而南流注于蕃泽,其中多文贝。有兽焉,其状如狸2而白首,名曰天狗3,其音如榴榴4,可以御凶。   1 珂案:经文浊浴,太平御览卷八0七、卷九一三并引作浊谷。   2 郭璞云:“或作豹。”   3珂案:大荒西经亦有兽,名曰天犬,与此性态各异,参见海经新释卷十一“黄姖尸、比翼鸟、天犬”节注6。   4 郭璞云:“或作猫猫。”   又西二百里,曰符愓之山1,其上多棕柟,下多金玉,神江疑居之。是山也,多怪雨,风云之所出也2。   1 郭璞云:“音阳。”郝懿行云:“艺文类聚二卷、太平御览九卷及十卷并引此经作符阳之山,与今本异。”   2 郝懿行云:“祭法云:『山林川谷丘陵能出云、为风雨、见怪物者皆曰神。』即斯类也。”   又西二百二十里,曰三危之山,三青鸟居之1。是山也,广员百里。其上有兽焉,其状如牛,白身2四角,其豪如披蓑3,其名曰傲(彳因)4,是食人。有鸟焉,一首而三身,其状如(乐鸟)5,其名曰鸱。   1 郭璞云:“三青鸟主为西王母取食者,别自栖息于此山也。”珂案:三青鸟参见海经新释卷七“西王母”节注3。   2 郝懿行云:“广韵引此经作白首。”   3 郭璞云:“蓑,辟雨草衣也;音催。”   4 郭璞云:“傲噎二音。”珂案:经文傲(彳因),王念孙校作傲(犬因)。   5 郭璞云:“(乐鸟)似鵰,黑文赤颈;音洛。”   又西一百九十里,曰騩山,其上多玉而无石。神耆童居之1,其音常如钟磬2。其下多积蛇。   1 郭璞云:“耆童,老童,颛顼之子。”   2 郝懿行云:“此亦天授然也,其孙长琴,所以能作乐风,本此。亦见大荒西经。”珂案:关于老童,参见海经新释卷十一“太子长琴”节注2。   又西三百五十里,曰天山,多金玉,有青雄黄。英水出焉,而西南流注于汤谷1。有神焉2,其状如黄囊,赤如丹火3,六足四翼,浑敦4无面目,是识歌舞,实为帝江也5。   1 珂案:此与海外东经及大荒东经所记之汤谷盖异地同名。   2 郝懿行云:“初学记、文选注引此经并作神鸟,今本作焉,字盖讹。”珂案:汪绂本、毕沅校本作神鸟,惟吴宽抄本、吴任臣本、百子全书本仍作焉。   3 郭璞云:“体色黄而精光赤也。”   4 郝懿行云:“初学记八卷引此经无敦字。”   5 毕沅云:“江读如鸿,春秋传云:帝鸿氏有不才子,天下谓之浑沌。此云帝江,犹言帝江氏子也。”珂案:经文实为帝江,宋本、毛扆本作实惟帝江,于义为长。毕说江读如鸿,是也;谓帝江犹言帝江氏子,则曲说也。古神话必以帝鸿即此“浑敦无面目”之怪兽也。帝鸿者何?左传文公十八年杜预注:“帝鸿,黄帝。”庄子应帝王:“中央之帝为浑沌。”正与黄帝在“五方帝”中为中央天帝符,以知此经帝江即帝鸿亦即黄帝也。至于大荒东经又谓“帝俊生帝鸿”者,神话传说之纷歧,每每如是,无足异也。   又西二百九十里,曰泑山1,神蓐收居之2。其上多婴短之玉3,其阳多瑾瑜之玉,其阴多青雄黄。是山也,西望日之所入,其气员4,神红光之所司也5。   1 郭璞云:“泑,音黝黑之黝。”郝懿行云:“李善注思玄赋引此经作蒙山,盖即淮南子云,日至于蒙谷是也。”   2 郭璞云:“亦金神也,人面、虎爪、白尾(毛),执钺,见外传云。”珂案:关于蓐收,见海经新释卷二“西方蓐收”节注1。   3 郭璞云:“未详。”珂案:即婴垣之玉,已见上文羭次之山,郭注云:“垣或作短。”谓此也。江绍原中国古代旅行之研究第一章注10谓垣、短均当系脰字之误,婴脰之玉,即作为颈饰之玉,其说近是,足供参考。   4 郭璞云:“日形员,故其气象亦然也。”   5 郭璞云:“未闻其状。”郝懿行云:“红光盖即蓐收也。”   西水行百里,至于翼望之山1,无草木,多金玉。有兽焉,其状如狸,一目而三尾,名曰讙2,其音如夺(寸改木)百声3,是可以御凶,服之已瘅4。有鸟焉,其状如乌,三首六尾而善笑,名曰鵸5,服之使人不厌6,又可以御凶。   1 郭璞云:“或作土翠山。”珂案:中次十一经首曰翼望之山,与此同名;或一山之连麓。   2 郭璞云:“讙音欢;或作原。”   3 郭璞云:“言其能作百种物声也。或曰,夺(寸改木)百,物名,亦所未详。”郝懿行云:“夺,说文作(上大下只),盖形近误作夺(寸改木)也。”珂案:吴宽抄本字正作夺。   4 郭璞云:“黄瘅病也;音旦。”   5 郭璞云:“猗余两音。”珂案:北山经带山有鸟,名曰鵸,自为牝牡,与此同名。   6 郭璞云:“不厌梦也。”   凡西次三经之首,崇吾之山1至于翼望之山,凡二十三山,六千七百四十四里。其神状皆羊身人面。其祠之礼,用一吉玉瘗2,糈用稷米。   1 珂案:经文崇吾之山上当脱自字。   2 郭璞云:“玉加采色者也。尸子曰:『吉玉大龟。』”   西次四经之首曰阴山1,上多谷2,无石,其草多茆、蕃3。阴水出焉,西流注于洛。   1 珂案:上文已有阴山,与此同名。   2 珂案:经文谷,汪绂本、毛扆校本、吴任臣本并作榖,是也。   3 郭璞云:“茆,凫葵也;蕃,青蕃,似莎而大;卯烦两音。”珂案:茆,宋本、吴任臣本、汪绂本、毕沅校本均作茆,(上艹下留)、茆字同,本当作(上艹下留),说文一云:“(上艹下留),凫葵也。”与郭注合。   北五十里,曰劳山,多茈草1。弱水出焉,而西流注于洛。   1 吴任臣云:“即紫草。”   西五十里,曰罢父之山1。洱水出焉,而西南流注于洛,其中多茈、碧2。   1 珂案:经文罢父,王念孙、吴任臣、毕沅、郝懿行并校作罢谷。   2 郝懿行云:“茈、碧二物也;茈即茈石。”   北百七十里,曰申山,其上多谷1柞,其下多杻橿,其阳多金玉。区水出焉,而东流注于河。   1 珂案:经文谷,汪绂本、毛扆校本、吴任臣本并作榖,是也。   北二百里,曰鸟山,其上多桑,其下多楮,其阴多铁,其阳多玉。辱水出焉,而东流注于河。   又北二十里,曰上申之山,上无草木,而多硌石1,下多榛楛2,兽多白鹿。其鸟多当扈3,其状如雉,以其髯飞4,食之不眴目5。汤水出焉,东流注于河。   1 郭璞云:“硌,磊硌,大石貌也;音洛。”   2 郭璞云:“榛子似栗而小,味美;楛木可以为箭。诗云:『榛楛济济。』臻怙两音。”   3 郭璞云:“或作户。”   4 郭璞云:“髯,咽下须毛也。”   5 珂案:眴目,即瞬目;音舜。   又北八十里,曰诸次之山,诸次之水出焉,而东流注于河。是山也,多木无草,鸟兽莫居,是多众蛇。   又北百八十里,曰号山,其木多漆、棕,其草多药、虈、芎藭1。多?石2。端水出焉,而东流注于河。   1 郭璞云:“药,白芷别名;虈,香草也;芎藭一名江蓠。药音乌较反。”珂案:芎藭音穹穷,即川芎也。   2 郭璞云:“?或音金;未详。”郝懿行云:“说文?字作淦,云泥也,艺石质柔软如泥者,今水中土中俱有此石也。”   又北二百二十里,曰盂山,其阴多铁,其阳多铜,其兽多白狼白虎,其鸟多白雉白翟1。生水出焉,而东流注于河。   1 郭璞云:“或作白翠。”郝懿行云:“雉、翟一物二种,经白翟当为白翠。”   西二百五十里,曰白于之山,上多松柏,下多栎檀1,其兽多(牛乍)牛、羬羊,其鸟多鸮2。洛水出于其阳,而东流注于渭;夹水出于其阴,东流注于生水。   1 郭璞云:“栎即柞。”   2 郭璞云:“鸮似鸠而青色。”   西北三百里,曰申首1之山,无草木,冬夏有雪。申水出于其上,潜于其下,是多白玉。   1 珂案:经文申首,王念孙、吴任臣、郝懿行并校作由首;申盖由字之讹也。   又西五十五里,曰泾谷之山1,泾水出焉,东南流注于渭,是多白金白玉。   1 郭璞云:“或无之山二字。”   又西百二十里,曰刚山,多柒木1,多(王雩)琈之玉。刚水出焉,北流注于渭。是多神(光鬼)2,其状人面兽身,一足一手,其音如钦3。   1 汪绂云:“柒即漆字。”   2 郭璞云:“(光鬼)亦魑魅之类也;音耻回反。   3 郭璞云:“钦亦吟字假音。”   又西二百里,至刚山之尾,洛水出焉,而北流注于河。其中多蛮蛮1,其状鼠身而鳖首,其音如吠犬。   1 郝懿行云:“蛮蛮之兽,与比翼鸟同名,疑即?也。?、蛮声相近。说文云:『猵或作?,獭属。』文选羽猎赋注引郭氏三苍解诂曰:『?似狐,青色,居水中,食鱼。』”   又西三百五十里,曰英鞮之山,上多漆木,下多金玉,鸟兽尽白。涴水出焉,而北流注于陵羊之泽。是多冉遗之鱼1,鱼身蛇首六足,其目如马耳,食之使人不眯2,可以御凶。   1 郝懿行云:“太平御览九三九卷引此经作无遗之鱼,疑即蒲夷之鱼也,见北次三经碣石之山下;蒲、无声相近,夷、遗声同。”   2 郝懿行云:“说文云:『眯,艹入目中也。』”案:此固眯之一义,然以此释此经之眯,则未当也。“艹入目中”,偶然小事,勿用服药;即令服药,亦何能“使人不眯”?庄子天运篇云:“彼不得梦,必且数眯焉。”释文引司马彪云:“眯,厌也。”厌,俗作魇,即厌梦之义:此经文眯之正解也,与下文“可以御凶”之义亦合。西次三经翼望之山鵸,“服之使人不厌”,郭注云:“不厌梦也。”山经凡言“不眯”,均当作此解。   又西三百里,曰中曲之山,其阳多玉,其阴多雄黄、白玉及金。有兽焉,其状如马而白身黑尾,一角,虎牙爪,音如鼓音1,其名曰驳,是食虎豹2,可以御兵3。有木焉,其状如棠,而员叶赤实,实大如木瓜,名曰櫰木4,食之多力。   1 珂案:经文音如鼓音,王念孙、毕沅、郝懿行并校无下音字。   2 郭璞云:“尔雅说驳,不道有角及虎爪。驳亦在畏兽画中。”珂案:尔雅释兽云:“驳如马,倨牙,食虎豹。”关于驳,参见海经新释卷三“北海诸兽”节注2。   3 郭璞云:“养之辟兵刃也。”   4 郭璞云:“音怀。”   又西二百六十里,曰邽1山。其上有兽焉,其状如牛,猬毛,名曰穷奇,音如?狗,是食人2。蒙水出焉,南流注于洋水,其中多黄贝3,蠃鱼,鱼身而鸟翼,音如鸳鸯,见则其邑大水。   1 郭璞云:“音圭。”   2 郭璞云:“或云似虎,猬毛有翼。”珂案:关于穷奇,参见海经新释卷七“穷奇”节注1。   3 郭璞云:“贝,甲虫,肉如科斗,但有头尾耳。”   又西二百二十里,曰鸟鼠同穴之山1,其上多白虎、白玉。渭水出焉,而东流注于河。其中多(鱼蚤)鱼2,其状如鳣鱼3,动则其邑有大兵4。滥5水出于其西,西流注于汉水。多(上如下鱼)(鱼比)之鱼6,其状如覆铫7,鸟首而鱼翼鱼尾,音如磬石之声,是生珠玉。   1 郭璞云:“今在陇西首阳县西南山,有鸟鼠同穴,鸟名曰,鼠名曰鼵。鼵如人家鼠而短尾,似燕而黄色。穿地入数尺,鼠在内,鸟在外而共处。孔氏尚书传曰,共为雌雄;张氏地理记云,不为牝牡也。”   2 郭璞云:“音骚。”   3 郭璞云:“鳣鱼,大鱼也,口在颔下,体有连甲也。”   4 郭璞云:“或脱无从动则以下语者。”珂案:郭注疑有讹误。   5 郭璞云:“音槛。”   6 郭璞云:“如玭两音。”   7 郝懿行云:“说文云:『铫,温器也。』”   西南三百六十里,曰崦嵫之山1,其上多丹木,其叶如谷2,其实大如瓜,赤符3而黑理,食之已瘅,可以御火。其阳多龟,其阴多玉。苕4水出焉,而西流注于海5,其中多砥砺6。有兽焉,其状马身而鸟翼,人面蛇尾,是好举人7,名曰孰湖。有鸟焉,其状如鸮而人面,蜼身犬尾8,其名自号也,见则其邑大旱。   1 郭璞云:“日没所入山也,见离骚。奄兹两音。”珂案:离骚云:“望崦嵫而勿迫。”王逸注:“崦嵫,日所入山也;下有蒙水,水中有虞渊。”   2 珂案:经文谷,宋本、汪绂本、吴任臣本作榖,是也。   3 毕沅云:“借为柎也。”   4 郭璞云:“或作若。”   5 郭璞云:“禹大传曰:『洧盘之水,出崦嵫山。』”珂案:楚辞离骚云:“朝濯发乎洧盘。”王逸注引禹大传与郭注同,是郭以洧盘即苕水矣。   6 郭璞云:“磨石也;精为砥,?为砺也。”   7 郭璞云:“喜抱举人。”   8 郭璞云:“蜼,猕猴属也,音赠遗之遗,一音诔,见中山经。尾又作眦。”珂案:蜼见中次九经鬲山。   凡西次四经自阴山以下,至于崦嵫之山,凡十九山,三千六百八十里。其神祠礼,皆用一白鸡祈。糈以稻米,白菅为席。   右西经之山(郝懿行云:“山下脱志字。”珂案:山下本无志字,志字乃后人所妄加,说见海经新释卷一篇首注1),凡七十七山,一万七千五百一十七里。   山海经山经柬释卷三  山海经第三    北山经   北山经之首,曰单狐之山,多机木1,其上多华草2。(水逢)3水出焉,而西流注于泑水,其中多芘石4文石。   1 郭璞云:“机木似榆,可烧以粪稻田,出蜀中;音饥。”杨慎云:“即今之桤也。”   2 珂案:华草,未详。   3 郭璞云:“音逢。”   4 郝懿行云:“疑芘当为茈,茈古字假借为紫也。”珂案:经文芘,汪绂本正作茈。   又北二百五十里,曰求如之山,其上多铜,其下多玉,无草木。滑水出焉,而西流注于诸毗之水1。其中多滑魚,其狀如?2,赤背,其音如梧3,食之已疣4。其中多水马,其状如马,文臂牛尾5,其音如呼6。   1 郭璞云:“水出诸毗山也。”珂案:西次三经云:“槐江之山,北望诸毗。”即此山也。   2 郭璞云:“?魚似蛇;音善。”珂案:即鳝鱼,俗称黄鳝。   3 郭璞云:“如人相枝梧声;音吾子之吾。”   4 郭璞云:“疣,赘也。”   5 郭璞云:“臂,前脚也。”珂案:太平御览卷八九六引此经文臂上有而字,是也。   6 郭璞云:“如人叫呼。”郝懿行云:“呼,谓马叱咤也。”   又北三百里,曰带山,其上多玉,其下多青碧。有兽焉,其状如马,一角有错1,其名曰(月雚)2疏,可以辟火。有鸟焉,其状如乌,五采而赤文,名曰鵸3,是自为牝牡,食之不疽4。彭水出焉,而西流注于芘湖5之水,其中多儵鱼6,其状如鸡而赤毛,三尾、六足、四首7,其音如鹊,食之可以已忧。   1 郭璞云:“言角有甲错也;或作厝。”郝懿行云:“依字正当为厝。说文云:厝,厉石也;引诗『他山之石,可以为厝』。今诗通作错。”   2 郭璞云:“音欢。”   3 珂案:鵸已见西次三经翼望之山,与此异。   4 郭璞云:“无痈疽病也。”   5 珂案:经文芘,太平御览卷九三七引作茈。   6 郭璞云:“音由。”珂案:御览卷九三七引作儵;郝懿行云:“儵与鯈同,玉篇作鯈。”   7 珂案:经文四首,王念孙、郝懿行并校作四目。郝云:“今图正作四目。”   又北四百里,曰谯明之山,谯水出焉,西流注于河。其中多何罗之鱼,一首而十身,其音如吠犬1,食之已痈。有兽焉,其状如貆而赤豪2,其音如榴榴,名曰孟槐,可以御凶3。是山也,无草木,多青雄黄4。   1 珂案:初学记卷三十引此经作犬吠。吴任臣山海经广注引异鱼图赞云:“何罗之鱼,十身一首;化而为鸟,其名休旧;窃糈于春(舂?),伤陨在臼;夜飞曳音,闻春(雷?)疾走。”则是关于此鱼之异闻也。意十首一身之姑获鸟(鬼车),其此鱼之所化乎?王崇庆云:“何罗之鱼,鬼车之鸟,可以并观。”是也。   2 郭璞云:“貆,豪猪也;音丸。”珂案:貆猪白豪,已见西山经竹山。   3 郭璞云:“辟凶邪气也。亦在畏兽画中也。”   4 郭璞云:“一作多青碧。”   又北三百五十里,曰涿光之山,嚣水出焉,而西流注于河。其中多鳛鳛之鱼1,其状如鹊而十翼,鳞皆在羽端,其音如鹊,可以御火,食之不瘅。其上多松柏,其下多棕橿,其兽多¤羊,其鸟多蕃2。   1 郭璞云:“音*褶之褶。”   2 郭璞云:“未详;或云即鸮,音烦。”   又北三百八十里,曰虢山1,其上多漆,其下多桐椐2,其阳多玉,其阴多铁。伊水出焉,西流注于河。其兽多橐驼3,其鸟多寓4,状如鼠而鸟翼,其音如羊,可以御兵。   1 郝懿行云:“初学记及太平御览引此经并作号山,尔雅疏作(豸虎)山,(豸虎)即号之异文也。”   2 郭璞云:“桐,梧桐也;椐,樻木,肿节中杖。椐音袪。”   3 郭璞云:“有肉鞍,善行流沙中,日行三百里,其负千斤,知水泉所在也。”   4 郝懿行云:“方言云:『寓,寄也。』此经寓鸟,盖蝙蝠之类。”   又北四百里,至于虢山之尾,其上多玉而无石。鱼水出焉,西流注于河,其中多文贝。   又北二百里,曰丹熏之山,其上多樗柏,其草多韭?1,多丹雘。熏水出焉,而西流注于棠水。有兽焉,其状如鼠,而菟首麋身2,其音如?犬,以其尾飞3,名曰耳鼠4,食之不(月采)5,又可以御百毒。   1 郭璞云:“皆山菜;尔雅有其名。”珂案:尔雅释草云:“蒮,山韭;葝,山?。”?音械,同薤。   2 珂案:初学记卷二十九引此经作兔头麋耳。王念孙云:“御览兽廿二作麋耳,初学同,白帖九十八作鹿耳。当系耳字。”   3 郭璞云:“或作髯飞。?音豪。”   4 郝懿行云:“疑即尔雅鼯鼠夷由也,耳、鼯、夷并声之通转;其形肉翅连尾足,故曰尾飞。”   5 郭璞云:“(月采),大腹也,见裨苍;音采。”   又北二百八十里,曰石者之山,其上无草木,多瑶碧1。泚水出焉,西流注于河。有兽焉,其状如豹,而文题2白身,名曰孟极,是善伏3,其鸣自呼。   1 郝懿行云:“碧,藏经本作玉。”   2 郭璞云:“题,?也。”珂案:?,即额字。   3 王崇庆云:“善伏,言善藏也;或伏卧之伏。”   又北百一十里,曰边春之山1,多葱2、葵、韭、桃3、李。杠水出焉,而西流注于泑泽4。有兽焉,其状如禺而文身5,善笑,见人则卧6,名曰幽鴳7,其鸣自呼。   1 郭璞云:“或作舂山。”郝懿行云:“穆天子传有舂山,即钟山也,已见西山经。”珂案:钟山见西次三经。   2 郭璞云:“山葱,名茖,大叶。”珂案:山葱见尔雅释草。   3 郭璞云:“山桃,榹桃,子小,不解核也。”珂案:榹桃见尔雅释木。   4 珂案:泑泽已见西次三经不周之山。   5 珂案:经文文身,太平御览卷九一三引作文背。   6 郭璞云:“言佯眠也。”   7 郭璞云:“或作(女卖)(女会)。鴳音遏。”珂案:经文幽鴳,御览卷九一三引作幽頞,引图赞亦作幽頞,据郭音,作幽頞是也。   又北二百里,曰蔓联之山1,其上无草木。有兽焉,其状如禺而有鬣,牛尾、文臂、马,见人则呼2,名曰足訾,其鸣自呼。有鸟焉,群居而朋飞3,其毛如雌雉,名曰鵁4,其鸣自呼,食之已风。   1 郭璞云:“万连二音。”   2 王念孙云:“御览兽廿五呼作笑。”   3 郭璞云:“朋犹辈也。”   4 郭璞云:“音交;或作渴也。”郝懿行云:“玉篇鵁云:『白鵁鸟群飞,尾如雌鸡。』疑经文毛当为尾字之讹。”珂案:郭注鵁或作渴,疑即尔雅所谓鳪雉也。   又北百八十里,曰单张之山,其上无草木。有兽焉,其状如豹而长尾,人首而牛耳,一目,名曰诸犍1,善咤,行则衔其尾,居则蟠其尾。有鸟焉,其状如雉,而文首、白翼、黄足,名曰白(夜鸟)2,食之已嗌痛3,可以已痸4。栎水出焉,而南流注于杠水。   1 郭璞云:“音如犍牛之犍。”   2 郭璞云:“音夜。”   3 郭璞云:“嗌,咽也。谷梁传曰:『嗌不容粒。』今吴人呼咽为嗌,音隘。”   4 郭璞云:“痸,痴病也。”   又北三百二十里,曰灌题之山,其上多樗柘,其下多流沙,多砥。有兽焉,其状如牛而白尾,其音如?1,名曰那父。有鸟焉,其状如雌雉而人面,见人则跃,名曰竦斯2,其鸣自呼也。匠韩之水出焉,而西流注于泑泽,其中多磁石3。   1 郭璞云:“如人呼唤;?音叫。”   2 郝懿行云:“楚词卜居云:『将哫訾栗斯。』王逸注云:『承颜色也。』哫訾即足訾,其音同;栗斯即竦斯,声之转。”珂案:上文足訾“见人则呼(或笑)”,此竦斯“见人则跃”,正王逸注所谓“承颜色”之状;郝说可信。   3 郭璞云:“可以取铁。管子曰:『山上有磁石者,下必有铜。』音慈。”   又北二百里,曰潘侯之山,其上多松柏,其下多榛楛,其阳多玉,其阴多铁。有兽焉,其状如牛,而四节生毛,名曰旄牛1。边水出焉,而南流注于栎泽。   1 郭璞云:“今旄牛背膝及胡尾皆有长毛。”珂案:关于旄牛,参见海经新释卷五“旄马”节注1。   又北二百三十里,曰小咸之山,无草木,冬夏有雪。   北二百八十里,曰大咸之山,无草木,其下多玉。是山也,四方,不可以上。有蛇名曰长蛇1,其毛如彘豪2,其音如鼓柝3。   1 珂案:淮南子本经篇云:“羿断修蛇于洞庭。”即此之类。参见海经新释卷五“巴蛇食象”节注1。   2 郭璞云:“说者云长百寻。今蝮蛇色似艾绶文,文间有毛如猪鬐,此其类也。”   3 郭璞云:“如人行夜,敲木柝声;音托。”   又北三百二十里,曰敦薨之山,其上多棕柟,其下多茈草。敦薨之水出焉,而西流注于泑泽。出于昆仑之东北隅,实惟河原。其中多赤鲑1,其兽多兕、旄牛2,其鸟多鸤鸠3。   1 郭璞云:“今名鯸鲐为鲑鱼;音圭。”   2 郭璞云:“或作朴牛,朴牛见离骚天问,所未详。”珂案:楚辞天问云:“恒秉季德,焉得夫朴牛?”王逸注:“朴,大也。”当即此朴牛矣。然朴牛又即服牛,有“服牛乘马、引重致远”(易系辞)之义,及该(王亥)、恒(王恒)失之得之之由,此郭云“所未详”也。参见海经新释卷九“王亥”节注5。   3 珂案:经文鸤鸠,宋本、藏经本、毛扆本均作尸鸠。郝懿行云:“鸤当为尸。”   又北二百里,曰少咸之山,无草木,多青碧。有兽焉,其状如牛,而赤身、人面、马足,名曰窫窳1,其音如婴儿,是食人。敦水出焉,东流注于鴈门之水2,其中多(鱼市)(鱼市)之鱼3,食之杀人。   1 郭璞云:“尔雅云:『窫窳似貙,虎爪。』与此错。轧愈二音。”郝懿行云:“海内南经云:『窫窳龙首,居弱水中。』海内西经云:『窫窳蛇身人面。』又与此及尔雅不同。”珂案:关于窫窳,见海经新释卷五“窫窳龙首”节注1及注4。   2 郭璞云:“水出鴈门山间。”   3 郭璞云:“音沛;未详。或作鯆。”毕沅云:“即(鱼匊)鱼也,一名江豚。”   又北二百里,曰狱法之山。瀤1泽之水出焉,而东北流注于泰泽。其中多(鱼巢)鱼2,其状如鲤而鸡足,食之已疣。有兽焉,其状如犬而人面,善投,见人则笑,其名山?3,其行如风,见则天下大风。   1 郭璞云:“音怀。”   2 郭璞云:“音藻。”   3 郭璞云:“音晖。”珂案:山?盖即举父、枭阳之类也;举父已见西次三经崇吾之山,枭阳见海经新释卷五“枭阳国”节注4。   又北二百里1,曰北岳之山,多枳棘刚木2。有兽焉,其状如牛,而四角、人目、彘耳,其名曰诸怀,其音如鸣鴈,是食人。诸怀之水出焉,而西流注于嚣水,其中多鮨鱼3,鱼身而犬首,其音如婴儿4,食之已狂。   1 珂案:经文二百里,吴宽抄本作一百里,邵恩多校同。   2 郭璞云:“檀柘之属。”   3 郭璞云:“音诣。”   4 郭璞云:“今海中有虎鹿鱼及海豨,体皆如鱼而头似虎鹿猪,此其类也。”郝懿行云:“推寻郭义,此经鮨鱼盖鱼身鱼尾而狗头,极似今海狗,本草家谓之骨(腽)肭兽是也。”   又北百八十里,曰浑夕之山,无草木,多铜玉。嚣水出焉,而西北流注于海。有蛇一首两身,名曰肥遗,见则其国大旱1。   1 郭璞云:“管子曰:『涸水之精,名曰蟡,一头而两身,其状如蛇,长八尺,以其名呼之,可使取鱼龟。』亦此类。”   又北五十里,曰北单之山,无草木,多葱韭。   又北百里,曰罴差之山,无草木,多马1。   1 郭璞云:“野马也,似马而小。”   又北百八十里,曰北鲜之山,是多马。鲜水出焉,而西北流注于涂吾之水1。   1 郭璞云:“汉元狩二年,马出涂吾水中也。”   又北百七十里,曰堤山1,多马。有兽焉,其状如豹而文首,名曰泑2。堤水出焉,而东流注于泰泽,其中多龙龟3。   1 郭璞云:“或作堤(是改定),古字耳。”   2 郭璞云:“音ㄠ。”   3 郝懿行云:“龙、龟二物也;或是一物,疑即吉吊也,龙种龟身,故曰龙龟。”珂案:当是一物。   凡北山经之首,自单狐之山至于堤山,凡二十五山,五千四百九十里,其神皆人面蛇身。其祠之,毛用一雄鸡彘瘗,吉玉用一珪,瘗而不糈1。其山北人,皆生食不火之物2。   1 郭璞云:“言祭不用米,皆薶其所用牲玉。”   2 郭璞云:“或作皆生食而不火。”   北次二经之首,在河之东1,其首枕汾2,其名曰管涔之山3。其上无木而多草,其下多玉。汾水出焉,而西流注于河。   1 王崇庆云:“北次二经之首,下当遗山字。”珂案:王所见甚是,否则不辞矣;诸家皆漏略。然所遗“山”字,当在“之首”上,本作“北次二山之首”,迨改山字为经字,始成此不辞之语。此亦为山海经之“经”本当为“经历”之“经”确证之一也;参见海经新释卷一篇首注1。   2 郭璞云:“临汾水上也;音坟。”   3 郭璞云:“涔音岑。”   又西1二百五十里,曰少阳之山,其上多玉,其下多赤银2。酸水出焉,而东流注于汾水,其中多美赭3。   1 珂案:经文西,宋本、吴宽抄本并作北,郝懿行校藏经本亦作北,作北是也。   2 郭璞云:“银之精也。”   3 郭璞云:“管子曰:『山上有赭者,其下有铁。』”   又北五十里,曰县雍之山,其上多玉,其下多铜,其兽多闾麋1,其鸟多白翟白(有鸟)2。晋水出焉,而东南流注于汾水。其中多鮆鱼,其状如儵而赤麟3,其音如叱,食之不骄4。   1 郭璞云:“闾即羭也,似驴而岐,角如¤羊,一名山驴。周书曰:『北唐以闾。』”   2 郭璞云:“即白鵫也;音于六反。”珂案:白鵫即白翰,已见上文西山经嶓冢之山。   3 郭璞云:“小鱼曰儵。”珂案:经文儵,宋本作鯈,儵、鯈字通。经文麟,宋本、汪绂本、毕沅校本、百子全书本并作鳞,麟、鳞声同。   4 郭璞云:“或作骚,骚臭也。”郝懿行云:“骚臭盖即蕴羝之疾,俗名狐骚也。”珂案:经文其音如叱,宋本、何焯校本叱作咤。   又北二百里,曰狐岐之山,无草木,多青碧。胜水出焉,而东北流注于汾水,其中多苍玉。   又北三百五十里,曰白沙山,广员三百里,尽沙也,无草木鸟兽。鲔水出于其上,潜于其下1,是多白玉。   1 郭璞云:“出山之顶,停其底也。”   又北四百里,曰尔是之山,无草木,无水。   又北三百八十里,曰狂山,无草木。是山也,冬夏有雪。狂水出焉,而西流注于浮水,其中多美玉。   又北三百八十里,曰诸余之山,其上多铜玉,其下多松柏。诸余之水出焉,而东流注于旄水。   又北三百五十里,曰敦头之山,其上多金玉,无草木。旄水出焉,而东流注于印泽1,其中多(马孛)马2,牛尾而白身,一角,其音如呼。   1 珂案:经文印泽,王念孙、郝懿行并校邛泽,即下文北嚣山邛泽也。汪绂本、毕沅校本亦俱作邛泽。   2 郭璞云:“音勃。”   又北三百五十里,曰钩吾之山,其上多玉,其下多铜。有獸焉,其狀如羊身人面,其目在腋下1,虎齒人爪,其音如嬰兒,名曰?鴞,是食人2。   1 珂案:文选陈琳为袁绍讨豫州檄注引此经无其状如三字,其目作其口;郝懿行校藏经本亦无如字,如字疑衍。   2 郭璞云:“为物贪惏,食人未尽,还害其身,像在夏鼎,左传所谓饕餮是也。?音咆。”珂案:關於?鴞,參見海經新釋卷十“宋山楓木”節注2。   又北三百里,曰北嚣之山,无石,其阳多碧,其阴多玉。有兽焉,其状如虎,而白身犬首,马尾彘鬣,名曰独(犬谷)1。有鸟焉,其状如乌,人面,名曰(上般下鸟)2,宵飞而昼伏3,食之已暍4。涔水出焉,而东流注于邛泽5。   1 郭璞云:“音谷。”   2 郭璞云:“般冒两音;或作夏也。”郝懿行云:“夏形声近贾,大荒南经有鹰贾,郭注云贾亦鹰属;水经注引庄子有雅贾,盖是乌类,经言此鸟状如乌,疑是也。”   3 郭璞云:“鸺鹠之属。”   4 郭璞云:“中热也;音谒。”汪绂云:“今鸺鹠亦可治热及头风。”   5 珂案:即上文敦头之山印泽;以知邛、印二字之易讹也,则大荒西经“黎邛下地”之为“黎印下地”,于此又得一证矣;见海经新释卷十一“日月山”节注7。   又北三百五十里,曰梁渠之山,无草木,多金玉。修水出焉,而东流注于鴈门1,其兽多居暨,其状如汇而赤毛2,其音如豚。有鸟焉,其状如夸父3,四翼、一目、犬尾,名曰嚣,其音如鹊,食之已腹痛,可以止衕4。   1 郭璞云:“水名。”   2 郭璞云:“汇,似鼠,赤毛如刺猬)也;汇音渭。”   3 郭璞云:“或作举父。”珂案:举父已见上文西次三经崇吾之山。   4 郭璞云:“治洞下也;音洞。”   又北四百里,曰姑灌之山,无草木,是山也,冬夏有雪。   又北三百八十里,曰湖灌之山,其阳多玉,其阴多碧,多马。湖灌之水出焉,而东流注于海,其中多?1。有木焉,其叶如柳而赤理。   1 郭璞云:“亦?魚字。”   又北水行五百里,流沙三百里,至于洹山,其上多金玉。三桑生之,其树皆无枝,其高百仞1。百果树生之。其下多怪蛇。   1 珂案:关于三桑,参见海经新释卷三“三桑无枝”节注1。   又北三百里,曰敦题之山,无草木,多金玉。是錞1于北海。   1 珂案:经文錞之义,已见上文西山经騩山郭注,郭云錞犹堤埻也;郝懿行云,盖埤障之义。汪绂释錞为蹲字假音,尤洽。   凡北次二经之首,自管涔之山至于敦题之山,凡十七山,五千六百九十里。其神皆蛇身人面。其祠:毛用一雄鸡彘瘗1;用一璧一珪,投而不糈2。   1 郭璞云:“薶之。”珂案:薶同埋,宋本作埋;谓毛物用一雄鸡与一彘埋之也。   2 郭璞云:“擿玉于山中以礼神,不薶之也。”珂案:不糈,不以精米祠也。   北次三经之首,曰太行之山。其首曰归山,其上有金玉,其下有碧1。有兽焉,其状如¤羊2而四角,马尾而有距,其名曰(马军),善还3,其名自?4。有鸟焉,其状如鹊5,白身6、赤尾、六足,其名曰(贲鸟)7,是善惊,其鸣自詨8。   1 郝懿行云:“艺文类聚七卷引此经碧下有玉字。”   2 郝懿行云:“刘昭注郡国志引此经¤作麋,无羊字。”   3 珂案:还音旋,盘旋而舞也。(马军)音晖。   4 珂案:?同叫;吴任臣本作叫。   5 郝懿行云:“广韵说(贲鸟)云似鹄。”   6 郝懿行云:“广韵此下有三目二字。”   7 郭璞云:“音奔。”   8 郭璞云:“今吴人谓呼为詨,音呼交反。”   又东北二百里,曰龙侯之山,无草木,多金玉。决决之水1出焉,而东流注于河。其中多人鱼,其状如(鱼帝)鱼2,四足,其音如婴儿,食之无痴疾3。   1 郝懿行云:“太平御览九百三十八卷引此经决水,决字不作重文。”珂案:王念孙校同郝注。   2 郭璞云:“(鱼帝)见中山经。或曰,人鱼即鲵也,似–而四足,声如小儿?,今亦呼–为(鱼帝);音。”珂案:中次七经少室山休水多(鱼帝)鱼,即郭注所云“见中山经”者。又人鱼,西山经竹山竹水亦有之,见该节注4。   3 郝懿行云:“说文云:『痴,不慧也。』中山经云:『(鱼帝)鱼食者无蛊疾。』与此异。”   又东北二百里,曰马成之山,其上多文石,其阴多金玉。有兽焉,其状如白犬而黑头,见人则飞1,其名曰天马,其鸣自?。有鸟焉,其状如乌,首白而身青、足黄,是名曰鶌鶋2,其鸣自詨,食之不饥,可以已寓3。   1 郭璞云:“言肉翅飞行自在。”   2 郭璞云:“屈居二音。”   3 郭璞云:“未详;或曰,寓犹误也。”郝懿行云:“寓、误盖以声近为义,疑昏忘之病也。王引之曰:『案寓当是●字之假借,玉篇、广韵并音牛具切,疣病也。』”   又东北七十里,曰咸山,其上有玉,其下多铜,是多松柏,草多茈草。条菅1之水出焉,而西南流注于长泽。其中多器酸,三岁一成2,食之已疠。   1 珂案:菅音奸。   2 郭璞云:“所未详也。”王崇庆云:“器酸或物之可食而酸者,如解州盐池出盐之类;盖泽水止而不流,积久或酸,故曰三年一成。”   又东北二百里,曰天池之山,其上无草木,多文石。有兽焉,其状如兔而鼠首,以其背飞1,其名曰飞鼠。渑水出焉,潜于其下,其中多黄垩2。   1 郭璞云:“用其背上毛飞,飞则仰也。”   2 郭璞云:“垩,土也。”珂案:垩已见西次二经大次之山,详该节注1。   又东三百里,曰阳山,其上多玉,其下多金铜。有兽焉,其状如牛而赤尾,其颈肾(月改肉)1,其状如句瞿2,其名曰领胡3,其鸣自詨,食之已狂。有鸟焉,其状如雌雉,而五采以文,是自为牝牡,名曰象蛇,其鸣自詨。留水出焉,而南流注于河。其中有?4父之鱼,其状如鲋鱼,鱼首而彘身,食之已呕。   1 珂案:肾(月改肉)音肾。   2 郭璞云:“言颈上有肉肾(月改肉);句瞿,斗也,音劬。”   3 郝懿行云:“说文云:『领,项也;胡,牛顄垂也。』此牛颈肉垂如斗,因名之领胡与?”   4 郭璞云:“音陷。”   又东三百五十里,曰贲闻之山,其上多苍玉,其下多黄垩,多涅石1。   1 郝懿行云:“即矾石也。淮南俶真训云:『以涅染缁。』高诱注云:『涅,矾石也。』”   又北百里,曰王屋之山1,是多石。水2出焉,而西北流于泰泽。   1 珂案:在今山西省阳城县西南。经首太行山,则起自河南省济源县,北入山西省境,与王屋山遥相对,列子谓之“太形”。云太形王屋二山,方七百里,高万仞,本在冀州之南,河阳之北。天帝感愚公移山之诚,命夸蛾氏二子,负二山,一厝朔东,一厝雍南,自此异之。云云,则二山在神话传说中原本一地也。   2 郭璞云:“音辇。”   又东北三百里,曰教山,其上多玉而无石。教水出焉,西流注于河,是水冬干而夏流,实惟干河。其中有两山。是山也,广员三百步,其名曰发丸之山,其上有金玉。   又南三百里,曰景山,南望盐贩之泽1,北望少泽,其上多草、藷藇2,其草多秦椒3,其阴多赭,其阳多玉。有鸟焉,其状如蛇,而四翼、六目、三足,名曰酸与,其鸣自詨,见则其邑有恐4。   1 郭璞云:“即盐池也;今在河东猗氏县。或无贩字。”珂案:水经注涑水及太平御览卷八六五引此注盐池上并有解县二字,则正沉括梦溪笔谈所谓“解州盐泽,卤色正赤,俚俗谓之『蚩尤血』”者;见海经新释卷九“应龙杀蚩尤与夸父”节注2。   2 郭璞云:“根似羊,可食;曙豫二音。”郝懿行云:“即今之山药也。”   3 郭璞云:“子似椒而细叶,草也。”   4 郭璞云:“或曰食之不醉。”   又东南三百二十里,曰孟门之山1,其上多苍玉,多金,其下多黄垩,多涅石。   1 郭璞云:“尸子曰:『龙门未辟,吕梁未凿,河出于孟门之上,大溢逆流,无有丘陵高阜,灭之,名曰洪水。』穆天子传曰:『北升孟門九河之?。』”   又东南三百二十里,曰平山。平水出于其上,潜于其下,是多美玉。   又东二百里1,曰京山,有美玉,多漆木,多竹,其阳有赤铜,其阴有玄(石肃)2。高水出焉,南流注于河。   1 珂案:经文又东二百里,何焯校二作三。   2 郭璞云“黑砥石也;尸子曰:『加玄黄砥。』明色非一也。(石肃)音竹筱之筱。”   又东二百里1,曰虫尾之山,其上多金玉,其下多竹,多青碧。丹水出焉,南流注于河。薄水出焉,而东南流注于黄泽。   1 珂案:经文又东二百里,何焯校二作三。   又东三百里,曰彭毗1之山,其上无草木,多金玉,其下多水。蚤林之水出焉,东南流注于河。肥水出焉,而南流注于床水,其中多肥遗之蛇。   1 珂案:经文彭毗,何焯校本、黄丕烈、周叔弢校本均作鼓毗。   又东百八十里,曰小侯之山。明漳之水出焉,南流注于黄泽。有鸟焉,其状如乌而白文,名曰鸪(习鸟)1,食之不灂2。   1 郭璞云:“姑习二音。”   2 郭璞云:“不瞧目也。或作(目爵)。音醮。”   又东三百七十里,曰泰头之山。共1水出焉,南注于虖池2。其上多金玉,其下多竹箭。   1 郭璞云:“音恭。”   2 郭璞云:“呼佗二音;下同。”   又东北二百里,曰轩辕之山,其上多铜,其下多竹。有鸟焉,其状如枭而白首,其名曰黄鸟1,其鸣自詨,食之不妒。   1 郝懿行云:“周书王会篇云:『方扬以黄鸟。』尔雅云:『皇,黄鸟。』盖皆此经黄鸟也。”珂案:郝说非是,郝此注移于大荒南经“巫山黄鸟”节则是矣;见海经新释卷十“巫山黄鸟”节注2。   又北二百里,曰谒戾之山,其上多松柏,有金玉。沁水出焉,南流注于河。其东有林焉,名曰丹林。丹林之水出焉,南流注于河。婴侯之水出焉,北流注于泛水。   东三百里,曰沮洳之山,无草木,有金玉。濝1水出焉,南流注于河。   1 郭璞云:“音其。”   又北三百里,曰神囷之山1,其上有文石,其下有白蛇,有飞虫。黄水出焉,而东流注于洹2。滏水出焉,而东流注于欧水。   1 郭璞云:“音如仓囷之囷。”郝懿行云:“囷即仓囷之囷,郭氏复音如之,知经文必不作囷,广韵引作神箘,疑是也。”   2 郭璞云:“洹音丸。”   又北二百里,曰发鸠之山1,其上多柘木。有鸟焉,其状如乌,文首、白喙、赤足2,名曰精卫,其鸣自詨。是炎帝之少女名曰女娃3,女娃游于东海,溺而不返,故为精卫,常衔西山之木石,以堙于东海4。漳水出焉,东流注于河。   1 郭璞云:“今在上党郡长子县西。”珂案:长子县属今山西省;发鸠山亦名发苞山、鹿谷山、廉山,为太行山分支。   2 郝懿行云:“广韵引此经作白首赤喙。”   3 郭璞云:“炎帝,神农也;娃,恶佳反,语误或作阶。”珂案:关于炎帝之神话,见海经新释卷十一“互人国”节注2。   4 郭璞云:“堙,塞也;音因。”珂案:述异记云:“昔炎帝女溺死东海中,化为精卫。偶海燕而生子,生雌状如精卫,生雄如海燕。今东海精卫誓水处,曾溺此川,誓不饮其水。一名誓鸟,一名?禽,又名志鸟,俗呼帝女雀。”则是此一神话之流传演变也。   又东北百二十里,曰少山,其上有金玉,其下有铜。清漳之水出焉,东流1于浊漳之水。   1 珂案:经文东流下疑脱注字。   又东北二百里,曰锡山,其上多玉,其下有砥。牛首之水出焉,而东流注于滏水。   又北二百里,曰景山,有美玉。景水出焉,东南流注于海泽。   又北百里,曰题首之山,有玉焉,多石,无水。   又北百里,曰绣山,其上有玉、青碧,其木多栒1,其草多芍药、芎藭2。洧水出焉,而东流注于河。其中有?3、黽4。   1 郭璞云:“木中枚也;音荀。”珂案:说文六云:“枚,干也,可为杖。”   2 郭璞云:“芍药一名辛夷,亦香草属。”珂案:芎藭已见西次四经号山。   3 郭璞云:“?似–而大,白色也。”   4 郭璞云:“(上秋下黾)黾似虾蟆,小而青;或曰,?黽一物名耳。”珂案:郭注(上秋下黾)黾,郝懿行以为当为耿黾之讹;尔雅释鱼:“在水者黾。”郭注云:“耿黾也;似青蛙大腹,一名土鸭。”即郭此注之(上秋下黾)黾也。   又北百二十里,曰松山,阳水出焉,东北流注于河。   又北百二十里,曰敦与之山,其上无草木,有金玉。溹水1出于其阳,而东流注于泰陆之水;泜水2出于其阴,而东流注于彭水。槐水出焉,而东流注于泜泽。   1 珂案:溹音索。   2 珂案:泜音底。   又北百七十里,曰柘山,其阳有金玉,其阴有铁。历聚之水出焉,而北流注于洧水1。   1 珂案:洧音鲔。   又北三百里,曰维龙之山,其上有碧玉,其阳有金,其阴有铁。肥水出焉,而东流注于皋泽,其中多礨石1。敞铁之水出焉,而北流注于大泽。   1 郭璞云:“未详也。音雷。或作垒;磈垒,大石貌。或曰石名。”汪绂云:“言肥水中多磈礨大石也。”   又北百八十里,曰白马之山,其阳多石玉,其阴多铁,多赤铜。木马之水出焉,而东北流注于虖沱1。   1 郭璞云:“呼佗二音。”珂案:经文虖沱,宋本作虖池,即上文泰头之山虖池是也,郭注并云“呼佗二音。”   又北二百里,曰空桑之山1,无草木,冬夏有雪。空桑之水出焉,东流注于虖沱。   1 郭璞云:“上已有此山,疑同名也。”郝懿行云:“东经有此山,此经已上无之,检此篇北次二经之首,自管涔之山至于敦题之山,凡十七山,今才得十六山,疑经正脱此一山也。”   又北三百里,曰泰戏之山,无草木,多金玉。有兽焉,其状如羊,一角一目,目在耳后,其名曰(羊东)(羊东)1,其鸣自?。虖沱2之水出焉,而东流注于溇3水。液4女之水出于其阳,南流注于沁水。   1 郭璞云:“音屋栋之栋。”   2 珂案:上文空桑之山虖沱及此山虖沱,宋本均作虖池。   3 郭璞云:“音楼。”珂案:经文溇,吴宽抄本作娄。   4 郭璞云:“液音悦怿之怿。”   又北三百里,曰石山,多藏1金玉。濩濩2之水出焉,而东流注于虖沱;鲜于之水出焉,而南流注于虖沱3。   1 郝懿行云:“藏,古字作臧,善也;西次三经槐江之山多藏黄金玉,义与此同。”   2 郭璞云:“音尺蠖之蠖。”   3 珂案:经文二虖沱,宋本均作虖池,吴任臣本同。又吴任臣本南上有西字。   又北二百里,曰童戎之山。皋涂之水出焉,而东流注于溇液水。   又北三百里,曰高是之山。滋水1出焉,而南流注于虖沱,其木多棕,其草多条。滱水2出焉,东流注于河。   1 郭璞云:“音兹。”   2 郭璞云:“音寇。”   又北三百里,曰陆山,多美玉。(姜邑)水1出焉,而东流注于河。   1 郭璞云:“或作郯水。”   又北二百里,曰沂1山。般2水出焉,而东流注于河。   1 郭璞云:“音祈。”   2 郭璞云:“音盘。”   北百二十里,曰燕山,多婴石1。燕水出焉,东流注于河。   1 郭璞云:“言石似玉有符彩婴带,所谓燕石者。”郝懿行云:“婴疑燕声之转,未必取婴带为义。”   又北山行五百里,水行五百里,至于饶山。是无草木,多瑶碧,其兽多橐1,其鸟多鹠2。历虢之水出焉,而东流注于河。其中有师鱼,食之杀人3。   1 珂案:经文橐,宋本作橐驼,已见上文北山经虢山。   2 郭璞云:“未详。或曰,鹠,鸺鹠也。”   3 郭璞云:“未详。或作鲵。”郝懿行云:“师,玉篇作鰤,非也。郭云或作鲵者,师、鲵声之转,鲵即人鱼也,已见上文。酉阳杂俎云:『峡中人食鲵鱼,缚树上,鞭至白汁出如构汁,方可食,不尔有毒也。』正与此经合。”   又北四百里,曰干山,无草木,其阳有金玉,其阴有铁而无水1。有兽焉,其状如牛而三足,其名曰獂2,其鸣自詨。   1 汪绂云:“据此,则干当音干。”   2 郝懿行云:“獂当为豲,见说文。”珂案:毕沅校本獂正作豲。   又北五百里,曰伦山。伦水出焉,而东流注于河。有兽焉,其状如麋,其川在尾上1,其名曰罴2。   1 郭璞云:“川,窍也。”毕沅云:“尔雅云:『白州驠。』郭云:『州,窍。』则川当为州。”珂案:经文川,王念孙、孙星衍并校作州。   2 郝懿行云:“藏经本作罴九,郭氏图赞亦作罴九,疑经文罴下有九字,今本脱去之。”珂案:经文罴,王念孙、孙星衍亦均校作罴九。   又北五百里,曰碣石之山。绳水出焉,而东流注于河,其中多蒲夷之鱼1。其上有玉,其下多青碧。   1 郭璞云:“未详。”珂案:蒲夷鱼疑即冉遗鱼,已见西次四经英鞮之山。   又北水行五百里,至于鴈门之山1,无草木。   1 珂案:海内西经云:“鴈门山,鴈出其闲。在高柳北。”即此山也。见海经新释卷六“鴈门山”节注1。   又北水行四百里,至于泰泽。其中有山焉,曰帝都之山,广员百里,无草木,有金玉。   又北五百里,曰錞于毋逢之山,北望鸡号之山1,其风如(风劦)2。西望幽都之山3,浴水出焉4。是有大蛇,赤首白身,其音如牛,见则其邑大旱。   1 郝懿行云:“说文、玉篇引此经并作惟号之山。”   2 郭璞云:“(风劦),急风貌也;音戾。或云,飘风也。”   3 珂案:幽都之山在北海之内,见海经新释卷十三“幽都山”节注1。   4 郭璞云:“浴(水)即黑水也。”   凡北次三经之首,自太行之山以至于无逢之山,凡四十六山,万二千三百五十里。其神状皆马身而人面者廿神。其祠之,皆用一藻茞瘗之1。其十四神状皆彘身而载2玉。其祠之,皆玉,不瘗3。其十神状皆彘身而八足蛇尾。其祠之,皆用一璧瘗之。大凡四十四神,皆用稌糈米祠之,此皆不火食4。   1 郭璞云:“藻,聚藻;茞,香草,兰之类,音昌代反。”珂案:经文藻茞,江绍原中国古代旅行之研究第一章注10谓疑是藻珪之误,其说近是,可供参考;古祠神皆以玉瘗,未闻以聚藻香草瘗者。参见中山首经篇末注2。   2 郝懿行云:“载亦戴也,古字通。”   3 郭璞云:“不薶所用玉也。”   4 郝懿行云:“皆生食不火之物。”   右北经之山志,凡八十七山,二万三千二百三十里。   山海经山经柬释卷四  山海经第四    东山经   东山经之首,曰樕蟊(矛改朱)1之山,北临干昧2。食水出焉,而东北流注于海。其中多之鱼,其状如犁牛3,其音如彘鸣4。   1 郭璞云:“速株二音。”   2 郭璞云:“亦山名也;音妹。”   3 郭璞云:“牛似虎文者。”   4 珂案:太平御览卷九三九引此经止作其音如彘,无鸣字,是也。   又南三百里,曰藟1山,其上有玉,其下有金。湖水出焉,东流注于食水,其中多活师2。   1 郭璞云:“音诔。”   2 郭璞云:“科斗也,尔雅谓之活东。”   又南三百里,曰栒状之山,其上多金玉,其下多青碧石。有兽焉,其状如犬,六足,其名曰从从,其鸣自詨。有鸟焉,其状如鸡而鼠毛1,其名曰(上此下虫)2鼠,见则其邑大旱。3水出焉,而北流注于湖水。其中多箴鱼,其状如儵4,其喙如箴5,食之无疫疾。   1 郝懿行云:“毛,说文作尾。”   2 郭璞云:“音咨。”   3 郭璞云:“音枳。”   4 郝懿行云:“儵即鯈字。”   5 郭璞云:“出东海;今江东水中亦有之。”   又南三百里,曰勃?1之山,无草木,无水。   1 汪绂云:“?,古齐字。”   又南三百里,曰番条之山,无草木,多沙。減水1出焉,北流注于海,其中多?魚2。   1 郭璞云:“音同减损之减。”郝懿行云:“减即减损之字,何须用音,知经文必不作减,未审何字之讹。”   2 郭璞云:“一名黄颊;音感。”   又南四百里,曰姑儿之山,其上多漆,其下多桑柘。姑兒之水出焉,北流注于海,其中多?魚。   又南四百里,曰高氏之山,其上多玉,其下多箴石1。诸绳之水出焉,东流注于泽,其中多金玉。   1 郭璞云:“可以为砥(砭)针治痈肿者。”   又南三百里,曰岳山,其上多桑,其下多樗。泺1水出焉,东流注于泽,其中多金玉。   1 珂案:泺音落。   又南三百里,曰柟山1,其上无草木,其下多水,其中多堪(予予)2之鱼。有兽焉,其状如夸父而彘毛,其音如呼,见则天下大水。   1 郝懿行云:“柟即豺别字。”   2 郭璞云:“未详;音序。”   又南三百里,曰独山,其上多金玉,其下多美石。末涂之水出焉,而东南流注于沔,其中多鯈(鱼改虫)(虫庸)1,其状如黄蛇,鱼翼,出入有光,见则其邑大旱。   1 郭璞云:“条容二音。”   又南三百里,曰泰山1,其上多玉2,其下多金。有兽焉,其状如豚而有珠,名曰狪狪3,其鸣自?。环水出焉,东流注于江4,其中多水玉。   1 郭璞云:“即东岳岱宗也。今在泰山奉高县西北,从山下至顶四十八里三百步也。”珂案:泰山在今山东省泰安县北。   2 珂案:史记秦始皇本纪正义引此经玉作石。   3 珂案:狪音通。   4 郭璞云:“一作海。”   又南三百里,曰竹山,錞于江1,无草木,多瑶碧。激水出焉,而东南流注于娶檀之水,其中多茈羸2。   1 郭璞云:“一作涯。”   2 郝懿行云:“羸当为蠃,字之讹;茈蠃,紫色蠃也。”珂案:吴任臣、何焯、毕沅校同;汪绂本正作蠃。   凡东山经之首,自樕蟊(矛改朱)之山以至于竹山,凡十二山,三千六百里。其神状皆人身龙首。祠:毛用一犬祈,(耳申)用鱼1。   1 郭璞云:“以血涂祭为(耳申)也。公羊传云:『盖叩其鼻以(耳申)社。』音钓饵之饵。”珂案:经文及注文之(耳申),汪绂本、毕沅本均作衈,郝懿行亦校作衈,谓衈者衅也,将刲割牲以衅、先灭耳旁毛荐之;又谓郭引公羊传乃谷梁传之误。   东次二经之首,曰空桑之山1,北临食水,东望沮吴,南望沙陵,西望愍2泽。有兽焉,其状如牛而虎文,其音如钦3,其名曰軨軨4,其鸣自叫,见则天下大水。   1 郭璞云:“此山出琴瑟材,见周礼也。”珂案:淮南子本经篇云:“舜之时,共工振滔洪水,以薄空桑。”高诱注云:“空桑,地名,在鲁也。”又文选思玄赋旧注云:“少皞金天氏居穷桑,在鲁北。”均即此。   2 郭璞云:“音旻。”   3 郭璞云:“或作吟。”   4 郭璞云:“音灵。”   又南六百里,曰曹夕之山,其下多谷1而无水,多鸟兽。   1 珂案:谷当作榖,诸本皆误,唯吴任臣本作榖,是也。   又西南四百里,曰峄1皋之山,其上多金玉,其下多白垩,峄皋之水出焉,东流注于激女之水2,其中多蜃珧3。   1 郭璞云:“音亦。”   2 郝懿行云:“尔雅疏引此经作激汝之水,玉篇同。”   3 郭璞云:“蜃,蚌也;珧,玉珧,亦蚌属;肾遥两音。”郝懿行云:“尔雅云:『蜃小者珧。』即小蚌也。”   又南水行五百里,流沙三百里,至于葛山之尾,无草木,多砥砺。   又南三百八十里,曰葛山之首,无草木。澧水出焉,东流注于余泽,其中多珠蟞鱼1,其状如胏2而有目3,六足有珠,其味酸甘,食之无疠4。   1 郭璞云:“音鳖。”珂案:文选江赋注、太平御览卷九三九引此经鱼上有之字;御览珠蟞作珠鳖,吕氏春秋本味篇作朱鳖,郝懿行云,珠朱、蟞鳖并古字通用。   2 珂案:经文胏,宋本、汪绂本、吴任臣本、毕沅校本并作肺,作肺是也。   3 郝懿行云:“此物图作四目;初学记八卷引南越志云:『海中多珠鳖,状如胏(珂案:蕴石斋本初学记作肺),有四眼六足而吐珠。』正与图合,疑此经有目当作四目,字之讹也。”珂案:郝说是也,王念孙校同郝注。   4 郭璞云:“无时气病也。吕氏春秋曰:『澧水之鱼,名曰朱蟞,六足有珠,鱼之美也。』”   又南三百八十里,曰余峨之山,其上多梓柟,其下多荆芑1。杂余之水出焉,东流注于黄水。有兽焉,其状如菟而鸟喙,鸱目蛇尾,见人则眠2,名曰犰狳3,其鸣自?,见则螽蝗为败4。   1 郝懿行云:“南山经虖勺之山下多荆杞,此经作芑,同声假借字也;下文并同。”   2 郭璞云:“言佯死也。”   3 珂案:经文犰狳,王念孙、毕沅、郝懿行并校作(犬几)狳,音几余。   4 珂案:说文十三云:“螽,蝗也;蝗,螽也。”螽蝗只是一物。经文螽蝗为败,太平御览卷九一三引作虫蝗为败,于义为长。“为败”者,郭璞注云“言伤败田苗”,是也。   又南三百里,曰杜父之山,无草木,多水。   又南三百里,曰耿山,无草木,多水碧1,多大蛇。有兽焉,其状如狐而鱼翼,其名曰朱獳2,其鸣自?,见则其国有恐。   1 郭璞云:“亦水玉类。”   2 郭璞云:“音儒。”   又南三百里,曰卢其1之山,无草木,多沙石。沙水出焉,南流注于涔水,其中多鵹鹕2,其状如鸳鸯而人足3,其鸣自?,见则其国多土功。   1 郝懿行云:“太平御览九百二十五卷引此经卢其作宪期。”   2 郭璞云:“音黎。”   3 郭璞云:“今鹈鹕足颇有似人脚形状也。”   又南三百八十里,曰姑射之山1,无草木,多水。   1 珂案:海内北经有列姑射,有姑射国,即此姑射之山之国也;见海经新释卷七“列姑射”节注1。   又南水行三百里,流沙百里,曰北姑射之山,无草木,多石。   又南三百里,曰南姑射之山,无草木,多水。   又南三百里,曰碧山,无草木,多大蛇,多碧、水玉。   又南五百里,曰缑氏之山1,无草木,多金玉。原水出焉,东流注于沙泽。   1 郭璞云:“一曰侠氏之山。”   又南三百里,曰姑逢之山,无草木,多金玉。有兽焉,其状如狐而有翼,其音如鸿鴈,其名曰獙獙1,见则天下大旱。   1 郭璞云:“音毙。”   又南五百里,曰凫丽之山,其上多金玉,其下多箴石。有兽焉,其状如狐,而九尾、九首、虎爪1,名曰蠪侄2,其音如婴儿,是食人。   1 郝懿行云:“广韵说蠪蛭无九首二字,余并同。”   2 郭璞云:“龙蛭二音。”珂案:经文蠪侄、注文龙蛭,王念孙、郝懿行并校作蠪蛭、龙侄。   又南五百里,曰(石垔)山1,南临(石垔)水,东望湖泽。有兽焉,其状如马,而羊目2、四角、牛尾,其音如?狗,其名曰(上山下攸)(上山下攸)3,见则其国多狡客4。有鸟焉,其状如凫而鼠尾,善登木,其名曰絜钩,见则其国多疫。   1 王崇庆云:“(石垔)音真。”   2 郝懿行云:“藏经本目作首。”   3 郭璞云:“音攸。”郝懿行云:“说文、玉篇无(上山下攸)字,疑(上山下攸)当为,古从艹之字或从屮,屮亦艹也,海内经有(上山下囷)狗,即菌狗,亦其例。”   4 郭璞云:“狡,狡猾也。”   凡东次二经之首,自空桑之山至于(石垔)山,凡十七山,六千六百四十里。其神状皆兽身人面载觡1。其祠:毛用一鸡祈,婴用一璧瘗。   1 郭璞云:“麋鹿(属)角为觡;音格。”   又东次三经之首1,曰尸胡之山,北望(歹羊)2山,其上多金玉,其下多棘。有兽焉,其状如麋而鱼目,名曰妴3胡,其鸣自?。   1 珂案:汪绂本东次三经上无又字,是也。   2 郭璞云:“音详。”   3 郭璞云:“音婉。”   又南水行八百里,曰岐山,其木多桃李,其兽多虎。   又南水行五百里,曰诸钩之山,无草木,多沙石。是山也,广员百里,多寐鱼1。   1 郭璞云:“即鮇鱼;音味。”   又南水行七百里,曰中父之山,无草木,多沙。   又东水行千里,曰胡射之山,无草木,多沙石。   又南水行七百里,曰孟子之山1,其木多梓桐,多桃李,其草多菌蒲2,其兽多麋鹿。是山也,广员百里。其上有水出焉,名曰碧阳,其中多鳣鲔3。   1 珂案:毕沅本作孟于之山,云据藏经本。   2 郭璞云:“未详。”   3 郭璞云:“鮪即?也,似鱣而長鼻,體無鱗甲,別名(魚亙),一名(魚黃)也。”   又南水行五百里,曰流沙,行五百里1,有山焉,曰跂2踵之山,广员二百里,无草木,有大蛇,其上多玉。有水焉,广员四十里皆涌3,其名曰深泽,其中多蠵龟4。有鱼焉,其状如鲤,而六足鸟尾,名曰鮯鮯5之鱼,其名自叫6。   1 珂案:疑经文本作又南水行五百里,流沙五百里,曰、行二字衍;有北次二经洹山、东次二经葛山之尾及北姑射之山相同句式可证。   2 郭璞云:“跂音企。”   3 郭璞云:“今河东闻喜县有瀵水,源在地底,濆沸涌出,其深无限,即此类也。”   4 郭璞云:“蠵,觜蠵,大龟也,甲有文彩,似?瑁而薄。”珂案:蠵音携。   5 郭璞云:“音蛤。”   6 郝懿行云:“名,藏经本作鸣,是。”珂案:汪绂本、吴任臣本、毕沅校本均作鸣。   又南水行九百里,曰踇隅之山1,其上多草木,多金玉,多赭。有兽焉,其状如牛而马尾,名曰精精,其鸣自叫。   1 郝懿行云:“玉篇广韵并作踇偶山。”珂案:踇隅音亩宇。   又南水行五百里,流沙三百里,至于无皋之山,南望幼海1,东望榑木2,无草木,多风。是山也,广员百里。   1 郭璞云:“即少海也;淮南子曰:『东方大渚曰少海。』”   2 珂案:即扶桑。见海经新释卷四“汤谷十日”节注2。   凡东次三经之首,自尸胡之山至于无皋之山,凡九山,六千九百里。其神状皆人身而羊角。其祠:用一牡羊,米用黍。是神也,见则风雨水为败1。   1 珂案:言人身羊角之神见,则风雨水败害田禾也。   又东次四经之首,曰北号之山1,临于北海。有木焉,其状如杨,赤华,其实如枣而无核,其味酸甘,食之不疟。食水出焉,而东北流注于海。有兽焉,其状如狼,赤首鼠目,其音如豚,名曰猲狙2,是食人。有鸟焉,其状如鸡而白首,鼠足而虎爪,其名曰鬿雀3,亦食人。   1 珂案:汪绂本东次四经上无又字,是也。   2 郝懿行云:“经文猲狙当为獦狚,玉篇广韵并作獦狚,云,狚,丁旦切,兽名,可证今本之讹。”珂案:王念孙校同。   3 郭璞云:“音祈。”郝懿行云:“楚词天问云:『鬿堆焉处?』王逸注云:『鬿堆,奇兽也。』柳子天对云:『鬿雀在北号,惟人是食。』则以鬿堆为即鬿雀字之误,王逸注盖失之。”   又南三百里,曰旄山,无草木。苍体之水出焉,而西流注于展水。其中多(鱼羞)鱼1,其状如鲤而大首,食者不疣2。   1 郭璞云:“今虾?字,亦或作(鱼羞);音秋。”珂案:(鱼羞)即鳅,俗名泥鳅。   2 郝懿行云:“疣当为?。”珂案:即赘?。   又南三百二十里,曰东始之山,上多苍玉。有木焉,其状如杨而赤理,其汁如血,不实,其名曰芑1,可以服马2。泚水出焉,而东北流注于海,其中多美贝,多茈鱼,其状如鲋,一首而十身3,其臭如蘪芜,食之不(米费)4。   1 郭璞云:“音起。”郝懿行云:“李善注西京赋引此经作杞,云『杞如杨,赤理』,是知杞假借作芑也。经内多此例。”   2 郭璞云:“以汁涂之,则马调良。”   3 珂案:何罗鱼亦一首十身,见上文北山经谯明山。   4 毕沅云:“广韵云:『(米费)同屁,气下泄也,匹寐切。』”   又东南三百里,曰女烝之山,其上无草木。石膏水出焉,而西注于鬲水,其中多薄鱼,其状如鳣鱼而一目,其音如欧1,见则天下大旱。   1 郭璞云:“如人呕吐声也。”   又东南二百里,曰钦山,多金玉而无石。师水出焉,而北流注于皋泽,其中多(鱼羞)鱼,多文贝。有兽焉,其状如豚而有牙,其名曰当康,其鸣自叫,见则天下大穰1。   1 郝懿行云:“当康大穰,声转义近,盖岁将丰稔,兹兽先出以鸣瑞,故特记之。”   又东南二百里,曰子桐之山,子桐之水出焉,而西流注于余如之泽。其中多?鱼1,其状如鱼而鸟翼,出入有光,其音如鸳鸯,见则天下大旱。   1 郭璞云:“音滑。”   又东北二百里,曰剡山,多金玉。有兽焉,其状如彘而人面,黄身而赤尾,其名曰合窳1,其音如婴儿。是兽也,食人,亦食虫蛇,见则天下大水。   1 郭璞云:“音庾。”   又东二百里,曰太山,上多金玉、桢木1。有兽焉,其状如牛而白首,一目而蛇尾,其名曰蜚2,行水则竭,行草则死,见则天下大疫3。钩水出焉,而北流注于劳水,其中多(鱼羞)鱼。   1 郭璞云:“女桢也,叶冬不凋。”   2 郭璞云:“音如翡翠之翡。”   3 郭璞云:“言体含灾气也。”   凡东次四经之首,自北号之山至于太山,凡八山,一千七百二十里1。   1 珂案:毕沅本里字作三,有注云“此下当脱里字”。又此经不言神状及祠物,疑文有阙脱。   右东经之山志,凡四十六山,万八千八百六十里。   山海经山经柬释卷五  山海经第五    中山经   中山经薄山之首,曰甘枣之山。共1水出焉,而西流注于河。其上多杻木,其下有草焉,葵本而杏叶2,黄华而荚实,名曰箨3,可以已瞢4。有兽焉,其状如(虫犬)鼠5而文题,其名曰难(隹改能)6,食之已瘿。   1 郭璞云:“音恭。”   2 郭璞云:“或作楛叶。”   3 汪绂云:“箨音托。”   4 郭璞云:“音盲。”珂案:说文四云:“瞢,目不明也。”   5 郭璞云:“(虫犬)鼠,所未详,音虺,字亦或作虺。”   6 汪绂云:“音耐;或作熊。”   又东二十里,曰历儿之山1,其上多橿,多(木厉)木2,是木3也,方茎而员叶,黄华而毛,其实如拣,服之不忘4。   1 郝懿行云:“水经注云:『河东郡南有历山,舜所耕处也。』史记正义引括地志云:『蒲山亦名历山。』即此也;盖与薄山连麓而异名。”珂案:舜所耕历山,盖传说中地名,所在多有,非可实指,此藉使能证成,亦不过传说中之一耳。   2 郭璞云:“音厉。”   3 珂案:是木,指(木厉)木。   4 珂案:经文拣,汪绂本、毕沅校本均作楝,王念孙、孙星衍、郝懿行亦均校作楝,作楝是也。汪绂云:“楝音炼。楝木似槐子,如指头,色白而粘,可捣以浣衣,服之益肾。此服之不忘,谓令人健记,盖亦楝类也。或作简,非。”   又东十五里,曰渠猪之山,其上多竹。渠猪之水出焉,而南流注于河。其中是多豪鱼,状如鲔1,赤喙尾赤羽,可以已白癣2。   1 郭璞云:“鲔似鳣也。”珂案:鲔音委。   2 珂案:太平御览卷七四二引此经,尾上有赤字,可以上有食之二字;同书卷九三九引此经,赤喙上有而字。   又东三十五里,曰葱聋之山,其中多大谷,是多白垩,黑、青、黄垩1。   1 郭璞云:“言有杂色垩也。”   又东十五里,曰(水委)山1,其上多赤铜,其阴多铁。   1 郭璞云:“音倭。”   又东七十里,曰脱扈之山。有草焉,其状如葵叶而赤华,荚实,实如棕荚,名曰植楮,可以已癙1,食之不眯2。   1 郭璞云:“癙,病也;淮南子曰:『狸头已癙』也。”珂案:郭引淮南子说山篇文,“已癙”今作“愈鼠”。   2 珂案:谓不厌梦也,已见上文西次四经“英鞮之山”注2。   又东二十里,曰金星之山,多天婴,其状如龙骨1,可以已痤2。   1 郝懿行云:“本草别录云:『龙骨生晋地川谷、及太(大?)山岩水岸土穴中死龙处。』”   2 珂案:说文七云:“痤,小肿也。”汪绂以“皮上磈磊病”释之,良是。   又东七十里,曰泰威之山,其中有谷曰枭谷1,其中多铁。   1 郭璞云:“或无谷字。”   又东十五里,曰橿谷之山1,其中多赤铜。   1 郭璞云:“或作檀谷之山。”   又东百二十里,曰吴林之山,其中多葌草1。   1 郭璞云:“亦菅字。”郝懿行云:“说文云:『葌,香艹,出吴林山。』本此经为说也。众经音义引声类云:『葌,兰也。』又引字书云:『葌与蕑同,蕑即兰也。』是葌乃香艹,郭注以葌为菅字,菅乃茅属,恐非也。”   又北三十里,曰牛首之山。有草焉,名曰鬼草1,其叶如葵而赤茎,其秀如禾,服之不忧。劳水出焉,而西流注于潏水2。是多飞鱼,其状如鲋鱼3,食之已痔衕。   1 珂案:经文鬼草,太平御览卷四六八引作鬼目。   2 郭璞云:“音如谲诈之谲。”   3 珂案:经文鲋鱼,太平御览卷四四引无鱼字。   又北四十里,曰霍山,其木多榖。有兽焉,其状如狸,而白尾有鬣,名曰朏朏1,养之可以已忧。   1 汪绂云:“朏音菲。”   又北五十二里,曰合谷之山1,是多薝棘2。   1 郝懿行云:“玉篇作金谷多薝棘。”   2 郭璞云:“未详;音瞻。”郝懿行云:“本草云:『天?冬一名颠棘。』即尔雅『髦,颠棘』也。薝,玉篇云:『丁敢切。』疑薝、颠古字或通。”   又北三十五里,曰阴山1,多砺石2、文石。少水出焉,其中多雕棠,其叶如榆叶而方,其实如赤菽3,食之已聋。   1 郭璞云:“一曰险山。”   2 郭璞云:“砺石,石中磨者。”珂案:磨,字本作,石硙也,今俗呼磨子;言可以为石硙者。   3 郭璞云:“菽,豆。”   又东北四百里,曰鼓镫之山,多赤铜。有草焉,名曰荣草,其叶如柳,其本如鸡卵,食之已风。   凡薄山之首,自甘枣之山至于鼓镫之山,凡十五山,六千六百七十里。历儿,冢也,其祠礼:毛,太牢之具;县以吉玉1。其余十三山者,毛用一羊,县婴用桑封,瘗而不糈。桑封者,桑主也2,方其下而锐其上,而中穿之加金3。   1 郭璞云:“县,祭山之名也;见尔雅。”珂案:例以下文县婴,疑此处县下脱婴字。   2 珂案:江绍原中国古代旅行之研究第一章注10谓经文桑封系藻珪之误,桑主即藻玉,婴系以玉献神之专称;其说近是,可供参考。   3 珂案:经文桑封者桑主也已下十九字,毕沅谓疑是周秦人释语、旧本乱入经文者,或当是也。桑封若从江说系藻珪之误,则此释乃端在说明藻珪即藻玉之形状,而郭璞注乃云:“言作神主而祭,以金银饰之也。公羊传曰:『虞主用桑。』主或作玉。”未免望文生义,漫为立说矣。   中次二经济山之首,曰辉诸之山,其上多桑,其兽多闾麋,其鸟多鹖1。   1 郝懿行云:“玉篇云:『鹖,何葛切;鸟似雉而大,青色,有毛角,斗死而止。』”   又西南二百里,曰发视之山,其上多金玉,其下多砥砺。即鱼之水出焉,而西流注于伊水。   又西三百里,曰豪山,其上多金玉而无草木。   又西三百里,曰鲜山,多金玉,无草木。鲜水出焉,而北流注于伊水。其中多鸣蛇,其状如蛇而四翼,其音如磬,见则其邑大旱。   又西三百里,曰阳山,多石,无草木。阳水出焉,而北流注于伊水。其中多化蛇,其状如人面而豺身,鸟翼而蛇行,其音如叱呼,见则其邑大水。   又西二百里,曰昆吾之山,其上多赤铜1。有兽焉,其状如彘而有角,其音如号2,名曰蠪蚳3,食之不眯。   1 郭璞云:“此山出名铜,色赤如火,以之作刃,切玉如割泥也;周穆王时西戎献之,尸子所谓昆吾之剑也。”珂案:昆吾亦人名,见海经新释卷十“有国曰颛顼”节注3。   2 郭璞云:“如人号哭。”   3 郭璞云:“上已有此兽,疑同名。”郝懿行云:“蚳疑当为蛭;已见东次二经凫丽之山。”珂案:王念孙、何焯校并同郝注。   又西百二十里,曰葌1山,葌水出焉,而北流注于伊水,其上多金玉,其下多青雄黄。有木焉,其状如棠而赤叶,名曰芒草2,可以毒鱼。   1 珂案:葌音奸。   2 郭璞云:“音忘。”   又西一百五十里,曰独苏之山,无草木而多水。   又西二百里,曰蔓渠之山,其上多金玉,其下多竹箭。伊水出焉,而东流注于洛。有兽焉,其名曰马腹,其状如人面虎身,其音如婴儿,是食人1。   1 珂案:水经注沔水云:“沔水中有物,如三四岁小儿,鳞甲如鲮鲤,头似虎,掌爪常没水中,出头。小儿不知,欲取弄戏,便杀人;名为水虎者也。”其形性均近此马腹。又经文人面,毕沅校本作人而,于义为长。   凡济山之首,自辉诸之山至于蔓渠之山,凡九山,一千六百七十里。其神皆人面而鸟身。祠用毛1,用一吉玉,投而不糈。   1 郭璞云:“择用毛色。”珂案:言以毛物祠神也。   中次三经萯山1之首,曰敖2岸之山,其阳多(王雩)琈之玉,其阴多赭、黄金。神熏池居之。是常出美玉3。北望河林,其状如蒨如举4。有兽焉,其状如白鹿而四角,名曰夫诸,见则其邑大水。   1 郭璞云:“萯音倍。”   2 郭璞云:“或作献。”   3 郭璞云:“或作石。”   4 郭璞云:“说者云,蒨、举皆木名也,未详;蒨音倩。”郝懿行云:“蒨,草也;举,木也。举即榉柳。本草陶注详之。”   又东十里,曰青要之山,实惟帝之密都1。是多驾鸟2。南望墠渚3,禹父之所化4,是多仆累、蒲卢5。(鬼申)武罗司之6,其状人面而豹文,小要而白齿7,而穿耳以鐻8,其鸣如鸣玉。是山也,宜女子9。畛10水出焉,而北流注于河。其中有鸟焉,名曰鴢11,其状如凫,青身而朱12目赤尾,食之宜子。有草焉,其状如葌13,而方茎黄华赤实,其本如 本14,名曰荀草15,服之美人色16。   1 郭璞云:“天帝曲密之邑。”珂案:例以西次三经“昆仑之丘,实惟帝之下都”语,此天帝盖即黄帝也。   2 郭璞云:“未详也。或曰驾宜为鴐,鴐鹅也;音加。”   3 郭璞云:“水中小洲名渚。墠音填。”   4 汪绂云:“左传言鲧化黄熊,入于羽渊,而又云在此,世之随处而附会以为古迹,类似此也。”珂案:盖亦传闻不同而异辞,正所以为神话也。   5 珂案:郭璞云:“仆累,蜗牛也。”郝懿行云:“蒲卢为蜃蛤之属。仆累、蒲卢,同类之物,并生于水泽下湿之地。”则仆累、蒲卢,盖亦同声之转耳。   6 郭璞云:“武罗,神名;(鬼申)即神字。”珂案:郭此注或据说文九“(鬼申),神也”为说,而段玉裁云:“当作神鬼也,神鬼者,鬼之神者也。”自以段说为长。玉篇云:“(鬼申),山神也。”说亦较单以神释(鬼申)贴切。   7 郭璞云:“或作首。”珂案:齿或作首者,首、齿形近易讹;然揆经文之意,仍以作齿为是。又经文小要,宋本作小?,吴宽抄本、项絪本、黄丕烈、周叔弢校本均作小腰;要即?、腰字之古写。   8 郭璞云:“鐻,金银器之名,未详也;音渠。”郝懿行云:“说文新附字引此经,云:『鐻,环属也。』”   9 吴任臣云:“淮南子『青要玉女、降霜神也』,本此傅会之。”珂案:今本淮南子天文篇作“青女乃出、以降霜雪”,无“青要玉女”语,或吴氏别有所本,当在阙疑。   10郭璞云:“音轸。”   11郭璞云:“音如窈窕之窈。”   12郭璞云:“朱,浅赤也。”   13珂案:葌,兰也;已见上文吴林山。   14郭璞云:“根似 本,亦香草。”   15郭璞云:“或曰苞草。”   16珂案:综上经文所叙,(鬼申)武罗者,盖楚辞九歌山鬼所写山鬼式的女神也。“小要(腰)白齿”,所以“窈窕”、“宜笑”;“赤豹文狸”,或即“人面豹文”之演化;“荀草服之美人色”,山鬼所采“三秀”,说者亦谓是使人驻颜不老的芝草之属;而山鬼所思之“灵修”,亦此(鬼申)武罗所司密都之“帝”,均高级天神也。   又东十里曰騩1山,其上有美枣,其阴有(王雩)琈之玉。正回之水出焉,而北流注于河。其中多飞鱼,其状如豚而赤文,服之不畏雷,可以御兵2。   1 郭璞云:“音巍。”   2 珂案:艺文类聚卷二引山海经云:“飞鱼如豚,赤文无羽;食之辟兵,不畏雷也。”初学记卷一引郭璞图赞略同,惟无羽作无鳞,雷也作雷音,义较长;疑此即赞也。“食之辟兵”可以为经文“服之御兵”作诠解。又上文牛首山劳水已有飞鱼,与此同名,非一物也。   又东四十里,曰宜苏之山,其上多金玉,其下多蔓居之木1。滽滽之水出焉,而北流注于河,是多黄贝。   1 郭璞云:“未详。”郝懿行云:“广雅云:『牡荆,曼荆也。』曼,本草作蔓,此经蔓居,疑蔓荆声之转;蔓荆列本草木部,故此亦云蔓居之木也。”   又东二十里,曰和山,其上无草木而多瑶碧,实惟河之九都1。是山也五曲2,九水出焉,合而北流注于河,其中多苍玉。吉神泰逢司之3,其状如人而虎尾4,是好居于萯山之阳,出入有光。泰逢神动天地气也5。   1 郭璞云:“九水所潜,故曰九都。”   2 郭璞云:“曲回五重。”   3 郭璞云:“吉犹善也。”   4 郭璞云:“或作雀尾。”   5 郭璞云:“言其有灵爽能兴云雨也。夏后孔甲田于萯山之下,天大风晦冥,孔甲迷惑,入于民室;见吕氏春秋也。”珂案:见吕氏春秋音初篇。   凡萯山之首,自敖岸之山至于和山,凡五山,四百四十里。其祠泰逢、熏池、武罗皆一牡羊副1,婴用吉玉。其二神用一雄鸡瘗之,糈用稌。   1 汪绂云:“?同,音劈;周礼:『以?辜祭百物。』言分磔牲体以祭也。”   中次四经厘山之首,曰鹿蹄之山,其上多玉,其下多金。甘水出焉,而北流注于洛,其中多泠石1。   1 郭璞云:“泠石,未闻也;泠或作涂。”郝懿行云“泠当为?;西次四经『号山多?石』是也。郭云『泠或作涂』,涂亦借作泥涂字,?又训泥,二字义同,故得通用。又涂或淦字之讹也,说文?、淦同。”珂案:王念孙亦校改泠作?、涂作淦。吴宽抄本作冷石,非。   西五十里,曰扶猪之山,其上多礝石1。有兽焉,其状如貉2而人目,其名曰(上鹿下言)3。虢水出焉,而北流注于洛,其中多瓀石4。   1 郝懿行云:“礝当为。说文云:『,石次玉者。』玉篇同,云亦作瓀,引此经作瓀石,或所见本异也。张揖注上林赋云:『石白者如冰,半有赤色。』”   2 郭璞云:“貉或作(豸豦),古字。”   3 郭璞云:“音银;或作麋。”   4 郭璞云:“言亦出水中。”郝懿行云:“瓀亦当为。”   又西一百二十里,曰厘山,其阳多玉,其阴多搜1。有兽焉,其状如牛,苍身,其音如婴儿,是食人,其名曰犀渠2。滽滽之水出焉,而南流注于伊水。有兽焉,名曰(犬颉)3,其状如獳犬而有鳞4,其毛如彘鬣5。   1 郭璞云:“音搜;茅搜,今之蒨草也。”   2 郝懿行云:“犀渠盖犀牛之属也。吴语云:『奉文犀之渠。』吴都赋云:『户有犀渠。』疑古用此兽皮蒙楯,故因名楯为犀渠矣。”   3 郭璞云:“音苍颉之颉。”   4 珂案:文选江赋李善注引此经(犬颉)作獭,獳犬作?,无有鳞字。   5 汪绂云:“毛出鳞间如彘鬣也。”   又西二百里,曰箕尾之山,多谷1,多涂石2,其上多(王雩)琈之玉。   1 珂案:经文谷,宋本、汪绂本、吴任臣本并作榖,作榖是也。   2 珂案:上文鹿蹄之山多泠石,郭璞注:“泠或作涂。”即此。   又西二百五十里,曰柄山,其上多玉,其下多铜。滔雕之水出焉,而北流注于洛。其中多羬羊。有木焉,其状如樗,其叶如桐而荚实,其名曰茇,可以毒鱼1。   1 郭璞云:“茇一作艾。”郝懿行云:“尔雅云:『杬,鱼毒。』说文杬从艹作芫,疑作艾者,因字形近芫而讹。”   又西二百里,曰白边之山,其上多金玉,其下多青雄黄。   又西二百里,曰熊耳之山,其上多漆,其下多棕。浮濠之水出焉,而西流注于洛,其中多水玉1,多人鱼。有草焉,其状如苏而赤华,名曰葶薴2,可以毒鱼。   1 珂案:后汉书郡国志刘昭注引此经而西下有北字,水玉作美玉。   2 郭璞云:“亭宁、耵聍二音。”   又西三百里,曰牡山1,其上多文石,其下多竹箭竹(上竹下媚),其兽多(牛乍)牛、羬羊,鸟多赤鷩2。   1 郝懿行云:“尔雅疏引此经作牝山,藏经本作壮山。”   2 郭璞云:“音闭;即鷩雉也。”   又西三百五十里,曰讙举之山。雒水出焉,而东北流注于玄扈之水,其中多马肠之物1。此二山者,洛闲也2。   1 郝懿行云:“上文蔓渠山马腹,一本作马肠,盖此是也。大荒西经女娲之肠或作女娲之腹,亦其例。”   2 珂案:谓讙举、玄扈二山夹洛水闲也。水经注洛水云:“玄扈之水,出于玄扈之山。”盖山水兼受其目矣。   凡厘山之首,自鹿蹄之山至于玄扈之山,凡九山,千六百七十里。其神状皆人面兽身。其祠之,毛用一白鸡,祈而不糈1,以采衣之2。   1 郭璞云:“言直祈祷。”郝懿行云:“祈当为(上几下皿)。”珂案:说文五云:“(上几下皿),以血有所刉涂祭也;从血,几声,渠稀切。”则以作(上几下皿)为是,(上几下皿)为祭礼之一,非“直祈祷”之谓也。   2 郭璞云:“以采饰鸡。”   中次五经薄山之首,曰苟床之山1,无草木,多怪石。   1 郭璞云:“或作苟林山。”郝懿行云:“下文正作苟林山,文选江赋注引此经亦作苟林山。”   东三百里,曰首山,其阴多榖柞,其草多(上艹下朮)芫1,其阳多(王雩)琈之玉,木多槐。其阴有谷,曰机谷,多(鸟大)2鸟,其状如枭而三目,有耳,其音如录3,食之已垫4。   1 汪绂云:“(上艹下朮),山蓟也,有苍朮、白朮二种;芫,芫华也;皆入药用。”   2 汪绂云:“(鸟大)音地。”   3 郝懿行云:“盖鹿字假音;玉篇作音如豕。”   4 汪绂云:“垫,下湿病。”   又东三百里,曰县斸1之山,无草木,多文石。   1 汪绂云:“斸音斲,又音祝。”   又东三百里,曰葱聋之山1,无草木,多庱(夌改夆)石2。   1 珂案:上文已有此山,疑是其连麓。   2 郭璞云:“未详。”毕沅:“庱(夌改夆)当为玤;说文云:『石之次玉者。』”   东北五百里,曰条谷之山,其木多槐桐,其草多芍药、?冬1。   1 珂案:?当为虋,音门,俗亦作门;门冬有二种:一麦门冬,一天门冬,均入药用。   又北十里,曰超山,其阴多苍玉,其阳有井,冬有水而夏竭1。   1 珂案:中次一十一经云:“视山有井,夏有水,冬竭。”与此适反。   又东五百里,曰成侯之山,其上多木1,其草多芃2。   1 郭璞云:“似樗树,材中车辕。”郝懿行云:“说文云,杶,或作,即今椿字也。”   2 郝懿行云:“芃,说文训草盛,非草名也。疑芃当为(上艹下几)字之讹;(上艹下几)音交,即药草秦(上艹下几)也,见本草。”珂案:郝说是也,王念孙校同郝注。   又东五百里,曰朝歌之山,谷多美垩。   又东五百里,曰槐山1,谷多金锡。   1 珂案:毕沅本槐山作(禾鬼)山,云(禾鬼)当为稷,稷山在今山西省稷山县,后稷播时百谷于此,遂以名山。关于后稷,参见海经新释卷十一“西周国”节注2、5。   又东十里,曰历山1,其木多槐,其阳多玉。   1 郝懿行云:“即上文历儿山;水经注云:河东郡南有历山,舜所耕处也。”   又东十里,曰尸山,多苍玉,其兽多?1。尸水出焉,南流注于洛水,其中多美玉。   1 郭璞云:“似鹿而小,黑色。”毕沅云:“郭说非也。尔雅:『麠,大鹿。』说文云:『牛尾一角,或从京。』则此是大鹿。凡云京皆大也,郭义失之。”   又东十里,曰良余之山,其上多榖柞,无石。余水出于其阴,而北流注于河;乳水出于其阳,而东南流注于洛。   又东南十里,曰蛊尾1之山,多砺石、赤铜。龙余之水出焉,而东南流注于洛。   1 郝懿行云:“水经注作虫尾。”   又东北二十里,曰升山,其木多榖柞棘,其草多藷藇蕙1,多寇脱2。黄酸之水出焉,而北流注于河,其中多璇玉3。   1 郭璞云:“蕙,香草也。”珂案:蕙已见上文西山经浮山及嶓冢山。   2 郭璞云:“寇脱草生南方,高丈许,似荷叶而茎中有瓤,正白,零桂人植而日灌之以为树也。”   3 郭璞云:“石次玉者也;璇音旋。”   又东十二里,曰阳虚之山,多金,临于玄扈之水1。   1 郭璞云:“河图曰:『苍颉为帝,南巡狩,登阳虚之山,临于玄扈洛汭,灵龟负书,丹甲青文以授之。』出此水中也。”   凡薄山之首,自苟林之山至于阳虚之山,凡十六山,二千九百八十二里。升山冢也,其祠礼:太牢,婴用吉玉。首山(鬼申)也,其祠用稌、黑牺、太牢之具、糱酿1;干2,置鼓3;婴用一璧。尸水,合天也4,肥牲祠之,用一黑犬于上,用一雌鸡于下,刉一牝羊,献血5。婴用吉玉,采之6,飨之7。   1 郭璞云:“以糱作醴酒也。”   2 郭璞云:“干,万;干,楯也。”   3 郭璞云:“击之以舞。”   4 郭璞云:“天神之所冯也。”   5 郭璞云:“以血祭也;刉,犹刲也。”珂案:刉,本作(气刀),音机;谓杀牛羊等取血以衅也。   6 郭璞云:“又加以缯彩之饰也。”   7 郭璞云:“劝强之也。特牲馈食礼曰:『执奠,祝飨。』是也。”珂案:仪礼特牲馈食礼云:“尸答拜,执奠,祝飨。”郑注云:“飨,劝强之也。”是郭注所本。   中次六经缟羝山之首,曰平逢之山,南望伊洛,东望谷城之山1,无草木,无水,多沙石。有神焉,其状如人而二首,名曰骄虫2,是为螫虫3,实惟蜂蜜之庐4。其祠之:用一雄鸡,禳而勿杀5。   1 郭璞云:“在济北谷城县西,黄石公石在此山下,张良取以合葬尔。”珂案:谷城山在今山东省东阿县东北,一名黄山。   2 珂案:太平御览卷九五0引此经作娇虫。   3 郭璞云:“为螫虫之长。”   4 郭璞云:“言群蜂之所舍集。蜜赤(亦)蜂名。”   5 汪绂云:“禳,祈祷以去灾恶,使勿螫人,其鸡则放而勿杀也。”   西十里,曰缟羝之山,无草木,多金玉。   又西十里,曰廆1山,其阴多(王雩)琈之玉。其西有谷焉,名曰雚谷,其木多柳楮。其中有鸟焉,状如山鸡而长尾,赤如丹火而青喙,名曰鸰(要鸟)2,其鸣自呼,服之不眯。交觞之水出于其阳,而南流注于洛;俞随之水出于其阴,而北流注于榖水。   1 郭璞云:“音如瓖伟之。”   2 郭璞云:“铃要二音。”   又西三十里,曰瞻诸之山,其阳多金,其阴多文石。(水射)1水出焉,而东南流注于洛;少水出其阴2,而东流注于谷水。   1 郭璞云:“音谢。”   2 珂案:王念孙校,经文出下应增于字。   又西三十里,曰娄涿之山,无草木,多金玉。瞻水出于其阳,而东流注于洛;陂水出于其阴,而北流注于谷水,其中多茈石、文石。   又西四十里,曰白石之山。惠水出于其阳,而南流注于洛,其中多水玉。涧水出于其阴,西北流注于谷水,其中多麋石、栌丹1。   1 郭璞云:“皆未闻。”郝懿行云:“麋石或是画眉石,眉麋古字通也;栌丹疑即黑丹,栌卢通也。”   又西五十里,曰谷山,其上多谷,其下多桑。爽水出焉,而西北流注于谷水,其中多碧绿。   又西七十二里,曰密山,其阳多玉,其阴多铁。豪水出焉,而南流注于洛,其中多旋龟,其状鸟首而鳖尾,其音如判木1。无草木。   1 珂案:旋龟已见南山经杻阳之山。   又西百里,曰长石之山,无草木,多金玉。其西有谷焉,名曰共谷,多竹。共水出焉,西南流注于洛,其中多鸣石1。   1 郭璞云:“晋永康元年,襄阳郡上鸣石,似玉,色青,撞之声闻七八里,即此类也。”珂案:鸣石,盖磬石之类;郭说襄阳郡上鸣石,见晋书五行志。   又西一百四十里,曰傅山,无草木,多瑶碧。厌染之水出于其阳,而南流注于洛,其中多人鱼1。其西有林焉,名曰墦2冢。谷水出焉,而东流注于洛,其中多珚玉3。   1 珂案:人鱼已见上文西山经竹山竹水、北次三经龙侯山决决水及中次四经熊耳山浮豪水。   2 郭璞云:“音番。”   3 郭璞云:“未闻也;珚音堙。”珂案:水经注谷水引此经作(王囷)玉,影宋本太平御览卷六二引作(王困)玉;玉篇云:“(王囷),齐玉,奇殒切。”则珚玉盖(王困)玉之讹也。   又西五十里,曰橐山,其木多樗1,多备(人改木)木2,其阳多金玉,其阴多铁,多萧3。橐水出焉,而北流注于河。其中多修辟之鱼,状如黾4而白喙,其音如鸱,食之已白癣。   1 郝懿行云:“樗当为(木乎);说文云:『(木乎)木出橐山。』谓此也。”   2 郭璞云:“今蜀中有备(人改木)木,七八月中吐穗,穗成,如有盐粉着状,可以酢羹;音备。”珂案:经文备(人改木)木,王念孙云:“木字疑衍。”   3 郭璞云:“萧,蒿;见尔雅。”郝懿行云:“尔雅云:『萧,荻。』郭注云:『即蒿也。』”   4 郭璞云:“黾,蛙属也。”   又西九十里,曰常烝之山,无草木,多垩。潐水1出焉,而东北流注于河,其中多苍玉。菑水出焉,而北流注于河。   1 郭璞云:“音谯。”   又西九十里,曰夸父之山1,其木多棕柟,多竹箭,其兽多(牛乍)、牛羬羊,其鸟多鷩2,其阳多玉,其阴多铁。其北有林焉,名曰桃林3,是广员三百里,其中多马4。湖水出焉,而北流注于河,其中多珚玉5。   1 郝懿行云:“山一名秦山,与太华相连,在今河南灵宝县东南。”   2 珂案:宋本鷩上有赤字,何焯校亦增赤字。   3 郭璞云:“桃林,今宏农湖县阌乡南谷中是也;饶野马山羊山牛也。”珂案:桃林,毕沅说即邓林,是神话中夸父弃杖所化而成林者;见海经新释卷三“夸父与日逐走”节注6。   4 珂案:太平御览卷一五八引此经,多马下尚有造父于其中得骅骝騄耳之乘以献穆王十六字,或系逸落之郭注误入经文也。   5 珂案:珚玉亦当为(王囷)玉,已见上文傅山注3。   又西九十里,曰阳华之山,其阳多金玉,其阴多青雄黄,其草多藷藇,多苦辛1,其状如橚2,其实如瓜,其味酸甘,食之已疟。杨水出焉,而西南流注于洛,其中多人鱼。门水出焉,而东北流注于河,其中多玄(石肃)3。(纟昔)4姑之水出于其阴,而东流注于门水,其上多铜。门水出5于河,七百九十里入雒水6。   1 珂案:经文苦辛,宋本、吴宽抄本、毛扆本均作苦莘,邵恩多校本同。   2 郭璞云:“即楸字也。”   3 郭璞云:“黑砥石生水中。”   4 郭璞云:“(纟昔)音藉。”   5 珂案:经文出,宋本、毛扆本作至。   6 王念孙云:“门水出于河云云,乃郭注误入正文,水无出河出江之理,作至于是也。”   凡缟羝山之首,自平逢之山至于阳华之山,凡十四山,七百九十里。岳在其中1,以六月祭之2,如诸岳之祠法,则天下安宁。   1 汪绂云:“此条无中岳,而曰岳在其中,盖以洛阳居天下之中,王者于此以时望祭四岳,以其非岳而祭四岳,故曰岳在其中;此殆东周时之书矣。”   2 郭璞云:“六月亦岁之中。”   中次七经苦山之首,曰休与之山1。其上有石焉,名曰帝台之棋2,五色而文,其状如鹑卵,帝台之石,所以祷百神者也3,服之不蛊。有草焉,其状如蓍4,赤叶而本丛生,名曰夙条,可以为簳5。   1 郭璞云:“与或作舆;下同。”   2 郭璞云:“帝台,神人名;棋谓博棋也。”   3 郭璞云:“祷祀百神,则用此石。”   4 郝懿行云:“说文云:『蓍,蒿属。』广雅云:『蓍,耆也。』”珂案:蓍音尸,埤雅云“草之多寿者”,古取其茎为占筮之用。   5 珂案:簳音干,箭干也。   东三百里,曰鼓钟之山,帝台之所以觞百神也1。有草焉,方茎而黄华,员叶而三成2,其名曰焉酸3,可以为毒4。其上多砺,其下多砥。   1 郭璞云:“举觞燕会,则于此山,因名为鼓钟也。”   2 郭璞云:“叶三重也。”   3 郝懿行云:“焉酸,一本作乌酸。”珂案:太平御览卷四二引此经正作乌酸。   4 郭璞云:“为,治。”郝懿行云:“治去之也。”   又东二百里,曰姑媱之山1。帝女死焉,其名曰女尸,化为(上艹下瑶)2草,其叶胥成3,其华黄,其实如菟丘4,服之媚于人5。   1 郭璞云:“音遥;或无之山字。”   2 郭璞云:“亦音遥。”   3 郭璞云:“言叶相重也。”   4 郭璞云:“菟丘,菟丝也。”   5 郭璞云:“为人所爱也;一名荒夫草。”珂案:《文选。高唐赋》注引《襄阳耆旧传》云:“赤帝(炎帝)女曰瑶姬,未行而卒,葬于巫山之阳,故曰巫山之女。楚怀王游于高唐,昼寝,梦见与神遇,王因幸之。遂为置观于巫山之南,号为朝云。后至襄王时,复游高唐。”此瑶姬神话之概略也。别赋注引高唐赋(今本无)记瑶姬之言云:“我帝之季女,名曰瑶姬,未行而亡,封于巫山之台,精魂为草,实曰灵芝。”乃与此经所记之女尸化为(上艹下瑶)草契合焉,知瑶姬神话乃(上艹下瑶)草神话之演变也。此一神话,又再变而为瑶姬于巫山助禹治水,则唐末道士杜光庭于镛城集仙录所记是也,而群众之意愿体现于斯矣,至今巫峡民间犹传述之。参见海经新释卷十“禹攻云雨”节注7及卷十一“互人国”节注2。   又东二十里,曰苦山。有兽焉,名曰山膏,其状如逐1,赤若丹火,善詈2。其上有木焉,名曰黄棘,黄华而员叶,其实如兰,服之不字3。有草焉,员叶而无茎,赤华而不实,名曰无条4,服之不瘿。   1 郭璞云:“即豚字。”毕沅云:“借遯字为之,逐又遯省文。”郝懿行云:“遯,古文作?;是此经之逐,从遯或?省,当读为豚。”   2 郭璞云:“好骂人。”毕沅云:“即山都也。”珂案:毕说是也;是盖山都、山?、山(犬喿)、枭阳之类,乃传说中猩猩、狒狒之神话化也。礼曲礼云:“猩猩能言。”唐国史补云:“猩猩好酒与屐,人有取之者,置二物以诱之。猩猩始见,必大骂曰。”云云,此同于山膏之“善詈”也。   3 郭璞云:“字,生也;易曰:『女子贞不字。』”   4 珂案:无条已见西山经皋涂之山,与此同名异物。   又东二十七里,曰堵山,神天愚居之,是多怪风雨。其上有木焉,名曰天楄1,方茎而葵状,服者不(口垔)2。   1 郭璞云:“音鞭。”   2 郭璞云:“食不噎也。”   又东五十二里,曰放皋之山1。明水出焉,南流注于伊水,其中多苍玉。有木焉,其叶如槐,黄华而不实,其名曰蒙木,服之不惑。有兽焉,其状如蜂,枝尾而反舌,善呼2,其名曰文文。   1 郭璞云:“放或作效,又作牧。”   2 郭璞云:“好呼唤也。”   又东五十七里,曰大1之山,多(王雩)琈之玉,多麋玉2。有草焉,其状叶如榆3,方茎而苍伤4,其名曰牛伤5,其根苍文,服者不厥6,可以御兵。其阳狂水出焉,西南流注于伊水,其中多三足龟7,食者无大疾,可以已肿。   1 珂案:太平御览卷九三一引此经作大苦,毕沅校本亦作大苦,今本作大,而郭注无音,知本为苦字明矣。   2 郭璞云:“未详。”郝懿行云:“麋,疑瑂之假借字也。说文云:『瑂,石之似玉者,读若眉。』”   3 珂案:经文其状叶如榆,王念孙、郝懿行并校其叶状如榆;毕沅本作其状如榆,无叶字。   4 珂案:苍伤,苍刺也。方言卷三郭璞注云:“山海经谓刺为伤也。”即指此。   5 郭璞云:“犹言牛棘。”   6 郭璞云:“厥,逆气病。”   7 珂案:尔雅释鱼云:“龟三足,贲。”郭璞注此经谓“今吴兴有三足六眼龟”,亦异闻也。   又东七十里,曰半石之山,其上有草焉,生而秀,其高丈余,赤叶赤华,华而不实1,其名曰嘉荣,服之者不霆2。来需之水出于其阳,而西流注于伊水,其中多(鱼仑)3鱼,黑文,其状如鲋4,食者不睡5。合水出于其阴,而北流注于洛,多腾(马改鱼)6鱼,状如鳜,居逵7,苍文赤尾,食者不痈,可以为?8。   1 郭璞云:“初生先作穗,却着叶,花生穗闲。”   2 郝懿行云:“北堂书钞一百五十二卷引此经霆上有畏字。”珂案:太平御览卷十三引同。不畏霆,言不畏霹雳也。   3 郭璞云:“音伦。”   4 郝懿行云:“广雅云:『鰿,鲋也。』即今之鲫鱼。”   5 郝懿行云:“李善注江赋引此经作食之不肿,太平御览九百三十九卷亦引作食者不肿。”   6 郭璞云:“音腾。”   7 郭璞云:“鳜鱼,大口大目细鳞,有斑彩;逵,水中之穴道交通者。”珂案:鳜音桂。   8 郭璞云:“?,痈属也,中多有虫。淮南子曰:『鸡头已?。』音漏。”   又东五十里,曰少室之山,百草木成囷1。其上有木焉,其名曰帝休,叶状如杨,其枝五衢2,黄华黑实3,服者不怒。其上多玉4,其下多铁。休水出焉,而北流注于洛,其中多(鱼帝)鱼,状如?蜼5而长距,足白而对6,食者无蛊疾7,可以御兵。   1 郝懿行云:“言草木屯聚如仓囷之形也。”   2 郭璞云:“言树枝交错,相重五出,有象衢路也。离骚曰:『靡萍九衢。』”   3 珂案:艺文类聚卷八八引此经作黑叶。   4 郭璞云:“此山巅亦有白玉膏,得服之,即得仙道,世人不能上也;诗含神雾云。”   5 郝懿行云:“?当为盩,广雅云:『狖,蜼也。』狖、盩声相近。郭注尔雅云:『蜼似猕猴。』(鱼帝)即鲵也,鲵省作儿,周书王会篇云:『儿若猕猴。』与此经合。”珂案:王念孙亦校?作盩。盩音舟。   6 郝懿行云:“对盖谓足趾相向也。”   7 郝懿行云:“北次三经云:『人鱼如(鱼帝)鱼,四足,食之无痴疾。』此言『食者无蛊疾』,蛊,疑惑也;痴,不慧也:其义同。”   又东三十里,曰泰室之山1。其上有木焉,叶状如梨而赤理,其名曰栯2木,服者不妒。有草焉,其状如(上艹下朮)3,白华黑实,泽如蘡薁4,其名曰(上艹下瑶)草5,服之不昧6。上多美石7。   1 郭璞云:“即中岳嵩高山也,今在阳城县西。”珂案:嵩高山在今河南省登封县北。   2 郭璞云:“音郁。”   3 郭璞云:“(上艹下朮)似蓟也。”   4 郭璞云:“言子滑泽。”汪绂云:“蘡薁蔓生,细叶,实如小葡萄,或以为樱桃,或以为葡萄,皆误。”郝懿行云:“盖即今之山葡萄。”   5 珂案:此(上艹下瑶)草与上文姑媱之山(上艹下瑶)草同名异实。   6 珂案:经文不昧,王念孙校改不眯;不眯,不厌梦也,已见上文西次四经“英鞮之山”注2。   7 郭璞云:“次玉者也;启母化为石而生启,在此山,见淮南子。”珂案:启母化石生启事,今本淮南子无,惟见汉书武帝纪颜师古注引淮南子,云:“禹治鸿水,通轘辕山,化为熊。谓涂山氏曰:『欲饷,闻?声乃来。』禹跳石,误中?。涂山氏往,见禹方作熊,惭而去。至嵩高山下,化为石,方生启。禹曰:『归我子!』石破北方而启生。”今本盖脱去之。参见海经新释卷二“夏后启”节注6。   又北三十里,曰讲山,其上多玉,多柘,多柏。有木焉,名曰帝屋,叶状如椒,反伤1赤实,可以御凶。   1 郭璞云:“反伤,刺下勾也。”珂案:伤,刺也;已见上文“大之山”注4。   又北三十里,曰婴梁之山,上多苍玉,錞于玄石1。   1 郭璞云:“言苍玉依黑石而生也。”珂案:錞于字已见上文西山经騩山,錞,汪绂释为蹲,引申固亦有依附之义也。   又东三十里,曰浮戏之山。有木焉,叶状如樗而赤实,名曰亢木,食之1不蛊。汜2水出焉,而北流注于河。其东有谷,因名曰蛇谷3,上多少辛4。   1 珂案:经文食之,宋本、吴宽抄本作食者。   2 郝懿行云:“汜音似。”   3 郭璞云:“言此中出蛇,故以名之。”   4 郭璞云:“细辛也。”   又东四十里,曰少陉之山。有草焉,名曰(上艹下冈)草1,叶状如葵,而赤茎白华,实如蘡薁,食之不愚2。器3难之水出焉,而北流注于役水4。   1 郭璞云:“音刚。”   2 郭璞云:“言益人智。”   3 郭璞云:“或作嚣。”   4 郭璞云:“一作侵。”珂案:王念孙校役为没,云即下文没,其所据项絪本也。   又东南十里,曰太山1。有草焉,名曰梨,其叶状如荻2而赤华,可以已疽。太水出于其阳,而东南流注于役水3;承水出于其阴,而东北流注于役4。   1 汪绂云:“此太山在郑,非东岳太山。”   2 珂案:经文荻,郝懿行云,当为萩字之讹。萩音秋,尔雅释草云:“萧,萩。”郭注云:“即蒿。”合于今本郭注“荻亦蒿也,音狄”之义。郭注荻、狄字亦当作萩、秋。   3 珂案:经文役水,宋本、汪绂本作没水,项絪本役亦作没。   4 珂案:经文役,宋本、汪绂本作没,项絪本同;下疑应增水字。   又东二十里,曰末山,上多赤金。末水出焉,北流注于役1。   1 珂案:经文役,宋本、项絪本并作没;汪绂本作投,误也。下疑亦应增水字。   又东二十五里,曰役山,上多白金,多铁。役水出焉,北注于河。   又东三十五里曰敏山。上有木焉,其状如荆,白华而赤实,名曰柏1,服者不寒。其阳多(王雩)琈之玉。   1 郭璞云:“音计。”郝懿行云:“玉篇云:『,俗蓟字。』初学记二十八卷引广志云:『柏有计柏。』计、声同,疑是也。”   又东三十里,曰大騩之山,其阴多铁、美玉、青垩1。有草焉,其状如蓍而毛,青华而白实,其名曰?2,服之不夭3,可以为腹病4。   1 珂案:经文青垩,后汉书郡国志刘昭注引作美垩。   2 郝懿行云:“玉篇云:『?,胡恳切,草名,似蓍,花青白。』广韵同。是?当为?。”珂案:王念孙校同郝注。?音很。   3 郭璞云:“言尽(益)寿也。或作芺。”郝懿行云:“芺即夭,古今字尔。”   4 郭璞云:“为,治也;一作已。”珂案:经文病,宋本作疾。   凡苦山之首,自休与之山至于大騩之山,凡十有九山,千一百八十四里。其十六神者,皆豕身而人面。其祠:毛牷用一羊羞1,婴用一藻玉瘗2。苦山、少室、太室皆冢也,其祠之:太牢之具,婴以吉玉。其神状皆人面而三首,其余属皆豕身人面也。   1 郭璞云:“言以羊为荐羞。”   2 郭璞云:“藻玉,玉有五彩者也。或曰,所以盛玉藻藉也。”郝懿行云:“藻玉已见西次二经泰冒山。此藻疑当与璪同,说文云:『璪,玉饰如水藻之文也。』藻藉,见周官大行人。”   中次八经荆山之首,曰景山,其上多金玉,其木多杼1檀。雎2水出焉,东南流注于江,其中多丹粟,多文鱼3。   1 郭璞云:“杼音椽柱之柱。”   2 郭璞云:“雎音痈疽之疽。”   3 郭璞云:“有斑彩也。”珂案:楚辞九歌河伯云:“乘白鼋兮逐文鱼。”当即此。   東北百里,曰荊山,其陰多鐵,其陽多赤金,其中多犛牛1,多豹虎,其木多松柏,其草多竹,多橘?2。漳水出焉,而东南流注于雎,其中多黄金,多鲛鱼3。其兽多闾麋4。   1 郭璞云:“旄牛属也,黑色,出西南徼外也;音狸,一音来。”   2 郭璞云:“?似橘而大也,皮厚味酸。”珂案:?,本字作柚。黄丕烈、周叔弢校本云:“多橘?並傳十字應在其草多竹上。”   3 郝懿行云:“鲛鱼即今沙鱼。”   4 珂案:经文麋,王念孙、郝懿行并校作麈;郭璞云:“似鹿而大也。”   又东北百五十里,曰骄山,其上多玉,其下多青雘,其木多松柏,多桃枝钩端1。神鼍围2处之,其状如人面3,羊角虎爪,恒游于雎漳之渊,出入有光。   1 珂案:桃枝钩端已见上文西山经嶓冢之山。   2 汪绂云:“鼍音驼。”   3 郝懿行云:“广韵鼍字注本此文,无面字。”珂案:经文面,疑是而字之误,属下读。郭璞注海外东经毛民国云:“为人短小,而体尽有毛。”宋本、毛扆本、毕沅校本、百子全书本、吴任臣本而俱作面,可证。   又东北百二十里,曰女几之山,其上多玉,其下多黄金,其兽多豹虎,多闾麋?麂1,其鸟多白鷮2,多翟,多鸩3。   1 郭璞云:“麂似獐而大,猥(●)毛,豹(狗)脚;音几。”   2 郭璞云:“鷮似雉而长尾,走且鸣;音骄。”   3 郭璞云:“鸩大如鵰,紫绿色,长颈赤喙,食蝮蛇头;雄名运日,雌名阴谐也。”郝懿行云:“说文云:『鸩,毒鸟也。』体有毒,古人谓之鸩毒。”   又东北二百里,曰宜诸之山,其上多金玉,其下多青雘。洈水1出焉,而南流注于漳,其中多白玉。   1 郭璞云:“音诡。”   又東北二百里,曰綸山1,其木多梓柟,多桃枝,多柤2栗橘?,其獸多閭麈¤?3。   1 郭璞云:“音伦。”   2 郭璞云:“柤似梨而酢濇。”珂案:柤音渣;参见海经新释卷三“平丘甘柤”节注4。   3 郭璞云:“?似菟而鹿脚,青色;音绰。”   又东二百里,曰陆(危邑)1之山,其上多(王雩)琈之玉,其下多垩,其木多杻橿。   1 汪绂云:“(危邑)音跪。”   又东百三十里,曰光山,其上多碧,其下多木1。神计蒙处之,其状人身而龙首,恒游于漳渊,出入必有飘风暴雨。   1 郝懿行云:“木疑水字之讹。”珂案:王念孙校亦作水,汪绂本木字正作水。   又东百五十里,曰岐山,其阳多赤金,其阴多白?1,其上多金玉,其下多青雘,其木多樗。神涉鼍2处之,其状人身而方面三足。   1 郭璞云:“石似玉者;音旻。”   2 郭璞云:“鼍,徒何切;一作蠤(酋改留),笑游切。”郝懿行云:“蠤(酋改留)字音义并所未详。”   又東百三十里,曰銅山,其上多金銀鐵1,其木多榖柞柤栗橘?,其獸多(犬勺)2。   1 郝懿行云:“铜山,盖以所产三物得名。”   2 郝懿行云:“(犬勺),本或作豹,非。(犬勺)音灼,豹文兽也;见西次二经厎阳之山。”珂案:吴任臣本、毕沅本作豹。   又东北一百里,曰美山,其兽多兕牛,多闾麈,多豕鹿,其上多金,其下多青雘。   又东北百里,曰大尧之山,其木多松柏,多梓桑,多机1,其草多竹,其兽多豹虎¤?。   1 珂案:机已见上文北山经首单狐之山。   又东北三百里,曰灵山,其上多金玉,其下多菁雘,其木多桃李梅杏1。   1 郭璞云:“梅似杏而酢也。”   又东北七十里,曰龙山,上多寓木1,其上多碧,其下多赤锡,其草多桃枝钩端。   1 郭璞云:“寄生也,一名宛童;见尔雅。”   又东南五十里,曰衡山,上多寓木榖柞,多黄垩白垩。   又东南七十里,曰石山,其上多金,其下多青雘,多寓木。   又南百二十里,曰若山1,其上多(王雩)琈之玉,多赭2,多邽石3,多寓木,多柘。   1 郭璞云:“若或作前。”   2 郭璞云:“赤土。”   3 郭璞云:“未详。”王念孙云:“下文虎尾之山多封石,邽、封二字必有一误;篇内作邽石者二,作封石者六。”珂案:是邽石当作封石也。郝懿行校同。   又东南一百二十里,曰彘山,多美石,多柘。   又东南一百五十里,曰玉山,其上多金玉,其下多碧铁,其木多柏1。   1 郭璞云:“一作楢。”   又东南七十里,曰灌山1,其木多檀,多邽石,多白锡。郁水出于其上,潜于其下,其中多砥砺。   1 珂案:太平御览卷八一二引此经作濯山。下文邽石亦应作封石。   又东北百五十里,曰仁举之山,其木多榖柞,其阳多赤金,其阴多赭。   又东五十里,曰师每之山,其阳多砥砺,其阴多青雘,其木多柏,多檀,多柘,其草多竹。   又东南二百里,曰琴鼓之山,其木多榖柞椒柘1,其上多白?,其下多洗石2,其兽多豕鹿,多白犀,其鸟多鸩。   1 郭璞云:“椒为树小而丛生,下有草木则?死。”   2 珂案:洗石已见上文西山经首钱来之山。   凡荆山之首,自景山至琴鼓之山,凡二十三山,二千八百九十里。其神状皆鸟身而人面。其祠:用一雄鸡祈瘗1,用一藻圭,糈用稌。骄山,冢也,其祠:用羞酒少牢祈瘗,婴毛2一璧。   1 郭璞云:“祷请已薶之也。”郝懿行云:“祈当为(上几下皿)。”珂案:(上几下皿)见上文中次四经末段注1。   2 珂案:经文婴毛,江绍原中国古代旅行之研究谓当系婴用之误,是也。婴为以玉献神之专称,婴用一璧者,以一璧祠祭于神也。准此,上文用一藻圭,亦疑当作婴用一藻圭,脱婴字。   中次九经岷山之首,曰女几之山,其上多石涅,其木多杻橿,其草多菊(上艹下朮)。洛水出焉,东注于江,其中多雄黄,其兽多虎豹。   又东北三百里,曰岷山,江水出焉,东北流注于海,其中多良龟,多鼍1。其上多金玉,其下多白?,其木多梅棠,其兽多犀象,多夔牛2,其鸟多翰鷩3。   1 郭璞云:“似蜥易,大者长二丈,有鳞彩,皮可以冒鼓。”珂案:吕氏春秋古乐篇云:“帝顓頊乃令?先為樂倡,?乃偃寢,以其尾鼓其腹,其音英英。”?音駝,即鼉之或字,是關於鼉之神話也。   2 郭璞云:“今蜀山中有大牛,重数千斤,名为夔牛,即尔雅所谓魏。”珂案:郭注魏,今本尔雅作犩。   3 郭璞云:“白翰赤鷩。”   又东北一百四十里,曰崃山,江水出焉,东流注大江1。其阳多黄金,其阴多麋麈,其木多檀柘,其草多?韭,多药2空夺3。   1 珂案:经文东流注大江,汪绂本、毕沅校本注下并有于字,王念孙校亦增于字。   2 珂案:药,白芷也;已见上文西次四经号山。   3 汪绂云:“空夺即寇脱也。”珂案:汪说疑是。寇脱已见上文中次五经升山。   又东一百五十里,曰崌1山,江水出焉,东流注于大江,其中多怪蛇2,多(上执下鱼)鱼3,其木多楢4杻,多梅梓,其兽多夔牛¤?犀兕。有鸟焉,状如鸮而赤身白首,其名曰窃脂5,可以御火。   1 郭璞云:“音居。”   2 郭璞云:“今永昌郡有钩蛇,长数丈,尾岐,在水中钩取岸上人、牛、马啖之,又呼马绊蛇,谓此类也。”   3 郭璞云:“音贽;未闻。”   4 郭璞云:“楢,刚木也,中车材;音秋。”   5 郭璞云:“今呼小青雀曲觜肉食者为窃脂,疑非此也。”郝懿行云:“与尔雅窃脂同名异物。”   又东三百里,曰高梁之山,其上多垩,其下多砥砺,其木多桃枝钩端。有草焉,状如葵而赤华,荚实白柎,可以走马。   又东四百里,曰蛇山,其上多黄金,其下多垩,其木多栒,多橡章,其草多嘉荣、少辛。有兽焉,其状如狐,而白尾长耳,名(犬也)1狼,见则国内有兵2。   1 汪绂云:“(犬也)音巳。”   2 郭璞云:“一作国有内乱。”   又东五百里,曰鬲山,其阳多金,其阴多白?。蒲(薨鸟)1之水出焉,而东流注于江,其中多白玉。其兽多犀象熊罴,多猿蜼2。   1 郭璞云:“音薨。”   2 汪绂云:“蜼,猿属,仰鼻岐尾,天雨则自悬树,而以尾塞鼻。”   又东北三百里,曰隅阳之山,其上多金玉,其下多青雘,其木多梓桑,其草多茈。徐之水出焉1,东流注于江,其中多丹粟。   1 珂案:经文“其草多茈徐之水出焉”中间,疑有脱文,姑为断句如此。   又东二百五十里,曰岐山,其上多白金,其下多铁,其木多梅1梓,多杻楢。减水2出焉,东南流注于江。   1 郭璞云:“梅或作(上艹下敏)。”   2 郝懿行云:“刘昭郡国志注引此经作城水,城疑碱字之讹,或古本减有作碱者也。”   又东三百里,曰勾檷1之山,其上多玉,其下多黄金,其木多栎柘,其草多芍药。   1 珂案:檷音弭。   又东一百五十里,曰风雨之山,其上多白金,其下多石涅,其木多棷樿1,多杨。宣余之水出焉,东流注于江,其中多蛇2。其兽多闾麋,多麈豹虎3,其鸟多白鷮。   1 郭璞云:“棷木,未详也;樿木白理,中栉。驺善二音。”   2 郝懿行云:“水蛇也。”   3 珂案:经文疑当作其兽多闾麋麈,多豹虎;多麈二字适倒。   又东北二百里,曰玉山,其阳多铜,其阴多赤金,其木多豫章楢杻,其兽多豕鹿¤?,其鸟多鸩。   又东一百五十里,曰熊山。有穴焉,熊之穴,恒出神人。夏启而冬闭;是穴也,冬启乃必有兵1。其上多白玉,其下多白金,其木多樗柳,其草多寇脱。   1 珂案:太平御览卷五四引此经,熊之穴作熊穴;冬启作若冬启夏闭。   又东一百四十里,曰騩山,其阳多美玉赤金,其阴多铁,其木多桃枝荆芭1。   1 郝懿行云:“芭盖芑字之讹,芑又杞之假借字也。南次二经云:『虖勺之山,其下多荆杞。』中次十一经云:『历石之山,其木多荆芑。』并以荆芑连文,此误审矣。”珂案:宋本、吴宽抄本芭正作芑。   又東二百里曰葛山,其上多赤金,其下多瑊石1,其木多柤栗橘?楢杻,其獸多¤?,其草多嘉榮。   1 珂案:文选子虚赋云:“瑊玄厉。”张揖注云:“瑊、,石之次玉者。”如淳云:“瑊,音缄;,音勒。”据此,经文瑊石石字疑衍。   又東一百七十里,曰賈超之山,其陽多黃堊,其陰多美赭,其木多柤栗橘?,其中多龍脩1。   1 郭璞云:“龙须也;似莞而细,生山石穴中,茎倒垂,可以为席。”珂案:古今注云:“世称皇帝(黄帝)炼丹于凿砚山,乃得仙,乘龙上天。群臣援龙须,须堕而生草,曰龙须。”是关于龙须(须)之神话,修、须声近而转耳。   凡岷山之首,自女几山至于贾超之山,凡十六山,三千五百里。其神状皆马身而龙首。其祠:毛用一雄鸡瘗,糈用稌。文山1、勾檷、风雨、騩之山2,是皆冢也,其祠之:羞酒3,少牢具,婴毛4一吉玉。熊山,席也5,其祠:羞酒,太牢具,婴毛一璧。干,用兵以禳6;祈,璆冕舞7。   1 郝懿行云:“此上无文山,盖即岷山也;史记又作汶山,并古字通用。”   2 珂案:经文騩之山,疑衍之字。   3 郭璞云:“先进酒以酹神。”   4 珂案:经文婴毛一吉玉与下文婴毛一璧毛字,当俱系用字之讹,说已见上文中次八经末段注2。   5 郭璞云:“席者,神之所冯止也。”郝懿行云:“席当为帝,字形之讹也;上下经文并以帝冢为对,此讹作席,郭氏意为之说,盖失之。”珂案:郝说是也,王念孙亦校席作帝。   6 郭璞云:“禳,祓除之祭名;者,持盾武舞也。”   7 汪绂云:“求福祥则祭用璆玉,舞者用冕服以舞也。”珂案:璆音求;尔雅释器云:“璆、琳,玉也。”郭璞注:“美玉名。”二句意当为禳则干舞,祈则冕服持玉以舞也。   中次十经之首,曰首阳之山,其上多金玉,无草木。   又西五十里,曰虎尾之山,其木多椒椐,多封石1,其阳多赤金,其阴多铁。   1 郝懿行云:“本草别录云:『封石味甘,无毒,生常山及少室。』下文游戏之山、婴侯之山、丰山、服山、声匈之山并多此石。”   又西南五十里,曰繁缋1之山,其木多楢杻,其草多枝勾2。   1 郭璞云:“音溃。”   2 汪绂云:“枝句,盖桃枝句端也。”   又西南二十里,曰勇石之山,无草木,多白金,多水。   又西二十里,曰复州之山,其木多檀,其阳多黄金。有鸟焉,其状如鸮,而一足彘尾,其名曰跂踵1,见则其国大疫。   1 郭璞云:“音企。”珂案:太平御览卷七四二引此经彘尾作彘毛,跂踵作企踵。   又西三十里,曰楮山1,多寓木,多椒椐,多柘,多垩。   1 郭璞云:“一作渚州之山。”   又西二十里,曰又原之山,其陽多青雘,其陰多鐵,其鳥多?鵒1。   1 郭璞云:“鸲鹆也。传曰:『鸲鹆来巢。』音臞。”   又西五十里,曰涿山,其木多榖柞杻,其阳多(王雩)琈之玉。   又西七十里,曰丙山,其木多梓檀,多(弓欠)杻1。   1 郭璞云:“(弓欠)义所未详。”郝懿行云:“方言云:『(弓欠),长也;东齐曰(弓欠)。』郭注云:『(弓欠),古矧字。』然则(弓欠)杻,长杻也。杻为木多曲少直,见陆玑诗疏。此杻独长,故着之。俟考。”   凡首阳山之首,自首山1至于丙山,凡九山,二百六十七里。其神状皆龙身而人面。其祠之:毛用一雄鸡瘗,糈用五种之糈。堵山,冢也,其祠之:少牢具,羞酒祠,婴毛2一璧瘗。騩山,帝也,其祠羞酒,太牢其3;合巫祝二人,婴一璧。   1 郝懿行云:“首山即首阳山。”   2 珂案:经文婴毛,仍当是婴用之讹,说已见上文中次八经末段注2。   3 郝懿行云:“其当为具字之讹。”   中次一十一山经1荆山之首,曰翼望之山。湍2水出焉,东流注于济;贶3水出焉,东南流注于汉,其中多蛟4。其上多松柏,其下多漆梓,其阳多赤金,其阴多?。   1 珂案:经文原当作中次一十一山,迨刘秀校录此书,始改山为经,亦有改而未尽者,即此是也,于是山、经二字乃互相抵触矣。吴任臣本挖去山字,空出一格,殆亦已知其为抵触,却不知去经存山始符原貌也。说见海经新释卷一篇首注1。   2 珂案:湍音专。   3 郭璞云:“音况。”   4 郭璞云:“似蛇而四脚,小头细颈,(颈)有白瘿,大者十数围,卵如一二石瓮,能吞人。”   又东北一百五十里,曰朝歌1之山。潕2水出焉,东南流注于荥,其中多人鱼。其上多梓柟,其兽多¤麋。有草焉,名曰莽草3,可以毒鱼。   1 汪绂云:“此非河北纣都之朝歌。”珂案:上文已有朝歌之山,见中次五经。   2 郭璞云:“音武。”   3 汪绂云:“即芒草也。”珂案:芒草已见上文中次二经葌山。   又东南二百里,曰帝囷之山1,其阳多(王雩)琈之玉,其阴多铁。帝囷之水出于其上,潜于其下,多鸣蛇2。   1 郝懿行云:“囷,广韵引作箘。”   2 珂案:鸣蛇已见上文中次二经鲜山。   又东南五十里,曰视山,其上多韭。有井焉,名曰天井,夏有水,冬竭1。其上多桑,多美垩金玉。   1 珂案:中次五经云:“超山有井,冬有水而夏竭。”与此适反。   又东南二百里,曰前山,其木多槠1,多柏,其阳多金,其阴多赭。   1 郭璞云:“似柞子,可食,冬夏生(青),作屋柱难腐;音诸,或作储。”   又东南三百里,曰丰山。有兽焉,其状如蝯1,赤目、赤喙、黄身,名曰雍和,见则国有大恐。神耕父2处之,常游清泠之渊,出入有光3,见则其国为败。有九钟焉,是知霜鸣4。其上多金,其下多榖柞杻橿。   1 珂案:蝯同猿,即今猿字。   2 珂案:刘昭注后汉书郡国志引文选南都赋注云:“耕父,旱鬼也。”其注礼仪志引东京赋注同,今注并无之。   3 郭璞云:“清泠水在西鄂县山上,神来时水赤有光耀,今有屋祠之。”   4 郭璞云:“霜降则钟鸣,故言知也。”郝懿行云:“北堂书钞一百八卷引此经及郭注知并作和,疑今本字形之讹。”   又东北八百里,曰兔床之山,其阳多铁,其木多藷藇1,其草多鸡谷,其本如鸡卵,其味酸甘,食者利于人。   1 汪绂云:“藷藇非木也,此疑当是槠芧,芧,小栗也。”   又东六十里,曰皮山,多垩,多赭,其木多松柏。   又东六十里,曰瑶碧之山1,其木多梓柟,其阴多青雘,其阳多白金。有鸟焉,其状如雉,恒食蜚2,名曰鸩3。   1 珂案:艺文类聚卷八九引此经瑶作摇。   2 郭璞云:“蜚,负盘也;音翡。”郝懿行云:“蜚见尔雅,郭注云:『蜚,负盘,臭虫。』”   3 郭璞云:“此更一种鸟,非食蛇之鸩也。”珂案:食蛇鸩已见上文中次八经女几山。   又东四十里,曰支离1之山。济水2出焉,南流注于汉。有鸟焉,其名曰婴勺,其状如鹊,赤目、赤喙、白身,其尾若勺3,其鸣4自呼。多(牛乍)牛,多羬羊。   1 珂案:经文支离,王念孙、孙星衍、郝懿行并校作攻离。   2 珂案:经文济水,王念孙、郝懿行并校作淯水。   3 郭璞云:“似酒勺形。”郝懿行云:“鹊尾似勺,故后世作鹊尾勺,本此。”   4 珂案:经文鸣,吴宽抄本作名。   又东北五十里,曰祑(上竹下周)1之山,其上多松柏机柏2。   1 郭璞云:“音雕。”   2 珂案:经文机柏,宋本作机桓,王念孙、郝懿行亦并校作机桓,云即无患子,可以浣衣去垢。   又西北一百里,曰堇理之山,其上多松柏,多美梓,其阴多丹雘,多金,其兽多豹虎。有鸟焉,其状如鹊,青身白喙,白目白尾,名曰青耕,可以御疫,其鸣自叫。   又东南三十里,曰依(车古)1之山,其上多杻橿,多苴2。有兽焉,其状如犬,虎爪有甲,其名曰?3,善(马央)(上分下牛)4,食者不风5。   1 郭璞云:“音枯。”   2 郭璞云:“未详;音葅。”郝懿行云:“经内皆云其木多苴,疑苴即柤之假借字也;柤之借为苴,亦如杞之借为芑矣。”   3 郭璞云:“言体有鳞甲;音吝。”   4 郭璞云:“跳跃自扑也;鞅奋两音。”   5 郭璞云:“不畏天风。”汪绂云:“或云无风疾也。”   又东南三十五里曰即谷之山,多美玉,多玄豹1,多闾麈,多¤?。其阳多?,其阴多青雘。   1 郭璞云:“黑豹也,即今荆州山中出(之)黑虎也。”   又东南四十里,曰鸡山,其上多美梓,多桑,其草多韭。   又东南五十里,曰高前之山。其上有水焉,甚寒而清1,帝台之浆2也,饮之者不心痛。其上有金,其下有赭。   1 郭璞云:“或作潜。”   2 珂案:经文帝台之浆,艺文类聚卷八引浆下有水字,太平御览卷五九同。中次七经休与之山有帝台之棋,为帝台所以祷百神者;又有鼓钟之山,为帝台所以觞百神者,则帝台者,盖治理一方之小天帝,犹人间徐偃王之类是也。晋书束皙传云:“穆天子传五篇,言周穆王游行四海,见帝台、西王母。”今本穆传已无帝台事,盖阙佚也。   又东南三十里,曰游戏之山,多杻橿榖,多玉,多封石。   又东南三十五里,曰从山,其上多松柏,其下多竹。从水出于其上,潜于其下,其中多三足鳖,枝尾1,食之无蛊疫2。   1 郭璞云:“三足鳖名能,见尔雅。”   2 王念孙云:“疫字因下文其国大疫而误,当为疾;上文云,(鱼帝)鱼食之无蛊疾。”珂案:(鱼帝)鱼已见中次七经少室之山。   又东南三十里,曰婴(石垔)1之山,其上多松柏,其下多梓2。   1 郭璞云:“音真。”   2 郝懿行云:“即杶字,见说文。”   又东南三十里,曰毕山。帝苑之水出焉,东北流注于视1,其中多水玉,多蛟。其上多(王雩)琈之玉。   1 汪绂云:“视当作瀙,今南阳汝宁间有瀙水。”   又东南二十里,曰乐马之山。有兽焉,其状如汇1,赤如丹火,其名曰(犬戾)2,见则其国大疫。   1 吴任臣云:“汇,猬鼠也。”   2 郭璞云:“音戾。”   又东南二十五里,曰葴1山,视水出焉2,东南流注于汝水,其中多人鱼,多蛟,多颉3。   1 珂案:葴音缄。   2 郭璞云:“或曰视宜为瀙,瀙水今在南阳也。”   3 郭璞云:“如青狗。”   又东四十里,曰婴山,其下多青雘,其上多金玉。   又东三十里,曰虎首之山,多苴椆1椐。   1 郭璞云:“椆,未详也;音雕。”郝懿行云:“类篇云:『椆寒而不凋。』”   又东二十里,曰婴之山,其上多封石,其下多赤锡。   又东五十里,曰大孰之山。杀水出焉,东北流注于视水1,其中多白垩。   1 郝懿行云:“视当为瀙。水经注云:『瀙水又东北,杀水出西南大孰之山,东北流注于瀙。』”   又东四十里,曰卑山,其上多桃李苴梓,多累1。   1 郭璞云:“今虎豆狸豆之属;累一名縢,音诔。”   又东三十里,曰倚帝之山,其上多玉,其下多金。有兽焉,状如鼣鼠1,白耳白喙,名曰狙1如,见则其国有大兵。   1 郭璞云:“尔雅说鼠有十三种,中有此鼠,形所未详也。音狗吠之吠。”   2 汪绂云:“狙音蛆。”   又东三十里,曰鲵山,鲵水出于其上,潜于其下,其中多美垩。其上多金,其下多青雘。   又东三十里,曰雅山。澧水出焉,东流注于视水,其中多大鱼。其上多美桑,其下多苴,多赤金。   又东五十五里,曰宣山。沦水出焉,东南流注于视水1,其中多蛟。其上有桑焉,大五十尺2,其枝四衢3,其叶大尺余,赤理黄华4青柎,名曰帝女之桑5。   1 珂案:经文五十五里,宋本、毛扆本均无下五字。经文视水,郝懿行校仍当作瀙水。   2 郭璞云:“围五丈也。”   3 郭璞云:“言枝交互四出。”   4 珂案:经文黄华,艺文类聚卷八十八引作青华,太平御览卷九五五引作青叶。   5 郭璞云:“妇女主蚕,故以名桑。”珂案:太平御览卷九二一引广异记云:“南方赤帝女学道得仙,居南阳崿山桑树上,赤帝以火焚之,女即升天,因名曰帝女桑。”毕沅云:“案水经注,(宣)山在今河南泌阳县界,今失名。”泌阳县,汉时称比阳县,属南阳郡,则宣山即崿山矣,宣山帝女之桑即崿山帝女桑也。赤帝女居此桑火焚升天,故桑以帝女而名,郭释以“妇女主蚕”云云,殊未谛也。   又東四十五里,曰衡山1,其上多青雘,多桑,其鳥多?鵒。   1 郭璞云:“今衡山在衡阳湘南县,南岳也,俗谓之岣嵝山。”珂案:此衡山非南岳衡山,郭注以为即南岳衡山,失之,见海经新释卷十三“三天子之都山”节注1。   又东四十里,曰丰山1,其上多封石,其木多桑,多羊桃,状如桃而方茎2,可以为皮张3。   1 珂案:上文已有丰山,此山盖与连麓而别一山,非重出也。   2 郭璞云:“一名鬼桃。”   3 郭璞云:“治皮肿起。”   又东七十里,曰妪山,其上多美玉,其下多金,其草多鸡谷。   又东三十里,曰鲜山,其木多楢杻苴,其草多?冬,其阳多金,其阴多铁。有兽焉,其状如膜大1,赤喙、赤目、白尾,见则其邑有火2,名曰(犬多)即3。   1 郝懿行云:“大当为犬字之讹,广韵作犬,可证。膜犬者,即西膜之犬,今其犬高大浓毛,猛悍多力也。”   2 郝懿行云:“广韵说(犬多)即出则大兵。”   3 郭璞云:“音移。”   又东三十里,曰章山1,其阳多金,其阴多美石。皋水出焉,东流注于澧水,其中多?石2。   1 郭璞云:“或作童山。”郝懿行云:“经章山当为皋山,注童山当为章山,并字形之讹也。见水经注。”珂案:王念孙校同郝注。   2 郭璞云:“未闻。”珂案:?,俗作脆;郝懿行云:“说文云:『?,小耎易断也。』此石耎薄易碎,故以名焉。”   又东二十五里,曰大支之山,其阳多金,其木多榖柞,无草木1。   1 珂案:经文无草木,宋本、毛扆本均止作无草,何焯校亦衍木字,郝懿行校同:木字实衍。   又东五十里,曰区吴之山,其木多苴。   又东五十里,曰声匈之山,其木多榖,多玉,上多封石。   又东五十里,曰大騩之山1,其阳多赤金,其阴多砥石。   1 郭璞云:“上已有此山,疑同名。”珂案:大騩山已见中次七经。   又东十里,曰踵臼之山,无草木。   又东北七十里,曰历1石之山,其木多荆芑,其阳多黄金,其阴多砥石。有兽焉,其状如狸,而白首虎爪,名曰梁渠,见则其国有大兵。   1 郭璞云:“或作磨。”   又东南一百里,曰求山。求水出于其上,潜于其下,中有美赭。其木多苴,多(上竹下媚)1。其阳多金,其阴多铁。   1 郭璞云:“筱属。”郝懿行云:“筱,箭,见尔雅。又中次十二经云:『暴山多竹箭(上竹下媚)箘。』是(上竹下媚)亦箘属,中箭也。”   又东二百里,曰丑阳之山,其上多椆椐。有鸟焉,其状如乌而赤足,名曰(鸟只)鵌1,可以御火。   1 珂案:(鸟只)鵌音枳徒。宋本、毛扆本、汪绂本并作(鸟只)余。   又东三百里,曰奥山,其上多柏杻橿,其阳多(王雩)琈之玉。奥水出焉,东流注于视水。   又东三十五里,曰服山,其木多苴,其上多封石,其下多赤锡。   又东百十里1,曰杳山,其上多嘉荣草,多金玉。   1 珂案:经文百十里,宋本、吴宽抄本、毛扆本、汪绂本、吴任臣本、毕沅校本并作三百里。   又东三百五十里,曰几山,其木多楢檀杻,其草多香1。有兽焉,其状如彘,黄身、白头、白尾,名曰闻驎(马改犬)2,见则天下大风。   1 郝懿行云:“草多香者,即如下文洞庭之山草多葌蘼芜芍药芎藭之属也。”   2 郭璞云:“音邻;驎(马改犬)亦作粼,音瓴。”   凡荆山之首,自翼望之山至于几山,凡四十八山,三千七百三十二里。其神状皆彘身人首。其祠:毛用一雄鸡祈1,瘗用一珪,糈用五种之精2。禾山3帝也,其祠:太牢之具,羞瘗,倒毛4;用一璧,牛无常5。堵山、玉山冢也6,皆倒祠7,羞毛少牢,婴毛吉玉8。   1 郝懿行云:“祈当为(上几下皿)。”   2 郭璞云:“备五谷之美者。”珂案:谓用五种精米以祀神;中次十经末云:“糈用五种之糈。”此精字或是糈字之讹。   3 郝懿行云:“上文无禾山,或云帝囷山之脱文,或云求山之误文。”   4 郭璞云:“荐羞反倒牲薶之也。”   5 汪绂云:“不必牺牷具也。”   6 郝懿行云:“堵山见中次十经,玉山见中次八、九经,此经都无此二山,未审何字之讹。”   7 郝懿行云:“倒祠,亦谓倒毛也。”   8 珂案:经文婴毛吉玉,江绍原亦以为毛系用字之讹,已见上文中次八经末段注2。   中次十二经洞庭山之首,曰篇1遇之山,无草木,多黄金。   1 郭璞云:“或作肩。”   又东南五十里,曰云山,无草木。有桂竹,甚毒,伤人必死。其上多黄金,其下多(王雩)琈之玉1。   1 珂案:初学记卷二十八引此经云:“云山之上,其实干腊。”又引郭注云:“腊干,梅也。”今经无之,盖脱。   又东南一百三十里,曰龟山,其木多榖柞椆椐,其上多黄金,其下多青雄黄,多扶竹1。   1 郭璞云:“邛竹也。高节实中,中杖也;名之扶老竹。”   又东七十里,曰丙山,多筀竹1,多黄金铜铁,无木。   1 郝懿行云:“筀亦当为桂,桂阳所生竹,因以为名也。”   又东南五十里,曰风伯之山1,其上多金玉,其下多酸石2文石,多铁,其木多柳杻檀楮。其东有林焉,名曰莽浮之林,多美木鸟兽。   1 珂案:初学记卷二十八引此经作凤伯之山,风、凤古本一字也。   2 郭璞云:“未详酸石之义。”吴任臣云:“酸,苏官反,音酸。”   又东一百五十里,曰夫夫之山,其上多黄金,其下多青雄黄,其木多桑楮,其草多竹、鸡鼓1。神于儿居之,其状人身而身操两蛇,常游于江渊,出入有光。   1 毕沅云:“即上鸡谷草,谷、鼓声相近。”   又東南一百二十里,曰洞庭之山,其上多黃金,其下多銀鐵,其木多柤梨橘?,其草多葌蘪蕪1芍藥芎藭。帝之二女居之2,是常游于江渊。澧沅之风,交潇湘之渊,是在九江之闲,出入必以飘风暴雨。是多怪神,状如人而载蛇3,左右手操蛇。多怪鸟。   1 郭璞云:“蘪芜,似蛇床而香也。”   2 郭璞云:“天帝之二女而处江为神也。”汪绂云:“帝之二女,谓尧之二女以妻舜者娥皇女英也。相传谓舜南巡狩,崩于苍梧,二妃奔赴哭之,陨于湘江,遂为湘水之神,屈原九歌所称湘君、湘夫人是也。”珂案:尧之二女即天帝之二女也,盖古神话中尧亦天帝也。参见海经新释卷七“宵明、烛光”节注7及卷十三“苍梧丘”节注2。   3 郝懿行云:“载亦戴也,古字通。”   又东南一百八十里,曰暴山1,其木多棕柟荆芑竹箭(上竹下媚)箘2,其上多黄金玉,其下多文石铁,其兽多麋鹿?3就4。   1 珂案:文选鹪鹩赋注引此经作景山。   2 郭璞云:“箘亦筱类,中箭;见禹贡。”   3 珂案:?音几,即麂。   4 郭璞云:“就,鵰也;见广雅。”珂案:王念孙于就上校增其鸟多三字。   又东南二百里,曰即公之山1,其上多黄金,其下多(王雩)琈之玉,其木多柳杻檀桑。有兽焉,其状如龟,而白身赤首,名曰蛫2,是可以御火。   1 珂案:史记司马相如传云:“螹胡豰蛫。”索隐载姚氏引此经作即山,无公字;作山经,无海字。   2 郭璞云:“音诡。”   又东南一百五十九里,有尧山,其阴多黄垩,其阳多黄金,其木多荆芑柳檀,其草多藷藇(上艹下朮)。   又东南一百里,曰江浮之山,其上多银砥砺,无草木,其兽多豕鹿。   又东二百里1,曰真陵之山,其上多黄金,其下多玉,其木多榖柞柳杻,其草多荣草2。   1 珂案:毕沅校本东下有南字。   2 珂案:荣草已见上文中山经首鼓镫之山。   又东南一百二十里,曰阳帝之山,多美铜,其木多橿杻?1楮,其兽多¤麝。   1 珂案:?,山桑也;音掩。   又南九十里,曰柴桑之山,其上多银,其下多碧,多泠石1赭,其木多柳芑楮桑,其兽多麋鹿,多白蛇飞蛇2。   1 珂案:泠石当作?石,已见上文中次四经厘山。   2 郭璞云:“即螣蛇,乘雾而飞者。”珂案:韩非子十过篇云:“昔者黄帝合鬼神于西泰山之上,腾蛇伏地。”谓此也。一作螣蛇,见尔雅释鱼。   又东二百三十里1,曰荣余之山,其上多铜,其下多银,其木多柳芑,其虫2多怪蛇怪虫。   1 珂案:宋本、毛扆本,东下有南字,何焯、黄丕烈、周叔弢校同。   2 郝懿行云:“海外南经云,南山人以虫为蛇。”   凡洞庭山之首,自篇遇之山至于荣余之山,凡十五山,二千八百里。其神状皆鸟身而龙首。其祠:毛用一雄鸡、一牝豚(气刀)1,糈用稌。凡夫夫之山、即公之山、尧山、阳帝之山皆冢也,其祠:皆肆瘗2,祈用酒,毛用少牢,婴毛3一吉玉。洞庭、荣余山神也,其祠:皆肆瘗4,祈酒太牢祠,婴用圭璧十五,五采惠之5。   1 郭璞云:“(气刀)亦割刺之名。”   2 郭璞云:“肆,陈之也;陈牲玉而后薶藏之。”   3 珂案:经文婴毛,江绍原亦以为是婴用之误,已见上文。   4 郭璞云:“肆竟然后依前薶之也。”   5 郭璞云:“惠犹饰也;方言也。”郝懿行云:“惠义同藻绘之绘,盖同声假借字也。”   右中经之山志,大凡百九十七山,二万一千三百七十一里。大凡天下名山五千三百七十(珂案:后汉书郡国志刘昭注引此经作名山五千三百五十),居地,大凡六万四千五十六里。   禹曰:天下名山,经1五千三百七十山,六万四千五十六里2,居地也。言其五臧3,盖其余小山甚众,不足记云。天地之东西二万八千里,南北二万六千里,出水之山者八千里,受水者八千里,出铜之山四百六十七,出铁之山三千六百九十4。此天地之所分壤树谷也,戈矛之所发也,刀铩5之所起也,能者有余,拙者不足6。封于太山,禅于梁父,七十二家7,得失之数,皆在此内,是谓国用8。   1 郝懿行云:“经言禹所经过也。”珂案:郝说是也,见海经新释卷一篇首注1。   2 珂案:刘昭注郡国志引此经作名山五千三百五十,经六万四千五十六里。   3 郝懿行云:“藏,古字作臧,才浪切;汉书云,山海天地之臧,故此经称五臧。”   4 珂案:刘昭注郡国志引此经作三千六百九,无十字;又上句作出水者八千里,无之山二字。管子地数篇同。   5 珂案:管子地数篇作刀币。   6 珂案:刘昭注郡国志作俭则有余,奢则不足。   7 郭璞云:“管子地数云:『封禅之王,七十二家也。』珂案:此为管仲对齐桓公之言,非禹言也。   8 毕沅云:“自此天地之分壤树谷者已下,当是周秦人释语,旧本乱入经文。”郝懿行云:“今案自禹曰已下,盖皆周人相传旧语,故管子援入地数篇,而校书者附着五臧山经之末。”   右五臧山经五篇,大凡一万五千五百三字(郝懿行云:今二万一千二百六十五字)。   山海经海经新释卷一  山海经1第六2    海外南经3   1 珂案:山海经之“经”,乃“经历”之“经”,意谓山海之所经,初非有“经典”之义。书君奭:“弗克经历。”注:“不能经久历远。”此“经历”连文之最早者也。孟子尽心下篇:“经德不回。”注:“经,行也。”犹与“经历”之义为近。至于由“常”、“法”之“经”引申而为“经典”之“经”乃较晚矣。史记大宛传称“禹本纪、山海经所有怪物,余不敢言之”,山海经之名见于载籍者始此。以好奇如司马迁者,尚以此书与禹本纪(已佚)同列而谓“不敢言之”,其在彼眼光中为过于荒怪之书可知。则山海经乃其固有之名,非后人亦非史公以其重要而特尊之为“经”也。考先秦典籍之称经者唯墨家书,庄子天下篇:“苦获、已齿、邓陵子之徒,俱诵墨经。”是其证。今墨子篇目中有经与经说,墨书之称经盖有由矣。然孙诒让墨子闲诂犹谓此数篇为“战国之时,墨家别传之学,不尽墨子之本恉”。管子书前九篇亦称“经言”,以下各篇,称“外言”、“内言”、“短语”、“区言”、“杂篇”等,似已具经传并收之体例,然犹未径以“经”名。儒家书如诗、书、易、礼、春秋等,虽后世均特尊之为“经”,而在称引山海经之太史公书中,则尚未着“经”字(见史记太史公自序)。庄子天运篇虽有“孔子谓老聃曰:丘治诗、书、礼、乐、易、春秋六经”语,然说者多谓是后人所羼,殆不足凭信。观乎此,则山海经尤以其中成书较早之五臧(藏)山经(约成于战国时代)之称“经”,其非“经典”而只是“经历”之意,亦可以明矣。求其内证,可得而言者凡四:   一、古山经于每篇末尾,但云“右西经之山,凡若干山、若千里”,或“东经之山,凡若干山、若干里”,所谓“西经”、“东经”者,决当是“经历”之义而非“经典”之义,本甚明白。迨经刘秀校录整理,于每篇之首加“西山经”、“东山经”等标题,后人不明古谊,遂因刘秀之题,妄于“山”下加“志”字,成为“东经之山志,凡若干山、若干里”等等,遂模胡而不甚可解,“经历”之义始晦而“经典”之义转着。幸西山经末有“右西经之山,凡七十七山、一万七千五百一十七里”一条,偶遗落未加“志”字,尚得略窥古书本貌。郝懿行于下注云:“案山下脱志字。”其实原无“志”字,非“脱”也。   二、“南山经之首曰鹊山”,文选头陀寺碑文注引此无“经”字,无“经”字是也。“南山经之首”云云,非著书人应有之语而系尊经者之语,文亦杆格难通。若“南山之首”则明白晓畅而立言得体矣。推而论之,已下“南次二经”、“南次三经”等,均当是“南次二山”、“南次三山”等。改“山”为“经”,自当是刘秀校录此书时所为。亦有改而未尽者,如“中次一十一山经”,于刘秀体例本当作“中次一十一经”,此“山”字即系删改而未尽者。   三、山经末有“禹曰:天下名山经,五千三百七十山,六万四千五十六里,居地也”云云,刘昭注后汉书郡国志引此经则作“名山五千三百五十,经六万四千五十六里”,“经”为“经历”之“经”,其义尚显,迨移上成为“名山经”,“经典”之义遂着而“经历”之义则晦矣。清郝懿行着山海经笺疏,于“名山经”下特加注云:“经,言禹所经过也”,以其卓识,犹知此“经”之义为“经历”,恐人误解为“经典”,故注以阐明之,可知以此为“经历”而不以为“经典”者盖鲜矣。   四、海外南经、海外西经等原来篇首标题,亦均仅作“海外自西南陬至东南陬者”、“海外自西南陬至西北陬者”……,云“自某所至某所”,犹均是“经历”之义,迨校录者题以“海外南经”、“海外西经”等字样,“经历”之义始晦而“经典”之义着矣。   2 珂案:山海经共分十八卷:即第一,南山经;第二,西山经;第三,北山经;第四,东山经;第五,中山经;第六,海外南经;第七,海外西经;第八,海外北经;第九,海外东经;第十,海内南经;第十一,海内西经;第十二,海内北经;第十三,海内东经;第十四,大荒东经;第十五,大荒南经;第十六,大荒西经;第十七,大荒北经;第十八,海内经。前五篇称五臧(藏)山经,又简称山经;后十三篇无专名,以其以海外、海内各经为主,当名之为海经(毕沅说)。此篇为海经首篇,于全书之次,则居第六,故标题为“山海经第六”。   3 毕沅云:“此秀(刘秀--珂)所题也,下同。”   地之所载,六合之闲1,四海之内,照之以日月,经之以星辰,纪之以四时,要之以太岁2,神灵所生,其物异形3,或夭或寿,唯圣人能通其道4。   1 郭璞云:“四方上下为六合也。”   2 珂案:已上淮南子墬形篇用此文,唯“四海”作“四极”,“照之”作“昭之”。高诱注“要之以太岁”云:“要,正也,以太岁所在,正天时也。”案太岁有年太岁、月太岁、旬中太岁之别。年太岁亦名岁阴、太阴,亦曰青龙、天一,昔时所称以纪岁者。此所谓太岁,即年太岁。   3 毕沅云:“列子汤问篇『夏革曰大禹曰六合之闲』云云凡四十七字,正用此文。”又云:“此无者,盖此文承上卷『禹曰天下名山』云云,刘秀分为二卷耳。”珂案:毕说是也。又汤问篇“其物异形”作“其物其形”,与下文“或夭或寿”对,正是。   4 郭璞云:“言自非穷理尽性者,则不能原极其情状。”珂案:宋淳熙七年池阳郡斋尤袤刻本(以下简称宋本)、明藏经本、清汪绂本、吴任臣本、百子全书本、毕沅校本“情状”均作“情变”,作“情变”是也。   海外自西南陬1至东南陬者2。   1 郭璞云:“陬犹隅也,音驺。”   2 珂案:山海经海外各经已下文字,意皆是因图以为文,先有图画,后有文字,文字仅乃图画之说明。故郭璞注此,屡云“画似仙人也”(海外南经),“画亦似仙人也”(海外南经),“画四面各乘云车,驾二龙”(海内北经),“亦在畏兽画中”(大荒北经),等等;陶潜读山海经诗,亦有“流观山海图”之语,知本以图为主而以文字为辅。故此标题亦从图画之顺序而曰“海外自西南陬至东南陬者”,或“海内东南陬以西者”(海内南经)。已下各篇均同此。   结匈国1在其2西南,其为人结匈3。   1 毕沅云:“淮南子墬形训有结胸民,作『胸』,非。”珂案:淮南子墬形篇云:“凡海外三十六国:自西北至西南方,有修股民、天民、肃慎民、白民、沃民、女子民、丈夫民、奇股民、一臂民、三身民;自西南至东南方,结胸民、羽民、讙头国民、裸国民、三苗民、交股民、不死民、穿胸民、反舌民、豕喙民、凿齿民、三头民、修臂民;自东南至东北方,有大人国、君子国、黑齿民、玄股民、毛民、劳民;自东北至西北方,有跂踵民、句婴民、深目民、无肠民、柔利民、一目民、无继民。”俱本此经文为说。唯自西北至西南方,多天民,无巫咸国、轩辕国;自西南至东南方,多裸国民、豕喙民、凿齿民,无厌火国、臷国、周饶国;自东南至东北方,无青丘国、雨师妾国(即海外东经所记雨师妾,郝懿行谓是国名,详该节注);自东北至西北方,无聂耳国、夸父国(“夸”字海外北经原作“博”,非,详该节注):是其异。   2 珂案:此“其”字指邻近结匈国“海外自西南陬至西北陬”(海外西经)之灭蒙鸟;所谓“灭蒙鸟在结匈国北,为鸟青,赤尾”者是也。   3 郭璞云:“臆前胅出,如人结喉也。”郝懿行云:“说文(四)云:『胅,骨差也,读与跌同。』郭注尔雅(释畜)『犦牛』云:『领上肉暴胅起。』义与此同。”珂案:结匈,疑即今之所谓鸡胸。史记秦本纪称“秦王为人……挚鸟膺”,或即此也。   南山在其东南。自此山来,虫为蛇,蛇号为鱼1。一曰南山在结匈东南2。   1 郭璞云:“以虫为蛇,以蛇为鱼。”郝懿行云:“今东齐人亦呼蛇为虫也。埤雅(卷一『?』条)云:『恩平郡谱蛇谓之讹。』盖蛇古字作它,与讹声相近;讹,声转为鱼,故蛇复号鱼矣。”   2 毕沅云:“凡『一曰』云云者,是刘秀校此经时附着所见他本异文也。旧乱入经文,当由郭注此经时升为大字。”   比翼鸟1在其东,其为鸟青、赤2,两鸟比翼。一曰在南山东。   1 吴任臣云:“即蛮蛮也。”珂案:蛮蛮,见西次三经:“崇吾之山,有鸟焉,其状如凫,而一翼一目,相得乃飞,名曰蛮蛮,见则天下大水。”博物志异鸟亦云:“崇邱山有鸟,一足一翼一目,相得而飞,名曰?,见则吉良,乘之寿千岁。”又云:“比翼鸟一赤一青,在参嵎山。”是将一物误记为二。周书王会篇云:“巴人以比翼鸟。”孔晁注云:“巴人,在南者;比翼鸟,不比不飞,其名曰鹣鹣。”鹣鹣盖即蛮蛮之音转也。至于?嬛记(元伊士珍撰)所云:“南方有比翼鸟,飞饮止啄,不相分离,雄曰野君,雌曰观讳,总名长离,言长相离着也。此鸟能通宿命,死而复生,必在一处。”则传说之演变,愈趋而愈繁矣。大荒西经云:“有比翼鸟。”即此。   2 郭璞云:“似凫。”珂案:郭注盖本西次三经蛮蛮“如凫”为说。   羽民国在其东南,其为人长头,身生羽1。一曰在比翼鸟东南,其为人长颊2。   1 郭璞云:“能飞不能远,卵生,画似仙人也。”珂案:淮南子坠形篇有羽民。楚辞远游云:“仍羽人于丹丘兮,留不死之旧乡。”王逸注云:“因就众仙于明光也,丹丘,昼夜常明也。九怀曰:『夕宿乎明光,』明光即丹丘也。山海经言有羽人之国,不死之民。或曰:人得道身生毛羽也。”是以羽民即仙人矣,而郭璞注云:“画似仙人。”又云:“能飞不能远,卵生。”博物志外国亦云:“羽民国民,有翼,飞不远,多鸾鸟,民食其卵。去九疑四万三千里。”观此,则羽民自是殊方一族类,非仙人也。王逸引山海经“羽人之国”以证丹丘之羽人失之;丹丘之羽人则仙也,有说详后“不死民”节中。郭璞山海经图赞云:“鸟喙长颊,羽生则卵;矫翼而翔,能飞不远;人维?属,何状之反。”末二句最能得其本真。   2 郭璞云:“启筮曰:『羽民之状,鸟喙赤目而白首。』”郝懿行云:“文选鹦鹉赋注引归藏启筮曰:『金水之子,其名曰羽蒙,是生百鸟。』即此也,羽民、羽蒙声相转。”   有神人二八,连臂,为帝1司夜于此野2。在羽民东。其为人小颊赤肩3。尽十六人4。   1 珂案:帝,天帝。山海经中凡言帝,均指天帝,而天帝非一:除中次七经“姑媱之山,帝女死焉,其名曰女尸”之“帝”指炎帝、中次十二经“洞庭之山,帝之二女居之”之“帝”指尧而外,其余疑均指黄帝。此处之“帝”,以二八神既在黄帝神鸟毕方(说见后)西,附近又有生赤水上与黄帝神话有密切关系之三珠树(说见后),亦应是黄帝。   2 郭璞云:“昼隐夜见。”杨慎云:“南中夷方或有之,夜行逢之,土人谓之夜游神,亦不怪也。”珂案:淮南子坠形篇云:“有神二人,连臂为帝候夜,在其西南方。”高诱注云:“连臂大呼夜行。”“人”当是“八”之讹,“大呼”则其异闻也。   3 郭璞云:“当脾上正赤也。”珂案:宋本、吴宽抄本、毛扆校本“脾”作“胛”,明藏经本同,作“胛”是也。胛,肩甲,与经文“赤肩”之“肩”义正相应。郝懿行云当作“膊”,“膊”亦“胛”也。   4 郭璞云:“疑此后人所增益语耳。”毕沅云:“郭说是也。此或秀释二八神之文。”   毕方鸟1在其东,青水西2,其为鸟人面3一脚。一曰在二八神东。   1 珂案:西次三经云:“章莪之山,有鸟焉,其状如鹤,一足,赤文、青质而白喙,名曰毕方,其鸣自叫也,见则其邑有讹火。”淮南子泛论篇云:“木生毕方。”高诱注:“毕方,木之精也,状如鸟,青色赤脚,一足,不食五谷。”文选东京赋薛综注:“毕方,老父神,如鸟,两足一翼,常衔火在人家作怪灾也。”说均与此小异。而韩非子十过篇云:“昔者黄帝合鬼神于西泰山之上,驾象车而六蛟龙,毕方并?,蚩尤居前,风伯进扫,雨师洒道,虎狼在前,鬼神在后,腾蛇伏地,凤皇覆上,大合鬼神,作为清角。”则毕方又是黄帝随车之神鸟。实则“毕方”当是“熚烞”一词之音转。神异经西荒经云:“人尝以竹着火中,爆烞而出,臊(山●)皆惊惮。”“爆烞”即“熚烞”也。或又作“烞熚”,集韵曰:“竹火声。”“烞熚”——“熚烞”,盖无非竹木燃烧时嘈杂作声也。音转而为“毕方”,故淮南子云:“木生毕方。”广雅云:“木神谓之毕方。”骈雅云:“毕方兆火鸟也。”则“毕方”者,生于竹木之火,犹今之所谓“火老鸦”也。神话化遂为神鸟毕方,或“见则其邑有讹火”,或“常衔火在人家作怪灾”,又转而为致火之妖物矣。郭璞图赞云:“毕方赤文,离精是炳。旱则高翔,鼓翼阳景。集乃灾流,火不炎上(“上”原作“正”,据匡谬正俗卷七引改,音“省”——珂)。”最能得其概要。   2 珂案:海内西经云:“青水出西南隅以东,又北又西南过毕方鸟东。”   3 郝懿行云:“西次三经说毕方鸟不言人面。”吴承志云:“毕方人面,人面涉下讙头国人面有翼鸟喙而衍。”   讙头国在其南,其为人人面有翼,鸟喙,方捕鱼1。一曰在毕方东。或曰讙朱国2。   1 郭璞云:“讙兜,尧臣,有罪,自投南海而死。帝怜之,使其子居南海而祠之。画亦似仙人也。”珂案:神异经南荒经云:“南方有人,人面鸟喙而有翼,手足扶翼而行,食海中鱼,有翼不足以飞,一名鴅兜。书曰:『放鴅兜于崇山。』一名驩兜。为人狠恶,不畏风雨禽兽,犯死乃休耳。”博物志外国亦云:“驩兜国,其民尽似仙人。帝尧司徒驩兜。民常捕海岛中人面鸟。□去南国万六千里。尽似仙人也。”文有讹挩。均当本此为说。   2 珂案:淮南子坠形篇有讙头国。讙头国或讙朱国当即是丹朱国。邹汉勋读书偶识二云:“驩兜(舜典、孟子)、驩头、驩朱(山海经)、鴅?(尚书大传)、丹朱(益稷),五者一也,古字通用。”童书业丹朱与驩兜(浙江图书馆馆刊四卷五期)亦云:“丹朱、驩兜音近:驩兜古文尚书作鴅?,鴅字从鸟,丹声;?或作●,或作咮,从口,朱声;皆可为丹朱可读为驩兜之证。”盖尧子丹朱不肖,尧以天下让诸舜,三苗之君同情丹朱,而非尧之所为。尧杀三苗之君(见后郭璞注),使“后稷放帝朱于丹水”(海内南经郭璞注引竹书纪年),三苗余众,亦迁居于丹水以就丹朱,是为南蛮(“苗”“蛮”一声之转,“尧战于丹水之浦以服南蛮”或又传为“尧与有苗战于丹水之浦”,是其证)。丹朱与南蛮旋举叛旗,尧乃战之于丹水之浦,人因遂谓“尧杀长子”(庄子盗跖),实则丹朱兵败怀惭,乃自以为“有罪”,因“自投南海而死”,尧“怜之,使其子居南海而祠之”(见前郭璞注),其后子孙繁衍,遂为此讙头国或曰讙朱国,实则当是丹朱国。南次二经云:“柜山有鸟焉,其状如鸱而人手,其音如痹,其名曰鴸,其名自号也,见则其县多放士。”即是丹朱神话之异闻。吴任臣云:“陶潜读山海经诗:『鸼鹅见城邑,其国有放士。』或云鸼鹅当为鴅鴸。”为鴅鴸正是也。   厌1火国在其国2南,兽身黑色,生3火出其口中4。一曰在讙朱东。   1 珂案:厌,音餍,义同餍,饱也,足也。   2 珂案:王念孙校衍“国”字,是也。   3 王念孙云:“类聚(艺文类聚)八十引此无『生』字,御览南蛮六(太平御览卷七九0)同,又『兽身』上有『其为人』三字。御览火部二(卷八六九)引无『生』字。”珂案:博物志外国云:“厌光国民,光出口中,形尽似猿猴,黑色。”“厌火”作“厌光”,“火出其口中”作“光出口中”,亦无“生”字,“生”字实衍。   4 郭璞云:“言能吐火,画似狝猴而黑色也。”珂案:吴任臣云:“本草集解曰:『南方有厌火之民,食火之兽。』注云:『国近黑昆仑,人能食火炭,食火兽名祸斗也。』”则于异人之外又增一异兽矣。明邝露赤雅云:“祸斗,似犬而食犬粪,喷火作殃,不祥甚矣。”冯梦龙情史卷十九“白螺天女”条略谓:吴堪少孤,得一白螺归,螺变为美女,助其炊爨。县宰欲图其妻,先索虾蟆毛及鬼臂二物。后乃索蜗牛,妻牵一兽形如犬者以致之。兽食火而粪火,“宰身及一家,皆为灰烬,遂失吴堪及妻”(按实出唐皇甫氏原化记,见旧小说乙集四,“蜗牛”作“蜗斗”)。此“蜗牛”者,即“祸斗”也。   三株树1在厌火北,生赤水上2,其为树如柏,叶3皆为珠4。一曰其为树若彗5。   1 郝懿行云:“初学记二十七卷引此经作『珠』,淮南坠形训及博物志同。”珂案:作“珠”是也;陶潜读山海经诗云:“粲粲三珠树,寄生赤水阴。”字正作“珠”。   2 郝懿行云:“庄子天地篇云:『黄帝游乎赤水之北,遗其玄珠。』盖本此为说也。”珂案:庄子天地篇云:“黄帝游乎赤水之北,登乎昆仑之丘,而南望还归,遗其玄珠。使知索之而不得,使离朱索之而不得,使吃诟索之而不得也,乃使象罔,象罔得之。黄帝曰:『异哉!象罔乃可以得之乎?』”乃一古老神话传说故事,故淮南子记之,又增攫剟(攫剟原作捷剟,从王念孙说改)。淮南子人闲篇云:“黄帝亡其玄珠,使离朱攫剟索之,而弗能得之也,于是使忽怳而后能得之。”忽怳即象罔也。修务篇亦云:“使未尝鼓瑟者,虽有离朱之明,攫掇之捷,犹不能屈伸其指。”亦云攫掇(攫剟)。可见黄帝失玄珠故事传说汉初已有小异,当非如郝氏所说系本三珠树为说之纯粹寓言也。意者此生赤水上之三珠树,或为黄帝失玄珠神话之别传,为所失玄珠所生树乎?   3 王念孙云:“御览木部三(卷九五四)作实。”珂案:初学记卷二七引仍作叶。   4 珂案:海内西经云:“(昆仑)开明北有珠树。”即此之类。   5 郭璞云:“如彗星状。”郝懿行云:“彗,埽竹也,见说文(三);彗星为欃枪,见尔雅(释天)。”   三苗国1在赤水东,其为人相随2。一曰三毛国3。   1 郭璞云:“昔尧以天下让舜,三苗之君非之,帝杀之,有苗之民,叛入南海,为三苗国。”珂案:淮南子墬形篇有三苗民。修务篇云:“窜三苗于三危。”高诱注云:“三苗盖谓帝鸿氏之裔子浑敦,少昊氏之裔子穷奇,缙云氏之裔子饕餮三族之苗裔。”“盖谓”云者,乃臆想之辞,难于凭信。实则三苗即有苗,亦即苗民。大荒北经云:“颛顼生驩头,驩头生苗民。”即此苗民。苗民实天帝之裔孙。然关于苗民之神话传说,一则以附同蚩尤以抗皇帝(黄帝),故皇帝乃“遏绝苗民”,使“无世在下”(书吕刑);一则以联结丹朱以抗尧,故尧乃“与有苗战于丹水之浦”(汉学堂丛书辑六韬),使败入南海而为三苗国:以其颇表现如高尔基所谓之“反抗神的意愿”(苏联的文学),是以在旧时统治阶级文人笔下,颇见诋諆。至于如神异经所描绘:“有人面目手足皆人形,而胳(腋,音各——珂)下有翼,不能飞。为人饕餮,淫逸无理,名曰苗民。”则轻诋尤甚,不足道矣。   2 珂案:当即相随远徙南海之象也。   3 毕沅云:“苗、毛音相近。”   臷国1在其东,其为人黄,能操弓射蛇2。一曰臷3国在三毛东。   1 郭璞云:“音秩,亦音替。”郝懿行云:“臷疑当为铁(去金),见说文(十)。玉篇作(呈戈),云:『(呈戈),国名也,在三苗东。』本此。”   2 郭璞云:“大荒经云:此国自然有五谷衣服。”珂案:郭注“大荒经”乃大荒南经,云:“有臷民之国。帝舜生无淫,无淫降臷处,是谓巫臷民。巫臷民?姓,食谷,不绩不经,服也;不稼不穑,食也。爰有歌舞之鸟,鸾鸟自歌,凤鸟自舞。爰有百兽,相群爰处。百谷所聚。”盖是沃民(海外西经、大荒西经)之流亚也。   3 珂案:此“臷”字当别是一字。经文中凡有“一曰”云者,均校书人就别本所见异文而附着之者,苟国名不异,则仅须书“在╳╳东”或“在╳╳西”而已,无缘复着此同名之国之理。太平御览卷七九0引此经作“一曰盛国”,作“盛国”是也。盖臷国之“臷”本作“铁(去金)”,集韵:“铁(去金),盛也。”故臷国亦曰“盛国”,亦以其所居之地沃衍丰盛而名国耳。   贯匈国在其东1,其为人匈有窍2。一曰在臷国东。   1 珂案:淮南子墬形篇有穿胸民。高诱注云:“胸前穿孔达背。”艺文类聚卷九十六引括地图云:“禹诛防风氏。夏后德盛,二龙隆(降)之。禹使范氏(博物志作『范成光』——珂)御之以行,经南方,防风神见禹,怒射之。有迅雷,二龙升去。神惧,以刃自贯其心而死。禹哀之,瘗以不死草,皆生,是名穿胸国。”元周致中纂异域志云:“穿国,在盛海东,有窍,尊者去衣,令卑者以竹木贯抬之。”传说虽复有增饰,然“盛海”必因“盛国”而来,足证前臷国太平御览引作“一曰盛国”不误。吴任臣山海经广注引赢(臝)虫录亦云:“穿国在盛海东。”   2 郭璞云:“尸子曰:『四夷之民有贯匈者,有深目者,有长肱者,黄帝之德常致之。』异物志曰:『穿匈之国去其衣则无自然者。』盖似效此贯匈人也。”   交胫国在其东,其为人交胫1。一曰在穿匈东2。   1 郭璞云:“言脚胫曲戾相交,所谓雕题、交趾者也。或作『颈』,其为人交颈而行也。”郝懿行云:“广韵引刘欣期交州记云:『交址之人,出南定县,足骨无节,身有毛,卧者更扶始得起。』引此经及郭注,并与今本同。太平御览七百九十卷引外国图曰:『交胫民长四尺。』淮南墬形训有交股民,高诱注云:『交股民脚相交切。』即此也。”   2 郝懿行云:“此作『穿匈』者,『穿』『贯』音义同。”   不死民1在其东,其为人黑色,寿,不死2。一曰在穿匈国东3。   1 珂案:楚辞远游:“仍羽人于丹丘兮,留不死之旧乡。”王逸注举山海经有羽人之国、不死之民,以为即此,其实非也。远游之所谓“羽人”、“不死”,乃人学道登仙之两阶段。初则不死而为地仙,久乃身生毛羽,遐举而为天仙矣。抱朴子勤求篇云:“是以上士先营长生之事,长生定可任意。若未升玄去世,可且地仙人间。”神仙传亦云:“马鸣生受太阳神丹经三卷归,入山合药服之,不乐升天,但服半剂为地仙。”故不死实升玄之初阶,地仙与天仙乃有微别。天仙云者,御览六六二引天仙品云:“飞行云中,神化轻举,以为天仙,亦云飞仙。”言之最明。而洪兴祖注楚辞,于远游“仍羽人于丹丘”句下,径注云:“羽人,飞仙也。”得其旨矣。论衡无形篇云:“图仙人之形,体生毛,臂变为翼,行于云。”是仙人生羽翼之说明着于汉世者。证以武梁祠石刻画象,其伏羲与女娲交尾图象中所刻飞行云中之小仙人,确均生有翅翼。殷芸小说云:“汉王瑗遇鬼物,言蔡邕作仙人,飞去飞来,甚快乐也。”(见鲁迅辑古小说钩沉)足征六朝时人犹道此不衰。是知远游之所谓“不死”、“羽人”,实地仙与天仙,非谓殊方之族类也。至此经之所谓羽民国、不死民,则殊方之族类,有其异形与异禀而已,非修炼之谓也。虽然,固亦为众所企羡,几与仙人等观矣。故郭璞注“羽民国”云:“画似仙人”。屈原天问“何所不死”,王逸注引括地象云:“有不死之国”,淮南子时则篇复有不死之野,吕氏春秋求人篇有不死之乡,均以“不死”为说,则殆皆古人心目中之仙乡乐土矣。   2 王念孙云:“御览人事二十九(卷三八八)引此『寿不死』作『寿考,不死』,后汉书东夷传引作『不死』,御览南蛮六(卷七九0)作『寿考』。”珂案:作“寿考,不死”是也。   3 郭璞云:“有员丘山,上有不死树,食之乃寿;亦有赤泉,饮之不老。”郝懿行云:“淮南墬形训有不死民,高诱注云:『不死,不食也。』大戴礼易本命篇云:『食气者神明而寿,不食者不死而神。』是高注所本。然则不死之民,盖以不食不饮而得之,郭云食木饮泉,据大荒南经为说也(珂案:大荒南经云:『有不死之国,阿姓,甘木是食』);博物志说员丘赤泉与郭同(珂案:博物志物产云:『员丘山上,有不死树,食之乃寿;有赤泉,饮之不老』);陶潜读山海经诗亦同兹说(珂案:陶潜读山海经诗云:『自古皆有没,何人得灵长?不死复不老,万岁如平常。赤泉给我饮,员邱足我粮。方与三辰游,寿考岂渠央』):盖魏晋闲人祖尚清虚,旧有成语,郭氏述之尔。”   岐舌国在其东1。一曰在不死民东2。   1 郭璞云:“其人舌皆岐,或云支舌也。”珂案:郭注“舌皆岐”,当作“舌皆反”,说详下郝注中。   2 郝懿行云:“支舌即岐舌也。尔雅释地云:『枳首蛇』,即岐首蛇;岐一作枝,枝、支古字通也。又支与反字形相近,淮南墬形训有反舌民,高诱注云:『语不可知而自相晓。』又注吕氏春秋功名篇云:『一说南方有反舌国,舌本在前,末倒向喉,故曰反舌。』是支舌古本作反舌也。艺文类聚十七卷引此经作『反舌国,其人反舌。』太平御览三百六十七卷亦引此经同,而云:『一曰交。』案交盖支字之讹也。二书所引经文作反舌,与古本正合。”珂案:郝说是也,古本经文全文当作“反舌国在其东,其为人反舌。一曰支舌国在不死民东”。   昆仑虚在其东,虚四方1。一曰在岐舌东,为虚四方。   1 郭璞云:“虚,山下基也。”毕沅云:“此东海方丈山也。尔雅(释地)云:『三成为昆仑丘。』是『昆仑』者,高山皆得名之。此在东南方,当即方丈山也。水经注(河水)云:『东海方丈,亦有昆仑之称。』又案旧本虚作墟,非。”珂案:昆仑旧本亦作昆仑,盖从俗书也。   羿1与凿齿2战于寿华3之野,羿射杀之4。在昆仑虚东。羿持弓矢,凿齿持盾5。一曰戈6。   1 珂案:羿,古天神名,即海内经所记“帝俊赐羿彤弓素矰,以扶下国,羿是始去恤下地之百艰”之羿,非夏代有穷后羿。字又作●,说文十二云:“●,帝喾射官,夏少康灭之。”帝喾名?,即神话之帝俊历史化而为人王者,因而天神羿遂亦历史化而为帝喾射官矣。至于“夏少康灭之”之说,则与有穷后羿事迹混淆,非也。   2 郭璞云:“凿齿亦人也,齿如凿,长五六尺,因以名云。”珂案:大荒南经云:“有人曰凿齿,羿杀之。”淮南子墬形篇有凿齿民,高诱注:“吐一齿出口下,长三尺也。”郭盖本此为说。而高诱注本经篇则云:“凿齿,兽名,齿长三尺,其状如凿,下彻颔下,而持戈盾。”则又略异前注。   3 珂案:寿华,淮南子本经篇作畴华,高诱注:“南方泽名。”   4 珂案:淮南子本经篇云:“尧之时,十日并出,焦禾稼,杀草木,而民无所食。猰貐、凿齿、九婴、大风、封豨、修蛇、皆为民害。尧乃使羿诛凿齿于畴华之野,杀九婴于凶水之上,上射十日而下杀猰貐,断修蛇于洞庭,禽封豨于桑林,万民皆喜,置尧以为天子,于是天下广狭险易,皆有道里。”此其锄害之一事也。   5 王念孙云:“御览兵八十八(卷三五七)作持戟盾。”   6 郭璞云:“未详。”何焯云:“以文义求之,乃『一曰持戈』耳。”珂案:“戈”上正当有“持”字。   三首国在其东,其为人一身三首1。   1 珂案:经文“一身三首”下,其它各本尚有“一曰在凿齿东”数字,郝懿行笺疏本脱去之,应据补。海内西经云:“服常树,其上有三头人,伺琅玕树。”即此之类。淮南子墬形篇有三头民。郭璞图赞云:“虽云一气,呼吸异道;观则俱见,食则皆饱;物形自周,造化非巧。”是善能摹状形容者。   周饶国在其东,其为人短小,冠带1。一曰焦侥国在三首东2。   1 郭璞云:“其人长三尺,穴居,能为机巧,有五谷也。”珂案:吴任臣本郭注谷下有食字。   2 郭璞云:“外传云:『焦侥民长三尺,短之至也。』诗含神雾曰:『从中州以东西四十万里,得焦侥国人,长尺五寸也。』”珂案:郭注引诗含神雾“从中州以东西”,藏经本无西字,列子汤问篇夏革所说与郭引诗含神雾同,亦无西字,盖衍文。“周饶”、“焦侥”,并“侏儒”之声转。侏儒,短小人;周饶国、焦侥国,即所谓小人国也。山海经大荒南经云:“有小人名曰焦侥之国,几姓,嘉谷是食。”又云:“有小人,名曰菌人。”大荒东经亦云:“有小人国,名靖人。”疑“菌人”、“靖人”亦均“侏儒”之音转。郭璞图赞云:“僬侥极么,诤人又小,四体取足,眉目才了。”可谓善于形容。国语鲁语云:“焦侥氏长三尺,短之至也。”焦侥之见于史籍者始此,即郭注引“外传”者。而史记大宛列传正义引括地志云:“小人国在大秦南,人纔三尺,其耕稼之时,惧鹤所食,大秦卫助之,即焦侥国,其人穴居也。”法苑珠林卷八引外国图云:“焦侥国人长尺六寸,迎风则偃,背风则伏,眉目具足,但野宿。一曰,焦侥长三尺,其国草木夏死而冬生,去九疑三万里。”说均略同郭注,而内容复有增饰。盖人体大小,自古恒为士庶兴会所寄,扩而张之,想象生焉。故庄周寓言,乃有蛮触蜗角之争;六朝野乘,亦极诙诡滑稽之写。神异经西荒经云:“西海之外有鹄国焉,男女皆长七寸,为人自然有礼,好经纶拜跪,其人皆寿三百岁。其行如飞,日行千里,百物不敢犯之,惟畏海鹄,遇辄吞之,亦寿三百岁。此人在鹄腹中不死,而鹄一举千里。”有注云:“华曰:陈章与齐桓公论小儿也。”华者,张华;此注或亦出于依托。然检御览卷三百七十八,亦竟引有博物志逸文一则,云:“齐桓公猎,得一鸣鹄,宰之,嗉中得一人,长三寸三分,着白圭之袍,带剑持车(按渊鉴类函人部十五引作“刀”,作“刀”是也),骂詈瞋目。后又得一折齿,方圆三尺。问群臣曰:『天下有此及小儿否?』陈章答曰:『昔秦胡充(渊鉴类函引作“克”)一举渡海,与齐鲁交战,折伤版齿;昔李子敖于鸣鹄嗉中游,长三寸三分。』”则当时传说固亦相互煦濡矣。神异经西北荒经复云:“西北荒中有小人,长一分,其君朱衣玄冠,乘辂车马,引为威仪。居人遇其乘车,抓而食之,其味辛,终年不为物所咋,并识万物名字。又杀腹中三虫,三虫死,便可食仙药也(按太平广记四二八引博物志逸文亦有之,文亦悉同)。”则此小人者,并可以为药物而服食矣。抱朴子仙药篇云:“行山中见小人乘车马,长七八寸,捉取服之,即仙矣。”亦斯之类也。或使之由动而植。述异记上云:“大食王国,在西海中。有一方石,石上多树干,赤叶青枝。上总生小儿,长六七寸,见人皆笑,动其手足,头着树枝。使摘一枝,小儿便死。”此即西游记五庄观人参果(第二十四、二十五回)之所本,亦仙药也。至于汉武故事云:“东郡送短人,长七寸,名曰巨灵。”洞冥记云:“勒毕国人长三寸,有翼,善戏笑言语。”吴任臣广注云:“广延国人长二尺。张仲师长尺二寸。”如斯之类,要难悉举矣。   长臂国在其东,捕鱼水中,两手各操一鱼1。一曰在焦侥东,捕鱼海中2。   1 郭璞云:“旧说云:其人手下垂至地。魏黄初中,玄菟太守王颀讨高句丽王宫,穷追之,过沃沮国,其东界临大海,近日之所出,问其耆老,海东复有人否?云:尝在海中得一布褐(宋本、藏经本作褶——珂),身如中人,衣两袖长三丈,即此长臂人衣也。”珂案:郭注此说,本三国志魏志东夷传,博物志同,惟三丈作二丈也。淮南子墬形篇有修臂民,高诱注云:“一国民皆长臂,臂长于身,南方之国也。”是郭注“下垂至地”所本。穆天子传卷二云:“天子乃封长肱于黑水之西河。”郭注云:“即长臂人也,见山海经。”是传说中西方亦有此异形人也。图赞云:“双肱三尺,体如中人;彼曷为者?长臂之民;修脚是负,捕鱼海滨。”又有想象中之奇景呈于目前矣。然三尺当作三丈,始副“长臂”之“长”,字盖讹也。大荒南经云:“有人名曰张宏,在海上捕鱼。海中有张宏之国,食鱼,使四鸟。”即此,说详该节注。   2 毕沅云:“云两手各操一鱼,云捕鱼海中,皆其图象也。”   狄山1,帝尧葬于阳2,帝喾葬于阴3。爰有熊、罴、文虎4、蜼5、豹、离朱6、视肉7。吁咽8、文王皆葬其所9。一曰汤山。一曰爰有熊、罴、文虎、蜼、豹、离朱、(丘鸟)久10、视肉、虖交11。其12范林方三百里13。   1 毕沅云:“墨子(节葬篇下)云:『尧北教八狄,道死,葬蛩山之阴。』则此云狄山者,狄中之山也。”   2 郭璞云:“吕氏春秋(安死篇)曰:『尧葬谷林。』今阳城县西,东阿县城次乡中,赭阳县湘亭南,皆有尧冢。”珂案:郭注“阳城”当作“城阳”,城阳,旧县名,本作成阳,故城在今山东省濮县东南。吕氏春秋安死篇高诱注云:“传曰:尧葬成阳,此云谷林,成阳山下有谷林也。”   3 郭璞云:“喾,尧父,号高辛,今冢在顿丘县城南台阴野中也。音酷。”珂案:大戴礼帝系篇云:“黄帝产玄嚣,玄嚣产蟜极,蟜极产高辛,是为帝喾;帝喾产放勋,是为帝尧也。”皇览冢墓记云:“帝喾冢在东郡濮阳顿丘城南台阴野中。”即郭注所本。   4 郭璞云:“雕虎也。尸子曰:『中黄伯:“余左执太行之獶而右搏雕虎也。』”珂案:郭注引尸子“中黄伯”下脱“曰”字,文选思玄赋旧注引有,御览卷八九一同。   5 郭璞云:“蜼,狝猴类。”   6 郭璞云:“木名也,见庄子。今图作赤鸟。”郝懿行云:“郭云木名者,盖据(文选)子虚赋『檗离朱杨』为说也,然郭于彼注既以朱杨为赤茎柳,则此注非也。又云见庄子者,天地篇有其文,然彼以离朱为人名,则此亦非矣。又云今图作赤鸟者,赤鸟疑南方神鸟焦明之属也。然大荒南经离朱又作离俞。”珂案:离朱在熊、罴、文虎、蜼、豹之间,自应是动物名,郭云木名,误也。此动物维何?窃以为即日中踆乌(三足乌)。文选张衡思玄赋:“前长离使拂羽兮。”注:“长离,朱鸟也。”书尧典:“日中星鸟,以殷仲春。”传:“鸟,南方朱鸟七宿。”离为火,为日,故神话中此原属于日后又象征化为南方星宿之朱鸟,或又称为离朱。山海经所记古帝王墓所所有奇禽异物中,多有所谓离朱者。郭注云今图作赤鸟者,盖是离朱之古图象也。是乃日中神禽即所谓踆乌、阳乌或金乌者。而世传古之明目人,又或冒以离朱之名,喻其如日之明丽中天、无所不察也。日乌足三,足讹为头,故又或传有三头离珠(朱),于服常树上,递卧递起,以伺琅玕也(见海内西经“服常树”节注)。神话演变错综无定,大都如此。   7 郭璞云:“聚肉,形如牛肝,有两目也;食之无尽,寻复更生如故。”郝懿行云:“北堂书钞一百四十五卷引此注作『食之尽』,今本『无』字衍也。初学记(卷二十六)引神异经云:『西北荒有遗酒追复脯焉,其味如£,食一片复一片。』疑即此也。博物志(异兽)云:『越巂国有牛,稍割取肉,牛不死,经日肉生如故。』又神异经云:『南方有兽,名无损之兽。人割取其肉不病,肉复自复。』已上所说二物,义与郭近而形状则异。”珂案:古小说钩沈辑玄中记云:“大月氏及西胡,有牛名曰日反,今日割取其肉三四斤,明日其肉已复,创即愈也。汉人入此国,见牛不知,以为珍异。”蜀典卷九“稍割牛”条引凉州异物志云:“月支有羊,尾重十斤,割之供食,寻生如故。”均郭说视肉类也。图赞云:“聚肉有眼,而无肠胃;与彼马勃,颇相髣?;奇在不尽,食人薄味。”   8 郭璞云:“所未详也。”珂案:吁咽与文王并列,疑当是人名。盖吁咽如属之视肉、离朱以上种种奇禽异物中,则下文“皆葬其所”之“皆”字无着落,因疑是人名。此人维何?大荒南经云:“帝尧、帝喾、帝舜葬于岳山。”郭璞注:“即狄山也。”则所谓“吁咽”者,或当是舜之析音,吁咽(因)相切,其音近舜,当即岳山所葬之帝舜也。   9 郭璞云:“今文王墓在长安鄗聚社中。按帝王冢墓皆有定处,而山海经往往复见之者,盖以圣人久于其位,仁化广及,恩洽鸟兽,至于殂亡,四海若丧考妣,无思不哀。故绝域殊俗之人,闻天子崩,各自立坐而祭醊哭泣,起土为冢,是以所在有焉。亦犹汉氏诸远郡国皆有天子庙,此其遗象也。”   10郭璞云:“(丘鸟)久,鸲鹠之属。”郝懿行云:“(丘鸟)当为鸱。说文(四)云:『(丘鸟)旧,旧留也;旧或作鸺。』是经文(丘鸟)久即鸱旧,注文雊鹠即鸺鹠也,皆声近假借字。”   11郭璞云:“所未详也。”郝懿行云:“即吁咽也,吁、虖声相近。”珂案:咽、交则声相远,仍所未详也。   12王念孙云:“其盖有字之讹。海内西经(珂案:当为海内北经)云:『昆仑西南所,有泛林方三百里。』”   13郭璞云:“言林木泛滥布衍也。”郝懿行云:“范林,海内南经作泛林,范、泛通。”珂案:海内北经亦作“泛林”。   南方祝融,兽身人面,乘两龙1。   1 郭璞云:“火神也。”珂案:吕氏春秋孟夏篇云:“其帝炎帝,其神祝融。”淮南子时则篇云:“南方之极,自北户孙之外,贯颛顼之国,南至委火炎风之野,赤帝(炎帝)祝融之所司者万二千里。”则祝融者,南方天帝炎帝之佐也。山海经海内经云:“炎帝之妻,赤水之子听訞生炎居,炎居生节并,节并生戏器,戏器生祝融。”是祝融乃炎帝之裔。然大荒西经乃云:“颛顼生老童,老童生祝融。”而颛顼者,黄帝之曾孙(海内经),是祝融又黄帝之裔,说复不同。唯黄炎古传本属同族(绎史卷五引新书:“炎帝者,黄帝同母异父兄弟也”),故传为炎帝苗裔之祝融,复可归于黄帝。关于祝融之神话,见于海内经者,有“鲧窃帝之息壤以湮洪水,不待帝命,帝令祝融杀鲧于羽郊。”见于墨子非攻下者,有“(成汤伐夏)天命融(祝融)隆(降)火于夏之城闲,西北之隅。”见于尚书大传及太公金匮等书者,有祝融等七神雪天远来,助周灭殷事;见于史记司马贞补三皇本纪者,有共工与祝融战,不胜而怒触不周山事,等等。祝融在古神话传说中,位亦显矣。   山海经海经新释卷二  山海经第七    海外西经   海外自西南陬至西北陬者1。   1 毕沅云:“淮南子墬形训云:自西北至西南方,起修股民肃慎民,此文正倒。知此经是说图之词,或右行则自西南至西北起三身国,或左行则自西北至西南起修股民。是汉时犹有山海经图,各依所见为说,故不同也。”   灭蒙鸟在结匈国北1,为鸟青,赤尾。   1 毕沅云:“盖结匈国所有,承上文起西南陬言,其图象在结匈国北也。”郝懿行云:“博物志(外国)云:『结匈国有灭蒙鸟。』本此。海内西经又有孟鸟。”   珂案:海内西经云:“孟鸟在貊国东北,其鸟文赤、黄、青,东乡。”郝懿行谓灭蒙鸟疑即孟鸟,灭蒙之声近孟(详海内西经“孟鸟”节注),其说是也。何以知其然也?史记秦本纪云:“秦之先,帝颛顼之苗裔孙,曰女修。女修织,玄鸟陨卵,女修吞之,生子大业。大业取少典之子曰女华。女华生大费,与禹平水土,已成,帝赐玄珪。禹受曰:『非予能成,亦大费为辅。』帝舜曰:『咨,尔费,赞禹功,其赐尔皁游,尔后嗣将大出。』乃妻之姚姓之玉女。大费拜受,佐舜调驯鸟兽,鸟兽多驯服,是为柏翳(伯益)。舜赐姓嬴氏。大费生子二人,一曰大廉,实鸟俗氏;二曰若木,实费氏。……大廉玄孙曰孟戏、仲衍,鸟身人言。”太平御览卷九一五引括地图云:“孟亏人首鸟身,其先为虞氏驯百兽,夏后之末世,民始食卵,孟亏去之,凤凰随与止于此。山多竹,长千仞,凤凰食竹实,孟亏食木食。去九疑万八千里。”孟亏即秦本纪之孟戏也,博物志(外国)又作孟舒。云:“孟舒国民,人首鸟身,其先主为霅氏训百禽。夏后之世,始食卵。孟舒去之,凤皇随焉。”戏、亏、舒均一音之转。大荒东经云:“帝舜生戏,戏生摇民。”海内经云:“有嬴民,鸟足。”嬴、摇亦一声之转,嬴民即摇民,戏即孟戏也,不过原以柏翳(伯益)为祖先者,乃又移之于舜也。舜与伯益盖皆东方殷民族传说中之祖宗神,亦即诗玄鸟所谓“天命玄鸟,降而生商”之玄鸟,即燕子之化身。玄鸟再经神话化,又为凤凰。故其子孙或“鸟身人言”,或“人首鸟身”,或“鸟足”,且有“凤凰随焉”。此“随焉”之“凤凰”,即此处所记“灭蒙鸟”及海内西经所记“孟鸟”是也。“为鸟青,赤尾”或“其鸟文赤、黄、青”云云,乃所谓“五采之鸟”,山海经多记有之,皆凤凰之象。大荒西经云:“有五采之鸟,有冠,名曰狂鸟。”尔雅释鸟云:“狂,●鸟。”实则狂鸟、●鸟皆凤凰属也,狂即皇,●即凤,音之转也。●鸟又即孟鸟,字之异也。大荒西经又云:“有弇州之山,五采之鸟仰天,名曰鸣鸟。”郝懿行云:“鸣鸟,盖凤属也。”鸣鸟亦●鸟、孟鸟也。则此处所记之“灭蒙鸟”,固凤属之狂鸟、●鸟、鸣鸟、孟鸟之异名也。   大运山高三百仞,在灭蒙鸟北。   大乐之野,夏后启于此九代1;乘两龙,云盖三层2。左手操翳3,右手操环4,佩玉璜5。在大运山北6。一曰大遗之野7。   1 郭璞云:“九代,马名,谓盘作之令舞(藏经本作——珂)也。”郝懿行云:“九代,疑乐名也。竹书(今本——珂)云:『夏帝启十年,帝巡狩,舞九韶于大穆之野。』大荒西经亦云:『天穆之野,启始歌九招。』招即韶也。(珂案:藏经本“九招”正作“九韶”。)疑九代即九招矣。又淮南齐俗训云:『夏后氏其乐夏钥九成。』疑九代本作九成,今本传写形近而讹也。李善注(文选)王融三月三日曲水诗序引此经云:『舞九代马。』疑马字衍。而艺文类聚九十三卷及太平御览八十二卷引此经亦有马字,或并引郭注之文也。舞马之戏恐非上古所有。”珂案:郝说是也。九代确当是乐名,非舞马之戏。陈梦家商代的神话与巫术(燕京学报第二十期)一文略谓:“即九?,?,象又持牛尾。九歌:『成礼兮会鼓,传芭兮代舞。』即?舞也。”说亦可供参考。   2 郭璞云:“层,犹重也。”郝懿行云:“李善注(文选)西京赋两引此注并同。又注潘岳为贾谧作赠陆机诗引此注云:『层,重也,慈登切。』今本脱郭音三字。又层,经典通作曾,据郭音,益知此经层当为曾矣。”珂案:宋本郭注层作曾。毛扆校注云:“三层,注作曾,经文不应作层。”与郝说略异,而谓经文当作曾则同。   3 郭璞云:“羽葆幢也。”珂案:说文四云:“翳,翿也,所以舞也。”   4 郭璞云:“玉空边等为环。”珂案:说文一云:“环,璧也,肉好若一谓之环。”   5 郭璞云:“半璧曰璜。”珂案:郭注亦见说文一。   6 郭璞云:“归藏郑母经曰:『夏后启筮:御飞龙登于天,吉。』明启亦仙也。”郝懿行云:“太平御览八十二卷引史记曰:『昔夏后启筮:乘龙以登于天,占于皋陶,皋陶曰:“吉而必同,与神交通;以身为帝,以王四乡。”』今案御览此文即与郭注所引为一事也。”   珂案:关于夏后启之神话,大荒西经云:“西南海之外,赤水之南,流沙之西,有人珥两青蛇,乘两龙,名曰夏后开(开即启,汉景帝名启,汉人避讳改),开上三嫔(宾)于天,得九辩与九歌以下。此天穆之野,高二千仞,开焉得始歌九招。”即同一事也。绎史卷十二引随巢子:“禹娶涂山,治鸿水,通轘辕山,化为熊。涂山氏见之,惭而去,至嵩高山,化为石。禹曰:『归我子!』石破北方而生启。”此启之生为非同寻常矣,亦启之所以为“启”(开)也。启为人神交配所生之子,本身固具有神性,故能“三嫔于天,得九辩与九歌以下”。所谓“得”者,实“窃”也。御览九二九引归藏明夷云:“昔夏后启上乘龙飞,以登于天,皋陶占之,曰:『吉。』”大荒西经郭注引归藏启筮云:“不可窃辩与九歌以国于下。”即其事矣。盖启承禹位,不恤国事,惟以酒食声色自娱,复窃天乐助兴,致遭亡国惨祸。故墨子非乐称:“启乃淫溢康乐,野于饮食,将将锽锽,筦磬以方。湛浊于酒,渝食于野,万舞翼翼,章闻于天,天用弗式(内数字与原文略有不同,均据孙诒让墨子闲诂校改)。”诗人于此亦多所刺讥。屈原离骚云:“启九辩与九歌兮,夏康娱以自纵;不顾难以图后兮,五子用夫家巷(末句“夫”原作“失乎”,从闻一多楚辞校补改,“家巷”即“家哄”,内讧之意也)。”天问云:“启棘宾商(帝之形讹),九辩九歌,何勤子屠母而死分竟(境)地?”即其事也。此处所谓“九代”,亦“歌九招”之类,虽曰“亦仙”,固乃启“康娱自纵”之具体表现,其“不顾难以图后”,亦已明矣。   7 郭璞云:“大荒经云:大穆之野。”郝懿行云:“大荒西经作天穆之野,此注云大穆之野,竹书天穆、大穆二文并见。此经文又云大遗之野、大乐之野,诸文皆异,所未详。”珂案:天、大古本一字,穆、遗、乐音皆相近。   三身国1在夏后启北,一首而三身2。   1 珂案:淮南子墬形篇有三身民。大荒南经云:“大荒之中,有不庭之山,荥水穷焉。有人三身。帝俊妻娥皇,生此三身之国。姚姓,黍食,使四鸟。”河图括地图(玉函山房辑佚书辑)则云:“庸成氏实有季子,其性喜淫,昼淫于市,帝怒,放之于西南。季子仪马而产子,身人也而尾蹄马,是为三身之国。”盖后起之说,非古神话初相也。   2 郝懿行云:“艺文类聚三十五卷引博物志云:『三身国一头三身三手。』今此经无三手字。”   一臂国1在其北,一臂一目一鼻孔2。有黄马虎文,一目而一手3。   1 珂案:大荒西经云:“有一臂民。”即此。   2 吴任臣云:“淮南子海外三十六国,西南方有一臂民。吕氏春秋(求人篇)云:『其肱、一臂之乡。』尔雅(释地):『北方有比肩民焉,迭食而迭望。』郭璞注云:『此即半体之人,各有一目、一鼻孔、一臂、一脚。』异域志云:『半体国其人一目一手一足。』交州记曰:『儋耳国东有一臂国,人皆一臂也。』江淹遂古篇『一臂人兮』本此。三才图会曰:『一臂国在西海之北,半体比肩,犹鱼鸟相合。』(珂案:韩诗外传卷五云:“东海有鱼名曰鲽,比目而行,不相得不能达;南方有鸟名曰鹣,比翼而飞,不相得不能举。”即所谓“鱼鸟相合”也。)(文选)王融曲水诗序:『离身反踵之君,髽首贯胸之长。』离身亦斯类也。”   3 郝懿行云:“手,马臂也。(礼记)内则云:『马黑脊而般臂漏。』”   奇肱之国1在其北,其人一臂三目,有阴有阳,乘文马2。有鸟焉,两头,赤黄色,在其旁3。   1 郭璞云:“肱或作弘;奇音羁。”   2 郭璞云:“阴在上,阳在下;文马即吉良也。”珂案:海内北经云:“犬戎国有文马,缟身朱鬣,目若黄金,名曰吉量,乘之寿千岁。”吉量即吉良也。   3 郭璞云:“其人善为机巧,以取百禽;能作飞车,从风远行。汤时得之于豫州界中,即坏之,不以示人。后十年西风至,复作遣之。”郝懿行云:“博物志说奇肱民善为栻扛,以杀百禽,栻扛盖机巧二字之异。又云汤破其车,不以视民,视即古示字,当作。又云十年东风至,乃复作车遣返,郭注作西风至,西字讹也。云其国去玉门关四万里,当须东风至乃得遣返矣。”珂案:郝说是也。博物志外国云:“奇肱民善为栻扛,以杀百禽。能为飞车,从风远行。汤时西风至,吹其车至豫州,汤破其车,不以视民。十年东风至,乃复作车遣返。其国去玉门关四万里。”淮南墬形篇作奇股。高诱注云:“奇,只也;股,脚也。”则是独脚人矣。以较独臂,似独脚于义为长。假令独臂,则“为机巧”、“作飞车”乃戛戛乎其难矣;亦唯独脚,始痛感行路之艰,翱翔云天之思斯由启矣:故奇股乃胜于奇肱。   形天1与帝2至此3争神,帝断其首,葬之常羊之山4,乃以乳为目,以脐5为口,操干戚以舞6。   1 珂案:形天,书各不同。王念孙云:“陶潜读山海经诗正作形夭,见二老堂诗话,今本改作形天。唐等慈寺碑(碑在泛水县,唐颜师古撰)『疏属之罪,方滞迷涂;刑夭之魂,久沦长夜。』道藏本山海经图赞亦作形夭。淮南墬形篇『西方有形残之尸』,刘绩注引此作形夭,酉阳杂俎诺皋记作形夭,钞本御览三百七十一、五百七十四、八百七十四并作形夭,八百八十七同。”王似主张作形夭者。然查影宋本御览,卷五七四、三七一固作形夭,卷五五五则作邢天,卷八八七作刑夭,鲍崇城校本卷五五五作刑天,今本陶靖节集读山海经诗亦作刑天,依义刑天长于形夭。天,甲骨文作●,金文作●,口与●均象人首,义为颠为顶,刑天盖即断首之意。意此刑天者,初本无名天神,断首之后,始名之为“刑天”。或作形夭,义为形体夭残,亦通。惟作形天、刑夭则不可通。   2 珂案:帝,天帝;此指黄帝,说详后。   3 珂案:御览各卷(三七一、五五五、五七四、八八七)引经均无“至此”二字,“至此”二字衍。   4 郝懿行云:“宋书符瑞志云:『有神龙首感女登于常羊山,生炎帝神农。』即此也。大荒西经有偏勾、常羊之山,亦即此。”珂案:郝说是也,说详后。   5 珂案:脐,御览卷三七一、五七四、八八七均引作齐。齐,古通脐;左传庄公六年:“后君噬齐。”   6 郭璞云:“干,盾;戚,斧也:是为无首之民。”   珂案:刑天,炎帝之臣;刑天之神话,乃黄帝与炎帝斗争神话之一部分,状其斗志靡懈,死犹未已也。御览七九引归藏:“昔黄神与炎神争斗涿鹿之野,将战,筮于巫咸,曰:『果哉而有咎。』”吕氏春秋荡兵篇:“兵所自来者久矣,黄炎故用水火矣。”淮南子兵略篇:“炎帝为火灾,故黄帝禽之。”大戴礼五帝德:“黄帝教熊、罴、貔、豹、虎,以与赤帝战于版泉之野,三战然后得行其志。”是自战国至秦汉咸有关于黄炎斗争之传说。炎帝兵败,乃又有蚩尤崛起以与黄帝颉抗。蚩尤者,“炎帝之后”(玉函山房辑佚书辑遁甲开山图),亦炎帝之臣也(世本宋衷注),大荒北经谓“蚩尤作兵伐黄帝”者,盖为兵败之炎帝复仇也。蚩尤与黄帝之战,乃古代神话传说中一大战争,书吕刑“蚩尤唯始作乱”云云,即已记其大要矣。山海经复涉夸父,谓“应龙(黄帝神龙)已杀蚩尤,又杀夸父”(大荒北经),“应龙杀蚩尤与夸父”(大荒东经)。夸父者,大荒北经云:“后土生信,信生夸父。”而海内经谓后土为炎帝之裔,是夸父亦炎帝之裔也。在黄帝与蚩尤之战中,夸父自亦当参加蚩尤战团,因而始相继为应龙所“杀”。蚩尤与夸父丧亡后,乃又有刑天舞其干戚,“与帝争神”。刑天者,炎帝之臣,或亦炎帝之后也。路史后纪三云:“炎帝乃命邢天作扶犁之乐,制丰年之咏,以荐厘来,是曰下谋。”此邢天即宋本御览五五五所引此经邢天,亦鲍校本八八七所引此经邢天也。路史所记虽较晚,当亦有古说凭依,惜典籍佚亡,难寻究矣。然“刑天与帝争神,帝断其首,葬之常羊之山”,常羊山传又为炎帝降生之处,春秋纬元命苞(玉函山房辑佚书辑)云:“少典妃安登,游于华阳,有神龙首感之于常羊,生神农。”是炎帝生于常羊,汉人已有成说矣。大荒西经所谓“有偏句、常羊之山”者,此常羊与刑天断首之常羊,炎帝降生之常羊,俱在西方,自是同一常羊无疑。是刑天传说与炎帝传说之关系,岂不仍有蛛丝马迹可寻乎?则刑天者,亦犹蚩尤夸父,奋起而为炎帝复仇,以与黄帝抗争者也。常羊山北,经历数地即是轩辕国,轩辕,黄帝之号,则葬首常羊之刑天所与“争神”之“帝”,岂非黄帝而何?盖轩辕常羊一带,均属黄炎斗争神话传说之范围。“野火烧不尽,春风吹又生”(白居易草),是蚩尤刑天诸巨人前仆后继斗争精神之最好写照也。而陶潜读山海经诗,称“刑天舞干戚,猛志固常在”,为尤能得此断头英雄凌厉无前之神态。   女祭女戚在其北,居两水闲,戚操鱼?1,祭操俎2。   1 郭璞云:“?,魚屬。”王念孙云:“大荒西经:『有寒荒之国,有二人女祭女薎。』注云:『或持?,或持俎。』案此女戚亦当作女薎,因上文干戚文而误为戚也。鱼?(珂案:王念孫所據項絪本作此字,宋本、藏經本同)當為角觶,注內『?,魚屬』當為『角觛,觶屬』。说文(四):『觛,小觯也。』”珂案:王校语中“角觯”疑当作“角觛”,始与上下文相应。据此,则女祭女戚当是女巫祀神之图象也。   2 郭璞云:“肉几。”   (上次下鸟)鸟、(詹鸟)鸟1,其色青黄,所经国亡2。在女祭北。(上次下鸟)鸟人面,居山上。一曰维鸟,青鸟、黄鸟所集3。   1 郭璞云:“次、瞻两音。”   2 郭璞云:“此应祸之鸟,即今枭、鸺鹠之类。”   3 毕沅云:“古无(上次下鸟)、(詹鸟)字,是云维鸟云云,是也,下丈夫国亦云在维鸟北。”   珂案:大荒西经云:“有元丹之山,有五色之鸟,人面有发。爰有青?、黄?,青鸟、黄鸟,其所集者其国亡。”即此。?、?乃(上次下鸟)、(詹鸟)之异名。青鸟、黄鸟即(上次下鸟)鸟、(詹鸟)鸟,亦即大荒西经之青?、黄?,说详大荒西经该节注。   丈夫国在维鸟北,其为人衣冠带剑1。   1 郭璞云:“殷帝太戊使王孟采药,从西王母至此,绝粮,不能进,食木实,衣木皮,终身无妻,而生二子,从形中出,其父即死,是为丈夫民。”珂案:淮南子墬形篇有丈夫民;大荒西经亦云:“有丈夫之国。”太平御览卷三六一引玄中记云:“丈夫民。殷帝太戊使王英采药于西王母,至此绝粮,不能进,乃食木实,衣以木皮。终身无妻,产子二人,从背胁间出,其父则死,是为丈夫民。去玉门二万里。”同书卷七九0引括地图文略同,唯“王英”仍作“王孟”,“从背胁间出”作“从背间出”。   女丑之尸,生而十日炙杀之1。在丈夫北。以右手鄣其面2。十日居上,女丑居山之上。   1 郝懿行云:“十日并出,炙杀女丑,于是尧乃命羿射杀九日也。”珂案:此固郝推想之词,然亦颇有此可能;因十日并出事见于典籍者,除庄子齐物论“十日并出,万物皆照”,楚辞招魂“十日并(并原作代,据闻一多楚辞校补改)出,流金砾石”及郭璞注海外东经引竹书“胤甲居西河,十日并出”外,以淮南子本经篇所着“尧之时,十日并出”事为最古。然所谓“炙杀”,疑乃暴巫之象,女丑疑即女巫也。古天旱求雨,有暴巫焚巫之举。论衡明雩篇:“鲁缪公之时,岁旱,缪公问县子:『寡人欲暴巫,奚如?』”左传僖公二十一年:“夏大旱,公(鲁僖公——珂)欲焚巫尪。”是其证矣。暴巫焚巫者,非暴巫焚巫也,乃以女巫饰为旱魃而暴之焚之以禳灾也,暴巫即暴魃也。女丑衣青(见大荒西经),旱魃亦衣青(见大荒北经),是女丑饰为旱魃而被暴也。下文“(女丑)以右手鄣其面”及“十日居上,女丑居山之上”语,均被暴而不胜其楚毒之象。及十日炙杀女丑,乃有“尧使羿”或尧自身上射九日之举也(说详海外东经“汤谷十日”节注)。   2 郭璞云:“蔽面。”珂案:大荒西经云:“有人衣青,以袂蔽面,名曰女丑之尸。”郭注本此。   巫咸国1在女丑北,右手操青蛇,左手操赤蛇,在登葆山,群巫所从上下也2。   1 珂案:大荒西经云:“大荒之中,有山名曰丰沮玉门,日月所入。有灵山,巫咸、巫即、巫?、巫彭、巫姑、巫真、巫礼、巫抵、巫谢、巫罗十巫,从此升降,百药爰在。”大荒南经云:“大荒之中,又有登备之山。”郭璞注:“即登葆山,群巫所从上下也。”则巫咸国者,乃一群巫师组织之国家也。世本作篇:“巫咸作筮。”宋衷注:“巫咸,不知何时人。”而路史后纪三乃谓神农使巫咸主筮,则巫咸神农时人也;御览七九引归藏:“昔黄神与炎神争斗涿鹿之野,将战,筮于巫咸,曰:『果哉而有咎。』”则巫咸黄帝时人也;御览卷七二一引世本宋注云:“巫咸,尧臣也,以鸿术为帝尧医。”是巫咸又尧时人也:诸说不同。而御览七九0引外国图云:“昔殷帝大戊使巫咸祷于山河,巫咸居于此,是为巫咸民,去南海万千里。”最为详明。王逸注楚辞离骚亦云:“巫咸,古神巫也,当殷中宗之世。”殷中宗即殷帝大戊(史记殷本纪作太戊),是此巫咸,当即是殷时巫咸也。然外国图谓巫咸民去南海万千里,又与山海经所说西方之巫咸国抵牾:终莫可究诘矣。   2 郭璞云:“采药往来。”珂案:郭注盖本大荒西经“十巫从此升降,百药爰在”为说,然细究之,“采药”只是群巫所作次要工作,其主要者,厥为下宣神旨,上达民情。登葆山盖天梯也,“群巫所从上下”者,“上下”于此天梯也。说详海内经“九丘建木”节注。   并封1在巫咸东,其状如彘,前后皆有首,黑2。   1 珂案:大荒西经云:“有兽,左右有首,名曰屏蓬。”周书王会篇云:“区阳以鳖封,鳖封者,若彘,前后皆有首。”是并封、屏逢、鳖封皆声之转,实一物也。闻一多伏羲考(见闻一多全集第一册)谓并封、屏蓬本字当作“并逢”,“并”与“逢”俱有合义,乃兽牝牡相合之象也,其说甚是。推而言之,蛇之两头、鸟之二首者,亦均并封、屏蓬之类,神话化遂为异形之物矣。   2 郭璞云:“今弩弦蛇亦此类也。”郝懿行云:“弩弦蛇即两头蛇也,见尔雅释地枳首蛇注。”珂案:尔雅释地枳首蛇郭璞注云:“岐头蛇也。或曰今江东呼两头蛇为越王约发,亦名弩弦。”   女子国1在巫咸北,两女子居,水2周之3。一曰居一门中4。   1 珂案:淮南子墬形篇有女子民。大荒西经云:“有女子之国。”三国志魏志东夷传云:“(沃沮)耆老言:有一国亦在海中,纯女无男。”后汉书东夷传云:“或传其国有神井,窥之辄生子。”即此类也。   2 珂案:御览七九0引此经水下有外字。   3 郭璞云:“有黄池,妇人入浴,出即怀妊矣。若生男子,三岁辄死。周犹绕也。离骚曰:水周于堂下也。”珂案:御览三九五引外国图云:“方丘之上,暑湿生男子,三年而死。有黄水,妇人入浴,出则乳矣。去九嶷二万四千里。”盖本郭注为说也。   4 郝懿行云:“居一门中,盖谓女国所居同一聚落也。”珂案:郝说非也。所谓“居一门中”者,亦图象如此,犹“两女子居,水周之”之为另一图象然。   轩辕之国1在此2穷山之际3,其不寿者八百岁。在女子国北。人面蛇身4,尾交首上。   1 珂案:大荒西经云:“有轩辕之国,江山之南栖为吉,不寿者乃八百岁。”西次三经有轩辕之丘,郭注云:“黄帝居此。”   2 失名云:“博物志无此字,太平御览(卷七九0)引经亦无此字。”郝懿行云:“经文此字疑衍。李善注(文选)思玄赋引此经云:『在穷山之际。』史记五帝纪索隐引此经同,并无此字。”   3 郭璞云:“其国在山南边也。大荒经曰:岷山之南。”郝懿行云:“大荒西经说轩辕之国江山之南,此云岷山者,以大江出岷山故也。”   4 珂案:古天神多为人面蛇身,举其著者,如伏羲、女娲、共工、相柳、窫窳、贰负等是矣;或龙身人头:如雷神、烛龙、鼓等是矣,亦人面蛇身之同型也。此言轩辕国人人面蛇身,固是神子之态,推而言之,古传黄帝或亦当作此形貌也。   穷山1在其北,不敢西射,畏轩辕之丘2。在轩辕国北。其丘方,四蛇相绕3。   1 珂案:楚辞天问云:“阻穷西征,岩何越焉?化为黄熊,巫何活焉?咸播秬黍,莆雚是营;何由并投,而鲧疾修盈?”此数语自来多不得其解。自唐兰天问“阻穷西征”新解(禹贡半月刊第七卷第一二三期合刊)一文出,谓“穷”即山海经海外西经“穷山”,“鲧尸剖而生禹,其尸体遂化为黄熊而西征,被阻于穷山,卒越岩而南,求活于诸巫”,乃豁然贯通焉。鲧所被“阻”之“穷”,确即此穷山,因巫咸国在其南,去此不远也。   2 郭璞云:“言敬畏黄帝威灵,故不敢向西而射也。”珂案:轩辕之丘在西王母所居玉山之西四百八十里,见西次三经。   3 郭璞云:“缭绕樛缠。”珂案:盖护卫此丘也。   此诸夭之野1,鸾鸟自歌,凤鸟自舞;凤皇卵,民食之;甘露2,民饮之,所欲自从也3。百兽相与群居。在四蛇北。其人两手操卵食之,两鸟居前导之4。   1 郭璞云:“夭音妖。”郝懿行云:“经文此字亦衍。夭郭音妖,盖讹。夭野,大荒西经作沃野,是此经之夭,乃沃字省文,郭注之妖乃沃字讹文也。诸夭,艺文类聚九十九卷引作清沃,博物志作渚沃,淮南墬形训有沃民。又云『西方曰金丘,曰沃野』,高诱注云:『沃犹白也,西方白故曰沃野。』案高说非也,沃野盖谓其地沃饶耳。”珂案:郝说是也。宋本郭注“夭音妖”,妖字正作沃,藏经本同,盖后人妄改作妖耳。然此“诸夭之野”句下,疑文字尚有阙脱。下文“凤皇卵,民食之,甘露,民饮之”,与“其人两手操卵食之”,其“民”其“人”维何?无由知也。大荒西经云:“有沃之国,沃民是处;沃之野,凤鸟之卵是食,甘露是饮。”则其“民”沃民也。揆之张衡思玄赋:“超轩辕于西海,跨汪氏之龙鱼。”毕沅说汪氏系沃民之误,良确;以沃民之后,记有龙鱼,故曰“跨沃民之龙鱼”也。知经文此句之下,当有“沃民”字样,如以大荒西经“沃民是处”补于其下,则处与舞为韵,亦天衣无缝也。淮南子墬形篇海外三十六国自西北至西南方白民之后有沃民,以此。海外西经系自西南至西北方,方向适反,故诸沃之野之后乃有白民之国。则居于此沃野之其“民”其“人”,正当是自成一国之沃民也。   2 珂案:太平御览卷十二引瑞应图云:“甘露者,美露也;神露之精,仁瑞之泽,其凝如脂,其甘如饴,一名膏露,一名天酒。”神异经西北经荒经云:“西北海外,有人长二千里,两脚中间相去千里,腹围一千六百里,但日饮天酒五斗。”原注:“张华曰:天酒,甘露也。”   3 郭璞云:“言滋味无所不有,所愿得自在,此谓夭野也。”珂案:郭注夭野,藏经本作沃野。大荒西经云:“有沃之国,沃民是处,沃之野,凤鸟之卵是食,甘露是饮。凡其所欲,其味尽存。爰有甘华、甘柤、白柳、视肉、三骓、璇瑰、瑶碧、白木、琅玕、白丹、青丹。多银铁。鸾鸟自歌,凤鸟自舞。爰有百兽,相群爰处。是谓沃之野。”即此。   4 郝懿行云:“亦言图画如此。”   龙鱼陵居在其北1,状如狸2。一曰?3。即有神圣乘此以行九野4。一曰鳖鱼5在夭野北,其为鱼也如鲤。   1 郝懿行云:“龙鱼,郭氏江赋作龙鲤,张衡思玄赋仍作龙鱼,淮南墬形训作(石龙)(按今本作硥——珂)鱼,高诱注云:『(石龙)鱼如鲤鱼也,有神圣者乘行九野,在无继民之南。(石龙)音蚌。』”珂案:龙鱼,疑即海内北经所记陵鱼,盖均神话传说中人鱼之类也。龙、陵一声之转,一也;龙鱼陵居,陵鱼当亦因其既可居水,复可居陵而号陵鱼,二也;龙鱼似鲤,谓之龙鲤,陵鱼亦似鲤,谓之陵鲤,三也;龙鱼“一曰?”,尔雅释鱼云“鲵大者谓之?”,本草纲目云“鲵鱼,一名人鱼”;而“人面手足鱼身在海中”之陵鱼,正是人鱼形貌,四也。有此四者,故谓龙鱼即海内北经所记之陵鱼。   2 郭璞云:“或曰:龙鱼似狸,一角。”郝懿行云:“狸当为鲤,字之讹。李善注(文选)江赋引此经云:『龙鲤陵居,其状如鲤,或曰龙鱼一角也。』盖并引郭注。又注思玄赋引此经云:『龙鱼陵居在北,状如鲤。』高诱注淮南墬形训亦云『如鲤鱼也』,可证。”珂案:郝说是也,王念孙校亦同郝说。宋本经文注释鲤字均作狸,藏经本注释作狸,亦讹。   3 郭璞云:“音遐。”毕沅云:“一作如?,言状如鲵鱼有四脚也。尔雅(释鱼)云:『鲵大者谓之?。』”   4 郭璞云:“九域之野。”珂案:艺文类聚卷九十六引郭氏图赞曰:“龙鱼一角,似鲤居陵;候时而出,神圣攸乘;飞骛九域,乘云上升。”可谓得其概要。   5 郭璞云:“鳖音恶横也。”郝懿行云:“注有讹字,所未详;明藏本作鳖,音犹也,亦讹。”珂案:宋本郭注“鳖音”下空一字。   白民之国1在龙鱼北,白身被发2。有乘黄,其状如狐,其背上有角3,乘之寿二千岁4。   1 珂案:淮南子墬形篇有白民。大荒西经云:“有大泽之长山。有白民之国(白民原作白氏,据宋本改——珂)。”即此。大荒东经云:“有白民之国。帝俊生帝鸿,帝鸿生白民。白民销姓,黍食,使四鸟:虎、豹、熊、罴。”或当是另一国,非此。参见大荒东经“白民国”节注2。   2 郭璞云:“言其人体洞白。”珂案:淮南子墬形篇高诱注云:“白民白身,民被发,发亦白。”   3 郭璞云:“周书曰:『白民乘黄,似狐,背上有两角。』即飞黄也。淮南子曰:『天下有道,飞黄伏皁。』郝懿行云:“周书王会篇云:『乘黄似骐。』郭引作似狐。初学记(卷二十九)引与郭同。博物志(外国)亦作狐。两角,初学记作肉角,皆所见本异也。郭又引淮南子者,览冥训云:『青龙进驾,飞黄伏皁。』乘黄又即訾黄。汉书礼乐志云:『訾黄何不徕下?』应劭注云:『訾黄一名乘黄,龙翼而马身,黄帝乘之而仙。』”   4 珂案:初学记、博物志并作三千岁。   肃慎之国1在白民北,有树名曰雄2常3,先入伐4帝,于此取之5。   1 珂案:大荒北经云:“大荒之中,有山名曰不咸。有肃慎氏之国。”淮南子墬形篇有肃慎民。周书王会篇云:“稷慎大麈。”孔晁注云:“稷慎,肃慎也。”   2 郭璞云:“或作雒。”   3 珂案:经文雄常,淮南子墬形篇作雒棠,云“雒棠、武人在西北陬”,高诱注云:“皆日所入之山名也。”疑非。雒棠当即此经之雄(郭云“或作雒”)常,木名也。   4 珂案:宋本、吴宽抄本、毛扆本、藏经本俱作代。   5 郭璞云:“其俗无衣服,中国有圣帝代立者,则此木生皮可衣也。”珂案:经文先入伐帝,于此取之,王念孙云:“御览东夷五(卷七八四)作『先人代帝,于此取衣』,木部十(卷九六一)作『圣人代立,于此取衣』。”珂案:据郭注,作“圣人代立,于此取衣”是也。孙星衍校亦作“圣人代立,于此取衣”。如此始与郭注相应。   长股之国1在雄常北,被发2。一曰长脚3。   1 珂案:大荒西经云:“西北海之外,赤水之东,有长胫之国。”即长股国也。淮南子墬形篇有长股民。   2 郭璞云:“国在赤水东也。长臂人身如中人而臂长二丈,以类推之,则此人脚过三丈矣。黄帝时至。或曰,长脚人常负长臂人入海中捕鱼也。”郝懿行云:“长臂国已见海外南经。郭云臂长二丈,二当为三,字之讹也。初学记十九卷引郭氏赞云:『双臂三丈,体如中人;彼曷为者,长臂之人;修脚是负,捕鱼海滨。』案修足即长脚。郭注穆天子传(卷二)云:『长脚人国,又在赤海东。』谓是也。”珂案:郭注长股国“黄帝时至”者,路史后纪五注引尸子云:“四夷之民有贯胸者,深目者,长股者,黄帝之德皆致之。”盖本此。   3 郭璞云:“或曰有乔国,今伎家乔人,盖象此身。”吴任臣曰:“乔人,双木续足之戏,今曰蹻。”   西方蓐收,左耳有蛇,乘两龙1。   1 郭璞曰:“金神也;人面、虎爪、白毛,执钺。见外传。”   珂案:郭说蓐收,本国语晋语二文。晋语二云:“虢公梦在庙,有神人面、白毛、虎爪,执钺,立于西阿,公惧而走。神曰:『无走。帝命曰:使晋袭于尔门。』公拜稽首,觉,召史嚣占之,对曰:『如君之言,则蓐收也,天之刑神也,天事官成。』公使囚之,且使国人贺梦。……六年,虢乃亡。”此一刑戮之神,至山海经西次三经又为司日入之神。西次三经云:“泑山,神蓐收居之,西望日之所入,其气员,神红光之所司也。”郝懿行云:“红光盖即蓐收也。”近是。此神或以为是少皞之子。吕氏春秋孟秋篇“其神蓐收”高诱注云:“少皞氏裔子曰该,皆(实?)有金德,死托祀为金神。”或以为是少皞之叔。左传昭公二十九年:“少皞氏有四叔,曰重,曰该,曰修,曰熙,实能金木及水。使重为句芒,该为蓐收,修及熙为玄冥。世不失职,遂济穷桑。”尚书大传云:“西方之极,自流沙西至三危之野,帝少皞神蓐收司之。”蓐收,少皞之佐也。楚辞大招云:“魂乎无西,西方流沙,漭洋洋只;豕首纵目,被发鬤只;长爪踞牙,俟笑狂只。”王逸注:“此盖蓐收神之状也。”则在世人心目中,此一刑戮之神,又倍增其狞猛之气矣。   山海经海经新释卷三  山海经第八    海外北经   海外自东北陬至西北陬者1。   1 毕沅云:“淮南子墬形训云『自东北至西北陬』同,而起跂踵民,终无继民,与此文正倒。疑淮南子当作自西北方至东南方,或传写之误也。”珂案:毕说非也;淮南子文不误,此文自误。此云:“自东北陬至西北陬”,则文中诸国均应西向。今既云“〤〤国在其东”,可见应是“自西北陬至东北陬”,“东”“西”二字适倒。且海外西经“自西南陬至西北陬”起灭蒙鸟,终长股国,长股国自应在西北陬;今既云“无綮之国在长股东”,则无綮之国岂非西北陬之国而何?淮南子自东北至西北方,故起跂踵民,终无继民;此与相反,故起无綮之国(无继民),终跂踵国。   无綮之国1在长股东,为人无綮2。   1 郭璞云:“音启,或作綮。”毕沅云:“说文无綮(纟改月)字,当为綮,或作启、继皆是。广雅作无启,淮南子作无继民,高诱注云:『其人盖无嗣也,北方之国也。』与郭义异。字林始有綮字,云(月端)肠,见广韵。郭盖以此为说,其实非古字古义也。”珂案:毕说是也,当从广雅作无启;无启,无继也,正高诱注淮南子所谓“其人盖无嗣也”之义。无嗣而有国,当因其人能如郭注所云“死百廿岁乃复更生”,实不死也。大荒北经有继无民,又云“无继子食鱼”,“继无”自是“无继”之倒,王念孙、郝懿行并校作无继,则此“无綮之国”者,尤可证其当作“无启之国”也。   2 郭璞云:“綮,肥肠也。其人穴居,食土,无男女,死即薶之,其心不朽,死百廿岁乃复更生。”珂案:郭注“綮,肥肠也”,肥肠当为腓肠,即胫骨后之肉,今俗呼为小腿肚者是。然綮应作启,已如上说,郭注因綮为说,不免失之。大荒北经云:“有继无民,继无民任姓,无骨子,食气鱼。”即无启之国也。博物志异人云:“无綮民,居穴食土,无男女,死埋之,其心不朽,百年还化为人。细民,其肝不朽,百年而化为人,皆穴居处。二国同类也。”无綮民自本郭注为说,又增细民。而酉阳杂俎于此二说外,复增录民,云:“录民,膝不朽,埋之百二十年化为人。”则未免有重床叠屋之感矣。   钟山之神,名曰烛阴1,视为昼,瞑为夜,吹为冬,呼为夏,不饮,不食,不息,息为风2,身长千3里。在无綮之东。其为物,人面,蛇身,赤色,居钟山下4。   1 郭璞云:“烛龙也,是烛九阴,因名云。”珂案:大荒北经云:“西北海之外,赤水之北,有章尾山。有神,人面蛇身而赤,直目正乘。其瞑乃晦,其视乃明。不食,不寝,不息,风雨是谒。是烛九阴,是谓烛龙。”烛龙之称烛阴,盖以此矣;章、钟则一声之转也。楚辞天问云:“日安不到?烛龙何耀?”大荒北经郭璞注引诗含神雾云:“天不足西北,无有阴阳消息,故有龙衔火精(火字原脱,据李善注雪赋引补)以往照天门中也。”此所谓“烛阴”也。钟山以其不见日,故常寒,此大招之所谓“魂乎无北,北有寒山,逴龙(烛龙)艳只”之“寒山”也。古小说钩沉辑玄中记云:“北方有钟山焉,山上有石首如人首,左目为日,右目为月,开左目为昼,闭右目为夜;开口为春夏,闭口为秋冬。”此“人面蛇身”之钟山山神虽已化为“石首”,然其神力固犹昨也。说者谓此神当即是原始的开辟神,征于任昉述异记:“先儒说:盘古氏泣为江河,气为风,声为雷,目瞳为电。古说:盘古氏喜为晴,怒为阴。”广博物志卷九引五运历年记(三国吴徐整着):“盘古之君,龙首蛇身,嘘为风雨,吹为雷电,开目为昼,闭目为夜。”信然。盘古盖后来传说之开辟神也。   2 郭璞云:“息,气息也。”王念孙云:“御览时序十二(卷二七)作息则为风。”   3 王念孙云:“类聚鳞介部(卷九六)千上有三字。”   4 郭璞云:“淮南子曰:『龙身一足。』”珂案:淮南子墬形篇云:“烛龙在雁门北,蔽于委羽之山,不见日;其神人面龙身而无足。”是郭所引也;一字讹。   一目国1在其东,一目中其面而居。一曰有手足2。   1 珂案:淮南子墬形篇有一目民。大荒北经云:“有人一目,当面中生。一曰是威姓,少昊之子,食黍。”即此。海内北经云:“鬼国在贰负之尸北,为物人面而一目。”鬼、威音近,当亦是一目国也。论衡订鬼篇引山海经(今本无)云:“北方有鬼国,说螭者谓之龙物也。”何所谓“龙物”,则语焉而不详也。   2 郝懿行云:“有手足三字疑有讹。”珂案:“一曰有手足”五字,或涉下文“柔利国在一目东,为人一手一足”而衍。   柔利国1在一目东,为人一手一足,反2,曲足居上3。一云留利之国4,人足反折5。   1 珂案:大荒北经云:“有牛黎之国。有人无骨,儋耳之子。”即柔利国也,牛黎、柔利音皆相近;儋耳即聂耳也。博物志异人云:“子利国人,一手二足,拳反曲。”子当为柔,二当为一,并字形之讹也。   2 珂案:,古膝字,宋本、藏经本并作膝。   3 郭璞云:“一脚一手反卷曲也。”   4 珂案:留、柔之声亦相近。   5 郝懿行云:“足反卷曲,有似折也。”   共工1之臣曰相柳氏2,九首,以食于九山3。相柳之所抵,厥为泽溪4。禹杀相柳,其血腥,不可以树五谷种5。禹厥之,三仞三沮6,乃以为众帝7之台8。在昆仑之北9,柔利之东。相柳者,九首人面,蛇身而青。不敢北射,畏共工之台10。台在其东。台四方,隅有一蛇,虎色11,首冲南方12。   1 郭璞云:“共工,霸九州者。”珂案:郭注乃本国语鲁语“共工氏之伯九有也”为说,然乃以历史释神话,非是。共工乃古天神名,与颛顼争为帝者。淮南子天文篇云:“昔共工与颛顼争为帝,怒而触不周之山,天柱折,地维绝。天倾西北,故日月星辰移焉;地不满东南,故水潦尘埃归焉。”即此共工。兵略篇又云:“共工为水害,故颛顼诛之。”史记律书亦云:“颛顼有共工之阵以平水害。”则此天神共工乃水神也。其与“争为帝”之对象,诸书所记不一,或曰高辛,见于淮南子原道篇;或曰神农,见于琱玉集卷十二壮力篇引淮南子;或曰祝融,见于史记司马贞补三皇本纪;或曰女娲,见于路史太昊纪:然要以“与颛顼争为帝”之说为近古。颛顼,黄帝之裔孙也(山海经海内经);而国语周语韦昭注:“贾侍中云:共工诸侯,炎帝之后,姜姓也。”(亦本山海经海内经):则共工与颛顼之争,亦黄炎斗争之余绪也。共工触山,“折天柱,绝地维”,打破为颛顼所统治之旧世界,使世界局面为之改观,虽曰“不胜”(淮南子兵略篇、论衡谈天篇、楚辞天问王逸注等)亦足见其“猛志固常在”(陶潜读山海经)之斗争精神矣,谓共工为“不死”,为“胜利的英雄”(毛泽东同志渔家傲反第一次大“围剿”注释按语),谁曰不宜?然或又传共工有与禹之斗争。荀子成相篇云:“禹有功,抑下鸿,辟除民害逐共工。”禹亦黄帝系之人物也(山海经海内经:“黄帝生骆明,骆明生白马,白马是为鲧。”鲧,禹父也),共工与禹之斗争,亦应是黄炎斗争之余绪。然神话演而至此,禹已成为众所公认之治水英雄,民间传说与古籍记载咸无异辞,于是站在治水对立面而与禹作斗争之共工,乃不能不居于反面人物之地位。故山海经乃有禹攻共工国山(大荒西经),此则云禹杀共工之臣相柳,均成相篇所谓“辟除民害”之意也。则共工者,应视其所与周旋之人物而定其正反,非可一概而论,始符毛泽东同志按语“诸说不同。我取……”精神,亦已明矣。   2 珂案:大荒北经云:“共工臣名曰相繇,九首蛇身,自环,食于九土。其所歍所尼,即为源泽。不辛乃苦,百兽莫能处。禹湮洪水,杀相繇。其血腥臭,不可生谷,其地多水,不可居也。禹湮之,三仞三沮。乃以为池,群帝因是以为台。在昆仑之北。”即此相柳也。楚辞天问云:“雄虺九首,儵忽焉在?”王逸注云:“虺,蛇别名也,言有雄虺,一身九头。”疑亦此也。   3 郭璞云:“头各自食一山之物,言贪暴难餍。”   4 郭璞云:“抵,触;厥,掘(宋本作抵--珂)也,音撅。”珂案:经文泽溪,王念孙云:“御览作溪潭。”今影宋本御览卷六四七作溪泽。又经文厥,王念孙注云:“厥亦触也。”   5 王念孙云:“御览无五字。”珂案:今影宋本御览卷六四七作“不可以树声(耳改木)”;声(耳改木),字书不载,疑即谷字之讹,无“五”字。   6 郭璞云:“掘塞之而土三沮滔,言其血膏浸润坏也。”郝懿行云:“注滔盖陷字之讹。”珂案:毛扆本滔正改作陷字。   7 珂案:众帝,指帝尧、帝喾等古帝。   8 郭璞云:“言地润湿,唯可积土以为台观。”郝懿行云:“海内北经云:『帝尧台、帝喾台、帝丹朱台、帝舜台,在昆仑东北。』郭注亦引此经为说。”   9 郭璞云:“此昆仑山在海外者。”郝懿行云:“海内北经云:『台四方,在昆仑东北。』是此昆仑亦在海内者,郭注恐非。”   10郝懿行云:“臣避君也。”珂案:射者畏共工之台共工威灵,故不敢北射,犹海外西经云:“穷山在其北,不敢西射,畏轩辕之丘。”郝懿行谓臣避君,非也。   11郝懿行云:“虎文也。”   12郭璞云:“冲,犹向也。”   深目国1在其东,为人举一手一目2,在共工台东。   1 珂案:淮南子墬形篇有深目民;大荒北经云:“有人方食鱼,名曰深目之国,?姓,食鱼。”即此。郭注“贯匈国”(见海外南经)引尸子曰:“四方之民,有贯匈者,有深目者,有长肱(路史后纪五注引作长股——珂)者,黄帝之德尝致之。”则传说由来远矣。   2 郭璞云:“一作曰。”郝懿行云:“一目作一曰连下读是也。”珂案:“为人举一手”,是图画所见之象如此,“深目”非“一目”,“一目”正当作“一曰”连下读为是。然“为人举一手”,犹有说者。山海经所记海外各国,非异形即异禀,无由“举一手”即列为一国之特征者。疑“为人”下,尚脱“深目”二字,“为人深目、举一手”,即与经记诸国之体例相符矣。   无肠之国1在深目东2,其为人长而无肠3。   1 珂案:大荒北经云:“又有无肠之国,是任姓,无继子,食鱼。”淮南子墬形篇有无肠民。   2 郭璞云:“一作南。”   3 郭璞云:“为人长大,腹内无肠,所食之物直通过。”郝懿行云:“神异经云:『有人知往,有腹无五藏,直而不旋,食物径过。』疑即斯人也。”   聂耳之国1在无肠国东,使两文虎2,为人两手聂其耳3。县居海水中4,及水所出入奇物5。两虎在其东6。   1 珂案:大荒北经云:“有儋耳之国,任姓,禺号子,食谷。”即此。淮南子墬形篇无聂耳国,而云:“夸父耽耳在其北方。”是耽耳即儋耳,亦即此经聂耳也。大荒北经云“禺号子”者,禺号即禺(豸虎),乃东海海神。大荒东经云:“黄帝生禺(豸虎),禺(豸虎)生禺京,禺京处北海,禺(豸虎)处东海,是为海神。”郭璞云:“一本作号。”即此禺号也。   2 珂案:文虎,雕虎;已见海外南经郭璞注。   3 郭璞云:“言耳长,行则以手摄持之也;音诺颊反。”珂案:唐李冗独异志云:“山海经有大耳国,其人寝,常以一耳为席,一耳为衾。”则传说演变,夸张又甚矣。   4 郭璞云:“县,犹邑也。”珂案:初学记卷六引此经作“悬居赤水中”。县,悬本字;“县居海水中”者,言聂耳国所居乃孤悬于海中之岛也;郭以邑释县,殊未谛。   5 郭璞云:“言尽规有之。”珂案:藏经本“奇物”作“奇怪物”。   6 珂案:两虎,即上文聂耳国所使两文虎;在其东,在聂耳国之东,盖图象如此。   夸父1与日逐走,入日2。渴欲得饮,饮于河渭;河渭不足,北饮大泽3。未至,道渴而死。?4其杖5,化为邓林6。   1 珂案:大荒北经云:“大荒之中,有山,名曰成都载天。有人珥两黄蛇,把两黄蛇,名曰夸父。后土生信,信生夸父,夸父不量力,欲追日景,逮之于禺谷。将饮河而不足也,将走大泽,未至,死于此。”即此一神话之异文。其言“后土生信,信生夸父”,而海内经记“炎帝生炎居,炎居生节并,节并生戏器,戏器生祝融,祝融生共工,共工生后土”,则夸父者,炎帝之裔也。以义求之,盖古之大人(夸,大;父,男子美称)也。共工之力,能以摧山;“土伯九约,其角觺觺”(见楚辞招魂,王逸注:“土伯,后土之侯伯”);而姜姓之蚩尤,亦“兽身人语,铜头铁额”(御览卷七八引龙鱼河图)、“齿长二寸”(述异记):是炎帝裔属中,颇不乏魁梧奇伟之巨人也。   2 郭璞云:“言及于日将入也;逐音冑。”郝懿行云“北堂书钞一百三十三卷,李善注(文选)西京赋、鹦鹉赋及张协七命引此经并作『与日竞走』,初学记一卷引此经作『逐日』,史记礼书裴骃集解引此经作『与日逐走,日入』,并与今本异。”王念孙云:“御览天部三(卷三,影宋本作逐日——珂)、服用十二(卷七一0)作竞走,妖异三(卷八八七)作竞走,(文选)阮籍孤怀诗注引作夸父与日竞逐而渴死,其杖化为邓林,七命注引作竞走,书钞服饰二(卷一三三)作竞走,酒食三(卷一四四)同。”珂案:竞、逐互见,是一本作竞也。又经文入日,何焯校本作日入,黄丕烈、周叔弢校同。   3 珂案:海内西经云:“大泽方百里,群鸟所生及所解,在鴈门北。”大荒北经云:“有大泽方千里,群鸟所解。”即此大泽。毕沅以为即古之翰海,疑是。   4 珂案:?,古弃字。   5 郝懿行云:“列子汤问篇『弃其杖』下,有『尸膏肉所浸』五字。”   6 郭璞云:“夸父者,盖神人之名也;其能及日景而倾河渭,岂以走饮哉,寄用于走饮耳。几乎不疾而速,不行而至者矣。此以一体为万殊,存亡代谢,寄邓林而遯形,恶得寻其灵化哉!”毕沅云:“邓林即桃林也,邓、桃音相近。高诱注淮南子(墬形篇)云:『邓,犹木。』是也。列子(汤问篇)云:『邓林弥广数千里。』盖即中山经(中次六经)所云『夸父之山,北有桃林』矣。其地则楚之北境也。”   博父国1在聂耳东,其为人大,右手操青蛇,左手操黄蛇。邓林在其东,二树木2。一曰博父。   1 珂案:博父国当即夸父国,此处博父亦当作夸父,淮南子墬形篇云:“夸父耽耳在其北。”即谓是也。下文既有“一曰博父”,则此处不当复作博父亦已明矣;否则下文当作“一曰夸父”,二者必居其一也。   2 郝懿行云:“二树木,盖谓邓林二树而成林,言其大也。”   禹所积石之山1在其东,河水所入2。   1 毕沅曰:“当云禹所导积石之山,此脱导字。”王念孙校同。珂案:毕王之说疑非。寻检经文,积石之山有二:一曰积石,一曰禹所积石。大荒北经云:“大荒之中,有山名曰先槛大逢之山,河济所入,海北注焉,其西有山,名曰禹所积石。”即此禹所积石山也,其方位在北。西次三经云:“积石之山,其下有石门,河水冒以西流。”海内西经云:“河水出东北隅,以行其北,西南又入勃海,又出海外,即西而北,入禹所导积石山。”即积石之山也,其方位在西。郝懿行注此经以大荒北经禹所积石即此禹所积石、以西次三经积石之山为非固是矣,而以海内西经禹所导积石为此禹所积石,则不知何所据也。   2 郭璞云:“河出昆仑而潜行地下,至岭,复出注盐泽,从盐泽复行南,出于此山,而为中国河,遂注海也。书(禹贡)曰:『导河积石。』言时有壅塞,故导利以通之。”   拘缨之国1在其东,一手把缨2。一曰利缨之国3。   1 珂案:淮南子墬形篇有句婴民,即此。高诱注云:“句婴读为九婴,北方之国。”则所未详也。   2 郭璞云:“言其人常以一手持冠缨也。或曰缨宜作瘿。”珂案:缨正宜作瘿。瘿,瘤也,多生于颈,其大者如悬瓠,有碍行动,故须以手拘之,此“拘瘿之国”之得名也。作拘缨者,同音通假,实亦拘瘿,非如郭注所云“常以一手持冠缨”也。山海经所记殊方异域之人,非异形即异禀,无为以“一手持冠缨”而亦列为一国之理,是不足深辨亦已明矣。   3 江绍原中国古代旅行之研究云:“利或是捋之讹。”说亦可供参考。   寻木长千里,在拘缨南,生河上西北1。   1 珂案:穆天子传卷六云:“天子乃钓于河,以观姑繇之木。”郭璞注:“姑繇,大木也。山海经云:『寻木长千里,生河(河原讹作海,从御览卷八百三十四引改)边。』谓此木之类。”当如郭说也。姑繇之木,即榣木,见西次三经槐江之山。说文六云:“?,昆侖河隅之長木也。”字省作榣耳。寻木亦此木之类也。   跂踵国1在拘缨东,其为人大,两足亦大2。一曰大踵3。   1 郭璞云:“跂音企。”   2 郭璞云:“其人行,脚跟不着地也。孝经钩命诀曰『焦侥跂踵,重译?塞』也。”珂案:淮南子墬形篇有跂踵民,高诱注云:“跂踵民,踵不至地,以五指行也。”即郭注所本。然文选王元长曲水诗序注引高注则作“反踵,国名,其人南行,迹北向也。”与此异义。大约跂踵本作支踵,支、反形近易讹,故兼二说。跂又作歧:吕氏春秋当染篇云:“夏桀染于歧踵戎。”即此也。经文“其为人大,两足亦大”,不足以释“跂踵”,疑有讹误。王念孙云:“御览人事十三作『其为人两足皆大』,南蛮六同。”查影宋本御览卷三七二(即人事十三)作“其为两足皆大”,卷七九0(即南蛮六)作“其人两足皆大”,“其为”“其人”,各脱一字,盖“其为人”也。“其为人两足皆大”,如所引近确,则经文“其为人大”之大字盖衍文也。然“两足皆大”,于释“跂踵”义犹扞格。疑大当作支,大、支形近而讹。“两足皆支,正所以释“跂踵”也;则此处经文实当作“其为人两足皆支”。   3 郝懿行云:“大踵疑当为支踵或反踵,并字形之讹。”珂案:作“反踵”是也。国名既为“跂踵”,则不当复作“支踵”,而作“大踵”乃未闻成说,故实祗宜作“反踵”。跂踵之为反踵,犹支舌之为反舌也。   欧丝之野在大踵东,一女子跪据树欧丝1。   1 郭璞云:“言噉桑而吐丝,盖蚕类也。”珂案:博物志异人云:“呕丝之野,有女子方跪据树而呕丝,北海外也。”呕丝即欧丝;呕,欧俗字。说文八云:“欧,吐也。”故郭注以噉桑吐丝为言。毕沅云欧当作沤,非也。此一简单神话,盖“蚕马”神话之雏型也。传为三国吴张俨所作恐亦仍出六朝人手笔之太古蚕马记(见搜神记卷十四)叙此神话云:“旧说太古之时,有大人远征,家无余人,唯有一女。牡马一匹,女亲养之。穷居幽处,思念其父。乃戏马曰:『尔能为我迎得父还,我将嫁汝。』马既承此言,乃绝?而去,径至父所。父见马惊喜,因取而乘之。马望所自来,悲鸣不已。父曰:『此马无事如此,我家得无有故乎?』亟乘以归。为畜生有非常之情,故厚加刍养,马不肯食。每见女出入,辄喜怒奋击,如此非一。父怪之,密以问女,女具以告父:『必为是故。』父曰:『勿言,恐辱家门。且莫出入。』于是伏弩射杀之,暴皮于庭。父行,女与邻女于皮所戏,以足蹙之,曰:『汝是畜生,而欲取人为妇耶?招此屠剥,如何自苦……』言未及竟,马皮蹶然而起,卷女以行。邻女忙怕,不敢救之。走告其父。父还求索,已出失之。后经数日,得于大树枝间,女及马皮,尽化为蚕,而绩于树上。其?纶理厚大,异于常蚕。邻妇取而养之,其收数倍。因名其树曰桑。桑者,丧也。由斯百姓竞种之,今世所养是也。”此盖是神话演变之结果也。前乎此(欧丝之野神话)者,有中次一十一山经所记“宣山,其上有桑焉,大五十尺,其枝四衢,其叶大尺余,赤理、黄华、青叶,名曰帝女之桑”之帝女桑,惟仅着异桑,然已“女”“桑”相连为文。后乎此者,有荀子蚕赋:“身女好而头马首”,状蚕之态,已近“蚕马”。则知演变之迹象,实隐有脉络可寻也。吾国蚕丝发明甚早,妇女又专其职任,宜在人群想象中,以蚕之性态与养蚕妇女之形象相结合。至于玉函山房辑佚书辑河图括地象云:“化民食桑,二十七年而身裹,九年生翼,十年而死之焉。”则是蚕桑神话之异闻,非关此也。   三桑无枝,在欧丝东,其木长百仞,无枝1。   1 郭璞云:“言皆长百仞也。”珂案:大荒北经云:“有三桑无枝。”北次二经云:“洹山,三桑生之,其树皆无枝,其高百仞。”即此。此无枝之三桑,当即跪据树欧丝女子之所食也。   范林方三百里1,在三桑东,洲环其下2。   1 郝懿行云:“范、泛通。太平御览五十七卷引顾恺之启蒙记曰:『泛林鼓于浪岭。』注云:『西北海有泛林,或方三百里,或百里,皆生海中浮土上,树根随浪鼓动。』即此也。”   2 郭璞云:“洲,水中可居者;环,绕也。”   务隅之山1,帝颛顼葬于阳2,九嫔葬于阴3。一曰爰有熊、罴、文虎、离朱、(丘鸟)久、视肉4。   1 珂案:海内东经云:“汉水出鲋鱼之山,帝颛顼葬于阳,九嫔葬于阴,四蛇卫之。”大荒北经云:“附禺之山,帝颛顼与九嫔葬焉。”即此务隅,皆声近字通也。   2 郭璞云:“颛顼,号为高阳,冢今在濮阳,故帝丘也。一曰顿丘县城门外广阳里中。”珂案:史记五帝本纪集解引皇览云:“颛顼冢,在东郡濮阳顿丘城门外广阳里中。”郭注盖本此。   3 郭璞云:“嫔,妇。”   4 毕沅云:“一本多此十四字也。”珂案:上述各物已见海外南经“狄山”节。(丘鸟)久,藏经本作鸱久,郝懿行于海外南经注亦谓(丘鸟)当作鸱。孙星衍校同郝注。   平丘1在三桑东,爰有遗玉2、青鸟3、视肉、杨柳、甘柤4、甘华5,百果所生6,有7两山夹上谷,二大丘居中,名曰平丘。   1 毕沅云:“淮南子(墬形篇)云:华邱。”郝从毕说。珂案:毕、郝之说非也。淮南子墬形篇明云:“昆仑华邱在其东南方。”则华邱者,应是海外东经“自东南陬至东北陬者”篇首之嗟丘。郭注云:“音嗟,或作发。”嗟、发、华,盖一音之转也。此云平丘,地在东北,方位既异,音复不同,何得以品物相类便遂断为淮南子邱乎?   2 郭璞云:“遗玉,玉石。”郝懿行云:“吴氏(任臣——珂)云:『遗玉即瑿玉;琥珀千年为瑿。字书云:瑿,遗玉也。』吴氏之说,据本草旧注,未审是否。瑿,黑玉也。说文无此字,而有●。云:『遗玉也,从玉,●声。』是遗玉名●,与瑿形声皆近,当从说文也。”   3 珂案:青鸟,藏经本作青马;海外东经嗟丘、淮南子墬形篇华丘亦俱作青马:则作青马是也。   4 郭璞云:“其树枝干皆赤,黄华,白叶,黑实。吕氏春秋曰:『其山之东,有甘柤焉。』音如柤梨之柤。”珂案:柤梨之柤,音渣。甘柤形状,见大荒南经:“有盖犹之山者,其上有甘柤,枝干皆赤,黄叶,白华,黑实。”是郭注所本。然黄华白叶,当为黄叶白华,字之讹也。其山即箕山,籀文箕作其也。今本吕氏春秋本味篇云:“箕山之东,青鸟之所,有甘栌焉。”是郭所引者,惟甘栌作甘柤是其异耳。或古本如此,未可知也。甘柤维何?曰盖是梨木之神异者。礼内则云:“柤,梨曰钻之。”注:“柤,梨之不臧者。”疏:“恐有虫,故一一钻看其虫孔也。”柤,尔雅释木作樝,郭璞注云:“樝似梨而酢涩。”此云甘柤,明其不同于常柤矣。神异经南荒经云:“大荒之中有树焉,名曰柤稼●。柤者,柤梨也;稼者,株稼也;●者,亲●也。三千岁作华,九千岁作实,实长九尺,围如其长,而无瓤核,以竹刀剖之如凝蜜,得食者寿一万二千岁。”当即此甘柤之属。述异记上云:“北方有七尺之枣,南方有三尺之梨,凡人不得见,或见而食之,即为地仙。”谓是也。   5 郭璞云:“亦赤枝干,黄华。”珂案:大荒南经云:“(盖犹之山)东又有甘华,枝干皆赤,黄叶。”则黄华当作黄叶。   6 珂案:齐民要术十引此经生作在。   7 珂案:经文有,宋本、吴宽抄本、毛扆本、藏经本均作在。   北海内有兽,其状如马,名曰騊駼1。有兽焉,其名曰驳,状如白马,锯牙,食虎豹2。有素兽焉,状如马,名曰蛩蛩3。有青兽焉,状如虎,名曰罗罗4。   1 郭璞云:“陶涂两音,见尔雅(释畜)。”郝懿行云:“尔雅注引此经騊駼下有『色青』二字,史记匈奴传徐广注亦云:『似马而青。』疑此经今本有脱文矣。”珂案:周书王会篇:“禺氏騊駼、駃騠为献。”则騊駼者,野马之属也。   2 郭璞云:“周书(王会篇)曰:『义渠兹白,兹白若白马,锯牙,食虎豹。』按此二说与尔雅(释畜)同。”珂案:郭注“二说”云者,指经文与周书王会篇之说也。西次四经云:“中曲之山有兽焉,其状如马,而白身黑尾,一角,虎牙爪,音如鼓音,其名曰驳,是食虎豹,可以御兵。”较兹所记又加详焉。而管子小问篇云:“桓公乘马,虎望见之而伏。桓公问管仲曰:『今者寡人乘马,虎望见寡人而不敢行,其故何也?』管仲对曰:『意者君乘骏马而洀(古盘字)桓,迎日而驰乎?』公曰:『然。』管仲对曰:『此驳象也,驳食虎豹,故虎疑焉。』”则已演为故事而着之简册矣。   3 郭璞云:“即蛩蛩钜虚也,一走百里,见穆天子传(卷一);音邛。”珂案:周书王会篇云:“独鹿邛邛,善走也。”孔晁注:“独鹿,西方之戎也;邛邛,兽,似距虚,负●而走也。”实则邛邛、距虚乃是一物,即尔雅释地所记“邛邛岠虚”也。吕氏春秋不广篇云:“北方有兽,名曰蹶,鼠前而兔后,趋则跲,走则颠,常为蛩蛩距虚取甘草以与之。蹶有患害也,蛩蛩距虚必负而走。”是犹比肩之兽也。   4 吴任臣云:“骈雅曰:『青虎谓之罗罗。』今云南蛮人呼虎亦为罗罗,见天中记。”   北方禺强,人面鸟身,珥两青蛇,践两青蛇1。   1 郭璞云:“字玄冥,水神也。庄周(庄子大宗师)曰:『禺强立于北极。』一曰禺京。一本云:北方禺强,黑身手足,乘两龙。”   珂案:大荒北经云:“有神,人面鸟身,珥两青蛇,践两赤蛇,名曰禺强。”与此经文略异。又大荒东经云:“东海之渚中,有神,人面鸟身,珥两黄蛇,践两黄蛇,名曰禺(豸虎)。黄帝生禺(豸虎),禺(豸虎)生禺京,禺京处北海,禺(豸虎)处东海,是为海神。”郭璞于“禺京”下注云:“即禺强也。”强、京一声之转。则作为北海海神之禺京,与其作为东海海神之父禺(豸虎),同为人面鸟身。然窃有疑焉。庄子逍遥游云:“北冥有鱼,其名为鲲,鲲之大,不知其几千里也,化而为鸟,其名为鹏,鹏之背,不知其几千里也。怒而飞,其翼若垂天之云。是鸟也,海运则将徙于南冥;南冥者,天池也。齐谐者,志怪者也;谐之言曰:鹏之徙于南冥也,水击三千里,抟扶摇而上者九万里,去以六月息者也。”似乎非仅寓言,实有神话之背景存焉。此背景维何?陆德明音义引崔譔云:“鲲当为鲸。”是也。尔雅释鱼:“鲲,鱼子。”大无以致千里。庄生诙诡,以小名大,齐物之意也,鲲实当为鲸。而北海海神适名禺京,又字玄冥,此与庄周寓言中北冥之鲲(鲸)岂非有一定之关联乎?而鲸,字本作●,说文十一云:“●,海大鱼也,从鱼,?声。”又与禺强(禺京)之“强”合。郭注引一本云:“北方禺强,黑身手足,乘两龙。”疑“黑身”乃“鱼身”之误,“黑”与“鱼”形近而致讹也。海外东经云:“雨师妾在其北,为人黑身人面。”未言手足。以身既人身,手足自具,无烦更举。海内北经云:“陵鱼人面、手足、鱼身,在海中。”此人形之鱼,身仍为鱼,而有手有足,故特着手足,以彰其异。由是言之,“黑身手足”之禺强,犹“手足鱼身”之陵鱼,均人鱼之类,“黑身”盖“鱼身”之讹也。其为海神之时,形貌当即是“鱼身手足”。然而禺强不仅海神而已,实又兼风神职司。淮南子墬形篇云:“隅强(禺强),不周风之所生也。”史记律书曰:“不周风居西北,主杀生。”此生于不周风之禺强,实当即是主不周风者。淮南本经篇载尧时害民之物,有所谓“大风”者,实即大凤,亦即庄子逍遥游之大鹏,高诱注以为风伯,又以为鸷鸟。此风伯若鸷鸟者,自非山海经所记人面鸟身之禺强莫属。故谓其不仅海神,实又职兼风神。当其为海神之时,固“鱼身手足”之“鲲(鲸)”也,固“大不知其几千里”也,然而一旦“化而为鸟”,则又“人面鸟身”之“鹏”也,则又“背不知其几千里”、“怒而飞、其翼若垂天之云”也:庄周诙诡之寓言,证以此经所记禺强之形貌,岂非实有神话之背景存于其间乎?推而论之,东海海神禺(豸虎)之貌,或亦非仅具“鸟身”,实且兼有鱼形,亦当为海神而兼风神也。惜乎文献缺略,无由引证矣。   山海经海经新释卷四  山海经第九    海外东经   海外自东南陬至东北陬者。   肆(聿改差)丘1,爰有遗玉、青马、视肉、杨柳2、甘柤3、甘华,百果所生。在东海,两山夹丘,上有树木。一曰嗟丘,一曰百果所在,在尧葬东4。   1 郭璞云:“音嗟,或作发。”郝懿行云:“北堂书钞九十二卷引嗟正作发,即郭所见本也。嗟,古或作肆(聿改差),尔雅释诂云:『嗟,咨也。』广韵作嗟丘。玉篇云:『(上髟下左),好也。』义与此异。淮南墬形训作华丘。”   2 珂案:淮南子墬形篇作杨桃。   3 珂案:甘柤,已见海外北经“平丘甘柤”节注4;淮南子墬形篇作甘樝。   4 珂案:尧葬狄山,已见海外南经。   大人国1在其北,为人大,坐而削船2。一曰在肆(聿改差)丘北。   1 珂案:大荒东经云:“东海之外,大荒之中,有山名曰大言,日月所出。有波谷山者,有大人之国。有大人之市,名曰大人之堂。有一大人踆其上,张其两臂(臂原作耳,从王念孙、毕沅、郝懿行诸家校改)。”即此大人国也。淮南子墬形篇亦有大人国,高诱注云:“东南墟土,故人大。”盖本大戴礼易本命篇“虚土之人大”为说也。然北方亦有大人,海内北经云:“大人之市在海中。”大荒北经云:“有人名曰大人。有大人之国,厘姓,黍食。”则不限于东南矣。大人传说之见于史籍者,始国语鲁语。鲁语云:“吴伐越,堕会稽,获骨焉,节专车。吴子使来好聘,且问之仲尼,仲尼曰:『昔禹会群神于会稽之山,防风氏后至,禹杀而戮之,其骨节专车。』”其后春秋文公十一年谷梁传亦记之:“长狄也兄弟三人,佚宕中国,瓦石不能害。叔孙得臣最善射者也,射其目,身横九亩,断其首而载之,眉见于轼。”神话中天堂亦有大人:楚辞招魂:“一夫九首,拔木九千些。”地府亦有大人:“土伯九约,其角觺觺些;敦?血拇,逐人駓駓些;参目虎首,其身若牛些。”而大人之鼻祖,则在列子汤问篇所记龙伯国大人:“渤海之东有大壑焉,名曰归墟。其中有五山焉:一曰岱舆,二曰员峤,三曰方壶,四曰瀛洲,五曰蓬莱。其山高下周旋三万里,其顶平处九千里,山之中间相去七万里,以为邻居焉。所居皆仙圣之种,一日一夕飞相往还者不可数焉。常随潮波上下往还,不得蹔峙焉。仙圣毒之,诉之于帝。帝恐流于西极,失群仙圣(仙字原无,从杨伯峻列子集释补)之居,乃命禺强使巨鳌十五,举首而戴之,迭为三番,六万岁一交焉,五山始峙而不动(而不动三字原无,从杨伯峻列子集释补)。而龙伯国有大人,举足不盈数步而暨五山之所,一钓而连六鳌,合负而趣,归其国,灼其骨以数焉。于是岱舆、员峤二山流于北极,沈于大海,仙圣之播迁者巨亿计。帝凭怒,侵减龙伯之国使阨,侵小龙伯之民使短,至伏羲神农时,其国人犹数十丈。”而博物志外国云:“大人国,其人孕三十六年,生白头,其儿则长大,能乘云雨而不能走,盖龙类;去会稽四万六千里。”“龙类”之说,或本此也。   2 郝懿行云:“削当读若稍,削船谓操舟也。”   奢比之尸在其北1,兽身、人面、大耳2,珥两青蛇3。一曰肝榆之尸在大人北。   1 郭璞云:“亦神名也。”郝懿行云:“管子五行篇云:『黄帝得奢龙而辩于东方。』又云:『奢龙辩乎东方,故使为土师。』此经奢比在东海外,疑即是也。罗泌路史(后纪五)亦以奢龙即奢比。三才图会作奢北。又淮南墬形训云:『诸比,凉风之所生。』诸比,神名,或即奢比之异文也。”   2 珂案:大荒东经云:“有神,人面、犬(宋本作大)耳、兽身,珥两青蛇,名曰奢比尸。”即此。   3 郭璞云:“珥,以蛇贯耳也,音钓饵之饵。”珂案:郭注“以蛇贯耳”,盖贯耳以为饰也。山海经记珥蛇之神多处,除此而外,尚有此经之雨师妾“左耳有青蛇,右耳有赤蛇”,海外西经之蓐收“左耳有蛇”,海外北经之禺强“珥两青蛇”,大荒东经之禺(豸虎)“珥两黄蛇”,大荒南经之不廷胡余“珥两青蛇”,大荒西经之弇兹“珥两青蛇”、夏后开“珥两青蛇”,大荒北经之夸父“珥两青蛇”。   君子国1在其北,衣冠带剑,食兽,使二大虎2在旁3,其人好让不争4。有熏5华草,朝生夕死6。一曰在肝榆之尸北。   1 珂案:淮南子墬形篇有此国。大荒东经云:“有东口之山,有君子之国,其人衣冠带剑。”即此。   2 郝懿行云:“后汉书东夷传注引此经大虎作文虎,高诱注淮南墬形训亦作文虎,今此本作大,字形之讹也。”珂案:藏经本正作文虎。   3 珂案:经文旁,藏经本作左右。   4 珂案:说文四云:“东夷从大,大人也;夷俗仁,仁者寿,有君子、不死之国。”而博物志外国云:“君子国人,衣冠带剑,使两虎,民衣野丝,好礼让不争。土千里,多熏华之草。民多疾风气,故人不蕃息。”适又与之相反。大抵传闻不同,故各异其辞耳。艺文类聚卷二十一引此经“衣冠带剑”下有“土方千里”四字,“其人好让”下有“故为君子国”五字,为今本所无。   5 郭璞云:“或作堇。”   6 郝懿行云:“木堇见尔雅(释草),堇一名蕣,与熏声相近。吕氏春秋仲夏纪云:『木堇荣。』高诱注云:『木堇朝荣莫落,是月荣华可用作蒸。杂家谓之朝生,一名蕣;诗(有女同车)云:“颜如蕣华”是也。』艺文类聚八十九卷引外国图云:『君子之国,多木堇之华,人民食之。去琅邪三万里。』”   ??1在其北,各有两首2。一曰在君子国北。   1 郭璞云:“音虹。”   2 郭璞云:“虹,螮蝀也。”   珂案:?即虹字之别写。尔雅释天云:“螮蝀,虹。”郭璞注云:“俗名为美人虹。”诗蝃蝀:“蝃蝀在东,莫之敢指。”蝃音帝,蝃蝀即螮蝀也。此在东之蝃蝀盖暮虹也;虹随日所映,故朝西而暮东也。见于海外东经君子国北之“??”,亦暮虹;云“各有两首”者,大约并蜺包括言之。毛诗正义引郭氏音义云:“虹双出色鲜盛者为雄,雄曰虹;闇者为雌,雌曰蜺。”虹霓之见,古人以为“阴阳交”(古微书辑春秋元命苞),淮南说山篇云“天二气则成虹”是也。“两首”者,亦“交”之象也。故诗蝃蝀以刺奔女。去其封建意识,虹固为爱情幸福之象征。诗候人云:“荟兮蔚兮,南山朝隮;婉兮娈兮,季女斯饥。”“朝隮”即朝虹也,“斯饥”,饥于爱也:则虹所象征者,亦已明矣。宋玉高唐赋所记巫山神女之言:“妾在巫山之岨,旦为朝云,暮为行雨,朝朝暮暮,阳台之下。”闻一多高唐神女传说之分析以为朝云即朝虹,神女即虹霓之所化,说亦近是。则尔雅“螮蝀”郭注所谓“俗名为美人虹”者,固自有其古传也。刘敬叔异苑云:“晋义熙初,晋陵薛愿有虹饮其釜澳,须臾?响便竭。愿辇酒灌之,随投随涸,便吐金满釜,于是灾弊日祛而丰富岁臻。”黄休复茅亭客话云:“韦中令镇蜀之日,与宾客宴于西亭,或暴风雨作,俄有虹蜺自空而下,直入于亭,垂首于筵中,吸其食馔且尽焉。其虹蜺首似驴,身若晴霞状,公惧且恶之。……旬余就拜中书令。”此虽后起之说,然虹见于人家之为祯祥则无异辞也。   朝阳之谷1,神曰天吴,是为水伯。在??北两水闲。其为兽也,八首人面,八足八尾,皆青黄2。   1 郝懿行云:“尔雅云:『山东曰朝阳(释山),水注溪曰谷(释水)。』”   2 郭璞云:“大荒东经云:十尾。”珂案:大荒东经云:“有神人八首人面,虎身十尾。”“皆青黄”,何焯校本、黄丕烈周叔弢校本并作“背青黄”,文选谢灵运游赤石进帆海注引此经亦作“背青黄”:作“背青黄”是也。   青丘国在其北1,其狐四足九尾2。一曰在朝阳北。   1 郭璞云:“其人食五谷,衣丝帛。”王念孙云:“此(指郭注——珂)是正文,见御览南蛮六。”珂案:御览卷七九0(即南蛮六)引此经云:“青丘国其人食五谷,衣丝帛,其狐九尾。”确是正文而误作注者。   2 郭璞云:“汲郡竹书曰:『柏杼子征于东海及王寿,得一狐九尾。』即此类也。”珂案:王寿,宋本作三寿。路史后纪十三云:“帝杼五岁,征东海,伐三寿。”国名纪己云:“后杼征东海,伐王寿。”则或“三”或“王”,未易定也。今本竹书作“三寿”,郝懿行引之以证“王寿”之失,盖未审耳。南山经云:“青丘之山,有兽焉,其状如狐而九尾,其音如婴儿,能食人,食者不蛊。”青丘之山当即青丘国之山也。周书王会篇云:“青丘狐九尾。”大荒东经亦云:“有青丘之国,有狐九尾。”郭璞注:“太平则出而为瑞也。”是青丘者乃以九尾狐名,而淮南墬形篇无此国。吴越春秋越王无余外传云:“禹三十未娶,行到涂山,恐时之暮,失其制度,乃辞云:『吾娶也,必有应矣。』乃有九尾白狐,造于禹。禹曰:『白者吾之服也,其九尾者王之证也。涂山之歌曰:“绥绥白狐,九尾厖厖;我家嘉夷,来宾为王;成家成室,我造彼昌;天人之际,于兹则行。”明矣哉!』禹因娶涂山,谓之女娇。”此九尾白狐,当即是郭注所谓“太平则出而为瑞”之青丘国九尾狐也。汉代石刻画像及砖画中,常有九尾狐与白兔、蟾蜍、三足乌之属列于西王母座旁,以示祯祥,九尾狐则象征子孙繁息(见白虎通德论封禅篇),亦禹娶涂山神话之遗意也。“食人”之传渐隐,“为瑞”之说终张:神话传说之演变由野而文,此亦可以窥豹一斑也。   帝命竖亥1步,自东极至于西极,五亿十选2九千八百步3。竖亥右手把算,左手指青丘北4。一曰禹令竖亥。一曰五亿十万九千八百步5。   1 郭璞云:“竖亥健行人。”郝懿行云:“广韵作坚(立亥)神人,疑字形之异。”失名云:“竖亥吴越春秋(越王无余外传)、玉海作孺亥。”珂案:宋本竖作?,四部备要本吴越春秋同。   2 郭璞云:“选,万也。”   3 王念孙云:“类聚地部(卷六)作八百八步,初学地部上(卷五)同。御览工艺七(卷七五0)八百下有八十二字。”郝懿行云:“刘昭注郡国志云:『山海经称禹使大章步自东极至于西垂,二亿三万三千三百里七十一步,又使竖亥步南极北尽于北垂,二亿三万三千五百里七十五步。』今案淮南墬形训所说,大旨相同。以校此经,无『禹使大章』云云,又其数与刘昭所引不合,未知其审。又中山经(篇末)云:『天地东西二万八千里,南北二万六千里。』与此复不同者,此通海外而计,彼据中国谷土而言耳。”珂案:亦神话传说传闻不同而异辞耳,非“海外”、“谷土”之谓也。   4 王念孙云:“御览三十六右作左,左作右。类聚(卷六)同。”郝懿行云:“亦言图画如此也。算当为筭;说文(五)云:筭长六寸,计历数者。”珂案:宋本、藏经本算正作筭。   5 郭璞云:“诗含神雾曰:『天地东西二亿三万三千里,南北二亿一千五百里。天地相去一亿五万里。』”   黑齿国在其北1,为人黑2,食稻啖蛇,一赤一青3,在其旁。一曰:在竖亥北,为人黑首4,食稻使蛇,其一蛇赤。   1 郭璞曰:“东夷传曰:倭国东四十余里,有裸国,裸国东南有黑齿国,船行一年可至也。异物志云:西屠染齿,亦以放此人。”珂案:三国志魏志东夷传云:“女王国东渡海千余里,复有国皆倭种。又有侏儒国在其南,人长三四尺,去女王四千余里。又有裸国、黑齿国,复在其东南,船行一年可至。”即郭注所引。“四千余里”今本郭注作“四十余里”,字形之讹也。宋本、毛扆本、藏经本四十仍作四千。又文选吴都赋刘逵注引异物志云:“西屠以草染齿,染白作黑。”即郭注所引“西屠染齿”。“亦以放此人”,御览卷七九0引作“亦以仿此也”,于义为长。大荒东经云:“有黑齿之国。帝俊生黑齿,姜姓,黍食,使四鸟。”周书王会篇云:“黑齿白鹿白马。”即此黑齿国也。淮南子墬形篇有黑齿民。   2 郝懿行云:“黑下当脱齿字。王逸注楚词招魂云:『黑齿,齿牙尽黑。』高诱注淮南墬形训云:『其人黑齿,食稻啖蛇,在汤谷上。』是古本有齿字之证。太平御览三百六十八卷引此经黑下亦有齿字。”珂案:御览九三三引此经黑下亦有齿字,有齿字是也。   3 郭璞云:“一作一青蛇。”   4 郝懿行云“首盖齿字之讹也。古文首作冏(口改三),齿作自(二改三),形近相乱,所以致讹。”珂案:郝说有是有非。其非者,此经文例,一曰以下,皆刘秀校书时所列别本异文,上文既有“为人黑(齿)”语,则此处不当更作“为人黑齿”。黑首,宋本、藏经本俱作黑手,同音易讹,犹世本敤手或又作敤首:尤可见此经黑首非黑齿也。其是者,黑齿国民,其最要特征,仍当是黑齿,无由是黑首之理,别本异文作黑首者,亦缘齿、首古文形似而致误如郝所说,然当在刘秀校经以前,非刘秀所列别本异文本身有误也。   下有汤谷1。汤谷上有扶桑2,十日所浴3,在黑齿北。居水中,有大木,九日居下枝,一日居上枝4。   1 郭璞云:“谷中水热也。”珂案:汤谷,或作旸谷;淮南子天文篇:“日出于旸谷,浴于咸池。”书尧典“分命羲仲,宅嵎夷,曰旸谷。”史记五帝本纪作旸谷。索隐云:史记旧本作汤谷,又引淮南子旧本亦作汤谷。楚辞天问:“出自汤谷,次于蒙汜。”知固早有作汤谷者。说文作旸谷亦作崵谷。归藏启筮(玉函山房辑佚书辑)作阳谷。汤、旸、崵、阳一也,古书无定。   2 郭璞云:“扶桑,木也。”王念孙云:“(文选)月赋注引作:『汤谷上有扶木;郭璞曰:扶木,扶桑也。』”珂案:据此,经文扶桑当作扶木;郭注“扶桑,木也”当作“扶木,扶桑也”。扶桑者,文选思玄赋注引十洲记云:“叶似桑树,长数千丈,大二十围,两两同根生,更相依倚,是以名之扶桑。”盖神木也。又名若木。说文六作?,云:“日初出东方汤谷所登;榑桑,?木也,象形。”或又传在西极。大荒北经云:“大荒之中,有衡石山、九阴山、灰(原作泂,据宋本改)野之山。上有赤树,青叶赤华,名曰若木,生昆仑西附西极(以上七字系经文误作郭注者,据王念孙、郝懿行校复)。”海内经云:“南海之内,黑水青水之闲,有木名曰若木。”离骚云:“折若木以拂日兮。”王逸注:“若木在昆仑西极,其华照下地。”淮南墬形篇云:“若木在建木西,末有十日,其华照下地。”皆西极之若木也。   3 珂案:大荒南经云:“东南海之外,甘水之间,有羲和之国。有女子名曰羲和,方浴日(原作日浴,据宋本改)于甘渊。羲和者,帝俊之妻,生十日。”即此十日。十日,帝俊之子也。   4 郭璞云:“庄周云:『昔者十日并出,草木焦枯。』(珂案:郭引庄周,盖齐物论文,惟『草木焦枯』作『万物皆照』。)淮南子亦云:『尧乃令羿射十日,中其九日,日中乌尽死。』离骚所谓『羿焉毕日?乌焉落羽』者也。归藏郑母经云:『昔者羿善射,毕十日,果毕之。』汲郡竹书曰:『胤甲即位,居西河,有妖孽,十日并出。』明此自然之异,有自来矣。传曰:天有十日,日之数十。此云九日居下枝,一日居上枝。大荒经(大荒东经——珂)又云:『一日方至,一日方出。』明天地虽有十日,自使以次第迭出运照,而今俱见,为天下妖灾,故羿禀尧之命,洞其灵诚,仰天控弦,而九日潜退也。假令器用可以激水烈火,精感可以降霜回景,然则羿之铄明离而毙阳乌,未足为难也。若搜(郝懿行云:『疑当为揆字之讹。』)之常情,则无理矣。然推之以数,则无往不通。达观之客,宜领其玄致,归之冥会,则逸义无滞,言奇(藏经本作奇言,孙星衍校同——珂)不废矣。”   珂案:关于羿射十日之神话,始见于楚辞天问:“羿焉彃日?乌焉解羽?”郭注所谓离骚者。其后淮南子本经篇乃详载其事云:“尧之时十日并出,焦禾稼,杀草木,而民无所食。猰貐、凿齿、九婴、大风、封豨、修蛇,皆为民害。尧乃使羿诛凿齿于畴华之野,杀九婴于凶水之上,缴大风于青邱之泽,上射十日而下杀猰貐,断修蛇于洞庭,禽封豨于桑林。万民皆喜,置尧以为天子。于是天下广狭、险易、远近,始有道里。”郭引淮南子“羿射九日,日中乌尽死”云云,今本无之。而论衡各篇所引,尤与今本违异。对作篇云:“淮南书言:尧时十日并出,尧上射十日。”说日篇云:“淮南书又言:烛十日。尧时十日并出,万物焦枯。尧上射十日,以故不并一日出也。”感虚篇云:“儒者传书言:尧之时,十日并出,万物焦枯。尧上射十日,九日去,一日常出。”均以射十日者为尧而非羿。所谓“儒者传书”,盖亦“淮南书”也。寻绎今本淮南子文义,下文既云“万民皆喜,置尧以为天子”,固礼运所谓“选贤与能”之意,则以射日除害事径属之尧似较属之尧所使羿更近情理,或论衡作者所见乃真古本淮南子欤?疑关于射日除害神话,初本有两种民间传说,一属之尧,一属之羿。属之羿者更占优势,后人乃于古本淮南子“尧乃”下增“使羿”二字,以为今本状态,于是尧射日之神话遂泯,羿射日之神话独昌焉。至于郭注引淮南子云:“羿射中其九日,日中乌尽死”者,传“日中有踆乌”(淮南子精神篇),即三足乌,又称阳乌、金乌,天问所谓“彃日、解羽”者是也。本当是日之精魂,洞冥记又以为日驭。云:“东北有地日之草,西南有春生之草,三足乌数下地食此草。羲和欲驭,以手揜乌目,不听下也。食草能不老,他鸟兽食此草,则美闷不能动矣。”(卷四)是又传说之演变也。   雨师妾在其北1,其为人黑,两手各操一蛇,左耳有青蛇,右耳有赤蛇。一曰在十日北,为人黑身人面,各操一龟。   1 郭璞云:“雨师谓屏翳也。”郝懿行云:“楚词天问云:『蓱号起雨。』王逸注云:『蓱,蓱翳,雨师名也;号,呼也。』初学记(卷二)云:『雨师曰屏翳,亦曰屏号。列仙传云:“赤松子神农时雨师。”风俗通云:“玄冥为雨师。”』今案雨师妾盖亦国名,即如(周书)王会篇有姑妹国矣。焦氏易林乃云:『雨师娶妇。』盖假托为词耳。王念孙云:“御览鳞介五(卷九三三)无妾字。”珂案:郭注亦只释雨师,未释妾义,或本无妾字欤?然据经文所写“其为人黑,两手各操一蛇”、“为人黑身人面,各操一龟”观之,则雨师妾当确如郝懿行所云,是一国名,特郭璞未审其义,祗释雨师耳。至御览引无妾字,亦不过偶然漏落,非关宏旨也。   玄股之国在其北1,其为人衣鱼2食(鸟区)3,使两鸟夹之4。一曰在雨师妾北。   1 郭璞云:“髀以下尽黑,故云。”珂案:淮南子墬形篇有玄股民。大荒东经云:“有招摇山,融水出焉。有国曰玄股,黍食,使四鸟。”即此。   2 郭璞云:“以鱼皮为衣也。”   3 郭璞云:“(鸟区),水鸟也;音忧。”杨慎云:“(鸟区)即鸥,衣鱼食鸥,盖水中国也。”   4 珂案:高诱注淮南子墬形篇云:“玄股民,其股黑,两鸟夹之。见山海经。”据此,经文则“使两鸟夹之”之“使”字衍,“其为人”下脱“股黑”二字。   毛民之国在其北1,为人身生毛2。一曰在玄股北。   1 郝懿行云:“毛民国依姓,禹之裔也。见大荒北经。”珂案:大荒北经云:“有毛民之国,依姓,食黍,使四鸟。禹生均国,均国生役采,役采生修鞈,修鞈杀绰人。帝念之,潜为之国,是此毛民。”则禹所“潜为之国”者,乃禹之裔修鞈所杀之绰人而非修鞈,郝云毛民禹裔,疑非。毛民乃黄帝之裔,说见大荒北经“毛民国”节注。淮南子墬形篇有毛民,高诱注云:“其人体半生毛,若矢镞也。”   2 郭璞云:“今去临海郡东南二千里,有毛人在大海洲岛上,为人短小,而(宋本、吴宽抄本、毛扆本、明藏本、御览九三三引、大荒北经注悉作面,作面是也——珂)体尽有毛,如猪能(御览九三三引作熊,属上读,作熊是也——珂),穴居,无衣服。晋永嘉四年,吴郡司盐都尉戴逢在海边得一船,上有男女四人,状皆如此。言语不通,送诣丞相府,未至,道死,唯有一人在。上赐之妇,生子,出入市井,渐晓人语,自说其所在是毛民也。大荒(北)经云『毛民食黍』者是矣。”珂案:太平御览卷三七三引临海异物志云:“毛人洲,在张屿,毛长短如熊。周绰得毛人,送诣秣陵。”又卷七九0引土物志云:“毛人之洲,乃在涨屿;身无衣服,凿地穴处;虽云象人,不知言语;齐长五尺,毛如熊豕;众辈相随,是捕鸟鼠。”即郭注所谓临海郡毛人也。   劳民国在其北1,其为人黑2。或曰教民3。一曰在毛民北,为人面目手足尽黑4。   1 珂案:淮南子墬形篇有劳民,高诱注云:“劳民,正理躁扰不定。”   2 郭璞云:“食果草实也。有一鸟两头。”郝懿行云:“郭注此语疑本在经内,今亡。又奇肱国有鸟两头,见海外西经,非此。”珂案:孙星衍校本亦以此二语系经文误入注中,初云照改,后又云,此不必改。揆此二语之意,均说图之词,当系经文无疑。孙初云照改后又云不必改者,或见御览七九0引亦已作注,则误当在御览引以前也。海外西经云:“奇肱之国……有鸟焉,两头,赤黄色,在其旁。”亦系经文,可证此亦当是经文。   3 郝懿行云:“劳、教声相近。”   4 郝懿行云:“今鱼皮岛夷之东北有劳国,疑即此,其人与鱼皮夷面目手足皆黑色也。”   东方句芒,鸟身人面,乘两龙1。   1 郭璞云:“木神也;方面素服。墨子曰:昔秦穆公有明德,上帝使句芒赐之寿十九年。”珂案:墨子明鬼下篇云:“昔者郑穆公,当昼日中处乎庙,有神入门而左,鸟身,面状正方。郑穆公见之,乃恐惧奔。神曰:『无惧,帝享女明德,使予赐女寿十年有九;使若国家蕃昌,子孙茂,毋失郑。』穆公再拜稽首,曰:『敢问神名?』曰:『予为句芒。』”此即郭注所引;惟郑穆公郭引作秦穆公。论衡福虚篇及无形篇,亦均引作秦穆公。郑穆公无“明德”可考,秦穆公则尚有以五羊皮易百里奚举为相(史记秦本纪)、赦食骏马肉之野人卒得其助以克晋(吕氏春秋爱士篇)之类“明德”,故今本墨子作郑穆公讹也。尚书大传云:“东方之极,自碣石东至日出榑木之野,帝太皞神句芒司之。”吕氏春秋孟春纪高诱注云:“句芒,少皞氏之裔子曰重,佐木德之帝,死为木官之神。”即此句芒也。然或又传为少皞之叔,左传昭公二十九年:“少皞氏有四叔:曰重,……使重为句芒。”则知古来传说本无定也。   建平元年四月丙戌(吴任臣云:“哀帝乙卯岁也。”珂案:即公元前六年),待诏太常属臣望(吴任臣云:“太常初名奉常,景帝六年改,其属有六太、六令等官。望疑是丁望。”)校治,侍中光禄勋臣龚(吴任臣云:“侍中加官也。光禄勋初为郎中令,武帝太初元年更名。龚,王龚也。”)、侍中奉车都尉光禄大夫臣秀(吴任臣云:“奉车都尉武帝时置,秩比二千石。光禄大夫初为中大夫,亦太初元年改。秀,刘歆也。”)领主省。   山海经海经新释卷五  山海经第十    海内南经   海内东南陬以西者1。   1 郭璞云:“从南头起之也。”珂案:郭注“从南头起之也”应作“从东南头起之也”。此经方位与海外南经所记方位恰相反。   瓯居海中1。闽在海中2,其西北有山。一曰闽中山在海中3。   1 郭璞云:“今临海永宁县,即东瓯,在岐海中也;音呕。”王念孙云:“御览州郡十七(卷一七一)引居作在。”杨慎云:“郭注岐海,海之岐流也,犹云稗海。”郝懿行云:“周书王会篇云:『欧人蝉蛇。』孔晁注云:『东越欧人也。』又云:『且瓯文蜃。』注云:『且瓯在越。』伊尹四方令云:『正东越沤,正南瓯邓。』疑瓯与沤、欧并古字通也。”珂案:瓯即东瓯,即今浙江省旧温州府地。又有西瓯,即今广西壮族自治区贵县地。   2 郭璞云:“闽越即西瓯,今建安郡是也,亦在岐海中;音旻。”吴任臣云:“郭璞以建安为西瓯,非是。寰宇记:郁林废党州经善劳县乃古西瓯居,非闽也。”郝懿行云:“建安郡故秦闽中郡,见晋书地理志。汉书惠帝纪:『二年,立闽越君摇为东海王。』颜师古注云:『即今泉州是其地。』”珂案:此泉州即今福建省福州。   3 吴任臣云:“何乔远闽书曰:『按谓之海中者,今闽中地有穿井辟地,多得螺蚌壳、败槎,知洪荒之世,其山尽在海中,后人乃先后填筑之也。』”   三天子鄣山1在闽西海北2。一曰在海中。   1 郭璞云:“音章。”   2 郭璞云:“今在新安歙县东,今谓之三王山,浙江出其边也。张氏土地记曰:东阳永康县南四里有石城山,上有小石城,云黄帝曾游此,即三天子都也。”郝懿行云:“海内东经云:『三天子都在闽西北。』无海字,此经海字疑衍。”   珂案:海内东经云:“浙江出三天子都,在蛮(字原作其,据王念孙、郝懿行校改)东,在闽西北,入海,余暨南。”又云:“庐江出三天子都,入彭泽西。一曰天子鄣。”海内经云:“南海之内,有山名三天子之都。”即此。其地大约在今安徽省境内黟山脉之率山。   桂林八树1在番隅东2。   1 郝懿行云:“伊尹四方令(见周书王会篇——珂)云:『正南瓯邓桂国。』疑即此。”   2 郭璞云:“八树而成林,信(宋本、毛扆本作言——珂)其大也。”郝懿行云:“刘昭注郡国志南海郡番禺引此经云:『桂林八树在贲禺东。』水经?水注及文选游天台山赋注引此经并作贲禺。又引郭注云:『八树成林,言其大也。贲禺音番隅。』今本脱郭音五字,又言讹为信也。然上林赋注及张衡四愁诗注及初学记八卷引此经仍作番禺,盖古有二本也。初学记引南越志云:『番禺县有番禺二山,因以为名。』水经?水注又云:『县有番山,名番禺,谓番山之禺也。』”   伯虑国1、离耳国2、雕题国3、北朐国4皆在郁水南。郁水出湘陵南海5。一曰相虑6。   1 郭璞云:“未详。”郝懿行云:“伊尹四方令云:『正东伊虑。』疑即此。”   2 郭璞云:“锼离其耳,分令下垂以为饰,即儋耳也。在朱崖海渚中。不食五谷,但噉蚌及藷藇也。”郝懿行云:“伊尹四方令云:『正西离耳。』郭云即儋耳者,此南儋耳也。又有北儋耳,见大荒北经(珂案:大荒北经云:『有儋耳之国,任姓,禺号子,食谷』)。儋当为聸。说文(十二)云:『聸,垂耳也;从耳,詹声。南方聸耳之国。』”   3 郭璞云:“点(藏经本作黔,孙星衍亦校黔,是也——珂)涅其面,画体为鳞采,即鲛人也。”郝懿行云:“伊尹四方令云:『正西雕题。』楚词招魂王逸注云:『雕画题,言南极之人,雕画其,常食蠃?也。』桂海虞衡志云:『黎人女及笄,即黥颊为细花纹,谓之绣面女。』亦其类也。郭云即鲛人,恐非,或有讹字。鲛人见刘逵吴都赋注。”珂案:鲛人乃人鱼,见海内北经“陵鱼”节注,此雕题国人固非鲛人也。   4 郭璞云:“音劬;未详。”郝懿行云:“疑即北户也。尔雅疏引此经作北煦,户、煦声之转。尔雅释地四荒有北户,郭注云:北户在南。”   5 珂案:经文郁水,文选四子讲德论李善注引作郁林;南海,宋本、吴宽抄本、毛扆本、明藏本均作南山。   6 毕沅云:“相字当为柏字,伯虑一作柏虑也。”   枭阳国1在北朐之西,其为人2人面长唇,黑身有毛,反踵,见人笑亦笑3;左手操管4。   1 郝懿行云:“扬雄羽猎赋、淮南泛论训并作嘄阳,左思吴都赋作枭羊,说文(十四)作枭阳。”   2 郝懿行云:“郭注尔雅(释兽)狒狒引此经作其状如人。”   3 郝懿行云:“郭注尔雅狒狒引此经云见人则笑。刘逵注吴都赋引此经与尔雅注同。高诱注淮南泛论训亦云:『嘄阳山精,见人而笑。』是古本并如此。且此物唯喜自笑,非见人笑方亦笑也。故吴都赋云:『巢巢(果改禺)笑而被格。』刘逵注引异物志云:『枭羊善食人,大口。其初得人,喜笑,则唇上覆,移时而后食之。人因为筒贯于臂上,待执人,人即抽手从筒中出,凿其唇于而得擒之。』是其笑惟自笑,不因人笑之证。以此参校,可知今本为非矣。其云为筒贯臂,正与此经左手操管合。”珂案:郝说是也。王念孙校同郝注。御览卷九0八引山海经云:“巢巢(果改禺)……见人则笑。”引图赞亦云:“巢巢(果改禺)怪兽,被发操竹;获人则笑,唇盖其目;终亦号咷,反为我戮。”足证古本此经实作见人则笑。   4 郭璞云:“周书曰:『州靡??者,人身反踵,自笑,笑则上唇掩其面。』尔雅(何焯校增“亦”字——珂)云??。大传曰:『周书成王时州靡国献之。』海内经谓之赣巨人。今交州(孙星衍校改州作址——珂)南康郡深山中皆有此物也。长丈许,脚跟反向,健走,被发,好笑;雌者能作汁,洒中人即病:土俗呼为山都。南康今有赣水,以有此人,因以名水。犹大荒(大荒南经)说地有蜮人,人因号其山为蜮山,亦此类也。”郝懿行云:“周书王会篇作州靡费费,郭引作??,说文(十四)引作●●,盖所见本异也。又所引尔雅(释兽)当为狒狒。”   珂案:海内经云:“南方有赣巨人,人面长唇,黑身有毛,反踵,见人则笑,唇蔽其目,因可逃也(长唇原作长臂,则原作笑亦,目原作面,可原作即,从王郝诸家校改)。”即此。周书王会篇云:“州靡费费,其形人身反踵,自笑,笑则上唇翕其目,食人;北方谓之吐喽。”是郭注所引也。孔晁注:“州靡,北狄也;费费曰枭羊,好立,行如人,前足指长。”费费即??、狒狒,猿猴之类也。又名山?。山海经北山经云:“狱法之山,有兽焉,其状如犬而人面,善投,见人则笑,其名山?,其行如风,见则天下大风。”亦名山●。神异经西荒经云:“西方深山中有人焉,身长尺余,袒身捕虾蟹,性不畏人。见人止宿,暮依其火以炙虾蟹。伺人不在而盗人盐,以食虾蟹,名曰山臊(●),其音自叫。人尝以竹着火中,爆烞而出,臊皆惊惮。犯之令人寒热。此虽人形而变化,然亦鬼魅之类,今所在山中皆有之。”荆楚岁时记亦云:“正月一日,?鸣而起,先于庭前爆竹,以辟山臊恶鬼。”谓此也。亦名山都。祖冲之述异记云:“南康有神,名曰山都,形如人,长二尺余,黑色,赤目,发黄被身。于深山树中作窠,窠形如坚鸟卵,高三尺许。此神能变化隐身,罕睹其状,盖木客、山●之类也。”(古小说钩沉辑)均已从普通猿猴类动物演变而为神异之物。其尤甚者,乃至转化而为一种能为妖异之鸟。搜神记卷十二云:“越地深山中有鸟,大如鸠,青色,名曰『冶鸟』,穿大树作窠,如五六升器。若有秽恶及其所止者,则有虎通夕来守,人不去,便伤害人。时有观乐者,便作人形,长三尺,至涧中取石蟹,就人炙之,人不可犯也。”然韦昭注国语(鲁语),乃以为山●者,即古一足之夔,云:“夔一足,越人谓之山缲(●),人面猴身,能言。”抱朴子登涉篇亦云:“山中山精之形如小儿,而独足,足向后,喜来犯人。人入山谷,夜闻其音声笑语,其名曰蚑,知而呼之,即不敢犯人也。又有山精如鼓,赤色,亦一足,其名曰晖(足向后原作走向后,人入山谷原作人入山若,据御览卷八八六引改)。”所谓蚑或晖之山精亦一足之夔也。然夔古传乃为牛形(大荒东经),或为龙躯(说文五),至此而又或为鸟体,或为猴躯,或作人形:亦知神话传说之错综复杂,演变无定也。唐段成式酉阳杂俎诺皋记下云:“山萧一名山臊,神异经作●,永嘉郡记作山魅,一名山骆,一名蛟,一名濯肉,一名热肉,一名晖,一名飞龙。如鸠,青色,一名冶鸟。巢大如五斗器,饰以土垩,赤白相见(闲),状如射侯,犯者能役虎害人,烧人庐舍。俗言山魈。”其名晖者,?也,山?也,夔之音转也;名蛟者,●之音转或蚑之讹文也:山●名目之大凡见于此矣。   兕在舜葬东,湘水南1,其状如牛,苍黑,一角2。   1 郝懿行云:“皆说图画如此。”   2 珂案:南次三经云:“祷过之山,其下多犀、兕。”郭璞注:“犀似水牛。兕亦似水牛,青色,一角,重三千斤。”谓此也。“三”字衍(尔雅释兽郭注同此注,无“三”字)。初学记卷七引竹书纪年云:“周昭王十六年,伐楚荆,涉汉,遇大兕。”古代中国南方,固有此凶猛之动物也。   苍梧之山,帝舜葬于阳1,帝丹朱葬于阴2。   1 郭璞云:“即九疑山也。礼记(檀弓上)亦曰:『舜葬苍梧之野。』”珂案:海内经云:“南方苍梧之丘,苍梧之渊,其中有九嶷山,舜之所葬,在长沙零陵界中。”即郭注所本也。此云“帝丹朱葬于阴”,大荒南经则云:“赤水之东,有苍梧之野,舜与叔均之所葬也。”郭璞注:“叔均,商均也,舜巡狩,死于苍梧而葬之,商均因留,死亦葬焉,墓在今九疑之中。”或为尧子丹朱,或为舜子商均,要皆传闻不同而异其辞耳。关于舜之神话,见海内经“苍梧丘”节注2。   2 郭璞云:“今丹阳(宋本丹阳下有县字——珂)复有丹朱冢也。竹书亦曰:『后稷放帝朱于丹水。』与此义符。丹朱称帝者,犹汉山阳公死加献帝之谥(毛扆本作谥——珂)也。”珂案:有关丹朱之神话传说,已多佚亡,搜寻诸书所记,略得梗概如次。世本(張澍?集補注本)云:“尧取散宜氏之子,谓之女皇。女皇生丹朱。”书益稷云:“无若丹朱傲,惟慢游是好,傲虐是作,罔昼夜,罔水行舟,朋淫于家,用殄厥世。”世本(張澍?集補注本)云:“尧造围棋,丹朱善之。”金楼子兴王篇亦云:“尧教丹朱,以文桑为局,犀象为子。”太平御览卷六三引尚书逸篇云:“尧子不肖,舜使居丹渊为诸侯,故号丹朱。”山海经海外南经郭璞注云:“昔尧以天下让舜,三苗之君非之,有苗之民,叛入南海,为三苗国。”汉学堂丛书辑六韬云:“尧与有苗战于丹水之浦。”吕氏春秋召类篇云:“尧战于丹水之浦以服南蛮。”苗、蛮一声之转,服南蛮即战有苗也。而丹水之浦,又丹朱放逐之地,尧与党丹朱之有苗战于丹水,则丹朱与有苗之关系可想而见矣。故庄子盗跖称“尧不慈”,又称“尧杀长子”,长子者,丹朱也(见吕氏春秋去私篇高诱注及史记五帝本纪正义),尧杀丹朱,当是战丹水、服南蛮之结果也。山海经海外南经云:“讙头国在其南,其为人人面,有翼,鸟喙,方捕鱼。……或曰讙朱国。”郭璞注云:“讙兜尧臣,有罪,自投南海而死,帝怜之,使其子居南海而祠之。画亦似仙人也。”据近人研究,讙头、讙兜及讙朱,皆丹朱一名之异称。郭注所谓“讙兜尧臣”者,实丹朱尧子也,所谓“有罪,自投南海而死”者,丹朱兵败,自以为“有罪”,因“自投南海而死”,盖丹朱结局之另一传说也。“帝怜之,使其子居南海而祠之”者,丹朱妻子本随丹朱败逃南海,丹朱死后,亦居南海勿去,其后子孙繁衍成国,遂为此讙头国或讙朱国,盖赦而勿究之意也。南次二经云:“柜山有鸟焉,其状如鸱而人手,其音如痹,其名曰鴸,其名自号也,见则其县多放士。”此如鸱之异鸟鴸,或即败死丹朱之所化。陶潜读山海经诗谓为“鸼鹅”。吴任臣云:“或云当为鴅鴸。”(见海外南经“讙头国”节注)为鴅鴸正是也。神话有丹朱化鸟之异闻,故传说亦称繁衍而成讙头国之丹朱子孙“人面、有翼、鸟喙,方捕鱼”也。此云“帝丹朱葬于阴”者,丹朱而称“帝”,且与舜同葬苍梧,盖亦野老负暄之言,于失败之丹朱犹寄有同情之意也。   泛林1方三百里,在狌狌东2。   1 珂案:见海外南经“狄山”节注13。   2 郭璞云:“或作猩猩,字同耳。”珂案:海内经云:“有青兽,人面,名曰猩猩。”即此。   狌狌1知人名2,其为兽如豕而人面3,在舜葬西。   1 珂案:南山经云:“招摇之山,有兽焉,其状如禺而白耳,伏行人走,其名曰狌狌,食之善走。”亦此狌狌传说之异闻也。   2 珂案:淮南子泛论篇云:“猩猩知?而不知來。”高诱注云:“猩猩,北方兽名,人面,兽身,黄色。礼记(曲礼上)曰:『猩猩能言,不离走(今本作禽——珂)兽。』见人狂走,则知人姓字:此知往也。又嗜酒,人以酒搏之,饮而不耐息,不知当醉,以禽其身,故曰不知来也。”后汉书西南夷传云:“哀牢出猩猩。”李贤注引南中志云:“猩猩在此谷中,行无常路,百数为群。土人以酒若糟,设于路。又喜屩子,土人织草为屩,数十量相连结。猩猩在山谷,见酒及屩,知其设张者,即知张者先祖名字。乃呼其名而骂云:『奴欲张我!』舍之而去。去而又还,相呼试共尝酒。初尝少许,又取屩子着之。若进两三升,便大醉。人出收之,屩子相连不得去,执还内牢中。人欲取者,到牢边语云:『猩猩汝可自相推肥者出之。』竟相对而泣。”此所谓“狌狌知人名”也。   3 郭璞云:“周书(王会篇)曰:『郑郭狌狌(今本作都郭生生——珂)者,状如黄狗而人面(今本作若黄狗人面能言——珂)。』头如雄鸡,食之不眯(上二语系王会篇说奇干善芳词而误入郭注者,系衍文——珂)。今交州(州,宋本、毛扆本作趾,藏经本作址,孙星衍、郝懿行均校址——珂)封溪出狌狌,土俗人说云,状如豚而腹(宋本、藏经本作复,郝懿行云:一本作后——珂)似狗,声如小儿啼也。”珂案:水经注叶榆河云:“(封溪)县有猩猩兽,形若黄狗,又状貆●。人面,头颜端正,善与人言,音声丽妙,如妇人好女。对语交言,闻之无不酸楚。其肉甘美,可以断谷,穷年不厌。”谓此也。   狌狌西北有犀牛,其状如牛而黑1。   1 郭璞云:“犀牛似水牛,猪头,在狌狌知人名之西北,庳脚,三角。”珂案:在狌狌知人名之西北九字,王念孙校衍,是也。南次三经云:“祷过之山,其下多犀。”郭璞注云:“犀似水牛,猪头,庳脚,脚似象,有三,大腹,黑色。三角:一在顶上,一在额上,一在鼻上;在鼻上者,小而不堕,食角也。好噉棘,口中常洒血沫。”可以为此注补充。   夏后启之臣曰孟涂1,是司神于巴2,人请讼于孟涂之所3,其衣有血者乃执之4,是请生5。居山上;在丹山西。丹山在丹阳南,丹阳居属也6。   1 郝懿行云:“水经江水注引此经作血涂,太平御览六百三十九卷作孟余或孟徐。”珂案:今本水经注仍作孟涂。影宋本御览作孟徐,徐盖涂之讹也。   2 郭璞云:“听其狱讼,为之神主。”   3 郭璞云:“令断之也。”珂案:“水经注江水引此经作“是司神于巴,巴人讼于孟涂之所”,多巴字,无请字。影宋本御览六三九亦无请字。今本请字衍,巴字脱。   4 郭璞云:“不直者则血见于衣。”   5 郭璞云:“言好生也。”   6 郭璞云:“今建平郡丹阳城秭归县东七里,即孟涂所居也。”郝懿行云:“晋书地理志建平郡有秭归,无丹阳,其丹阳属丹阳郡也。水经注(江水)引郭景纯云:『丹山在丹阳,属巴。』是此经十一字(谓『丹山在丹阳南,丹阳居属也』十一字——珂)乃郭注之文,郦氏节引之,写书者误作经文耳。居属又巴属字之讹。”珂案:路史后纪十三注:“丹山之西即孟涂之所埋也。丹山乃今巫山。”巫山县志卷十七云:“孟涂祠在县南巫山下。”   窫窳1龙首2,居弱水中,在狌狌知人名3之西,其状如龙首,食人4。   1 郭璞云:“窫窳,本蛇身人面,为贰负臣所杀,复化而成此物也。”珂案:海内西经云:“贰负之臣曰危,危与贰负杀窫窳,帝乃梏之疏属之山,桎其右足,反缚两手(原作反缚两手与发,与发二字衍,从王念孙、郝懿行校删),系之山上木。在开题西北。”又云:“开明东有巫彭、巫抵、巫阳、巫履、巫凡、巫相,夹窫窳之尸,皆操不死之药以距之。窫窳者,蛇身人面,贰负臣所杀也。”郭云“复化而成此物”者,原本蛇身人面之天神(古天神多蛇身人面)窫窳,被杀而治活后,复化而成此怪物也。   2 珂案:此龙首二字疑涉下龙首二字而衍。   3 王念孙云:“知人名三字疑衍。”   4 郝懿行云:“刘逵注吴都赋引此经云:『南海之外,有猰貐,状如貙,龙首,食人。』盖参引尔雅之文。尔雅(释兽)云:『猰貐类貙。』以引此经,则误矣。窫窳形状,又见海内西经。又北山经少咸之山说窫窳形状,复与此异。”珂案:据吴都赋刘逵注引此经,“其状如”下,当有“貙”字,“状如龙首”,则不词矣。郝懿行谓“参引尔雅之文”,非是;毋宁谓尔雅据经文之为愈也。至于北山经云:“少咸之山有兽焉,其状如牛而赤身,人面马足,名曰窫窳,其音如婴儿,是食人。”“形状复与此异”者,亦传闻不同而异辞耳。   有木,其状如牛1,引之有皮,若缨、黄蛇2。其叶如罗3,其实如栾4,其木若蓲5,其名曰建木6。在窫窳西弱水7上。   1 郭璞云:“河图玉版说,芝草树生,或如车马,或如龙蛇之状,亦此类也。”珂案:郭注“芝草树生”,藏经本树作横。   2 郭璞云:“言牵之皮剥如人冠缨及黄蛇状也。”   3 郭璞云:“如绫罗也。”郝懿行云:“郭说非也。上世淳朴,无绫罗之名,疑当为网罗也。淮南泛论训云:『伯余之初作衣也,緂麻索缕,手经指挂,其成犹网罗。』是绫罗之名,非上古所有,审矣。又杨檖一名罗,见尔雅(释木),吴氏(任臣)云。”   4 郭璞云:“栾,木名,黄本,赤枝,青叶,生云雨山;或作卵,或作麻,音銮。”珂案:大荒南经云:“大荒之中,有云雨之山,有木名曰栾。禹攻云雨,有赤石焉生栾。黄本,赤枝,青叶,群帝焉取药。”即郭注所说也。杨慎云:“栾借作丸,谓圆如鸟弹也。”亦可供参考。   5 郭璞云:“蓲亦木名,未详。”郝懿行云:“蓲,刺榆也。尔雅(释木)云:『櫙,荎。』郭注引诗云:山有蓲,今之刺榆也。”珂案:郭注仅云:“今之刺榆也。”诗“山有蓲”是释文所引。   6 郭璞云:“建木青叶,紫茎,黑华,黄实,其下声无响,立无影也。”珂案:海内经云:“南海之内(内原作外,据宋本改),黑水青水之闲,有九丘,以水络之,名曰陶唐之丘、有(有字疑衍)叔得之丘、孟盈之丘、昆吾之丘、黑白之丘、赤望之丘、参卫之丘、武夫之丘、神民之丘。有木,青叶,紫茎,玄华,黄实,名曰建木,百仞无枝。上(上字原无,据王念孙、郝懿行校增)有九欘,下有九枸。其实如麻,其叶如芒。大爰过,黄帝所为。”淮南子墬形篇云:“建木在都广,众帝所自上下,日中无景,呼而无响,盖天地之中也。”是郭注之所本。建木既“大爰过,黄帝所为”,又为“众帝所自上下”,盖天梯也(说详海内经“九丘建木”节注)。   7 珂案:古小说钩沈辑玄中记云:“天下之弱者,有昆仑之弱水焉,鸿毛不能起也。”弱水之名“弱”者以此。   氐人国1在建木西,其为人人面而鱼身,无足2。   1 郭璞云:“音触抵之抵。”珂案:大荒西经云:“有互人之国。炎帝之孙,名曰灵恝,灵恝生互人,是能上下于天。”郭注:“人面鱼身。”郝懿行云:“互人国即海内南经氐人国,氐、互二字,盖以形近而讹,以俗氐正作互字也。”王念孙、孙星衍均校改互为氐,是大荒西经互人国即此经氐人国,乃炎帝之后裔也。   2 郭璞云:“尽以上人,以下鱼也。”珂案:氐人国民盖神话中人鱼之类也。海内北经云:“陵鱼人面,手足,鱼身,在海中。”即此之属。唯彼手足俱具,此独“无足”耳。说详海内北经“陵鱼”节注。   巴蛇食象,三岁而出其骨,君子服之,无心腹之疾1。其为蛇青黄赤黑2。一曰黑蛇青首3,在犀牛西。   1 郭璞云:“今南方(虫丹)蛇(藏经本作蟒蛇——珂)吞鹿,鹿已烂,自绞于树腹中,骨皆穿鳞甲间出,此其类也。楚词曰:『有蛇吞象,厥大何如?』说者云长千寻。”郝懿行云:“今楚词天问作『一蛇吞象』,与郭所引异。王逸注引此经作『灵蛇吞象』,并与今本异也。”珂案:淮南子本经篇云:“羿断修蛇于洞庭。”路史后纪十以“修蛇”作“长它”,罗苹注云:“长它即所谓巴蛇,在江岳间。其墓今巴陵之巴丘,在州治侧。江源记(即江记,六朝宋庾仲雍撰——珂)云:『羿屠巴蛇于洞庭,其骨若陵,曰巴陵也。』”岳阳风土记(宋范致明撰)亦云:“今巴蛇?在州院廳側,巍然而高,草木叢翳。兼有巴蛇庙,在岳阳门内。”又云:“象骨山。山海经云:『巴蛇吞象。』暴其骨于此。山旁湖谓之象骨港。”是均从此经及淮南子附会而生出之神话。然而既有冢有庙,有山有港,言之确凿,则知传播于民间亦已久矣。   2 珂案:言其文采斑烂也。   3 珂案:海内经云:“有巴遂山,渑水出焉。又有朱卷之国。有黑蛇,青首,食象。”即此。巴,小篆作●,说文十四云:“虫也;或曰:食象蛇。象形。”则所象者,物在蛇腹彭亨之形。山海经多称大蛇,如北山经云:“大咸之山,有蛇名曰长蛇,其毛如彘毫,其音如鼓柝。”北次三经云:“錞于毋逢之山,是有大蛇,赤首白身,其音如牛,见则其邑大旱。”是可以“吞象”矣。水经注叶榆河云:“山多大蛇,名曰髯蛇,长十丈,围七八尺,常在树上伺鹿兽,鹿兽过,便低头绕之。有顷鹿死,先濡令湿讫,便吞,头角骨皆钻皮出。山夷始见蛇不动时,便以大竹签签蛇头至尾,杀而食之,以为珍异。”即郭注所谓(虫丹)蛇也。   旄马,其状如马,四节有毛1。在巴蛇西北,高山南。   1 郭璞云:“穆天子传所谓豪马者。亦有旄牛。”珂案:穆天子传卷四云:“天子之豪马、豪牛……豪羊。”郭璞注云:“豪犹髦也。山海经云:『髦马如马,足四节,皆有毛。』”又注豪羊云:“似髦牛。”可知旄、髦古通用,旄马即髦马也。又旄牛已见北山经潘侯之山。北山经云:“潘侯之山有兽焉,其状如牛,而四节生毛,名曰旄牛。”敦薨之山亦有旄牛。   匈奴1、开题之国2、列人之国并在西北3。   1 郭璞云:“一曰猃狁。”郝懿行云:“(周书王会篇)伊尹四方令云:『正北匈奴。』史记匈奴传索隐引应劭风俗通云:『殷时曰獯粥,改曰匈奴。』又晋灼云:『尧时曰荤粥,周曰猃狁,秦曰匈奴。』案已上三名并一声之转。”   2 郭璞云:“音提。”   3 郭璞云:“三国并在旄马西北。”   吴承志山海经地理今释卷六云:“此经(『匈奴』节——珂)当与下篇首条并在海内北经『有人曰大行伯』之上。匈奴、开题之国、列人之国并在西北,叙西北陬之国,犹海内东经云『钜燕在东北陬』也。不言陬,文有详省。贰负之臣在开题西北,开题即蒙此。大行伯下贰负之尸与贰负之臣亦连络为次。今大行伯上有『蛇巫之山』、『西王母』二条,乃下(上字之讹——珂)篇『后稷之葬』下叙昆仑隅外山形神状之文,误脱于彼。武陵山人杂着云:『海内西经“东胡”下四节当在海内北经“舜妻登比氏”节后。“东胡在大泽东”即蒙上“宵明烛光处河大泽”之文也。海内北经“盖国”下九节当在海内东经“钜燕在东北陬”之后,“盖国在钜燕南”即蒙上“钜燕”之文,而朝鲜蓬莱并在东海,亦灼然可信也。海内东经“国在流沙”下三节当在海内西经“流沙出钟山”节之后,上言流沙,故接叙中外诸国;下言昆仑墟昆仑山,故继以“海内昆仑之墟在西北”。脉络连贯,更无可疑。不知何时三简互误,遂致文理断续,地望乖违。今移而正之,竟似天衣无缝。』详审经文,顾(武陵山人——珂)说自近。”珂案:经文简策,确多紊乱,吴顾之说甚精,足供参考,并详各卷本节。   山海经海经新释卷六  山海经第十一    海内西经   海内西南陬以北者1。   1 珂案:此经方位与海外西经方位相同。   贰负1之臣曰危,危与贰负杀窫窳2。帝3乃梏之疏属之山4,桎其右足5,反缚两手与发6,系之山上木7。在开题西北8。   1 珂案:贰负,古天神,人面蛇身。海内北经云:“贰负神在其(鬼国)东,其为物人面蛇身。”吴承志以为此节当在海内北经“有人曰大行伯”节上,是也,说见前卷末“匈奴”节注。   2 珂案:窫窳之名,古书无定。文选吴都赋刘逵注引作猰貐,张协七命李善注引作猰(犬俞),尔雅释兽作?貐,淮南子本经篇作猰貐,其实一也。   3 郝懿行云:“(文选)李善注张协七命引此经作黄帝,黄字衍。”珂案:山海经所载未着主名之“帝”,皆天帝,除中次七经“姑媱之山,帝女死焉”之“帝”指炎帝,中次十二经“洞庭之山,帝之二女居之”之“帝”指尧,海外东经“帝令竖亥”之“帝”指禹而外,余均指黄帝。郝懿行谓“李善注张协七命引此经作黄帝,黄字衍”,黄字其实不衍,此“帝”正是黄帝。疏属山附近之开题,毕沅说“疑即笄头”,笄头又即鸡头(见注八),史记五帝本纪有黄帝“西至崆峒,登鸡头”语,可见鸡头(开题)附近,为黄帝神话所及之地。西次三经云:“钟山,其(钟山山神烛龙)子曰鼓,是与钦●杀葆江于昆仑之阳,帝乃戮之钟山之东曰瑶崖。钦●化为大鹗,其状如雕,而黑文白首,赤喙而虎爪,其音如晨鹄,见则有大兵;鼓亦化为鵔鸟,其状如鸱,赤足而直喙,黄文而白首,其音如鹄,见则其邑大旱。”与此事相类,而钟山与昆仑亦均黄帝神话所及地,文中之“帝”自是黄帝无疑,尤可旁证此“帝”之当是黄帝也。   4 郭璞云:“梏,犹系缚也;古沃切。”吴任臣云:“刘会孟曰:『疏属山今陕西延安府绥德县。』”珂案:郭注“古沃切”御览卷五十引无,宋本、藏经本作“音活”,王念孙云:“宋本音苦。”或别有所见也。   5 郭璞云:“桎,械也。”郝懿行云:“说文(六)云:桎,足械也;梏,手械也。”   6 郭璞云:“并发合缚之也。”珂案:文选吴都赋刘逵注、张协七命李善注引此经并无“与发”二字,刘秀上山海经表叙其父刘向以山海经对汉宣帝问事,亦仅云“其文曰:『贰负杀窫窳,帝乃梏之疏属之山,桎其右足,反缚两手。』”亦无“与发”二字。此为最早而又最直接之引文,足证“与发”二字实衍。又郭注“并发合缚之也”,御览卷五十引此注并作约,疑本当作“约发而缚之也”,而、合形近易讹。“约发而缚之”者,束其发以为系而反缚其两手也。必古时图象如此。“反缚两手”犹未能充分说明图象,故郭注“约发而缚”以为补充。及而讹为合,后人不解“约发合缚”之义,以为既云“合缚”,必并发也,因妄改约为并以就合义。至于经文“反缚两手”下增“与发”二字,当缘注文“约发”二字而误衍也。北堂书钞(唐初虞世南撰)卷四十五虽已引有此二字,然是书经后人窜乱,讹误特多,殆不足凭信。若经文果系“反缚两手与发”,则于说明图象已甚清楚明白,毋烦郭更释以“并发合缚”。故知经文实无“与发”二字,郭注“并发合缚”实“约发而缚”之讹也。   7 郭璞云:“汉宣帝(影宋本太平御览卷五十引此注宣帝下有时字——珂。以下简称御览)使人(御览使人下有凿字)上郡发盘(御览作盘)石,石室中得一人,跣踝被发,反缚,械一足(御览械一足下有“时人不识,乃载之于长安,帝”十一字),以问群臣,莫能知。刘子政(刘向)按此言对之,宣帝大惊,于是时人争学山海经矣。论者多以为是其尸象,非真体也。意者以灵怪变化论(论字疑涉上论字而衍),难以理测;物禀异气,出于不然(王念孙、郝懿行均以为不然当作自然),不可以常运推,不可以近数揆矣。魏时有人发故周王(御览作周灵王)冢者,得殉(御览殉下有葬字)女子,不死不生(御览不死下无不生二字),数日时(御览时作而)有气,数月而能语,状如廿许人。送诣京师,郭太后爱养之,恒在左右。十余年,太后崩,此女哀思哭泣,一年余而死。即此类也。”珂案:御览卷五十引郭注与今本多有异同,以上所举,特其较胜于今本者耳。又经文“系之山上木”,御览引作“系之山上盘石之下”,北堂书钞卷四十五引作“系之山木之上”,以较今本经文,知“盘石之下”云云,为后人因注文有“发盘(盘)石”语而妄改之也。   8 毕沅云:“开题疑即笄头山也,音皆相近。”珂案:六朝陈顾野王舆地志(汉唐地理书钞辑)云:“笄头山即鸡头山。”唐李泰括地志(汉学堂丛书辑)云:“笄头山一名崆峒山。黄帝问道于广成子,盖在此。”开题、笄头(鸡头)、崆峒,均一音之转也。   关于危与贰负杀窫窳之神话,海内经云:“北海之内,有反缚盗械带戈常倍之佐,名曰相顾之尸。”郭璞注云:“亦贰负臣危之类也。”窃以为非仅“之类”,实亦此一神话之异闻也。刘秀上山海经表云:“孝宣帝时,击磻石于上郡,陷得石室,中有反缚盗械人。时臣秀父向为谏议大夫,言此贰负之臣也。诏问何以知之,亦以山海经对。其文曰:『贰负杀窫窳,帝乃梏之疏属之山,桎其右足,反缚两手。』上大惊,朝士由是多奇山海经者。”“反缚盗械”之语,当非偶同。曰“相顾”者,或并贰负亦俱械系也。经文奥衍,不可知矣。唐李冗独异志云:“汉宣帝时有人于疏属山石盖下得二人,俱被桎梏,将至长安,乃变为石。宣帝集群臣问之,无一知者。刘向对曰:『此是黄帝时窫窳国负贰之臣,犯罪大逆,黄帝不忍诛,流之疏属之山,若有明君,当得出外。』帝不信,谓其妖言,收向系狱。其子歆自出应募,以救其父。其父曰:『欲七岁女子以乳之,即复变。』帝使女子乳,于是复能为人,便能言语应对,如刘向之言。帝大悦,拜向大中大夫,歆为宗正卿。诏曰:『何以知之?』歆曰:『出山海经。』”又刘秀表文神话之演变也。可注意者,已明言所得为“黄帝时窫窳国负贰之臣”,且系“二人”,与海内经“相顾”义符,亦符于“帝”即“黄帝”之推论,于以见民间传说之恒合古传,为可贵矣。   大泽方百里1,群鸟所生及所解2。在鴈门北。   1 郝懿行云:“大荒北经作『大泽方千里』,郭注穆天子传(卷三『硕鸟解羽』——珂)引此经亦云:『大泽方千里,群鸟之所生及所解。』是百当为千矣。然郭注(穆天子传卷四『至于西北大旷原』——珂)又引此经云:『群鸟所集泽有两处:一方百里,一方千里。』是又以为非一地,所未详也。李善注别赋引此经亦云:『大泽方百里。』可证今本不误。”珂案:此经所说大泽,实有两处。大荒北经云:“有大泽,方千里,群鸟所解。”此千里大泽也,位在西北方。下云“夸父欲追日景,逮之于禺谷,将饮河而不足也,将走大泽,未至,死于此。”所走者即此大泽,亦穆天子传卷四所谓“北至旷原之野,飞鸟之所解其羽”之旷原也。郭注穆天子传所引乃大荒北经方千里之大泽。至于此处大泽,实海内北经所记“舜妻登比氏,生宵明烛光,处河大泽,二女之灵,能照此所方百里”之百里大泽,位在北方,或即今河套附近之地。又此节文字(连同以下二节),亦应在海内北经“宵明烛光”节之前,始与方位地望大致相符。   2 郭璞云:“百鸟于此生乳,解之毛羽。”珂案:“解之毛羽”不成文义,宋本、藏经本作“解氄毛羽”,是也。郝懿行云:“此地即翰海也,说见大荒北经。”翰海古本泛指沙漠之地,北方有翰海,西北亦有翰海,史记霍去病传:“禅于姑衍,登临翰海。”此北方之翰海也。唐岑参白雪歌送武判官归京诗云:“翰海阑干百丈冰,愁云惨淡万里凝。”此西北之翰海也。郝以此处所记大泽为翰海是也,然以之混同于大荒北经所记大泽则非也。   鴈门山1,鴈出其闲2。在高柳北3。   1 郝懿行云:“淮南墬形训云:『烛龙在鴈门北,蔽于委羽之山。』疑委羽山即鴈门山之连麓,委羽亦即解羽之义。江淹别赋所谓『鴈山参云』也。”   2 郝懿行云:“水经注(?水)及初学记三十卷引此经并作『鴈出其门』。”珂案:今本(蕴石斋丛书本)初学记仍作“鴈出其闲”。   3 毕沅云:“山(高柳山——珂)在今山西代州北三十五里。”   高柳在代北1。   1 珂案:水经注?水引此经北作中,云:“其山重峦叠巘,霞举云高,连山隐隐,东出辽塞。”藏经本北作地。   后稷之葬,山水环之1。在氐国西2。   1 郭璞云:“在广都之野。”珂案:海内经云:“西南黑水之闲,有都广之野,后稷葬焉。其城方三百里,盖天地之中,素女所出也(以上十六字系经文误入郭注者,据王念孙、郝懿行校复)。爰有膏菽、膏稻、膏黍、膏稷,百谷自生,冬夏播琴。鸾鸟自歌,凤鸟自,灵寿实华,草木所聚。爰有百兽,相群爰处。此草也,冬夏不死。”叙写后稷葬所景物,至为详尽,实有人间乐园之概。惟经文作都广之野,郭注则作广都之野。夷考古籍所引,或作都广、或作广都不一(详海内经“都广之野”节注)。华阳国志蜀志云:“广都县,郡(指成都——珂)西三十里,元朔(汉武帝年号——珂)二年置,有盐井渔田之饶。”据蜀中名胜记(明曹学佺撰),其地盖属双流县,在今成都与双流之间。故杨慎山海经补注径云:“黑水广都,今之成都也。”衡之以后稷葬所地望,大致相近,故都广、广都,当是一而非二也。后稷除在都广之野之葬所外,尚有其在槐江之山附近所潜之渊。西次三经云:“槐江之山,实惟帝之平圃,西望大泽,后稷所潜也。”郭璞注云:“后稷生而灵智,及其终,化形遯此泽而为之神,亦犹傅说骑箕尾也。”盖关于后稷死的神话之异闻,犹鲧潜羽渊也。所谓“潜”者,乃化形遯身于水泉之地,非郭注“傅说骑箕尾”之比也。至于淮南子墬形篇云:“后稷垄在建木西,其人死复苏,其半鱼在其间。”则后稷死后,既已埋葬,复化形为异物,实兼“葬”与“潜”二说而为一也。   2 珂案:海内南经云:“氐人国在建木西。”淮南子墬形篇云:“后稷垄在建木西。”则后稷垄与氐人国俱在建木之西。此复云:“后稷之葬,……在氐国西。”氐国当即氐人国也,脱人字。   流黄酆氏之国1,中方三百里2。有涂四方3,中有山4。在后稷葬西。   1 珂案:海内经云:“有国名流黄辛氏,其域中方三百里,其出是麈(麈原作尘土,据清蒋知让校改,说详该节注)。有巴遂山,绳水(绳原作渑,从水经注若水引此经改)出焉。”淮南子墬形篇云:“流黄沃民在其北,方三百里。”即此国。民字或氏字之讹。   2 郭璞云:“言国城内。”珂案:经文“中方三百里”者,即海内经所谓“其域中方三百里”也,郭注城字当为域字之讹。   3 郭璞云:“途,道。”珂案:郭注途,宋本作涂,是也,经文正作涂。   4 珂案:即海内经所谓“巴遂山”也。   流沙出钟山1,西行又南行昆仑之虚2,西南入海黑水之山3。   1 郝懿行云:“楚词招魂云:『西方之害,流沙千里。』王逸注云:『流沙,沙流而行也。』高诱注吕氏春秋本味篇云:『流沙在敦煌郡西,八百里。』水经(禹贡山水泽地所在)云:『流沙地在张掖居延县东北。』注云:『流沙,沙与水流行也。』亦言出钟山,西行,极崦嵫之山,在西海郡北。”   2 珂案:宋本作昆仑墟,下同。   3 郭璞云:“今西海居延泽。尚书(禹贡)所谓『流沙』者,形如月生五日也。”杨慎云:“谓形如半月也。唐诗:江畔洲如月。”珂案:郭杨之说流沙,乃诗之构想也。宋沉括梦溪笔谈卷三云:“予尝过无定河,度活沙,人马履之,百步之外皆动,澒澒然如人行幕上。其下足处虽甚坚,若遇其一陷,则人马车,应时皆没,至有数百人平陷无孑遗者。或谓:此即流沙也。又谓:沙随风流,谓之流沙。”则是流沙之科学状写也。   东胡1在大泽东。   1 郝懿行云:“国名也。伊尹四方令云:『正北东胡。』详后汉书乌桓鲜卑传。广韵引前燕录云:『昔高辛氏游于海滨,留少子厌越以居北夷,邑于紫蒙之野,号曰东胡。』云云。其后为慕容氏。”   珂案:“东胡”已下四节当移海外北经“舜妻登比氏”之后,海内东经“国在流沙中者埻瑞、玺?”已下三节当移于此处。说详上卷“匈奴”节注。   夷人在东胡东。   貊国在汉水东北1。地近于燕,灭之2。   1 郭璞云:“今扶余国即濊貊故地,在长城北,去玄菟千里,出名马、赤玉、貂皮、大珠如酸枣也。”郝懿行云:“(三国志)魏志东夷传说夫余与此注同,即郭所本也。唯貂皮作貂●,后汉书东夷传又作貂豽。艺文类聚八十三卷引广志曰:『赤玉出夫余。』”   2 郝懿行云:“大雅韩奕篇云:『其追其貊。』谓此。”   孟鸟1在貊国东北,其鸟文赤、黄、青,东乡2。   1 郭璞云:“亦鸟名也。”郝懿行云:“海外西经有『灭蒙鸟在结匈国北』,疑亦此鸟也,灭蒙之声近孟。”珂案:郝说是也,详海外西经“灭蒙鸟”节注。   2 珂案:藏经本黄上无赤字。   海内昆仑之虚1,在西北,帝之下都2。昆仑之虚,方八百里,高万仞3。上有木禾,长五寻,大五围4。面5有九井6,以玉为槛7。面有九门8,门有开明兽守之,百神之所在9。在八隅之岩10,赤水之际,非仁羿莫能上冈之岩11。   1 郭璞云:“言海内者,明海外复有昆仑山。”郝懿行云:“海内昆仑即西次三经昆仑之丘也。禹贡昆仑亦当指此。海内东经云:『昆仑山在西胡西。』盖别一昆仑也。又水经河水注引此经郭注云:『此自别有小昆仑也。』疑今本脱此句。又荒外之山,以昆仑名者盖多焉。故水经禹本纪并言昆仑去嵩高五万里。水经注又言晋去昆仑七万里。又引十洲记『昆仑山在西海之戌地,北海之亥地,去岸十三万里』,似皆别指一山。然则郭云海外复有昆仑,岂不信哉。说文(八)云:『虚,大丘也,昆仑丘谓之昆仑虚。』”   2 珂案:西次三经云:“昆仑之丘,实惟帝之下都,神陆吾司之。其神状虎身而九尾,人面而虎爪。是神也,司天之九部,及帝之囿时。有鸟焉,其名曰鹑鸟,是司帝之百服。”即最早有关昆仑神话之记叙也。“帝之下都”,郭璞云:“天帝都邑之在下者。”穆天子传卷二云:“吉日辛酉,天子升于昆仑之丘,以观黄帝之宫。”则此天帝实黄帝也。“虎身而九尾、人面而虎爪”之神陆吾,即此经所记“身大类虎而九首、皆人面”之开明兽也,“司帝百服”之鹑鸟(禽经云:赤凤谓之鹑),即开明西凤皇鸾鸟之属也:以传闻不同而略异其辞也。   3 郭璞云:“皆谓其虚基广轮之高庳耳。自此以上二千五百余里,上有醴泉华池,去嵩高五万里,盖天地之中也。见禹本纪。”珂案:史记大宛列传引禹本纪云:“河出昆仑。昆仑其高二千五百余里,日月所相避隐为光明也,其上有醴泉、瑶池。”   4 郭璞云:“木禾,谷类也,生黑水之阿,可食,见穆天子传。”珂案:穆天子传卷四云:“黑水之阿,爰有野麦,爰有荅堇(祇谨二音——原注),西膜之所谓木禾。”   5 珂案:初学记卷七引此经作上。   6 珂案:吕氏春秋本味篇云:“水之美者,昆仑之井。”淮南子墬形篇云:“昆仑旁有九井。”   7 郭璞云:“槛,栏。”   8 珂案:史记司马相如传正义引此经作旁有五门。御览卷三八引此经作面有五门。   9 珂案:水经注河水引遁甲开山图荣氏注云:“天下仙圣,治在柱州昆仑山上。”十洲记亦云:“(昆仑)真官仙灵之所宗,品物群生,希奇特出,皆在于此。天人济济,不可悉记。”则是神话仙话化之自然表现也。   10郭璞云:“在岩闲也。”珂案:谓百神居处昆仑八隅岩穴之间。大荒西经云:“昆仑之丘,有人戴胜,虎齿,豹尾,穴处,名曰西王母。”可证神处岩穴,在古人质朴的思想观念中,并不足异。   11郭璞云:“言非仁人及有才艺如羿者不能得登此山之冈岭巉岩也。羿尝请药西王母,亦言其得道也。羿一或作圣。”珂案:郭注“羿一或作圣”,宋本、藏经本俱无一字,一字衍。“仁羿”,郭释为“仁人及有才艺如羿者”,嫌迂曲;据近人研究,仁羿,即夷羿,“仁”即“夷”之借字,“夷”之重文古作(入二),与“仁”音形并近,较确。郭云“羿或作圣”,亦通。“非仁圣莫能上冈之岩”,犹海外西经称“龙鱼陵居在其北,即有神圣乘此以行九野”,无非对古有才德者之赞美而已。然此处仁羿实当即羿,为有关羿神话之零片而散见于此者。淮南子览冥篇云:“羿请不死之药于西王母,姮娥窃以奔月,怅然有丧,无以续之。”高诱注云:“姮娥,羿妻;羿请不死之药于西王母,未及服之,姮娥盗食之,得仙,奔入月中为月精也。”“为月精”之说,不见于今本淮南子,唯初学记卷一引古本淮南子有之,云“(姮娥)托身于月,是为蟾蠩,而为月精”,此十二字盖后人或以其“不雅驯”,刊落去也。“非仁羿莫能上冈之岩”者,羿登此(昆仑山)冈岩向西王母请不死药也。西王母或居玉山。西次三经云:“玉山,是西王母所居也。”或居弇兹山。穆天子传卷三云:“天子遂驱升于弇山,乃寄名迹于弇山之石而树之槐,眉曰西王母之山。”郭璞注:“弇,弇兹山,日入所也;言是西王母所居也。”或居昆仑。大荒西经云:“有大山,名曰昆仑之丘。其下有弱水之渊环之;其外有炎火之山,投物辄然。有人戴胜,虎齿,豹尾,穴处,名曰西王母。”虽传说中西王母居地非一,而唯昆仑有不死树及不死药。本卷下文云:“开明北有……不死树。”又云:“开明东有巫彭、巫抵、巫阳、巫履、巫凡、巫相,夹窫窳之尸,皆操不死之药以距之。”则羿“上冈之岩”之所请者,亦唯有居于昆仑之西王母耳。郭璞图赞云:“万物暂见,人生如寄;不死之树,寿蔽天地;请药西姥,乌得如羿!”是能得其解者。   赤水出东南隅,以行其东北1。   1 珂案:宋本下有“西南流注南海厌火东”九字,明藏本、吴宽抄本、清吴任臣本、汪绂本、毕沅校本、百子全书本并有之,当系脱文。   河水出东北隅,以行其北,西南又入渤海,又出海外,即西而北,入禹所导积石山1。   1 郭璞云:“禹治水复决疏之,故云『导河积石』。”珂案:此积石山盖即西次三经所云“积石之山,其下有石门,河水冒以西流”之积石山也,郝懿行以此为海外北经禹所积石之山,非也,说详该节注。   洋水1、黑水2出西北隅,以东,东行,又东北,南入海,羽民南3。   1 郭璞云:“音翔。”郝懿行云:“高诱注淮南墬形训云:『洋水经陇西氐道东至武都为汉阳(阳字疑衍——珂),或作养(今本高注养下有水字——珂)也。』水经注(漾水)引阚骃云:『汉或为漾,漾水出昆仑西北隅,至氐道,重源显发而为漾水。』是洋水即漾水,字之异也。”珂案:书禹贡云:“嶓冢导漾,东流为汉。”即此洋水也。   2 珂案:书禹贡云:“黑水西河惟雍州。”又云:“导黑水至于三危,入于南海。”即此。   3 珂案:羽民已见海外南经。   弱水、青水出西南隅1,以东,又北,又西南,过毕方鸟东2。   1 郭璞云:“(汉书)西域传:『乌弋国去长安万五千余里,西行可百余日,至条枝国,临西海。长老传闻,有弱水西王母云。』(三国志魏志)东夷传亦曰,长城外数千里,亦有弱水。皆所未见也。淮南子(墬形篇)云:『弱水出穷石。』穷石今之西郡●冉,盖其派别之源耳。”珂案:郭注“●冉”,何焯校“删丹”;黄丕烈、周叔弢校同,云以汉晋地理志参校。弱水已见前卷“窫窳”节。   2 珂案:海外南经云:“毕方鸟在青水西。”   昆仑南渊深三百仞1。开明兽身大类虎2而九首,皆人面3,东向立昆仑上4。   1 郭璞云:“灵渊。”郝懿行云:“即海内北经云『从极之渊,深三百仞』者也。”珂案:海内北经云:“昆仑虚南所,有泛林方三百里。从极之渊,深三百仞,维冰夷恒都焉。”郝说是也。   2 珂案:宋本、毛扆校本、藏经本“类虎”下均有郭注“身或作直”四字,今脱去。   3 珂案:开明兽即西次三经神陆吾也,已见本章“海内昆仑之虚”节注2。大荒西经云:“昆仑之丘,有神——人面,虎身,文尾(原作『有文有尾』,王念孙云:二有字衍,从删),皆白——处之。”即神陆吾,亦即开明兽也。   4 郭璞云:“天兽也。铭曰:『开明为兽,禀资干精,瞪视昆仑,威振(藏经本作震——珂)百灵。』”珂案:铭亦郭氏图赞也。今图赞云:“开明天兽,禀兹金精;虎身人面,表此桀形;瞪视昆山,威慑百灵。”与此略异。   开明西有凤皇、鸾鸟,皆戴蛇践蛇,膺有赤蛇1。   1 珂案:西次三经云:“(昆仑之丘)有鸟焉,其名曰鹑鸟,是司帝之百服。”郝懿行云:“鹑鸟,凤也;海内西经云:昆仑开明西北皆有凤皇,此是也。埤雅(卷八)引师旷禽经云:『赤凤谓之鹑。』”即此。   开明北有视肉、珠树1、文玉树2、玗琪树3、不死树4。凤皇、鸾鸟皆戴瞂5。又有离朱6、木禾、柏树、甘水7、圣木8曼兑9,一曰挺木牙交10。   1 珂案:海外南经云:“三珠树生赤水上。”疑即此。淮南子墬形篇云:“增城九重,珠树在其(昆仑)西。”即此珠树也。列子汤问篇云:“珠玕之树皆丛生,华实皆有滋味,食之不老不死。”则又不死树之类,盖亦传说之演变也。   2 郭璞云:“五彩玉树。”珂案:淮南子墬形篇云“玉树在其(昆仑)西。”楚辞离骚王逸注引河图括地象云:“昆仑上有琼玉之树。”即此之属。   3 郭璞云:“玗琪,赤玉属也。吴天玺(孙皓年号——珂)元年,临海郡吏伍曜在海水际得石树,高二(宋本、藏经本作三——珂)尺余,茎叶紫色,诘曲倾靡,有光彩,即玉树之类也。于、其两音。”郝懿行云:“郭注见宋书符瑞志,唯二尺作三尺,茎叶作枝茎,诘曲作诘屈为异,其余则同。但据郭所说,则似珊瑚树,恐非玗琪树也。玗琪见尔雅释地。又穆天子传(卷四)云:『重●氏之所守,曰玗琪、●尾。』”   4 郭璞云:“言长生也。”珂案:不死树已见海外南经郭注:“员邱山上有不死树,食之乃寿。”文选思玄赋李善注引此经云:“昆仑开明北有不死树,食之长寿。”又引郭注:“言常生也。”今经无此语,注常生作长生。吕氏春秋本味篇云:“菜之美者,寿木之华。”高诱注云:“寿木,昆仑山上木也;华,实也;食其实者不死,故曰寿木。”是寿木即不死树也。淮南子墬形篇亦云:“不死树在其(昆仑)西。”   5 郭璞云:“音伐,盾也。”郝懿行云:“太平御览三百五十七卷引此经瞂作盾。”王念孙、毕沅校并同郝注。珂案:今影宋本御览作●,则是瞂之讹也,郝氏等三家所见本均同误。   6 珂案:离朱即踆乌,已见海外南经“狄山”节注。   7 郭璞云:“即醴泉也。”珂案:史记大宛传云:“禹本纪言昆仑上有醴泉。”   8 郭璞云:“食之令人智圣也。”   9 郭璞云:“未详。”珂案:圣木曼兑,当是一物,曼兑即圣木之名也。   10郭璞云:“淮南作璇树;璇,玉类也。”郝懿行云:“淮南子(墬形篇)云:昆仑之上有璇树。盖璇树一名挺木牙交,故郭氏引之。疑经文上下当有脱误,或挺木牙交四字即璇树二字之形讹亦未可知。璇当为琁。高诱注淮南墬形训云:琁音穷,是也。明藏本牙作互。臧庸(清人——珂)曰:『挺木牙交为曼兑之异文,兑读为锐,挺当为梴,字之讹也。』”   开明东有巫彭、巫抵、巫阳、巫履、巫凡、巫相1,夹窫窳之尸,皆操不死之药以距之2。窫窳者,蛇身人面,贰负臣所杀也。   1 郭璞云:“皆神医也。世本曰:『巫彭作医。』楚词(招魂)曰:『帝告巫阳。』”珂案:大荒西经云:“大荒之中,有灵山,巫咸、巫即、巫?、巫彭、巫姑、巫真、巫礼、巫抵、巫谢、巫罗十巫,从此升降,百药爰在。”十巫中有巫彭,即此巫彭也。余巫礼郝懿行以为即巫履(礼之义履也),巫?即巫凡(?与凡音近),巫谢即巫相(谢与相声转),十巫与此六巫名皆相近,而彼有“百药爰在”、此有“夹窫窳之尸、皆操不死药以距之”语,巫咸、巫彭又为传说中医道创始者,此经诸巫神话要无非灵山诸巫神话之异闻也。故郭璞注以为“皆神医也”;然细按之,毋宁曰,皆神巫也。此诸巫无非神之臂佐,其职任为上下于天、宣达神旨人情,至于采药疗死,特其余技耳。操不死神药以活窫窳,当亦奉神之命,非敢专擅也。郭氏图赞云:“窫窳无罪,见害贰负;帝命群巫,操药夹守;遂沦弱渊,变为龙首。”是能得其情状者。参见海内经“九丘建木”节注。   2 郭璞云:“为距却死气,求更生。”   服常树1,其上有三头人2,伺琅玕树3。   1 郭璞云:“服常木,未详。”吴任臣云:“淮南子(墬形篇)沙棠琅玕在昆仑东,服常疑是沙棠。”   2 郝懿行云:“海外南经云:『三首国一身三首。』亦此类也。”   3 郭璞云:“琅玕子似珠,尔雅(释地)曰:『西北之美者,有昆仑之琅玕焉。』庄周曰:有人三头,递卧递起,以伺琅玕与玗琪子,谓此人也。”郝懿行云:“说文(一)云:『琅玕,似珠者。』郭注尔雅释地引此经云:『昆仑有琅玕树也。』又玉篇引庄子云:『积石为树,名曰琼枝,其高一百二十仞,大三十围,以琅玕为之实。』是琅玕即琼枝之子似珠者也。琼枝亦见离骚(『折琼枝以继佩』——珂)。又王逸注九歌云:『琼芳,琼玉枝也。』骚客但标琼枝之文,玉篇空衍琅玕之实,而庄子逸文,缺然未睹厥略。惟艺文类聚九十卷及太平御览九百一十五卷引庄子曰:『老子见孔子从弟子五人,问曰:“前为谁?”曰:“子路为勇。”其次子贡为智,曾子为孝,颜回为仁,子张为武。老子叹曰:“吾闻南方有鸟,其名为凤,所居积石千里。天为生食,其树名琼枝,高百仞,以璆琳琅玕为实。天又为生离珠,一人三头,递卧递起,以伺琅玕。凤鸟之文,戴圣婴仁,右智左贤。”』以此参校郭注所引,『与玗琪子』四字,盖误衍也。”珂案:离珠,即离朱,黄帝时明目者,此一人三头之离珠又为日中三足神禽离朱演变而成者,参见海外南经“三株树”节及“狄山”节注。   开明南有树鸟,六首1;蛟2、蝮3、蛇、蜼、豹、鸟秩树4,于表池树木5,诵鸟6、(隼鸟)7、视肉。   1 珂案:大荒西经云:“有青鸟,身黄,赤足,六首,名曰(鸟蜀)鸟。”郭璞云:“音触。”疑即此六首之树鸟。   2 郭璞云:“蛟似蛇,四脚,龙类也。”   3 珂案:楚辞招魂:“蝮、蛇蓁蓁。”王逸注:“蝮,大蛇也。”   4 郭璞云:“木名,未详。”   5 郭璞云:“言列树以表池,即华池也。”   6 郭璞云:“鸟名,形未详。”   7 郭璞云:“鵰也。穆天子传(卷二)曰:『爰有白(隼鸟)、青鵰。』音竹笋之笋。”郝懿行云:“今穆天子传作白鸟、青鵰,已见西次三经『钟山』注。”珂案:西次三经“钟山”郭注引穆天子传亦作“白鸟、青鵰”,可证今本穆天子传不误,郭此处所引自误。关于昆仑山之神话,其较完整而又较古者,除此经所记而外,尚见于淮南子墬形篇。墬形篇云:“禹乃以息土填洪水,以为名山,掘昆仑虚以(水经注河水引此以下有为字——珂)下地。中有增城九重,其高万一千里百一十四步二尺六寸。上有木禾,其修五寻。珠树、玉树、旋树、不死树在其西;沙棠、琅玕在其东;绛树在其南;碧树、瑶树在其北。旁有四百四十门,门闲四里,里闲九纯,纯丈五尺。旁有九井,玉横维其西北之隅。北门开以内不周之风。倾宫、旋室、县圃、凉风在昆仑阊阖之中,是其疏圃。疏圃之池,浸之黄水。黄水三周复其原,是谓白水(白原作丹,从王念孙读书杂志校改——珂),饮之不死。河水出昆仑东北陬,贯渤海入禹所导积石山。赤水出其东南陬,西南注南海,丹泽之东,赤水之东。弱水出自穷石,至于合黎,余波入于流沙,绝流沙南至南海。洋水出其西北陬,入于南海,羽民之南。凡四水者,帝之神泉,以和百药,以润万物。昆仑之邱,或上倍之,是谓凉风之山,登之而不死;或上倍之,是谓悬圃之山(原无之山二字,从王念孙读书杂志校增——珂),登之乃灵,能使风雨;或上倍之,乃维上天,登之乃神,是谓太帝之居。”高诱注:“太帝,天帝。”此天帝盖即黄帝也。余十洲记拾遗记等亦均记之,然卑琐不足道矣。下卷卷首“蛇巫之山”及“西王母”二节,均当移于此节之后,说已见海内南经“匈奴”节注。   山海经海经新释卷七  山海经第十二    海内北经   海内西北陬以东者1。   1 珂案:此经方位与海外北经方位似相反实相同,见海外北经卷首注。   蛇巫之山,上有人操柸1而东向立2。一曰龟山。   1 郭璞云:“柸或作棓,字同。”郝懿行云:“柸即棓字之异文。说文(六)云:『棓,梲也。』玉篇云:『棓与棒同,步项切。』太平御览三百五十七卷引服虔风俗通文曰:『大杖曰棓。』”珂案:柸,宋本、毛扆本、藏经本、项絪本均作杯,字之讹也。   2 珂案:此节及下节当移在海内西经“开明南有树鸟”节之次,海内南经“匈奴”节与海内西经“贰负之臣曰危”节当移于此,说已见前。昆仑山为羿向西王母请不死药之地,而有关羿之神话中,又有逢蒙杀羿,及羿死于桃棓等神话。孟子离娄下篇云:“逢蒙学射于羿,尽羿之道,思天下惟羿愈已,于是杀羿。”淮南子诠言篇云:“羿死于桃棓。”许慎注:“棓,大杖,以桃木为之,以击杀羿,由是以来鬼畏桃也。”则此“操柸(棓)而东向立”于昆仑附近蛇巫山上之人,其伺羿而欲杀之之逢蒙乎?不可知矣。   西王母1梯几而戴胜杖2,其南有三青鸟3,为西王母取食4。在昆仑虚北。   1 珂案:有关西王母神话之记叙,见于此经者凡三,最先为西次三经:“玉山,是西王母所居也。西王母其状如人,豹尾虎齿而善啸,蓬发戴胜,是司天之厉及五残。”稍后为此经。再后为大荒西经:“西海之南,流沙之滨,赤水之后,黑水之前,有大山,名曰昆仑之丘。有神——人面,虎身,文尾,皆白——处之。其下有弱水之渊环之,其外有炎火之山,投物辄然。有人戴胜,虎齿,豹尾,穴处,名曰西王母。此山万物尽有。”三处所记,以此经为最简,然既着“戴胜”(下“杖”字衍,说见后),则其形貌固未易也。   2 郭璞云:“梯谓冯也。”郝懿行云:“如淳注汉书司马相如大人赋引此经无杖字。”珂案:无杖字是也,御览卷七一0引此经亦无杖字,西次三经与大荒西经亦俱止作“戴胜”,杖字实衍。   3 珂案:西次三经云:“三危之山,三青鸟居之。是山也,广员百里。”大荒西经云:“有西王母之山(原作西有王母之山,从王念孙、郝懿行校改),有三青鸟,赤首黑目,一名曰大鵹,一名少鵹,一名曰青鸟。”从其居地及其形貌可以想见:此三青鸟者,非宛转依人之小鸟,乃多力善飞之猛禽也。   4 郭璞云:“又有三足鸟主给使。”珂案:郭注三足鸟,宋本、藏经本作三足乌。史记司马相如大人赋云:“亦幸有三足乌为之(西王母)使。”玉函山房辑佚书辑河图括地象亦云:“有三足神乌,为西王母取食。”则作三足乌是也。   有人曰大行伯,把戈1。其东有犬封国2。贰负之尸3在大行伯东。   1 珂案:今本风俗通义卷八引礼传云:“共工之子曰修,好远游,舟车所至,足迹所达,靡不穷览,故祀以为祖神。”此把戈而位居西北之大行伯,其共工好远游之子修乎?   2 郭璞云:“昔盘瓠杀戎王,高辛以美女妻之,不可以训,乃浮之会稽东海(宋本、毛扆本作东南海——珂)中,得三百里地封之,生男为狗,女为美人,是为狗封之国(宋本、藏经本国作民——珂)也。”珂案:传亦为郭璞所作之玄中记(已佚,古小说钩沉有辑录)亦述此故事,文字大体相同,惟“戎王”作“犬戎”,三百里作三千里。此一神话之详细记录,乃见于稍后于郭璞之干宝搜神记。其后后汉书南蛮传亦载之,文字与搜神记无大差异。有注云:“已上并见风俗通。”风俗通汉末应劭撰,知此一神话汉代已有流传矣。三国鱼豢魏略(已佚,从后汉书李贤注引)云:“高辛氏有老妇,居王室,得耳疾,挑之,得物大如茧。妇人盛瓠中,覆之以盘,俄顷化为犬,其文五色,因名盘瓠。”此盘(盘)瓠一名之来源也。搜神记所叙盘瓠故事首段即本此。又有汉魏丛书八卷本搜神记,文体与近年敦煌所发现句道兴搜神记颇相近,其中多条竟至文字与故事大体相同,可见二书原出民间。清王谟跋此,云“有唐时州名”,则为唐人撰造更无可疑。其叙盘瓠神话,则云:“昔高辛氏时,有房王作乱,忧国危亡,帝乃召募天下有得房氏首者,赐金千斤,分赏美女。群臣见房氏兵强马壮,难以获之。辛帝有犬字曰盘瓠,其毛五色,常随帝出入。其日忽失此犬,经三日以上,不知所在,帝甚怪之。其犬走投房王。房王见之大悦,谓左右曰:『辛氏其丧乎!犬犹弃主投吾,吾必兴也。』房氏乃大张宴会,为犬作乐。其夜房氏饮酒而卧,盘瓠咬王首而还。辛见犬衔房首,大悦,厚与肉糜饲之,竟不食。经一日,帝呼,犬亦不起。帝曰:『如何不食,呼又不来,莫是恨朕不赏乎?今当依召募赏汝物,得否?』盘瓠闻帝此言,即起跳跃,帝乃封盘瓠为会稽侯(原注:一作桂林侯),美女五人,会稽郡(原注:一作桂林郡)一千户。后生三男六女。其男当生之时,虽似人形,犹有犬尾。其后子孙昌盛,号为犬戎之国。”此虽较后之记叙,然因传自民间,实更接近此一神话本貌。文中所叙封盘瓠为会稽侯、生男而有“犬尾”、“其后子孙昌盛,号为犬戎之国”等,与郭注均甚相合。以较二十卷本搜神记及后汉书南蛮传所叙,朴质与涂饰殆一目暸然矣。盘瓠神话至今犹传于我国西南苗、瑶、侗、畬等少数民族中,本为某一民族起源之推原神话,迨神话演进,乃成为天地开辟之推原神话。三国吴徐整三五历纪(已佚,从艺文类聚卷一引)云:“天地浑沌如鸡子,盘古生其中。万八千岁,天地开辟,阳清为天,阴浊为地。盘古在其中,一日九变。神于天,圣于地。天日高一丈,地日厚一丈,盘古日长一丈。如此万八千岁,天数极高,地数极深,盘古极长。后乃有三皇。数起于一,立于三,成于五,盛于七,处于九,故天去地九万里。”绎史(清马骕撰)卷一引同一作者之五运历年记云:“首生盘古,垂死化身:气成风云,声为雷霆,左眼为日,右眼为月,四肢五体,为四极五岳,血液为江河,筋脉为地里,肌肤为田土,发髭为星辰,皮毛为草木,齿骨为金石,精髓为珠玉,汗流为雨泽,身之诸虫,因风所感,化为黎甿。”盘古,即盘瓠之音转。盘瓠为某一民族之始祖神,盘古则宇宙之开创者矣。而此盘古,不久以前犹为苗瑶等族所崇奉,谓之“盘王”。刘锡蕃岭表纪蛮谓“盘古为一般瑶族所虔祀,称之为盘王。瑶人以为人之生死寿夭贫贱,皆盘王主之,天旱祷盘王,舁王游田间。”苗族亦有“盘王书”,类乎旧约创世纪,传唱于民间,云:“记起盘王先记起,盘王记起造犁耙,造得犁耙也未使,屋背大塘谷晒芽。记起盘王先记起,盘王记起种苎 ,种得苎 儿孙绩,儿孙世代绩罗花。记起盘王先记起,盘王记起造高机,造得高机织细布,布面有条杨柳丝。……”(见说文月刊第一卷第十、十一期合刊常任侠沙坪坝出土之石棺画象研究)可见彼在苗瑶人民中之信仰。犬封国之始祖盘瓠,竟逐渐演变而为开天辟地及种种文物创造发明者之人类共同始祖盘古,则殆非神话传述者之始料所及矣。   3 珂案:海内西经云:“贰负之臣曰危,危与贰负杀窫窳,帝乃梏之疏属之山,桎其右足,反缚两手,系之山上木。”帝之处罚似仅及危,未及贰负。此言“贰负之尸”,山海经所谓“尸”者,大都遭杀戮以后之景象,则并贰负亦受刑矣。   犬封国曰犬戎国1,状如犬2。有一女子,方跪进柸食3。有文马4,缟身5朱鬣,目若黄金,名曰吉量6,乘之寿千岁7。   1 珂案:封、戎音近,故犬封国得称犬戎国。又“犬封国”者,盖以犬立功受封而得国,即郭注所谓“狗封国”也。伊尹四方令云:“正西昆仑狗国。”淮南子墬形篇云:“狗国在其(建木)东。”则狗国之传说实起源于西北然后始渐于东南也。   2 郭璞云:“黄帝之后卞明生白犬二头,自相牝牡,遂为此国,言狗国也。”珂案:郭注本大荒北经。大荒北经云:“有人名曰犬戎。黄帝生苗龙,苗龙生融吾,融吾生弄(郭璞注。一作卞)明,弄明生白犬,白犬有牝牡,是为犬戎。”白犬自相牝牡而传国,是又此一神话之异闻也,故郭注乃附及之。大荒北经又云:“有犬戎国。有神(史记周本纪集解引此作人),人面兽身,名曰犬戎。”此“人面兽身、名曰犬戎”之“神(人)”,其最初传说之盘瓠乎?   3 郭璞云:“与酒食也。”郝懿行云:“艺文类聚七十三卷引此经柸上有玉字,明藏本柸作杯,注酒字作狗。”珂案:宋本柸亦作杯,作杯是也。古杯字作桮,柸或桮之讹也。   4 珂案:说文十云:“马赤鬣缟身,目若黄金,名曰(文鸟),吉皇之乘,周文王时犬戎献之。”   5 郭璞云:“色白如缟。”   6 郭璞云:“一作良。”珂案:文选东京赋李善注引此经正作吉良。   7 郭璞云:“周书曰:『犬戎文马,赤鬣白身,目若黄金,名曰吉黄之乘。』(案今周书王会篇作古黄之乘,字之讹也——珂)六韬曰:『文身朱鬣,眼若黄金,项若鸡尾,名曰鸡斯之乘。』大传(尚书大传)曰:『驳身朱鬣鸡目。』山海经亦有吉黄之乘,寿千岁者(按今山海经无此名,疑本在经中,今逸——珂)。惟名有不同,说有小错,其实一物耳,今博举之以广异闻也。”珂案:犬戎文马,奇肱国亦有之,已见海外西经。绎史卷十九引六韬云:“商王拘周伯昌于羑里,太公与散宜生以金千镒求天下珍物以免君之罪。于是得犬戎氏文马,驳身朱鬣,目若黄金,名鸡斯之乘,以献商王。”即有关文马神话之最早而又最完整之记录也。前乎此者,淮南子道应篇与史记周本纪亦记有之。道应篇云:“散宜生以千金求鸡斯之乘以献纣。”周本纪云:“闳夭之徒求骊戎之文马献之纣。”均此一神话之概略也。犬戎文马,能解文王羑里之囚,其在秦汉之际,为众所艳称可知矣。吉量、吉良、吉黄、吉皇、鸡斯之乘、腾黄、吉光(文选东京赋李善注引瑞应图云:“腾黄神马,一名吉光”),均此文马之异名,其实一也。   鬼国1在贰负之尸北,为物人面而一目。一曰贰负神在其东,为物人面蛇身2。   1 珂案:即一目国,已见海外北经。大荒北经亦云:“有人一目,当面中生。一曰是威姓,少昊之子,食黍。”即此国也。伊尹四方令云:“正西鬼亲。”魏志东夷传云:“女王国北有鬼国。”则传说中此国之所在非一也。   2 珂案:为贰负神所杀之窫窳,亦人面蛇身,盖均古天神之状也。   蜪犬1如犬,青2,食人从首始。   1 郭璞云:“音陶。或作蚼,音钩。”珂案:说文十三云:“北方有蚼犬,食人。”即此。   2 王念孙云:“御览兽部十六(卷九0四)作如犬而青,类聚兽部四(卷九十四)作如犬青色。”   穷奇状如虎,有翼1,食人从首始,所食被发,在蜪犬北。一曰从足2。   1 郭璞云:“毛如猬。”孙星衍云:“毛如猬三字亦疑是经文。”珂案:西次四经云:“邽山,其上有兽焉,其状如牛,猬毛,名曰穷奇,音如(犬皋)狗,是食人。”即郭注所本,不必如孙所说也。左传文公十八年云:“少皞氏有不才子,天下之民谓之穷奇。”古神话实当谓少皞生穷奇也。神异经西北荒经云:“西北有兽焉,状似虎,有翼能飞,便剿食人。知人言语。闻人斗,辄食直者;闻人忠信,辄食其鼻;闻人恶逆不善,辄杀兽往馈之:名曰穷奇。亦食诸禽兽也。”似即本此经为说。注引别本云:“穷奇似牛而狸尾,尾长曳地,其声似狗,狗头人形,钩爪锯牙。逢忠信之人,啮而食之;逢奸邪则擒禽兽而伺之。”似又本西次四经为说。而后汉书礼仪志所记大傩逐疫“追恶凶”之十二神中,有“穷奇腾根共食蛊”,则穷奇者,亦或于人有益,不尽为恶也。故郭氏图赞亦云:“穷奇之兽,厥形甚丑;驰逐妖邪,莫不奔走;是以一名,号曰神狗。”高诱注淮南子墬形篇“穷奇,广莫风之所生也”,则径以穷奇为“天神”,当是古有成说也。   2 珂案:“从首”或“从足”者,均图象不同而异其说也。   帝尧台、帝喾台、帝丹朱台、帝舜台,各二台,台四方,在昆仑东北1。   1 郭璞云:“此盖天子巡狩所经过,夷狄慕圣人恩德,辄共为筑立台观,以标显其遗迹也。一本云:所杀相柳,地腥臊,不可种五谷,以为众帝之台。”珂案:郭注“夷狄慕圣人恩德”云云,乃其以正统历史眼光释神话之臆说,实无足取。此“昆仑东北”帝尧、帝喾、帝丹朱、帝舜之台,实海外北经(亦见大荒北经)所记“昆仑之北”“众帝之台”,乃禹杀相柳(大荒北经作相繇)所筑台以厌妖邪者也,尧、喾、丹朱、舜等即所谓“众帝”,注中引“一本云”是也。   大蜂其状如螽1。朱蛾其状如蛾2。   1 郝懿行云:“蜂有极桀大者,仅曰如螽,似不足方之。疑螽即为蜂字之讹,与下句词义相比。古文蜂作?,与螽字形近,故讹耳。”珂案:王念孙亦校螽作?。   2 郭璞云:“蛾,蚍蜉也。楚词云:『玄蜂如壶,赤蛾如象。』谓此也。”珂案:郭引楚辞见招魂篇,云:“赤蚁若象,玄蜂若壶些。”蚁,蚁本字,即蛾。   蟜1,其为人虎文,胫有綮2。在穷奇东。一曰,状如人。昆仑虚北所有3。   1 郭璞云:“蟜音桥。”郝懿行云:“说文(十三)云:『蟜,虫也。』非此。广韵『蟜』字注引此经云:『野人身有兽文。』与今本小异。”   2 郭璞云:“言脚有膊肠也。”郝懿行云:“膊当为(月端)。说文(四)云:『(月端),腓肠也;腓,胫(月端)也。』已见海外北经无綮国。”   3 郭璞云:“此同上物事也。”郝懿行云:“郭意此已上物事皆昆仑虚北所有也。明藏本同作目。”珂案:宋本、毛扆校本同亦作目。目疑原作?,古以字,始誤為目,再誤為同。   阘非1,人面而兽身,青色。   1 郭璞云:“阘音榻。”郝懿行云:“伊尹四方令云:『正西阘耳。』疑即此。非、耳形相近。”   据比1之尸,其为人折颈被发,无一手2。   1 郭璞云:“一云掾比。”郝懿行云:“掾比,一本作掾北。”珂案:淮南子墬形篇云:“诸比,凉风之所生也。”高诱注:“诸比,天神也。”疑即据比、掾比(北)。诸、据、掾一声之转。   2 珂案:盖亦神国起讧,战斗不胜,惨遭杀戮之象。   环狗,其为人兽首人身。一曰猬状如狗,黄色1。   1 珂案:观其形状,盖亦犬戎,狗封之类。   ?1,其为物人身黑首从目2。   1 郭璞云:“?即魅也。”郝懿行云:“魑魅汉碑作(衣离)?,(后汉书)礼仪志云:『雄伯食魅。』玉篇云:『?即鬼魅也。』本此。”   2 郝懿行云:“楚词大招云:『豕首从目,被发鬤只。』疑即此。”   戎1,其为人人首三角2。   1 郝懿行云:“周书史记篇云:『昔有林氏召离戎之君而朝之。』或单呼为戎,又与林氏国相比,疑是也。”珂案:史记篇云:“昔有林氏召离戎之君而朝之;至而不礼,留而弗视,离戎逃而去之,林氏诛之,天下叛林氏。”孔晁注:“林氏,诸侯。天下见其遇戎不以礼,遂叛林氏,林氏孤危也。”   2 郝懿行云:“戎,广韵作(人戎),云:『(人戎),人身三角也。』首作身,与今本异。”   林氏国1有珍兽,大若虎,五采毕具2,尾长于身,名曰驺吾,乘之日行千里3。   1 郝懿行云:“周书史记篇云:『昔有林氏召离戎之君而朝之。』又云:『林氏与上衡氏争权,俱身死国亡。』即此国也。”珂案:史记篇“争权”下尚有“林氏再战而胜,上衡氏伪义弗克”二语。   2 郝懿行云:“毛诗传云:『驺虞白虎黑文,不食生物。』与此异。”   3 郭璞云:“六韬云:『纣囚文王,闳夭之徒诣林氏国求得此兽献之,纣大悦(宋本、藏经本、毛扆本作说——珂),乃释之。』周书曰:『夹林(今周书王会篇作央林,盖字形之讹也——珂)酋耳,酋耳若虎,尾参于身,食虎豹。』大传谓之侄兽(今尚书大传作怪兽——珂)。吾宜作虞也。”珂案:驺吾(虞)神话,亦文王脱羑里神话之一细节也。尚书大传云:“散宜生之于陵氏取怪兽,大不辟虎狼闲,尾倍其身,名曰虞。”是此驺虞也。淮南子道应篇云:“散宜生乃以千金求天下之珍怪,得驺虞、鸡斯之乘、玄玉百工、大贝百朋、玄豹黄罴、青犴白虎、文皮千合,以献于纣。”首列驺虞,其贵可知矣。   昆仑虚南所,有泛林方三百里1。   1 毕沅云:“淮南子墬形训有樊桐,云在昆仑阊阖之中。广雅云:『昆仑虚有板桐。』水经注(河水)云:『昆仑之山,下曰樊桐,一名板桐。』案泛、樊、板声相近,林、桐字相似,当即一也。”珂案:毕说近是。则所谓樊桐或板桐之山,盖亦以“林木泛滥布衍”(海外南经郭璞注)而得名,其义则泛林也。   从极之渊1深三百仞,维冰夷恒都焉2。冰夷人面3,乘两龙4。一曰忠极之渊5。   1 珂案:文选江赋李善注引此经作“从极之川”。   2 郭璞云:“冰夷,冯夷也。淮南云:『冯夷得道,以潜大川。』即河伯也。穆天子传所谓『河伯无夷』者,竹书作冯夷,字或作冰也。”珂案:经文“恒都”,藏经本作“潜都”。郭注引淮南子齐俗篇文,实出庄子大宗师。大宗师云:“冯夷得之,以游大川。”释文引司马彪云:“清泠传曰:『冯夷华阴潼乡堤首人也,服八石,得水仙,是为河伯。』”后汉书张衡传注引龙鱼河图则云:“河伯姓吕,名公子,夫人姓冯,名夷。”楚辞九歌洪兴祖补注引抱朴子释鬼篇(今本无)复云:“冯夷以八月上庚日渡河溺死,天帝署为河伯。”等等,是皆后起之说,未免芜杂不伦。河伯盖古黄河水神,穆天子传卷一所谓“阳纡之山,河伯无夷之所都居”者是也。水经注洛水引竹书纪年云:“洛伯用与河伯冯夷斗。”冯夷与用盖即河洛之神也。殷墟卜辞屡有“●于河”(殷墟书契前编:一三二?五)、“祊于河”(铁云藏龟:九六?四)等记叙,知河伯神话之渊源亦已古矣。庄子人间世云:“牛之白额者,与豚之亢鼻者,与人有痔病者,不可以适河。”适河,释文引司马彪云:“谓沉人于河祭也。”则在战国之世奉祀河伯之风仍有增未已。至楚辞九歌,乃有河伯专章之叙写,其中“与女游”、“送美人”等语,要无非表现人神恋爱之情况(见闻一多九歌古剧悬解)。则河伯者,固亦浪荡风流之神:此史记滑稽列传西门豹传“河伯娶妇”传说之所由起也。楚辞天问云:“帝降夷羿、革孽夏民,胡射夫河伯而妻彼雒嫔?”羿“妻雒嫔”事,古说隐沦,茫昧不可知矣。而“射河伯”,则有王逸注云:“河伯化为白龙,游于水旁,羿见射之,眇其左目。河伯上诉天帝,曰:『为我杀羿。』天帝曰:『尔何故得见射?』河伯曰:『我时化为白龙出游。』天帝曰:『使汝深守神灵,羿何从得犯汝?今为虫兽,当为人所射,固其宜也,羿何罪欤?』”高诱注淮南子(泛论篇)乃径云:“河伯溺杀人,羿射其左目。”河伯盖为民害,羿射其不道也。而博物志异闻云:“澹台子羽渡河,赍千金之璧于河。河伯欲之,至阳侯波起,两鲛夹船。子羽左掺璧,右操剑,击鲛皆死。既渡,三投璧于河,河伯跃而归之,子羽毁而去。”河伯性行之卑劣,于此尤可见一斑。其在古代神话中为反面形象人物,盖无疑问矣。   3 珂案:关于河伯形状,尸子辑本卷下云:“禹理水,观于河,见白面长人鱼身出,曰:『吾河精也。』授禹河图而还于渊中。”绎史卷十一引博物志于述此故事后更为之释云:“盖河伯也。”韩非子内储说上略云:“齐人有谓齐王曰:『河伯,大神也,臣请使王遇之。』乃为坛场大水之上。有闲,大鱼动,因曰:『此河伯。』”可见河伯之形,实当是人面鱼身。酉阳杂俎诺皋记上云:“河伯人面,乘两龙。又曰人面鱼身。”“人面,乘两龙”,今所见山海经是也,“又曰人面鱼身”,盖更参古说而为之补充使成全貌也。   4 郭璞云:“画四面各乘灵车,驾二龙。”郝懿行云:“郭注灵盖云,字之讹也。水经注(河水)引括地图云:『冯夷恒乘云车,驾二龙。』是灵当为云。太平御览六十一卷引此注正作云,可证。”珂案:郝说是也,王念孙校同。   5 郝懿行云:“水经注(河水)引此经作中极,中、忠古字通。”   阳污之山,河出其中;凌门之山,河出其中1。   1 郭璞云:“皆河之枝源所出之处也。”郝懿行云:“阳污即阳纡,声相近。穆天子传(卷一)云:『至于阳纡之山,河伯无夷之所都居。』水经注(河水)云:『河水又出于阳纡、陵门之山,而注于冯逸之山。』盖即引此经之文。陵门即凌门也。或云即龙门,凌、龙亦声相转也。艺文类聚八卷引此经正作阳纡、陵门,与水经注合。阳纡、陵门其地皆当在秦,故淮南子云:『昔禹治洪水,具祷阳纡。』高诱注云:『阳纡,秦薮。』是也。水经注反以高诱为非,谬矣。”珂案:郝引水经注“冯逸之山”,当即“冯夷之山”,是以河伯之名而名山矣。   王子夜1之尸,两手、两股、2、首、齿3,皆断异处4。   1 珂案:日本小川琢治穆天子传地名考谓“夜”即“亥”之形讹,疑是。若果如此,则此节亦王亥故事之片段,即大荒东经郭璞注引古本竹书纪年所谓“殷王子亥宾于有易而淫焉、有易之君绵臣杀而放之”、王亥惨遭杀戮以后之景象也。详该经“王亥”节。   2 郝懿行云:“当为匈。”珂案:匈,古、胸字,海外南经结匈国正作“匈”。   3 珂案:江绍原殷王亥惨死及后君王恒上甲微复仇之传说(见一九三六年十一月二十八日北平华北日报副刊“中国古占卜术研究”)谓齿字与首字形近而衍,亦足供参考。如此,则王亥惨遭杀戮,系尸分为八,合于“亥有二首六身”(首二、胸二、两手、两股)(左传襄公三十年)之古代民间传说。郭璞图赞云:“子夜之尸,体分成七。”则所见本已衍齿字也。   4 郭璞云:“此盖形解而神连,貌乖而气合;合不为密,离不为疏。”珂案:郭释已近玄说,殊乖神话之旨。   舜妻登比氏1生宵明、烛光2,处河大泽3,二女之灵能照此所方百里4。一曰登北氏。   1 珂案:尸子(孙星衍辑本)卷下云:“(尧)妻之(舜)以媓,媵之以娥。”此二妃皆尧女,所谓娥皇、女英(见列女传有虞二妃)者是也。礼记檀弓上云:“舜葬苍梧,盖三妃未之从也。”郑玄注:“舜有三妃。”则除上所说二妃而外,另一盖即此登比氏也。罗泌路史(后纪十一)亦以三妃为娥肓(娥皇)、女莹(女英)、癸比(登比),是也。   2 郭璞云:“即二女字也,以能光照,因名云。”   3 郭璞云:“泽,河边溢漫处。”   4 郭璞云:“言二女神光所烛及者方百里。”珂案:海内西经:“大泽方百里,群鸟所生及所解。”即此大泽。该节及已下二节亦应移于此节之前,始与方位大致相符,说已见前。淮南子墬形篇云:“宵明烛光在河洲,所照方千里。”说本此。而百字作千,或所见本异也。中次十二经云:“洞庭之山,帝之二女居之,是常游于江渊。澧沅之风,交潇湘之渊,是在九江之间,出入必以飘风暴雨。”此“帝之二女”,乃尧之二女即娥皇、女英也。楚辞九歌湘夫人云:“帝子降兮北渚,目眇眇兮愁予;袅袅兮秋风,洞庭波兮木叶下。”即咏其事也。然其情景乃与“处河大泽”之舜二女宵明、烛光相类,或均同一传说之分化与?罗泌路史(后纪十一)因云:“宵明烛光,处河大泽,灵照百里,是为湘之神。”以之混同于湘水尧二女神话中,正无足异。   盖国1在钜燕南,倭北。倭属燕2。   1 郝懿行云:“(三国志)魏志东夷传云:『东沃沮在高句丽盖马大山之东。』后汉书东夷传同。李贤注云:『盖马,县名,属玄菟郡。』今案盖马疑本盖国地。”珂案:此节及以下九节均应移海内东经“钜燕在东北陬”之后,说已见海内南经“匈奴”节注。   2 郭璞云:“倭国在带方东大海内,以女为主(宋本、藏经本作王——珂),其俗露紒,衣服无针功,以丹朱涂身,不妒忌,一男子数十妇也。”珂案:郭说本三国志魏志东夷传。   朝鲜在列阳东,海北山南。列阳属燕1。   1 郭璞云:“朝鲜今乐浪县,箕子所封也。列亦水名也,今在带方,带方有列口县。”郝懿行云:“(汉书)地理志云:『乐浪郡朝鲜又吞列分黎山,列水所出,西至黏蝉入海。』又云:『含资带水,西至带方入海。』又带方列口并属乐浪郡。晋书地理志列口属带方郡。”   列姑射在海河州中1。   1 郭璞云:“山名也。山有神人。河州在海中,河水所经者。庄子所谓藐姑射之山也。”珂案:东次二经云:“姑射之山,无草木,多水。又南水行三百里,流沙百里,曰北姑射之山,无草木,多石。又南三百里,曰南姑射之山,无草木,多水。”即此,所谓“列”姑射也。此节与东次二经所写情景相合,确当移海内东经始妥。庄子逍遥游云:“藐姑射之山,有神人居焉,肌肤若冰雪,淖约若处子,不食五谷,吸风饮露,乘云气,御飞龙,而游乎四海之外,其神凝,使物不疵疠而年谷熟。”释文引简文(梁简文帝)云:“藐,远也。”则藐姑射之山即姑射之山亦即列姑射(山)也。列子黄帝篇云:“列姑射山,在海河洲中,山上有神人焉”云云,正是其地也。至于庄子又云:“藐姑射之山,汾水之阳”者,释文云:“汾水出太原,今庄生寓言也。”谓不必信以为真也。郝疏乃以列子列姑射山属此,以庄子藐姑射山属东次二经姑射山,谓二者“非一地也”,未免泥求,未能贯通。   射姑国1在海中,属列姑射,西南,山环之2。   1 珂案:宋本、藏经本、吴宽抄本、吴任臣本、毕沅校本并作“姑射国”,作“姑射国”是也。   2 郝懿行云:“山环西南,海据东北也。”   大蟹在海中1。   1 郭璞云:“盖千里之蟹也。”珂案:大荒东经云:“女丑有大蟹。”郭注云:“广千里也。”即此大蟹也。周书王会篇云:“海阳大蟹。”孔晁注云:“海水之阳,一蟹盈车。”此大蟹之见于先秦古籍者也。玄中记(古小说钩沉辑)云:“天下之大物,北海之蟹,举一螯能加于山,身故在水中。”御览卷九四二引岭南异物志云:“尝有行海得洲渚,林木甚茂。乃维舟登岸,爨于水傍。半炊而林没于水。遽斩其缆,乃得去。详视之,大蟹也。”则传说演变,愈出而愈奇也。   陵鱼人面,手足,鱼身,在海中1。   1 珂案:海外西经云:“龙鱼陵居在其(沃野)北。”即此鱼也。说详该节注。楚辞天问云:“鲮鱼何所?”刘逵注吴都赋引作“陵鱼曷止”即人鱼也。龙、陵声转,陵、人音近。山海经记有产人鱼之处多所:西山经之竹山、北次三经之龙侯山、中次三经之熊耳山、中次六经之傅山、阳华山、中次十一经之朝歌山、葴山,均云“多人鱼”。即南山经青邱山之赤?,中次七经少室山之●鱼,亦均人鱼之属也。然此人鱼,乃动物之人鱼,非神话之人鱼也。水经注伊水云:“广志曰:『鲵鱼声如小儿啼,有四足,形如鲮鳢,可以治牛,出伊水也。』司马迁谓之人鱼。故其着史记曰:『始皇之葬也,以人鱼膏为烛。』徐广曰:『人鱼似–而四足,即鲵鱼也。』”谓此。神话之人鱼,此经所记近似矣,而未若搜神记所记之鲛人。搜神记卷十二云:“南海之外有鲛人,水居如鱼,不废织绩,其眼泣,则能出珠。”博物志、述异记并记之而文小异。而御览卷八0三引博物志(今本无)云:“鲛人从水出,寓人家,积日卖绢。将去,从主人索一器,泣而成珠满盘,以与主人。”为尤奇异。后世人鱼之传说,则见于太平广记卷四六四引洽闻记:“海人鱼状如人,眉目口鼻手爪,皆为美丽女子,皮肉白如玉,发如马尾,长五六尺。”天中记卷十二引徂异记亦云:“侍制查道奉使高丽,晚泊一山,望见沙中有一妇人,红裳双●,髻鬟微乱,肘有红鬣。水工曰:『某在海上,未省此何物?』查曰:『此人鱼也。』”其形貌姿态已与近世北欧童话家笔下人鱼相近矣。郝懿行云:“初学记三十卷引此经云:『鲮鱼背腹皆有刺,如三角菱。』北堂书钞一百三十七卷亦引此经,而云『鲮鲤吞舟』。疑此皆郭注误引作经文,今本并脱去之也。”是矣;而狞猛之状则异也。   大?居海中1。   1 郭璞云:“?即鲂也;音鞭。”珂案:尔雅释鱼云:“鲂,魾。”郭璞注云:“江东呼鲂鱼为?。”说文十一云:“?,?。”故郭此注云“?即鲂”也。   明组邑居海中1。   1 郭璞云:“音祖。”郝懿行云:“明组邑盖海中聚落之名,今未详。或说(吴任臣说——珂)以尔雅(释草)云『组似组,东海有之。』恐非。”   蓬莱山在海中1。   1 郭璞云:“上有仙人宫室,皆以金玉为之,鸟兽尽白,望之如云,在渤海中也。”珂案:史记封禅书云:“蓬莱、方丈、瀛洲,此三神山者,其传在渤海中,诸仙人及不死之药皆在焉。其物禽兽尽白,而黄金银为宫阙,未至,望之如云。”云云,是郭所本也。列子汤问篇五神山神话亦有蓬莱,已见海外东经“大人国”节注。御览卷三八引此经作“蓬莱山,海中之神山,非有道者不至。”当是檃括经文并郭注而言,非经文也。   大人之市在海中1。   1 珂案:大荒东经云:“东海之外,大荒之中,有山名曰大言,日月所出。有波谷山者,有大人之国。有大人之市,名曰大人之堂。有一大人踆其上,张其两臂(臂原作耳,据王念孙、毕沅、郝懿行诸家校改)。”即此。杨慎、郝懿行等咸释以登州海市蜃楼之幻象,云:“今登州海中州岛上,春夏之交,恒见城郭市?,人物往来,有飞仙邀游,俄顷变幻,土人谓之海市。疑即此。”云云,非也。   山海经海经新释卷八  山海经第十三    海内东经   海内东北陬以南者1。   1 珂案:此经方位与海外东经方位恰相反。   钜燕在东北陬1。   1 珂案:此下当接海内北经“盖国在钜燕南”以下十节文字,说见海内南经“匈奴”节注。   国在流沙中者埻端1、玺?2,在昆仑虚东南。一曰海内之郡,不为郡县,在流沙中3。   1 郭璞云:“埻音敦。”郝懿行云:“玉篇作●,国名。”   2 郭璞云:“?音唤,或作茧?。”郝懿行云:“?即暖字也。玉篇作玺(目奂)国。”   3 郝懿行云:“海内东经之篇而说流沙内外之国,下又杂厕东南诸州及诸水,疑皆古经之错简。”珂案:郝说是也,此下三节俱当移在海内西经“流沙出钟山”节后,说见海内南经“匈奴”节注。   国在流沙外者,大夏1、竖沙2、居繇3、月支之国4。   1 郭璞云:“大夏国城方二三百里,分为数十国,地和温(黄丕烈、周叔弢校温和,邵恩多校同——珂),宜五谷。”郝懿行云:“周书王会篇云:『大夏兹白牛。』孔晁注云:『大夏,西北戎。』伊尹四方令云:『正北大夏。』史记大宛传云:『大夏在大宛西南二千余里,妫水南。其俗土著有城屋,与大宛同俗。无大王长,往往城邑置小长。』裴松之注三国志(魏志乌丸鲜卑东夷传)引魏略云:『西王母西有修流沙,修流沙西有大夏国。』”   2 郝懿行云:“说文(十二)云:『古者宿沙初作煮海盐。』宿沙盖国名,宿、竖声相近,疑即竖沙也。三国志注引魏略作坚沙国。”珂案:宿沙,炎帝臣,其煮海盐当在古齐地,与竖沙东西地望绝不相侔,郝说非也。   3 郭璞云:“繇音遥。”珂案:三国志魏志乌丸鲜卑东夷传注引魏略作属繇国。   4 郭璞云:“月支国多好马、美果,有大尾羊如驴尾,即羬羊也。小月支、天竺国皆附庸云。”郝懿行云:“伊尹四方令云:『正北月氏。』氏、支同。三国志注引魏略作月氐国。汉书西域传云:『大月氐国治监氏城。』”珂案:清张澍辑凉州异物志云:“月氏国有羊,尾重十斤,割之供食,寻生如故。”又云:“有羊大尾,车推乃行,用累其身。”即郭璞注所谓“有大尾羊如驴尾”之羬羊也。   西胡白玉山1在大夏东,苍梧2在白玉山西南,皆在流沙西,昆仑虚东南。昆仑山在西胡西,皆在西北3。   1 郝懿行云:“三国志注引魏略云:『大秦西有海水,海水西有河水,河水西南北行有大山,西有赤水,赤水西有白玉山,白玉山西有西王母。』今案大山盖即昆仑也,白玉山、西王母皆国名。艺文类聚八十三卷引十洲记曰:『周穆王时,西胡献玉杯,是百玉之精,明夜照夕。』云云。然则白玉山盖以出美玉得名也。”   2 郝懿行云:“此别一苍梧,非南海苍梧也。”   3 郭璞云:“地理志昆仑山在临羌西,又有西王母祠也。”珂案:汉书地理志云:“金城郡临羌西北至塞外,有西王母石室。”又云:“有弱水昆仑山祠。”是郭所本也。   雷泽中有雷神1,龙身而人头,鼓其腹2。在吴西3。   1 珂案:大荒东经云:“东海中有流波山,入海七千里。其上有兽,状如牛,苍身而无角,一足,出入水则必风雨。其光如日月,其声如雷,其名曰夔。黄帝得之,以其皮为鼓,橛以雷兽之骨,声闻五百里,以威天下。”郭璞注:“雷兽,即雷神也,人面龙身鼓其腹者;橛犹击也。”即此雷神也。   2 珂案:史记五帝本纪正义引此经云:“雷泽有雷神,龙首人颊,鼓其腹则雷。”淮南子墬形篇云:“雷泽有神,龙身人头,鼓其腹而熙。”并与今本异也。   3 郭璞云:“今城阳有尧冢灵台。雷泽在北也。河图曰:『大迹在雷泽,华胥履之而生伏羲。』”珂案:淮南子墬形篇高诱注云:“地理志(汉书)曰:『禹贡雷泽在济阴城阳西北。城阳有尧冢。』”是郭注所本也。郭引河图,又见太平御览七八引诗含神雾,云:“大迹出雷泽,华胥履之,生宓牺。”宓牺即伏羲也。吴承志山海经地理今释卷六云:“此经当在『始鸠在海中,辕厉南』下,编失其次。”又云:“雷泽当作震泽。说文(十一)雨部震,篆解云,籀文震如此。雷泽即震泽。汉志具区泽在会稽郡吴西,扬州薮,古文以为震泽。震泽在吴西,可证。”此海外东经“在吴西”之雷泽,确当是震泽即太湖,以济阴城阳(今山东省莒县治)比附失之。   都州在海中1。一曰郁州2。   1 毕沅云:“水经注(淮水)引此作郁山。刘昭注郡国志与经文同。”   2 郭璞云:“今在东海朐县界,世传此山自苍梧从南徙来,上皆有南方物也。郁音郁。”郝懿行云:“刘昭注郡国志引此注云:『在苍梧徙来,上皆有南方树木。』与今本异。疑今本从南二字衍也。水经注(淮水)亦云:『言是山自苍梧徙此,云山上犹有南方草木。』”   琅邪台在渤海闲,琅邪之东1。其北有山。一曰在海闲2。   1 郭璞云:“今琅邪在海边,有山?峣特起,状如高台,此即琅邪台也。琅邪者,越王句践入霸中国之所都。”郝懿行云:“史记封禅书索隐及文选注谢朓和王著作八公山诗引此经并与今本同。越绝书(外传记地)云:『句践徙琅邪,起观台,台周七里,以望东海。』今详此经,是地本有台,句践特更增筑之耳。故史记索隐云:是山形如台也。斯言得之。”珂案:史记秦始皇本纪索隐引经文亦同今本。并云:“盖海畔有山,形如台,在琅邪,故曰琅邪台。”   2 郝懿行云:“琅邪台在今沂州府(今山东省临沂县——珂),其东北有山,盖劳山也。劳山在海闲,一曰牢山。”   韩鴈1在海中,都州南。   1 郝懿行云:“韩鴈盖三韩古国名。韩有三种,见魏志东夷传。”珂案:魏志东夷传云:“韩有三种,一曰马韩,二曰辰韩,三曰弁辰。”   始鸠1在海中,辕厉南2。   1 郭璞云:“国名。或曰:鸟名也。”珂案:当是国名。   2 毕沅云:“辕厉即韩鴈也;辕、韩音相近,鴈、厉字相似。”郝懿行云:“辕厉疑即韩鴈之讹也;辕、韩,鴈、厉并字形相近。”珂案:毕、郝之说是也,王念孙、孙星衍校同。吴承志山海经地理今释卷六云,“雷泽中有雷神”节当在此节之后,说见该节注。   会稽山在大楚南1。   1 吴承志山海经地理今释卷六云:“楚当作越,传写讹误。越绝书记越地传云:『禹忧民救水,到大越,上茅山大会计,更名茅山曰会稽。』即本此经。”   毕沅云:“右海内东经旧本合『岷三江,首……』以下云云为篇,非,今附在后。”又云:“自『岷三江,首……』以下疑水经也。”珂案:毕沅之说是也。“岷三江,首……”以下文字确与经文无关,今从毕说,附在经文之后,祗存郭注,其余他家注释俱从略,不更分节次;略有校改,亦不更记出处。   岷三江:首大江出汶山1,北江出曼山,南江出高山。高山在城成都西。入海,在长州南。    浙江出三天子都2,在其蛮东。在闽西北,入海,余暨南3。   庐江出三天子都,入江,彭泽西4。一曰天子鄣。   淮水出余山,余山在朝阳东5,义乡西,入海,淮浦北6。   湘水出舜葬东南陬,西环之7。入洞庭下8。一曰东南西泽。   汉水出鲋鱼之山9,帝颛顼葬于阳,九嫔葬于阴,四蛇卫之10。   蒙水出汉阳西11,入江,聂阳西。温水出崆峒,崆峒山在临汾南12,入河,华阳北。   颍水出少室,少室山在雍氏南,入淮西鄢北13。一曰缑氏14。   汝水出天息山,在梁勉乡西南,入淮极西北15。一曰淮在期思北16。   泾水出长城北山,山在郁郅长垣北17,入渭18,戏北19。   渭水出鸟鼠同穴山,东注河,入华阴北20。   白水出蜀,而东南注江21,入江州城下22。   沅水出象郡镡城西23,东注江,入下隽西24,合洞庭中25。   赣水出聂都东山26,东北注江,入彭泽西。   泗水出鲁东北而南,西南过湖陵西,而东南注东海,入淮阴北27。   郁水出象郡,而西南注南海,入须陵东南。   肄28水出临晋武西南,而东南注海,入番禺西29。   潢水出桂阳西北山,东南注肄水,入敦浦西。   洛水出上洛西山,东北注河,入成皋西30。   汾水出上窳北31,而西南注河32,入皮氏南33。沁水出井陉山东,东南注河,入怀东南34。   济水出共山南东丘35,绝钜鹿泽36,注渤海,入齐琅槐东北37。   潦水出卫皋东38,东南注渤海,入潦阳39。   虖沱水出晋阳城南,而西至阳曲北,而东注渤海40,入章武北41。   漳水出山阳东,东注渤海,入章武南42。   郭璞云:1今江出汶山郡升迁县岷山,东南经蜀郡犍为至江阳,东北经巴东建平宜都南郡江夏弋阳安丰至庐江南界,东北经淮南下邳至广陵郡入海。    2按地理志浙江出新安黟县南蛮中,东入海,今钱塘浙江是也。黟即歙也。浙音折。   3余暨县属会稽,今为永兴县。   4彭泽今彭蠡也,在寻阳彭泽县。   5朝阳县今属新野。   6今淮水出义阳平氏县桐柏山,东北经汝南汝阴淮南谯国下邳至广陵(淮浦)县入海。   7环,绕也。今湘水出零陵营道县阳湖(朔)山,入江。   8洞庭,地穴也,在长沙巴陵。今吴县南太湖中有包山,下有洞庭,穴道潜行水底,云无所不通,号为地脉。   9书曰:“嶓冢导漾,东流为汉。”按水经,汉水出武都沮县东狼谷,经汉中魏兴至南乡,东经襄阳至江夏安陆县入江。别为沔水,又为沧浪之水。   10言有四蛇卫守山下。11汉阳县属朱提。   12今温水在京兆阴盘县,水常温也。临汾县属平阳。   13今颍水出河南阳城县干山,东南经颍川汝阴至淮南下蔡,入淮。鄢今鄢陵县,属颍川。    14县属河南;音钩。   15今汝水出南阳鲁阳县大盂(孟)山,东北至河南梁县,东南经襄城颍川汝南至汝阴-信县入淮。淮极,地名。   16期思县属弋阳。   17皆县名也。郅音桎。   18今泾水出安定朝县西笄头山,东南经新平扶风至京兆高陵县入渭。   19戏,地名,今新丰县也。   20鸟鼠同穴山今在陇西首阳县,渭水出其东,经南安天水略阳扶风始平京兆宏农华阴县入河。    21色微白浊,今在梓潼白水县,源从临洮之西西倾山来,经沓中,东流通阴平至汉寿县入潜。   22江州县属巴郡。   23象郡今日南也。镡城县今属武陵;音寻。   24下隽县今属长沙;音昨兖反。   25水经曰:“沅水出牂牁且兰县,又东北至镡城县,为沅水。又东过临沅县南,又东至长沙下隽县。”   26今赣水出南康南野县西北;音感。   27今泗水出鲁国卞县,西南至高平湖陆县,东南经沛国彭城下邳至临淮下相县入淮。   28音如肄习之肄。   29番禺县属南海,越之城下也。   30书云:“道洛自熊耳。”按水经洛水今出上洛冢岭山,东北经宏农至河南巩县入河。成皋县亦属河南也。   31音愈。   32今汾水出太原晋阳故汾阳县,东南经晋阳,西南经河西平阳,至河东汾阴入河。   33皮氏县属平阳。   34怀县属河内,河内北有井陉山。   35共与恭同。   36绝,犹截度也;钜鹿,今在高平。   37今济水自荥阳卷县,东经陈留至潜阴北,东北至高平,东北经济南至乐安博昌县入海,今碣石也。诸水所出,又与水经违错。以为凡山川或有同名而异实,或同实而异名,或一实而数名,似是而非,似非而是,且历代久远,古今变易,语有楚夏,名号不同,未得详也。   38出塞外卫皋山。玄菟高句骊县有潦山,小潦水所出。西河(南)注大潦,音辽。   39潦阳县属潦东。   40经河闲乐城,东北注渤海也。晋阳阳曲县皆属太原。   41章武,郡名。   42新城汴阴县亦有漳水。   建平元年四月丙戌,待诏太常属臣望校治,侍中光禄勋臣龚、侍中奉车都尉光禄大夫臣秀领主省。(郝懿行云:“右海外、海内经八篇,大凡四千二百二十八字。”)   山海经海经新释卷九  山海经第十四    大荒东经1   1 珂案:明道藏本目录,海内经第十八之下注云:“本一千一百十一字,注九百六十七字。此海内经及大荒经本皆进在外。”“进在外”或作“逸在外”。疑此皆郭璞注语。毕沅云:“郭注本目录下有云:『海内经及大荒经本皆进在外。』案此经末又无建平校进?识,又不在艺文十三篇之数,惟秀奏云:『今定为十八篇。』详此经文,亦多是释海外经诸篇,疑即秀等所述也。”郝懿行云:“据郭此言是此以下五篇皆后人所述也,但不知所自始,郭氏作注亦不言及,盖在晋以前,郭氏已不能详矣。今考本经(海外、海内各经——珂)篇第,皆以南西北东为叙,兹篇以后,则以东南西北为次,盖作者分别部居,不令杂厕,所以自别于古经也。又海外海内经篇末皆有『建平元年四月丙戌』已下三十九字,为校书?识,此下亦并无之。又此下诸篇,大抵本之海外内诸经而加以诠释,文多凌杂,漫无统纪,盖本诸家记录,非一手所成故也。”毕、郝之说近是。唯谓荒经以下五篇为诠释海外、内各经文字,尚有未协。盖兹五篇古本别行,成书当不在山经及海外、内各经之后。以未经整理,故文多凌杂无统纪。然乃愈见其古朴,确属刘秀校书时“进在外”或“逸在外”者,谓为“秀等所述”则诬矣。   东海之外大壑1,少昊之国2。少昊孺帝颛顼于此3,弃其琴瑟4。有甘山者,甘水出焉5,生甘渊6。   1 郭璞云:“诗含神雾曰:『东注无底之谷。』谓此壑也。离骚(楚辞远游——珂)曰:『降望大壑。』”珂案:列子汤问篇云:“勃海之东,不知其几亿万里,有大壑焉,实惟无底之谷,其下无底,名曰归墟。八纮九野之水,天汉之流,莫不注之,而无增减焉。”即此壑也。关于归墟神话,已见海外东经“大人国”节注。经文“东海之外大壑”,艺文类聚卷九引作“东海之外有大壑”,是也;脱有字。   2 郭璞云:“少昊金天氏,帝挚之号也。”珂案:西次三经云:“长留之山,其神白帝少昊居之。其兽皆文首,其鸟皆文尾,是多文玉石。实惟员神磈氏(郝懿行说员神磈氏即少昊)之宫。是神也,主司反景。”是少昊之神职也。至于少昊在东海所建之国,则有左传昭公十七年,郯子对昭公之言云:“我高祖少皞挚之立也,凤鸟适至,故纪于鸟,为鸟师而鸟名。凤鸟氏,历正也;玄鸟氏,司分者也;伯赵氏,司至者也;青鸟氏,司启者也;丹鸟氏,司闭者也;祝鸠氏,司徒也;●鸠氏,司马也;鸤鸠氏,司空也;爽鸠氏,司寇也;鹘鸠氏,司事也;五鸠,鸠民者也。五雉为五工正,利器用,正度量,夷民者也。九扈为九农正,扈民无淫者也。”“纪于鸟”而以鸟名官之说,自是神话之历史化。推寻其本貌,当即少昊在东海所建立之鸟国,以鸟名官之,诸官实皆鸟也。少昊名挚,古挚、鸷通(史记白圭传:“趋时若猛兽挚鸟之发。”挚鸟即鸷鸟也,可证),则为此百鸟之王而名“挚”之少昊,神话中其亦鸷鸟之属乎?   3 郭璞云:“孺义未详。”郝懿行云:“说文(十四)云:『孺,乳子也。』庄子天运篇云:『乌鹊孺。』盖育养之义也。”   4 郭璞云:“言其(宋本作今——珂)壑中有琴瑟也。”郝懿行云:“此言少皞孺养帝颛顼于此,以琴瑟为戏弄之具而留遗于此也。……少皞即颛顼之世父,颛顼是其犹子,世父就国,犹子随侍,眷彼幼童,娱以琴瑟,蒙养攸基,此事理之平,无足异者。”珂案:郝说是也;虽仍从历史观点解释,已近神话本貌矣。海内经云:“黄帝妻雷祖,生昌意,昌意生韩流,韩流取淖子曰阿女,生帝颛顼。”此神话之颛顼世系也。颛顼乃黄帝曾孙。而少昊之世系于神话中则窅然无闻。历史记叙亦多异说,或谓是黄帝之子(世本),或谓是黄帝之孙(路史),迄不能明。然据绎史卷七引帝王世纪云:“颛顼生十年而佐少昊,二十而登帝位。”则郝疏所谓“少皞即颛顼之世父,颛顼是其犹子”,大致可信矣。经文“孺帝颛顼”之“孺”,郝释为“孺养”,当无问题也。   5 珂案:大荒南经云:“大荒之中,又有成山,甘水穷焉。”郭璞注:“甘水出甘山,极此中也。”是甘水由东而南,穷于成山之渊也。   6 郭璞云:“水积则成渊也。”珂案:大荒南经云:“东南海之外,甘水之闲,有羲和之国,有女子名曰羲和,方浴日(原作日浴,据宋本改)于甘渊。羲和者,帝俊之妻,生十日。”经文“东南海之外”,北堂书钞卷一四九引无南字,无南字是也。大荒南经此节疑亦本当在此经“有甘山者,甘水出焉,生甘渊”之下,乃简策错乱,误脱于彼也。此经甘渊实当即大荒南经羲和浴日之甘渊,其地乃汤谷扶桑也。海外东经云:“汤谷上有扶桑,十日所浴。”即此,亦即少昊鸟国建都之地。尸子(孙星衍辑本)卷上云:“少昊金天氏邑于穷桑,日五色,互照穷桑。”谓此也。则所谓甘渊、汤谷(扶桑)、穷桑,盖一地也。   大荒东南隅有山,名皮母地丘1。   1 郝懿行云:“淮南墬形训云:『东南方曰波母之山。』盖波母之波字脱水旁因为皮尔。臧庸曰:『波母即皮母,同声字也。』”   东海之外,大荒之中,有山名曰大言1,日月所出2。   1 珂案:初学记卷五引此经作大谷。   2 珂案:山海经记日月所出之山凡六(杨慎补注云七,盖合汤谷扶木而计也,然汤谷扶木仅日出之地,非日月所出之地):曰大言山、曰合虚山、曰明星山、曰鞠陵于天山(杨慎补注作鞠陵,脱于天二字)、曰猗天苏门山、曰壑明俊疾山,皆在大荒东经;纪日月所入之山亦六(杨慎补注云五,盖漏列龙山也):曰丰沮玉门山、曰龙山、曰日月山、曰鏖鏊钜山、曰常阳山、曰大荒山,皆在大荒西经;纪日月所出入之山一:曰方山,亦在大荒西经:是皆各随所闻见而着其地,故说有不同。此大言山,为日月所出山之一也。   有波谷山者,有大人之国1。有大人之市,名曰大人之堂2。有一大人踆其上,张其两耳3。   1 郭璞云:“晋永嘉二年,有鹙鸟集于始安县南廿里之?陂(宋本、毛扆本作骜陂——珂)中,民周虎张得之,木矢贯之铁镞,其长六尺有半,以箭计之,其射者人身应长一丈五六尺也。又平州别驾高会语云:『倭国人尝行,遭风吹度大海外,见一国人皆长丈余,形状似胡,盖是长翟别种。』箭殆将从此国来也。外传(国语鲁语——珂)曰:『焦侥人长三尺,短之至也,长者不过十丈(丈当作之——珂),数之极也。』按河图玉版曰:『从昆仑以北九万里,得龙伯国人,长三十丈,生万八千岁而死。从昆仑以东得大秦人,长十丈,皆衣帛。从此以东十万里,得佻人国,长三十(十字衍——珂)丈五尺。从此以东十万里,得中秦国人,长一丈。』谷梁传曰:『长翟身横九亩,载其头,眉见于轼。』即长数丈人也。秦时大人见临洮,身长五丈,脚迹六尺。准斯以言,则此(此字疑衍——珂)大人之长短,未可得限度也。”珂案:有关大人国神话,已见海外东经“大人国”节注。国语鲁语所记防风神话盖其朔矣。其后又记客与仲尼(孔子)之问答云:“客曰:『防风氏何守也?』仲尼曰:『汪芒氏之君也。在虞夏商为汪芒氏,于周为长翟,今为大人。』”则大人之来源亦有其传说之依据也。神异经东南荒经云:“东南隅大荒之中,有朴父焉,夫妇并高千里。天初立时,使其夫妻导开百川,懒不用意,谪之并立东南。不饮不食,不畏寒暑,唯饮天露。须黄河清,当复使其夫妇导护百川。”是神话中大人之最大最古者。至于楚辞招魂云:“魂兮归来,东方不可以托兮,长人千仞,惟魂是索些。”则已是文人幻设之词,非可以为典要也。   2 郭璞云:“亦山名,形状如堂室耳。大人时集会其上作市肆也。”珂案:大人之市,已见海内北经。   3 郭璞云:“踆或作俊,皆古蹲字。庄子曰:『踆于会稽』也。”珂案:郭引庄子外物篇文,“踆于会稽”,今本作“蹲乎会稽”。云:“任公子为大钩巨缁,五十犗以为饵,蹲乎会稽,投竿东海,旦旦而钓,期年不得鱼。已而大鱼食之,索巨钩,錎没而下,骛扬而奋鬐,白波若山,海水震荡,声侔鬼神,惮赫千里。任公子得若鱼,离而腊之,自制河以东,苍梧已北,莫不厌若鱼者。”盖亦龙伯大人之类也。经文“张其两耳”之“两耳”,太平御览卷三七七及卷三九四并引作“两臂”,作“两臂”是也。   有小人国,名靖人1。   1 郭璞云:“诗含神雾曰:『东北极有人长九寸。』殆谓此小人也。或作竫,音同。”郝懿行云:“说文(十)云:『靖,细貌。』盖细小之义,故小人名靖人也。淮南子作竫人,列子作诤人,并古字通用。列子汤问篇云:『东北极有人名曰诤人,长九寸。』与郭引诗含神雾同。初学记十九卷引郭氏赞云:『僬侥极么,竫人又小,四体取足,眉目纔了。』”珂案:靖人、僬侥、周饶、侏儒,并一声之转,已见海外南经“周饶国”节注。   有神,人面兽身,名曰犁(霝鬼)之尸1。   1 郭璞云:“音灵。”郝懿行云:“玉篇云:『靇同,又作灵,神也;或作(霝鬼)。』广韵引此经作(霝鬼),云,或作,与玉篇同。靇见说文。”珂案:说文十一云:“靇,龙也。”犁(霝鬼)之尸盖即奢比之尸之类也。   有潏1山,杨水出焉。   1 郭璞云:“音如谲诈之谲。”   有蒍国,黍食1,使四鸟:虎、豹、熊、罴2。   1 郭璞云:“言此国中惟有黍谷也。蒍音口伪反。”珂案:蒍国或当作妫国。妫,水名,舜之居地也。史记陈世家:“舜为庶人,尧妻之二女,居于妫汭,后因为氏。”妫国当即是舜之裔也。山海经帝俊即舜(说详下“帝俊生中容”节注),则此蒍国(妫国)实当是帝俊之裔也。又山海经记帝俊之裔俱有“使四鸟”或“使四鸟:豹、虎(或虎、豹)、熊、罴”语,此蒍国(妫国)亦“使四鸟”,则其为帝俊之裔更无疑问矣。   2 郝懿行云:“经言皆兽,而云使四鸟者,鸟兽通名耳。使者,谓能驯扰役使之也。”珂案:经文“虎豹熊罴”,宋本作“豹虎熊罴”。帝俊之裔之有“使四鸟:豹、虎(或虎、豹)、熊、罴”能力者,盖出于书舜典所记益与朱、虎、熊、罴争神神话。书舜典云:“帝(舜)曰:『畴若予上下草木鸟兽?』佥曰:『益哉!』益拜稽首,让于朱、虎、熊、罴。帝曰:『俞,往哉!汝谐。』”此其外貌固历史也,而其实质则神话也。汉书人表考(清梁玉绳撰)卷二云:“江东语豹为朱。”则此“朱、虎、熊、罴”旧注所谓舜之四臣者,实“豹、虎、熊、罴”四兽也。而益者,燕也,即诗玄鸟所谓“天命玄鸟,降而生商”之玄鸟是也。益为古代殷(商)民族之祖宗神,帝俊与舜均无非此神之化身。帝俊即殷墟卜辞所称“高祖?”者,?甲骨文作●,或作●,为一鸟头人身或猴身之怪物。古既有“玄鸟生商”之说,其鸟头者亦当为玄鸟(燕)之头无疑矣。则帝俊(舜)与益,实二而一也。舜典谓舜使益驯草木鸟兽而为之长,益“让于朱、虎、熊、罴”者,历史家对古神话之修改与涂饰也。推其本貌,想当无此彬彬有礼之美妙景象,与其谓之“让”,毋宁谓之“争”之为愈也。益与豹、虎、熊、罴四兽争神而四兽不胜,终臣服于益,舜典“帝曰『往哉汝谐』”之实质盖指此也。四兽既臣于益,故益之子孙为国于下方者,乃均有役使四兽之能力。帝俊即益,故山海经帝俊之裔亦有“使四鸟”或“使四鸟:豹、虎、熊、罴”之记载。   大荒之中,有山名曰合虚1,日月所出。   1 珂案:北堂书钞卷一四九引此经合作含。此合虚山为日月所出山之二也。   有中容之国。帝俊生中容1,中容人食兽、木实2,使四鸟:豹、虎、熊、罴。   1 郭璞云:“俊亦舜字假借音也。”郝懿行云:“初学记九卷引帝王世纪云:『帝喾生而神异,自言其名曰?。』疑?即俊也,古字通用。郭云俊亦舜字,未审何据。南荒经云:『帝俊妻娥皇。』郭盖本此为说。然西荒经又云:『帝俊生后稷。』大戴礼帝系篇以后稷为帝喾所产,是帝俊即帝喾矣。但经内帝俊叠见,似非专指一人。此云帝俊生中容,据左传文十八年云,高阳氏才子八人,内有中容(今本作仲容——珂),然则此经帝俊又当为颛顼矣。经文踳驳,当在阙疑。”珂案:郝说帝俊即帝喾,是也;然谓“郭云俊亦舜字,未审何据”,则尚有说也。大荒南经“帝俊妻娥皇”同于舜妻娥皇,其据一也。海内经“帝俊生三身,三身生义均”,义均即舜子商均(路史后纪十一:“女罃(女英)生义均,义均封于商,是为商均。”说虽晚出,要当亦有所本),其据二也。大荒北经云:“(卫)丘方圆三百里,丘南帝俊竹林在焉,大可为舟。”而舜二妃亦有关于竹之神话传说,其据三也。余尚有数细节足证帝俊之即舜处,此不多赘。是郭所云实无可非议也。至于帝俊神话之又或同于颛顼神话者,是部分神话偶然相同,非可以谓帝俊即颛顼也。   2 郭璞云:“此国中有赤木玄木,其华实美;见吕氏春秋。”珂案:吕氏春秋本味篇云:“指姑之东,中容之国,有赤木玄木之叶焉。”高诱注云:“赤木玄木,其叶皆可食,食之而仙也。”即郭注所引。惟其华当作其叶,字之讹也。   有东口之山。有君子之国,其人衣冠带剑1。   1 郭璞云:“亦使虎豹,好谦让也。”珂案:君子国已见海外东经。郭注“亦使虎豹”,御览卷五二引作“役使虎豹”。   有司幽1之国2。帝俊生晏龙3,晏龙生司幽,司幽生思士,不妻;思女,不夫4。食黍,食兽,是使四鸟5。   1 珂案:列子天瑞篇张湛注引此经司幽之国作思幽之国。   2 珂案:御览卷五十引此经国作民。   3 珂案:海内经云:“帝俊生晏龙,晏龙是为琴瑟。”即此晏龙也。详海内经“晏龙”节注。   4 郭璞云:“言其人直思感而气通,无配合而生子,此庄子所谓白鹄相视,眸子不运而感风化之类也。”珂案:郭注,影宋本太平御览卷五十引作“言其人直思而气通,魄合而生子,此庄子所谓白鹤相视,眸子不运而风化之类也”,无二“感”字,“无配合”作“魄合”,是也。惟“白鹄”作“白鹤”,疑讹。庄子天运篇云:“白鶂之相视,目子不运而风化。”郭引庄子盖本此,鹄、鹤均应作鶂。   5 郝懿行云:“四鸟亦当为虎、豹、熊、罴,此篇言使四鸟多矣,其义并同。”   有大阿之山者。   大荒中有山名曰明星,日月所出1。   1 珂案:此明星山,为日月所出山之三也。   有白民之国。帝俊生帝鸿1,帝鸿生白民,白民销姓,黍食,使四鸟:虎、豹、熊、罴2。   1 郝懿行云:“帝鸿,黄帝也,见贾逵左传(文公十八年)注;然则此帝俊又为少典矣,见大戴礼帝系篇(帝系篇云:『少典产轩辕,是为黄帝』——珂)。路史后纪(后纪十注——珂)引此经云:『帝律生帝鸿。』律,黄帝之字也;或罗氏所见本与今异。”珂案:古代神话传说,由于辗转相传,历时既久,错综纷歧之处必多,此经帝俊生帝鸿,帝鸿不必即黄帝,纵帝鸿即黄帝矣,帝俊亦不必即少典,要在阙疑可也。   2 郭璞云:“又有乘黄兽,乘之以致寿考也。”珂案:白民乘黄,其状如狐,乘之寿二千岁,已见海外西经。此白民国在大荒东经,与海外西经之白民国方位迥异,是否即是一国,所未详也。   有青丘之国,有狐,九尾1。   1 郭璞云:“太平则出而为瑞也。”珂案:青丘国九尾狐已见海外东经。郝懿行云:“郭氏此注云『太平则出为瑞』者,白虎通(封禅篇)云:『德至鸟兽则九尾狐见。』(文选)王褒四子讲德论云『昔文王应九尾狐而东国归周。』李善注引春秋元命苞曰:『天命文王以九尾狐。』”则已超出神话范围,而涉迷信领域矣。   有柔仆民,是维嬴土之国1。   1 郭璞云:“嬴犹沃衍也;音盈。”珂案:嬴土之国犹大荒西经“沃之国”也;已见海外西经“诸夭之野”节。   有黑齿之国1。帝俊生黑齿2,姜姓,黍食,使四鸟。   1 郭璞云:“齿如漆也。”珂案:黑齿国已见海外东经。   2 郭璞云:“圣人神化无方,故其后世所降育,多有殊类异状之人,诸言生者,多谓其苗裔,未必是亲所产。”   有夏州之国。有盖余之国。   有神人,八首人面,虎身十尾,名曰天吴1。   1 郭璞云:“水伯。”珂案:天吴已见海外东经。   大荒之中,有山名曰鞠陵于天1、东极2、离瞀3、日月所出4。名曰折丹5——东方曰折6,来风曰俊7——处东极以出入风8。   1 郭璞云:“音菊。”   2 郝懿行云:“淮南墬形训云:『东方曰东极之山。』谓此。”   3 郭璞云:“三山名也。音谷瞀。”郝懿行云:“初学记一卷引此经与今本同。注谷瞀二字当有讹文。”珂案:郭注“三山名也”,指鞠陵于天、东极、离瞀三山。   4 珂案:此鞠陵于天山(包括东极、离瞀二山),为日月所出山之四也。   5 郭璞云:“神人。”郝懿行云:“名曰折丹上疑脱有神二字,大荒南经『有神名曰因因乎』,可证。北堂书钞一百五十一卷引此经作有人曰折丹,太平御览九卷引亦同。”珂案:郝校是也;大荒西经“有人名曰石夷”,大荒东经“有人名曰鹓”,均可证此经“名曰折丹”上脱“有神”或“有人”字。   6 郭璞云:“单吁之。”郝懿行云:“吁当为呼,字之讹。”珂案:王念孙亦校作呼。   7 郭璞云:“未详来风所在也。”吴任臣云:“(大戴礼)夏小正云:『正月,时有俊风。』俊风,春月之风也,春令主东方,意或取此。”珂案:吴说可供参考。山海经记有四方神与四方风之名并四方神之职守,此其一也。除此而外,尚见于大荒南经:“有神名曰因乎——南方曰因,来风曰民——处南极以出入风”;大荒西经:“有人名曰石夷——西方曰夷,来风曰韦——处西北隅,以司日月之长短”;大荒东经云:“有人名曰鹓——北方曰鹓,来风曰(犬炎)——是处东北隅以止日月”(以上所举各经文字,讹误之处特多,兹就陈梦家殷虚卜辞综述所云并略参己意厘订如上,说详各该节注):并此东方之神折丹而为四也。卜辞有四方风之名。书尧典亦云:“(尧)分命羲仲,宅嵎夷,曰旸谷……厥民析,鸟兽孳尾;申命羲叔,宅南交……厥民因,鸟兽希革;分命和仲,宅西,曰昧谷……厥民夷,鸟兽毛毨;申命和叔,宅朔方,曰幽都……厥民隩,鸟兽氄毛。”即此四方神与四方风神话之历史化者也。   8 郭璞云:“言此人能节宣风气。时其出入。”郝懿行云:“大荒南经亦有神处南极以出入风也。盖巽位东南,主风,故二神司之,时其节宣焉。”   东海之渚中1有神,人面鸟身,珥两黄蛇2,践两黄蛇,名曰禺(豸虎)。黄帝生禺(豸虎),禺(豸虎)生禺京3,禺京处北海,禺(豸虎)处东海,是为海神4。   1 郭璞云:“渚,岛。”   2 郭璞云:“以蛇贯耳。”珂案:郭注“以蛇贯耳”已见海外东经“奢比尸”节。   3 郭璞云:“即禺强也。”郝懿行云:“禺强,北方神,已见海外北经。庄子(大宗师)释文引此经云:『北海之神,名曰禺强,灵龟为之使。』今经无此语。其云『灵龟为之使』者,盖据列子(汤问篇)云:『夏革曰:“五山之根,无所连着,常随潮波上下往还,帝命禺强,使巨鳌十五,举首而戴之,五山始峙。”』云云。所谓灵龟,岂是与?”   4 郭璞云:“言分治一海而为神也。(豸虎)一本作号。”珂案:经文“黄帝生禺(豸虎)”已下三(豸虎)字及郭注“(豸虎)一本作号”之(豸虎),宋本、毛扆本、吴任臣本俱作(豸虎)。揆之经文,则作(豸虎)是也。上文既称“东海之神,名曰禺(豸虎)”,则下文“处东海,是惟海神”之禺(豸虎)自应仍作(豸虎),无由而别作(豸虎)之理。其作(豸虎)者,或传写之讹也。郭注“(豸虎)一本作号”者,(豸虎)说文玉篇均无此字,疑即号之异文,海内经云“帝俊生禺号”是也。禺(豸虎)、禺京分治一海而为海神,禺京既海神而兼风神矣(已见海外北经“北方禺强”节注),则其父禺(豸虎)亦必海神而兼风神,观其人面鸟身之形,与子同状,可知也矣。   有招摇山,融水出焉。有国曰玄股1,黍食,使四鸟2。   1 郭璞云:“自髀以下如漆。”珂案:玄股国已见海外东经。   2 珂案:海外东经作“(使)两鸟夹之”。   有困民国1,勾姓而食2。有人曰王亥3,两手操鸟,方食其头4。王亥托于有易、河伯仆牛5。有易杀王亥,取仆牛6。河念有易7,有易潜出,为国于兽,方食之,名曰摇民8。帝舜生戏,戏生摇民9。   1 珂案:吴其昌(卜辞所见殷先公先王三续考——燕京学报第十四期)云:“大荒东经云:『有困民国,……勾姓而食,有人曰王亥,……名曰摇民。』而海内经云:『有嬴民,鸟足。有封豕。』『困民』之『困』,乃『因』字之误(此二字本极易误);『因民』、『摇民』、『嬴民』,一声之转也。”盖吴以海内经“有封豕”为“有王亥”(说详该节注)之误文,彼经“鸟足”之“嬴民”即此经有易所化之摇民,故云此经“困民”之“困”乃“因”字之误,因、嬴、摇一声之转:其说是也。史记秦本纪略云:“秦之先柏翳(伯益),舜赐姓嬴氏,生子二人,一曰大廉,大廉玄孙曰孟戏,鸟身人言。”而此经下文云:“帝舜生戏,戏生摇民”。已知舜与伯益均一人之化身矣(见前“蒍国”节注),则伯益之裔孟戏与舜之裔戏亦必为一人可知也。孟戏“鸟身人言”而姓嬴,当即海内经所记“鸟足”之嬴民;戏与摇民虽未记其形貌,然亦必为鸟形可知,则摇民之为嬴民可以证成矣。准斯而言,此经“困民”固当是“因民”之讹也;因、嬴、摇一声之转也。   2 何焯云:“『而食』下有脱文。”郝懿行云:“『勾姓』下,『而食』上当有阙脱。”珂案:而字或当是黍字之缺坏。黍,篆书作●,缺其上部禾字之半,即与而形近易讹。“勾姓,黍食”,则辞晓义明,完整无缺矣。   3 珂案:王亥一名,在古书中最为纷歧:卜辞、古本竹书纪年及此经均作王亥;楚辞天问作该,又作眩,云“该秉季德”,“眩弟并淫”;吕氏春秋勿躬篇作王冰,云“王冰作服牛”;初学记卷二十九引世本作篇作胲,云“胲作服牛”;御览卷八九九引同书则作鲧:知胲可误鲧,胲亦可误为“眩弟并淫”之眩矣;而史记殷本纪作振,云“冥卒,子振立”;索隐引世本作核;汉书人表又作垓;山海经海内经讹误最大,乃作封豕(详海内经“嬴民、封豕”节注):其实皆一名之讹变也。   4 珂案:当亦图象如此。   5 郭璞云:“河伯仆牛皆人姓名。托,寄也。见汲郡竹书。”珂案:郭云“河伯仆牛皆人姓名”,又云“见汲郡竹书”,但下文郭注引竹书却无“仆牛”字样,知“仆牛人姓名”盖郭臆说也。仆牛,天问作“朴牛”,王逸注:“朴,大也。”世本作“服牛”,服牛,驯牛也。均无“人姓名”之意。则仆牛者,亦非“人姓名”可知已。此句当言王亥托寄其所驯养之牛羊于有易与河伯。   6 郭璞云:“竹书曰:『殷王子亥宾于有易而淫焉,有易之君绵臣杀而放之。是故殷主(宋本作上,是也——珂)甲微假师于河伯以伐有易,灭之,遂杀其君绵臣也。”珂案:关于王亥被杀故事,楚辞天问叙其事较详,云:“该秉季德,厥父是臧,胡终弊于有扈,牧夫牛羊?干协时舞,何以怀之?平胁曼肤,何以肥之?有扈牧竖,云何而逢?击床先出,其命何从?恒秉季德,焉得夫朴牛?何往营班禄,不但还来?昏微遵迹,有狄不宁,何繁鸟萃棘,负子肆情?眩弟并淫,危害厥兄,何变化以作诈,而后嗣逢长?”诗文义古奥,又兼传写讹挩,不可尽释。约言之,首四句概叙王亥被杀于有易,丧失牛羊事。次四句写王亥王恒兄弟初至有易备受歌舞饮馔接待情景。次四句写王亥因“淫”而被杀,杀王亥者乃有易一激于一已嫉愤之“牧竖”。次四句写王恒至有易求情,得其兄所丧失牛羊,因有所恋,不即返国。次四句写上甲微兴师伐有易,灭其国家,肆情于妇子,使国土成为一片荆榛。末四句谴责王恒既与兄并淫,复以诈术危害其兄,其后嗣反而繁荣昌盛,足见天道之难凭也。诗中有扈、有狄,即有易也,昏微即上甲微也(说见吴其昌卜辞所见殷先公先王三续考)。易大壮六五爻辞云:“丧羊于易,旡悔。”旅上九爻辞云:“鸟焚其巢,旅人先笑后号咷。丧牛于易,凶。”说者亦以为是王亥故事云。   7 珂案:经文“河念有易”,王念孙于“河”下校增“伯”字,是也。   8 郭璞云:“言有易本与河伯友善,上甲微殷之贤王,假师以义伐罪,故河伯不得不助灭之。既而哀念有易,使得潜化而出,化为摇民国。”   9 珂案:此言摇民除有易所化之一系而外,复有一系是由帝舜之裔戏所生。此乃摇民传说之异闻,故附记于此。其实有易即戏也,易、戏声近,易化摇民即戏生摇民也。   海内有两人1,名曰女丑2。女丑有大蟹3。   1 郭璞云:“此乃有易所化者也。”郝懿行云:“两人盖一为摇民,一为女丑。”珂案:郭、郝之说均非是。经文“海内有两人,名曰女丑”之间,文字当有阙脱,未可强为解释。   2 郭璞云:“即女丑之尸;言其变化无常也。然则一以涉化津而遯神域者,亦无往而不之,触感而寄迹矣。范蠡之伦,亦闻其风者也。”珂案:女丑之尸已见海外西经;女丑盖女巫也,郭释“变化无常”云云则无非臆想之玄说耳。   3 郭璞云:“广千里也。”珂案:大蟹及郭注已见海内北经。经云“女丑有大蟹”,又云“十日炙杀女丑”(海外西经),则女丑之为女巫而被暴益无可疑矣。说详海外西经“女丑之尸”节。   大荒之中,有山名曰孽摇頵羝1,上有扶木2,柱三百里,其叶如芥3。有谷曰温源谷4。汤谷上有扶木5。一日方至,一日方出6,皆载于乌7。   1 郝懿行云:“吕氏春秋谕大篇云:『地大则有常祥、不庭、歧母、群抵、天翟、不周。』高诱注以不周为山名,其余皆兽名,非也。寻览文义,盖皆山名耳。其群抵当即此经之頵羝,形声相近,古字或通。”   2 郝懿行云:“扶木当为榑木。”   3 郭璞云:“柱犹起高也。叶似芥菜。”   4 郭璞云:“温源即汤谷也。”珂案:汤谷已见海外东经。   5 郭璞云:“扶桑在上。”郝懿行云:“说文(六)云:『日初出东方所登榑桑,?木也。』即此,?通作若。”   6 郭璞云:“言交会相代也。”珂案:海外东经云:“汤谷上有扶桑,十日所浴;……九日居下枝,一日居上枝。”其居上枝之日,疑即淮南子天文篇所云“登于扶桑,爰始将行”,亦即此经所云“方出”之日也。   7 郭璞云:“中有三足乌。”珂案:楚辞天问云:“羿焉彃日?乌焉解羽?”淮南子精神篇云:“日中有踆乌。”高诱注云:“踆,犹蹲也,谓三足乌;踆音逡。”   有神,人面、犬耳1、兽身,珥两青蛇,名曰奢比尸2。   1 珂案:海外东经作“大耳”,王念孙据以改此经“犬耳”之“犬”作“大”,宋本正作“大”,作“大”是也。   2 珂案:奢比之尸已见海外东经。   有五采之鸟1,相乡弃沙2。惟帝俊下友3。帝下两坛,采鸟是司4。   1 珂案:大荒西经云:“有五采鸟三名:一曰皇鸟,一曰鸾鸟,一曰凤鸟。”   2 郭璞云:“未闻沙义。”郝懿行云:“沙疑与娑同,鸟羽娑娑然也。”珂案:郝云“沙疑与娑同,鸟羽娑娑然”,近之矣,而于弃字无释。弃疑是媻字之讹。媻娑,婆娑,盘旋而舞之貌也。五采之鸟,盖鸾凤之属也。山海经屡有“鸾鸟自歌、凤鸟自”(海外西经、大荒南经、大荒西经、海内经)之记载,此经五采之鸟,相乡媻娑,盖亦自歌自舞之意也。   3 郭璞云:“亦未闻也。”珂案:“惟帝俊下友”者,言惟帝俊下与五采鸟为友也。帝俊之神,本为玄鸟(说见前“蒍国”节注),玄鸟再经神话之夸张,遂为凤凰、鸾鸟之属。楚辞天问:“简狄在台,喾何宜?玄鸟致贻,女何嘉(嘉原作喜,据闻一多楚辞校补改)?”离骚:“望瑶台之偃蹇兮,见有娀之佚女。……凤鸟既受诒兮,恐高辛之先我。”同一作者记同一神话,或为玄鸟,或为凤鸟,可见玄鸟即是凤鸟。此帝俊之所以“下友”于五采鸟也。   4 郭璞云:“言山下有舜二坛,五采鸟主之。”珂案:郭注径以舜释帝俊者,盖在彼心目中,帝俊与舜已是二而一也。   大荒之中,有山名猗天苏门,日月所生1。有埙民之国2。   1 珂案:此猗天苏门山,为日月所出山之五也。类聚卷一引此经作猗天山、苏门山,日月所出。御览卷三作苏门日月所出。   2 郭璞云:“音如諠哗之諠。”   有綦山1。又有摇山。有(鬲曾)山2。又有门户山。又有盛山。又有待山。有五采之鸟。   1 郭璞云:“音忌。”   2 郭璞云:“音如釜甑之甑。”   东荒之中,有山名曰壑明俊疾,日月所出1。有中容之国2。   1 珂案:此壑明俊疾山,为日月所出山之六也。   2 郝懿行云:“中容之国,已见上文。诸文重复杂沓,踳驳不伦,盖作者非一人,书成非一家故也。”   东北海外,又有三青马、三骓1、甘华。爰有遗玉、三青鸟2、三骓、视肉3、甘华、甘柤,百谷所在4。   1 郭璞曰:“马苍白杂毛为骓。”珂案:尔雅释畜云:“苍白杂毛,骓。”是郭注所本。然大荒南经又云:“有赤马,名曰三骓。”则与“苍白杂毛为骓”之说抵牾,所未详。疑此经三青马、三骓均大荒南经首节所谓“双双”之兽,详该节注。   2 珂案:遗玉,已见海外北经“平丘”节。三青鸟,已见海内北经。大荒西经亦云:“有三青鸟,赤首黑目,一名曰大鵹,一名少鵹,一名曰青鸟。”然彼乃为西王母取食之三青鸟,此则疑当是“双双”之鸟之类,详大荒南经首节注。   3 郭璞云:“聚肉有眼。”珂案:视肉已见海外南经“狄山”节郭注。   4 郭璞云:“言自生也。”郝懿行云:“海外北经云:『平丘甘柤、甘华,百果所在。』海外东经云:『嗟丘甘柤、甘华,甘果所生。』皆有遗玉、青马、视肉之类,此经似释彼文也。”珂案:郝说非也。荒经已下五篇,本“进在外”或“逸在外”之古经,未经整理,与以上各经,内容或有相同,但“文多凌杂,漫无统纪”(郝懿行语),自不能以此释彼。   有女和月母之国1。有人名曰鹓2,北方曰鹓,来之风曰(犬炎)3,是处东极隅以止日月4,使无相闲出没,司其短长5。   1 郝懿行云:“女和月母即羲和常仪之属也。谓之女与母者,史记赵世家索隐引谯周云:『余尝闻之代俗,以东西阴阳所出入,宗其神,谓之王父母。』据谯周斯语,此经『女和月母』之名,盖以此也。”   2 郭璞云:“音婉。”   3 郭璞云:“言亦有两名也;音剡。”珂案:经文“来之风”准以大荒东经“来风曰俊”、大荒西经“来风曰韦”文例,当衍“之”字。又丁山中国古代宗教与神话考云:“大荒东经之古本当为『北方曰鹓,风曰(犬炎)』,庄子书中亦有坚证:其天地篇有曰:『谆芒将之大壑,适遇苑风于东海之滨。苑风曰:“子将奚之?”曰:“将之大壑。”』苑风,当即大荒经所谓『来之风曰(犬炎)』。”说亦可供参考。   4 珂案:经文“处东极隅”疑当作“处东北隅”,“东极隅”不成文义,一也;经文前节言“东北海外”,后节言“大荒东北隅中”,知此亦必位在东北,二也;大荒西经云:“有人曰石夷,……处西北隅以司日月之长短。”石夷亦四方神之一,既曰“处西北隅”,与之相对之鹓,亦必当曰“处东北隅”,三也。有此三者,以知此经“东极”当是“东北”之误。   5 郭璞云:“言鹓主察日月出入,不令得相闲错,知景之短长。”   大荒东北隅中1,有山名曰凶犁土丘2。应龙处南极3,杀蚩尤与夸父4,不得复上5。故下数旱6,旱而为应龙之状,乃得大雨7。   1 王念孙云:“御览十一作东荒之北隅,卅五同。类聚灾异部(卷一百)作东荒北隅。”珂案:影宋本御览卷卅五作东荒之北隅,卷十一仍从类聚作东荒北隅。   2 郝懿行云:“史记五帝纪索隐引皇甫谧云:『黄帝使应龙杀蚩尤于凶黎之谷。』即此。黎、犁古字通。”珂案:唐王瓘轩辕本纪(见云笈七签卷一百)云:“(黄帝)杀蚩尤于黎山之丘。”说本此。然蚩尤被杀之地,或又传在南方。大荒南经云:“有宋山者,有木生山上,名曰枫木。枫木,蚩尤所弃其桎梏,是谓枫木。”郭璞注云:“蚩尤为黄帝所得,械而杀之,已摘其械,化而为树也。”或又传在东方。初学记卷九引归藏启筮云:“蚩尤出自羊水,八肱、八趾、疏首,登九淖以伐空桑,黄帝杀之于青丘。”青丘,东方地名也。或又传在中冀。周书尝麦篇云:“蚩尤乃逐帝(赤帝),争于涿鹿之河(阿),赤帝大慑,乃说于黄帝,执蚩尤杀之于中冀,用名之曰绝辔之野。”中冀盖即大荒北经所记冀州之野,亦即涿鹿之河(阿)也。然路史后纪四云:“(黄帝)传战执尤于中冀而殊之,爰谓之解。”解者,宋之解州,今山西之解县也。沉括梦溪笔谈卷三云:“解州盐泽,卤色正赤,俚俗谓之『蚩尤血』。”则解州虽不必如路史所附会之中冀,后世固亦有蚩尤被杀于其地之神话也。蚩尤被杀之地,于不同之诸说中,要以冀州之野即涿鹿之阿为近正。至此经之凶犁土丘固应龙所居之地,未必即蚩尤夸父被杀之地,云黄帝使应龙杀蚩尤于此丘者,亦由误读经文而生之附会也。   3 郭璞云:“应龙,龙有翼者也。”珂案:广雅释鱼云:“有翼曰应龙。”郭说本此。又经文“应龙处南极”,盖谓处凶犁土丘之南极也。   4 郭璞云:“蚩尤作兵者。”珂案:管子地数篇云:“葛卢之山,发而出水,金从之,蚩尤受而制之,以为剑、铠、矛、戟;雍狐之山,发而出水,金从之,蚩尤受而制之,以为雍狐之戟、芮戈。”吕氏春秋荡兵篇云:“人曰:『蚩尤作兵。』”太平御览卷七八引龙鱼河图云:“蚩尤造立兵杖、刀、戟、大弩。”大荒北经亦云:“蚩尤作兵伐黄帝。”此郭注所本也。此经“应龙杀蚩尤与夸父”,又见于大荒北经,云“应龙已杀蚩尤,又杀夸父”。应龙杀蚩尤与夸父者,盖夸父与蚩尤同为炎帝之裔,在黄炎斗争中,蚩尤起兵为炎帝复仇,夸父亦加入蚩尤战团,以兵败而被杀也。说已见海外西经“形天”节注。   5 郭璞云:“应龙遂住地下。”郝懿行云:“初学记三十卷引此经云:『应龙遂在地。』盖引郭注之文也。今文住字当作在,下字盖衍。”珂案:王念孙校与郝同。   6 郭璞云:“上无复作雨者故也。”   7 郭璞云:“今之土龙本此;气应自然冥感,非人所能为也。”郝懿行云:“刘昭注(后汉书)礼仪志引此经及郭注并与今本同。土龙致雨见淮南说山训及墬形训。又楚词天问云:『应龙何画?河海何历?』王逸注云:『或曰禹治洪水时,有神龙以尾画(地),导水径所当决者,因而治之。』案后世以应龙致雨,义盖本此也。”   东海中有流波山,入海七千里1。其上有兽,状如牛,苍身而无角,一足,出入水则必风雨,其光如日月,其声如雷,其名曰夔。黄帝得之,以其皮为鼓2,橛以雷兽之骨,声闻五百里,以威天下3。   1 珂案:御览卷五十引此经七千作七十,盖讹也。   2 郝懿行云:“说文(五)云:『夔,神魖也,如龙,一足,从?,象有角手人面之形。』薛综注(文选)东京赋云:『夔,木石之怪,如龙,有角,鳞甲光如日月,见则其邑大旱。』韦昭注国语(鲁语)云:『夔一足,越人谓之山缲(下尚漏引“人面猴身能言”数字——珂)。』案此三说夔形状俱与此经异也。庄子秋水篇释文引李云:『黄帝在位,诸侯于东海流山得奇兽,其状如牛,苍色无角,一足能走,出入水即风雨,目光如日月,其音如雷,名曰夔。黄帝杀之,取皮以冒鼓,声闻五百里。』盖本此经为说也。其文与今本小有异同:流波山作流山,其光如日月作目光如日月,似较今本为长也。又以其皮为鼓作以其皮冒鼓,刘逵注吴都赋引此经亦作冒字,是也。初学记九卷引帝王世纪作流波山,与今本同,而下文小异。”珂案:御览卷五十引此经其声如雷作其音如雷,其名曰夔作名曰夔,以其皮为鼓作以其皮作鼓。   3 郭璞云:“雷兽即雷神也,人面龙身,鼓其腹者。橛犹击也。”珂案:雷神已见海外东经。郝懿行云:“庄子释文本此经及刘逵注吴都赋引此经,并无橛以雷兽之骨及以威天下四字,北堂书钞一百八卷引有四字。”   珂案:流波山一足夔神话亦黄帝与蚩尤战争神话之一节。绎史卷五引黄帝内传云:“黄帝伐蚩尤,玄女为帝制夔牛鼓八十面,一震五百里,连震三千八百里。”吴任臣山海经广注(大荒北经)引广成子传云:“蚩尤铜头啖石,飞空走险,以馗牛皮为鼓,九击止之,尤不能飞走,遂杀之。”即其事也。   山海经海经新释卷十  山海经第十五    大荒南经   南海之外,赤水之西,流沙之东1,有兽,左右有首2,名曰(足朮)踢3。有三青兽相并,名曰双双4。   1 郭璞云:“赤水出昆仑山,流沙出钟山也。”珂案:郭注“赤水出昆仑山,流沙出钟山”,俱见海内西经。   2 郝懿行云:“并封前后有首,此左右有首,所以不同并封,见海外西经。然大荒西经之屏蓬即并逢也,亦云左右有首。”珂案:此“左右有首”之(足朮)踢,亦并封之类也,盖兽牝牡相合之象,说已见海外西经“并封”节注。   3 郭璞云:“出(犬炎)名国;黜惕两音。”郝懿行云:“(犬炎)名国未详所在,疑本在经内,今逸也。”毕沅云:“吕氏春秋本味篇云:『伊尹曰:“肉之美者,述荡之掔。”』高诱注曰:『兽名,形则未闻。』案即是此也。又案(足朮)踢当为述荡之误,篆文?、足相似,故乱之。”珂案:果如毕说,或述荡是(足朮)踢之讹,亦未可知。   4 郭璞云:“言体合为一也。公羊传所云:双双而俱至者,盖谓此也。”郝懿行云:“郭引宣五年传文也。杨士勋疏引旧说云:『双双之鸟,一身二首,尾有雌雄,随便而偶;常不离散,故以喻焉。』是以双双为鸟名,与郭异也。”珂案:双双之兽(或鸟),亦并封之类也。然双双而谓“三青兽相并”则所未详。大荒东经所谓“三青马”、“三青鸟”、“三骓”,疑亦双双之类也。   有阿山者。南海之中,有泛天之山,赤水穷焉1。赤水之东,有2苍梧之野,舜与叔均之所葬也3。爰有文贝4、离俞5、(丘鸟)久6、鹰、贾7、委维8、熊、罴、象、虎、豹、狼、视肉。   1 郭璞云:“流极于此山也。”珂案:西次三经云:“昆仑之丘,赤水出焉,而东南流注于泛天之水。”即此。   2 郝懿行云:“艺文类聚八十四卷及太平御览五百五十五卷并引此经无有字。”   3 郭璞云:“叔均,商均也。舜巡狩,死于苍梧而葬之,商均因留,死亦葬焉。基在今九疑之中。”郝懿行云:“海内南经既云『苍梧之山,帝舜葬于阳,帝丹朱葬于阴』,此又云『舜与叔均之所葬』,将朱、均二人皆于此焉堋邪?又郭云叔均,商均;盖以为舜之子也。然舜子名义钧,封于商,见竹书纪年(今本——珂),不名叔均。而大荒西经有叔均,为稷弟台玺之子,海内经又有叔均,为稷之孙,准斯以言,此经叔均,盖未审为何人也。郭云:『基在今九疑之中。』基当为墓字之讹。御览五百五十五卷引此注作『墓今在九疑山中』也。”珂案:郭注“基在今九疑之中”,王念孙亦校基作墓。又云:“西经(大荒西经)云:『稷之弟台玺生叔均。』是叔均非商均也。海内经云:『稷之孙曰叔均。』”是王、郝俱不以郭注叔均即商均为然。然此叔均,实是商均,叔、商一声之转。能与舜同葬,非舜子商均不足当之。舜与商均同葬苍梧,并无碍于海内南经所云“苍梧之山,帝舜葬于阳,帝丹朱葬于阴”之不同传说之流播。郝云“将朱、均二人皆于此焉堋”,未免失之拘矣。至叔均又谓是稷弟台玺之子或谓是稷之孙者,尤见神话传说之错综纷歧无定,是书非出自一手,盖各记其所传闻,不足异也。   4 郭璞云:“即紫贝也。”珂案:尔雅释鱼郭璞注云:“今之紫贝,以紫为质,黑为文点。”即此。   5 郭璞云:“即离朱。”珂案:离朱已见海外南经“狄山”节。   6 郭璞云:“即鸺鹠也。”珂案:经文(丘鸟)久已见海外南经“狄山”节。   7 郭璞云:“贾亦鹰属。”郝懿行云:“水经?水注引庄子曰:『雅,贾。』马融亦曰:『贾,乌。』(亦?水注引——珂)皆乌类,非郭义也。”   8 郭璞云:“即委蛇也。”珂案:海内经云:“南方有人曰苗民。有神焉,人面蛇身,长如辕,左右有首,衣紫衣,冠旃冠,名曰延维。人主得而飨食之,伯天下。”郭于“延维”下注云“委蛇”,是延维亦即此委维也。有关委维即委蛇之神话,详海内经“苗民神延维”节注。   有荣山,荣水1出焉。黑水之南,有玄蛇,食麈2。   1 珂案:经文荣山、荣水,吴任臣广注本、毕沅校本、百子全书本并作荥山、荥水。   2 郭璞云:“今南山(虫丹)蛇吞鹿,亦此类。”郝懿行云:“南山当为南方,字之讹也。南方(虫丹)蛇吞鹿,已见海内南经(“巴蛇食象”节——珂)注。”珂案:郭注“南山”,王念孙校亦作“南方”,宋本正作“南方”。   有巫山者,西有黄鸟。帝药,八斋1。黄鸟于巫山,司此玄蛇2。   1 郭璞云:“天帝神仙药在此也。”珂案:此经下文云:“大荒之中,有云雨之山,有木名曰栾。禹攻云雨,有赤石焉生栾,黄本、赤枝、青叶,群帝焉取药。”大荒西经云:“大荒之中,有灵山,巫咸、巫即、巫?、巫彭、巫姑、巫真、巫礼、巫抵、巫谢、巫罗十巫,从此升降,百药爰在。”说文一云:“灵,巫也,以玉事神。”是灵、巫古本一字。又巫山有朝云暮雨神话传说。疑云雨山与灵山均即巫山之异名(各详该节注)。而二地均有神药,此巫山“帝药,八斋”之说所由起也。郭注“神仙药”者,当即是神仙不死药也。   2 郭璞云:“言主之也。”珂案:或谓黄鸟司察此“食麈”之贪婪玄蛇,防其窃食天帝神药也。古黄、皇通用无别,黄鸟即皇鸟,盖凤皇属之鸟也。周书王会篇云:“方扬以皇鸟。”尔雅释鸟云:“皇,黄鸟。”即此是也。北次二经泰头之山有黄鸟,则是别一种鸟,非此。   大荒之中,有不庭之山1,荣水穷焉2。有人三身,帝俊妻娥皇,生此三身之国3,姚姓,黍食,使四鸟4。有渊四5方,四隅皆达6,北属黑水,南属大荒7,北旁名曰少和之渊,南旁名曰从渊8,舜之所浴也9。   1 郝懿行云:“吕氏春秋谕大篇云:『地大则有常祥、不庭、不周。』高诱注以『不周』为山,则『不庭』亦山名矣,即此。”   2 珂案:荣水出荣山,流极于此也。   3 郭璞云:“盖后裔所出也。”珂案:海外西经有三身国,海内经言帝俊生三身,即此。   4 郭璞云:“姚,舜姓也。”珂案:说文十二云:“虞舜居姚虚,因以为姓。”则此经妻娥皇而生三身之帝俊,其为舜也明矣。   5 珂案:御览卷三九五引此经四作正。   6 郭璞云:“言渊四角皆旁通也。”珂案:经文“四隅皆达”御览卷三九五引达作通。   7 郭璞云:“属犹连也。”   8 郭璞云:“音骢马之骢。”珂案:经文“从渊”,宋本作“(犬从)渊”,御览卷三九五引作“纵渊”,引郭注“音骢马之骢”作“音乌悬反”;疑注文本当作“从(或(犬从)、纵),音骢马之骢;渊,音乌悬反”:各脱其半也。   9 郭璞云:“言舜尝在此澡浴也。”珂案:御览卷三九五引郭注作“言常在中澡洗”,经于帝俊生三身下又云“舜之所浴”,帝俊之即舜益已明矣。   又有成山,甘水穷焉1。有季禺之国,颛顼之子,食黍2。有羽民之国,其民皆生毛羽3。有卵民之国,其民皆生卵4。   1 郭璞云:“甘水出甘山,极此中也。”珂案:甘水已见大荒东经。   2 郭璞云:“言此国人颛顼之裔子也。”   3 珂案:羽民国已见海外南经。   4 郭璞云:“即卵生也。”郝懿行云:“郭注羽民国云『卵生』,是羽民即卵生也。此又有卵民国,民皆卵生,盖别一国。郭云即卵生也,似有成文,疑此国本在经中,今逸。”   大荒之中,有不姜之山,黑水穷焉1。又有贾山,汔水出焉。又有言山。又有登备之山2。有恝恝之山3。又有蒲山,澧4水出焉。又有隗山5,其西有丹6,其东有玉。又南有山,漂水出焉7。有尾山。有翠山8。   1 郭璞云:“黑水出昆仑山。”珂案:黑水出昆仑西北隅,已见海内西经。   2 郭璞云:“即登葆山,群巫所从上下者也。”珂案:登葆山见海外西经“巫咸国”节。   3 郭璞云:“音如券契之契。”   4 郭璞云:“音礼。”   5 郭璞云:“音如隗嚣之隗。”珂案:宋本作“音槐嚣”,今本是也。   6 郝懿行云:“经内丹类非一,此但名之曰丹,疑即丹雘之省文也。”   7 郭璞云:“音票。”珂案:吴宽抄本经文作溧,注作栗。宋本经文作漂,注作栗。毛扆云:“经漂音栗,二者必有一误,当从吴宽抄本。”何焯校同。从吴宽抄本是也。此经漂音票,与吴宽本异。   8 郭璞云:“言此山有翠鸟也。”郝懿行云:“翠亦尾也。(礼记)内则云:『舒雁翠,舒凫翠。』”珂案:郭、郝二氏之说,恐均与山名无关。   有盈民之国,于姓,黍食。又有人方食木叶1。   1 郝懿行云:“吕氏春秋本味篇高诱注云:『赤木玄木,其叶皆可食,食之而仙也。』又穆天子传(卷四)云:『有模堇,其叶是食明后。』亦此类。”   有不死之国,阿姓,甘木是食1。   1 郭璞云:“甘木即不死树,食之不老。”珂案:不死之国,即不死民,见海外南经;不死树在昆仑山上,见海内西经。   大荒之中,有山名曰去。南极果,北不成,去果1。   1 郭璞云:“音如风之。未详。”郝懿行云:“集韵云:『,充至切,音厕,风病也。』是即风之。郭氏又音如之,疑有讹字。”珂案:郭注“未详”,盖义未详也。此疑当是巫师诅咒语渗入文中者,大荒西经“江山之南栖为吉”亦同然,鲁迅中国小说史略谓山海经“盖古之巫书”,亦略可见矣。   南海渚中,有神,人面,珥两青蛇,践两赤蛇,曰不廷胡余1。   1 郭璞云:“神名耳。”珂案:郭注“神名耳”宋本、吴任臣本作“一神名耳”,是也;毛扆、孙星衍校均增“一”字。   有神名曰因因乎,南方曰因乎,夸风曰乎民1,处南极以出入风2。   1 郭璞云:“亦有二名。”珂案:郭注“二名”宋本、毛扆本作“三名”,字之讹也。经文“有神名曰因因乎,南方曰因乎,夸风曰乎民”,揆以大荒东经“(有神)名曰折丹,东方曰折,来风曰俊”文例,疑当作“有神名曰因乎,南方曰因,来风曰民”,上因字与下二乎字俱衍文,夸风则来风之讹也。   2 郝懿行云:“大荒东经有神名曰折丹,处东极以出入风,此神处南极以出入风,二神处巽位以调八风之气也。”   有襄山。又有重阴之山。有人食兽,曰季厘。帝俊生季厘1,故曰季厘之国。有缗渊2。少昊生倍伐,倍伐降处缗渊。有水四方,名曰俊坛3。   1 郝懿行云:“文十八年左传云:高辛氏才子八人,有季狸;狸、厘声同,疑是也。是此帝俊又为帝喾矣。”珂案:帝俊本即帝喾。初学记卷九引帝王世纪云:“帝喾自言其名曰?。”即为最直接而有力之证据。大荒西经云:“帝俊生后稷。”大戴礼帝系篇则云:“帝喾上妃姜嫄氏产后稷。”大荒西经有“帝俊妻常羲”,世本王侯大夫谱亦有“帝喾次妃,娵訾氏之女曰常仪”,常仪即常羲也。此经帝俊生季厘同于帝喾才子八人之季狸,特相同点之一也。   2 郭璞云:“音昏。”   3 郭璞云:“水状似土坛,因名舜坛也。”珂案:郭注“俊坛”作“舜坛”,是郭复以帝俊即舜矣。   有臷民之国1。帝舜生无淫,降臷处2,是谓巫臷民。巫臷民?3姓,食谷,不绩不经,服也4;不稼不穑,食也5。爰有歌舞之鸟,鸾鸟自歌,凤鸟自舞。爰有百兽,相群爰处。百谷所聚6。   1 郭璞云:“为人黄色。”珂案:臷国已见海外南经。   2 珂案:经文“降臷处”上,当尚有“无淫”二字。   3 珂案:宋本、毛扆本作盼。   4 郭璞云:“言自然有布帛也。”   5 郭璞云:“言五谷自生也;种之为稼,收之为穑。”   6 珂案:臷民国盖即大荒西经沃民国之类也,言其饶沃,故曰不绩不经,不稼不穑:盖神之裔,得天独厚也。   大荒之中,有山名曰融天,海水南入焉1。   1 郝懿行云:“大荒北经云:『不句之山,海水入焉。』盖海水所泻处,必有归虚尾闾为之孔穴,地脉潜通,故曰入也。下又有天台高山,为海水所入。大荒北经亦有北极天柜,海水北注焉。皆海之所泻也。”珂案:海水入山,盖古人臆想,近神话矣。   有人曰凿齿,羿杀之1。   1 郭璞云:“射杀之也。”珂案:羿杀凿齿,已见海外南经。   有蜮山者,有蜮民之国1,桑姓,食黍2,射蜮是食3。有人方扜弓射黄蛇4,名曰蜮人。   1 郭璞云:“音惑。”   2 王念孙云:“御览南蛮六(卷七九0)作食桑。”   3 郭璞云:“蜮,短狐也;似鳖,含沙射人,中之则病死。此山出之,亦以名云。”珂案:诗何人斯云:“为鬼为蜮,则不可得。”楚辞大招亦云:“魂乎无南,蜮伤躬只。”蜮之为害,可以见矣。说文十三云:“蜮,短狐也,似鳖,三足,以气射害人。”短狐,汉书作短弧。五行志云:“蜮在水旁,能射人,射人有处,甚者至死,南方谓之短弧。”颜师古注云:“即射工也,亦呼水弩。”博物志异虫云:“江南山溪中,水射工虫,甲类也,长一二寸,口中有弩形,气射人影,随所着处发疮,不治则杀人。”余说蜮者大同小异,多难悉记,实可畏也。惟古小说钩沉辑玄中记云:“蜮长三四寸,蟾蜍、鸑鷟、鸳鸯悉食之。”幸亦见制于物矣。而此经蜮民,乃“射蜮是食”,则亦除害之异人也。   4 郭璞云:“扜,挽也,音纡。”郝懿行云:“扜亦音乌,扜训挽者,吕氏春秋壅塞篇云:『扜弓而射之。』高诱注云:『扜,引也。』义同郭。玉篇云:『扜,持也。』”   有宋山者,有赤蛇,名曰育蛇。有木生山上,名曰枫木。枫木,蚩尤所弃其桎梏1,是为枫木2。   1 郭璞云:“蚩尤为黄帝所得,械而杀之,已摘弃其械,化而为树也。”郝懿行云:“郭注摘弃之摘当为擿,字之讹也。”   2 郭璞云:“即今枫香树。”   珂案:关于蚩尤被杀神话,已见大荒东经“应龙”节注:盖传说非一,此其一也。路史后纪四蚩尤传于记蚩尤被杀之后,复说云:“后代圣人着其像于尊彝,以为贪戒。”其说当有所本。罗苹注云:“蚩尤天符之神,状类不常,三代彝器,多着蚩尤之像,为贪虐者之戒。其状率为兽形,傅以肉翅。”(吴任臣山海经广注(大荒北经)引博古图略同此说。)揆其所说,殆饕餮也。左传文公十八年云:“缙云氏有不才子,贪于饮食,冒于货贿,侵欲崇侈,不可盈厌;聚敛积实,不知纪极;不分孤寡,不恤穷匮;天下之民,以比三凶,谓之饕餮。”史记五帝本纪集解引贾逵曰:“缙云氏,姜姓也,炎帝之苗裔,当黄帝时任缙云之官也。”而蚩尤姜姓,亦炎帝之苗裔,故说蚩尤即是此缙云氏之“不才子”饕餮,乃大有可能也。吕氏春秋先识篇云:“周鼎着饕餮,有首无身,食人未咽,害及己身,以言报更也。”然殷周鼎彝所着饕餮图形,实非“无身”也,其全部之身已图案化而为首矣,细视之则尾足俱在,其背且傅有肉翅,正路史注所说蚩尤形像也。吕览所云,殊未省察,不足信也。然谓是“饕餮”则无可疑。北次二经云:“鉤吾之山,有獸焉,其狀羊身而人面,其目在腋下,虎齒人爪,其音如嬰兒,名曰?鴞,是食人。”郭璞注云:“为物贪惏,食人未尽,还害其身,像在夏鼎,左传所谓饕餮也。”图赞大体与注相同,惟于“食人未尽”下作“还自龈割”,则尤形象生动而达意。郭注?鴞即饕餮,當有古說憑依,非臆說也。而?鴞為物,固“羊身、虎齒、人爪”,非如呂覽所說“有首無身”者。郭注多取吕览之说,独弃“有首无身”一语,更证以今殷周鼎彝饕餮图形,以知吕览此说盖妄也。大戴礼用兵篇云:“蚩尤,庶人之贪者也。”與?鴞、饕餮之貪惏,義固相應,故古以蚩尤比於?鴞、饕餮之獸而著於鼎彝,非無因也。神异经西南荒经云:“西南方有人焉,身多毛,头上戴豕。贪如狠恶,好自积财,而不食人谷(史记五帝本纪正义引此经作『积财而不用,善夺人谷物』,于义为长)。强者夺老弱者,畏群而击单,名曰饕餮。春秋言饕餮者,缙云氏之不才子也。”是又后世本诸左氏春秋而于饕餮加以神话化之状写者也。果蚩尤即饕餮之说可以成立,则前代统治者于蚩尤之嫉恶诋毁,亦已甚矣。而民间相传,则颇见同情之意。皇览冢墓记云:“蚩尤冢,在东平郡寿张县阚乡城中,高七丈,民常七月祀之。”述异记亦云:“太原村落间祭蚩尤神不用牛头。”又云:“今冀州有乐名『蚩尤戏』,其民两两三三,头戴牛角而相抵。”太平御览卷七八引龙鱼河图云:“(黄帝)制伏蚩尤,以制八方。蚩尤没后,天下复扰乱不宁,黄帝遂画蚩尤形像,以威天下,天下咸谓蚩尤不死,八方万邦皆为殄服。”类乎此者,尚可胪举。此经蚩尤弃其桎梏,化为枫木,特其一端耳。   有人方齿虎尾,名曰祖状之尸1。   1 郭璞云:“音如柤梨之柤。”珂案:经文“祖状之尸”,宋本、毛扆本均作“柤状之尸”,与郭注“音如柤梨之柤”字同,盖讹也。   有小人,名曰焦侥之国1,几姓,嘉谷是食。   1 郭璞云:“皆长三尺。”珂案:焦侥国已见海外南经。   大荒之中,有山名(歹ㄎ)涂之山1,青水穷焉2。有云雨之山3,有木名曰栾4。禹攻云雨5,有赤石焉生栾6,黄本,赤枝,青叶,群帝焉取药7。   1 郭璞云:“音朽。”郝懿行云:“玉篇云『死或作朽。』是(歹ㄎ)、朽古字同,(歹ㄎ)、丑声相近,(歹ㄎ)涂即丑涂也。已见西次三经昆仑之丘。”珂案:西次三经云:“昆仑之丘,洋水出焉,而西南流注于丑涂之水。”郭璞注:“丑涂,亦山名也。”   2 郭璞云:“青水出昆仑。”郝懿行云:“青、清声同,西次三经云:『昆仑,洋水出焉。』郭云『洋或作清』,即此也。”   3 珂案:(歹ㄎ)涂(丑涂)山在昆仑西南,云雨山复在(歹ㄎ)涂山附近,以地望衡之,当即此经前文所记之巫山,亦大荒西经所记之灵山也(说已见前)。   4 珂案:经文“有木名曰栾”下,宋本、毛扆本均有郭注“音鸾”二字,今本脱去之也。   5 郭璞云:“攻谓槎伐其林木。”   6 郭璞云:“言山有精灵,复变生此木于赤石之上。”郝懿行云:“初学记三十卷引拾遗记云:『黑鲲鱼千尺,如鲸,常飞往南海。或死,骨肉皆消,唯胆如石上仙栾也。』义正与此合。”   7 郭璞云:“言树花实皆为神药。”珂案:栾实如建木实,见海内南经,郭注本此经为说。   禹攻云雨神话,当即禹巫山治水之神话也。经文“赤石生栾”,郭注以为“精灵变生”,或旧有成说,惜其详已不可得而闻矣。巫山旧有高唐神女神话(见宋玉高唐赋序),谓神女瑶姬入楚怀王梦,自云是“巫山之女,旦为朝云,暮为行雨”,因荐枕席。疑此巫山之或称“云雨山”也。而唐末杜光庭镛城集仙录乃谓禹理水驻巫山下,遇大风振崖,功不能兴,得云华夫人即瑶姬之助,始能“导波决川,以成其功”:此虽后起之说,然知民间古固亦有禹巫山治水之神话也。其原始状态维何?则曰:此经之“禹攻云雨”是矣。   有国曰颛顼,生伯服1,食黍。有鼬姓之国2。有苕山。又有宗山。又有姓山。又有壑山。又有陈州山。又有东州山。又有白水山,白水出焉,而生白渊,昆吾之师所浴也3。   1 吴任臣云:“世本云:『颛顼生偁,偁字伯服。』”珂案:疑经文当作“有国曰伯服,颛顼生伯服”,脱“伯服”二字。   2 郭璞云:“音如橘柚之柚。”   3 郭璞云:“昆吾,古王者号。音义曰:『昆吾,山名,溪水内出善金。』二文有异,莫知所辨测。”郝懿行云:“昆吾,古诸侯名,见竹书。又大戴礼帝系篇云:『陆终氏产六子,其一曰樊,是为昆吾』也。郭又引音义以为山名者,中次二经云昆吾之山是也。所引音义未审何人书名,盖此经家旧说也。”珂案:郝说“昆吾,古诸侯名,见竹书”者,今本竹书纪年夏仲康六年“锡昆吾作伯”是也,然是书伪撰,不足信。又引大戴礼帝系篇云者,盖出于世本;世本(張澍?集補注本)帝繫篇云:“陆终娶于鬼方氏之妹,谓之女嬇,是生六子,孕三年而不育。剖其左胁,获三人焉;剖其右胁,获三人焉。其一曰樊,是为昆吾;其二曰惠连,是为参胡,其三曰籛铿,是为彭祖;其四曰求言,是为郐人;其五曰安,是为曹姓;其六曰季连,是为芈姓。”大戴礼文字小有异同,然当以世本为准。据此则昆吾亦古神性之英雄也。   有人曰张弘,在海上捕鱼。海中有张弘之国1,食鱼,使四鸟。   1 郭璞云:“或曰即奇肱人,疑非。”珂案:郭说“即奇肱人”,又云“疑非”者,海外西经“奇肱之国”郭注云:“肱或作弘”,肱、弘声同,古字通用,似此张弘即奇肱矣。然“张”非“奇”也,故郭又云“疑非”也。案此“张弘”实即海外南经所记之“长臂国”也。穆天子传卷二云:“天子乃封长肱于黑水之西河。”郭注云:“即长臂人也,见山海经。”张、长形音俱近,是张弘即长肱亦即长臂矣。?此张弘“在海上捕鱼”,复与长臂国人“捕鱼水中”职业相同,二国所处又俱南方,则此张弘之国之为海外南经长臂国,断无可疑也。   有人焉,鸟喙,有翼,方捕鱼于海1。大荒之中,有人名曰驩头。鲧妻士敬,士敬子曰炎融,生驩头。驩头人面鸟喙,有翼,食海中鱼,杖翼而行2。维宜芑苣,穋杨是食3。有驩头之国。   1 珂案:此“捕鱼于海”之“鸟喙、有翼”之人,即下文所说驩头也。   2 郭璞云:“翅不可以飞,倚杖之用行而已。”珂案:郭注“用行”,吴任臣本作“周行”。驩头国已见海外南经,作“讙头国”,即丹朱国也,详海外南经“讙头国”节注。此又云鲧妻士敬、士敬子炎融生驩头者,盖传闻不同而异辞也。   3 郭璞云:“管子说地所宜云:『其种穋、(禾己)、黑黍。』皆禾类也。苣,黑黍;今字作禾旁。起、秬、芑三音。”郝懿行云:“经盖言驩头食海中鱼,又食芑苣穋杨之类也。穋亦禾名,今未详。说文(七)云:『稑,疾孰也。』或作穋,音义与此同。又案郭引管子地员篇文,其穋(禾己)之字,今误作樛杞也。”珂案:管子地员篇云:“其种大秬、细秬,黑茎青秀;……其种大樛杞、细樛杞,黑茎黑秀。”是郭注“穋、(禾己)、黑黍”当作“穋、(禾己),黑秀”。王念孙校此黑黍正作黑秀。楚辞天问叙鲧之神话云:“阻穷西征,岩何越焉?化为黄熊,巫何活焉?咸播秬黍,莆雚是营,何由并投而鲧疾修营?”郭沫若先生译此数语云:“道路阻绝,被流东裔,鲧何以又越过了岑岩?巫师何能使他复活,死后又化为黄熊作怪?要大家播种黑小米,把萑苻杂草都铲除开?何以却要把他流窜,把鲧恨得这样厉害?”(屈原赋今译)除首二句略有可商之外(详海外西经“穷山”节注),余均甚得原诗旨意。疑天问“咸播秬黍,莆萑是营”二语与此经“维宜芑苣,穋杨是食”二语于神话上有相当联系:或鲧于水厄未解、死后化熊、求活于诸巫之际,“要大家播种黑小米”以救荒者,并包括其行将远窜南海之裔孙讙头在内也。此“人面、鸟喙、有翼”之讙头国人之“维宜芑苣,穋杨是食”也。以书阙有间,其详不可得知矣。   帝尧、帝喾、帝舜葬于岳山1。爰有文贝、离俞、(丘鸟)久、鹰2、延维、视肉、熊、罴、虎、豹;朱木,赤枝,青华,玄实3。有申山者。   1 郭璞云:“即狄山也。”珂案:狄山已见海外南经。   2 珂案:宋本、毛扆本、项絪本、吴任臣本、毕沅校本、百子全书本,鹰下俱有贾字,此脱。   3 珂案:大荒西经云:“有盖山之国。有树,赤皮支干,青叶,名曰朱木。”即此。唯青叶当作青华,盖字形之讹。   大荒之中,有山名曰天台高山1,海水入焉2。   1 王念孙云:“御览地部十五(卷五0)引无高山二字,地部廿五(卷六0)同。类聚水部上(卷八)同。”珂案:无高山二字是也,此疑郭注误入经文者。   2 珂案:经文“海水入焉”疑当作“海水南入焉”,南字误脱于下文“东南海之外”句中。经记海水入山之山凡五:一即此经前文之融天山,云“海水南入焉”;二即此;三即大荒北经之先槛大逢山,云“海北注焉”;四即同经之北极天柜山,云“海水北注焉”;五即同经之不句山,今本云“海水入焉”,然藏经本水下有北字,是仍当作“海水北入焉”。诸山记海水所入,俱有表示方位之南北字样,知此当亦不能例外。南字误脱于下文句中,盖无可疑也。   东南海之外1,甘水之闲2,有羲和之国。有女子名曰羲和3,方日浴4于甘渊5。羲和者,帝俊之妻6,生十日7。   1 珂案:北堂书钞卷一四九、御览卷三引此经并无南字,无南字是也。南字当是由上文“海水南入焉”句误脱于此者,已详上节注中。此节疑亦当在大荒东经“有甘山者,甘水出焉,生甘渊”之后,甘渊盖即汤谷也,其地本当在东方,说详大荒东经首节注。   2 郝懿行云:“初学记一卷及太平御览三卷引此经作甘泉之闲,后汉书王符传注引此经仍作甘水之闲。”   3 王念孙云:“(后汉书)王符传无名字,初学(卷一)同,书钞天部一(卷一四九)作名,类聚天部上(卷一)作名曰。”   4 珂案:日浴,宋本、吴宽抄本、毛扆本并作浴日,诸书所引亦均作浴日,作浴日是也。大荒西经云:“有女子方浴月。”可证。   5 郭璞云:“羲和盖天地始生,主日月者也。故(归藏)启筮曰:『空桑之苍苍,八极之既张,乃有夫羲和,是主日月,职出入,以为晦明。』又曰:『瞻彼上天,一明一晦,有夫羲和之子,出于旸谷。』故尧因此而立羲和之官,以主四时,其后世遂为此国。作日月之象而掌之,沐浴运转之于甘水中,以效其出入旸谷虞渊也,所谓世不失职耳。”郝懿行云:“艺文类聚(卷一)、初学记(卷一)及李贤注后汉书王符传引此经并作『浴日于甘泉』,疑避唐(李渊——珂)讳改渊为泉耳。初学记及御览(卷三)引经『浴日于甘泉』在『是生十日』句之下,与今本异。又引郭注云:『羲和能生日也,故曰为羲和之子』云云,亦与今本异。”珂案:郭注二旸谷宋本均作汤谷。   6 吴任臣云:“羲和,常羲有陬氏。”郝懿行云:“史记(五帝本纪)正义引帝王世纪云:『帝喾次妃娵訾氏女曰常仪。』大荒西经又有帝俊妻常羲,疑与常仪及此经羲和通为一人耳。”珂案:吴、郝说羲和即常羲俱非也。考帝俊三妻,一羲和,即此经生十日者;一常羲,即大荒西经生十二月者;一娥皇,即此经前文生三身之国者:各俱有不同裔子,则生日之羲和当非生月之常羲可知矣。至于郝说帝俊妻常羲与帝喾次妃娵訾氏女常仪为一人则是也,已见前“季厘之国”节注。   7 郭璞云:“言生十子各以日名名之,故言生十日,数十也。”王念孙云:“王符传注(经文)生上有是字,御览天部三(卷三)同,书钞天部一(卷一四九)同,类聚天部上(卷一)同,初学(卷一)同。”郝懿行云:“郭注生十日下,疑脱日字(当作“生十日,日数十也”,王念孙校同——珂)。羲和十子,它书未见,艺文类聚五卷引尸子曰:『造历数者羲和子也。』然其名竟无考。”   珂案:郭注“羲和生十日”,多以人事现象释神话,于义无当,其云“生十子各以日名名之”尤迂,盖于神话缺少理解也。羲和生十日者,天上之日十也;犹常羲生月十二,天上之月十二也。古神话盖以天、地、日、月、星辰均神所创造,故言生日生月,非“生子以日名名之”也。至于日之数十而月之数十二者,洪古灾变之际,人民想象中之夸张也。今留一日一月者,有神性英雄射落之也。苗族、彝族均有射日射月神话,即其证。今神话中唯有羿射九日神话而无射月神话者,盖已散亡也。推想古传,既有淮南子所记羿妻常娥窃药奔月神话,则其余十一月,或亦由羿射落之,未可知也。羿射九日,神话中又有“落为沃焦”之说(见庄子秋水篇成玄瑛疏引山海经,今本无),则益见此一英雄神力之伟大也。沃焦者,文选嵇叔夜养生论注引庄子司马彪注云:“在扶桑之东,有一石,方圆四万里,厚四万里,海水注之,莫不燋尽,故名沃燋焉。”古小说钩沈辑玄中记亦云:“天下之强者,东海之沃焦焉,水灌之而不已。沃焦者,山名也,在东海南方三万里,海水灌之而即消,故水东南流而不盈也。”盖归墟之类,此羿射九日神话之余音也。羲和在山海经为日母,在淮南子又一变而为日御。初学记卷一引淮南子云:“日出于旸谷,浴于咸池,拂于扶桑,是谓晨明;登于扶桑之上,爰始将行,是谓朏明;至于曲阿,是谓朝明;临于曾泉,是谓早食;次于桑野,是谓晏食;臻于衡阳,是谓禺中;对于昆吾,是谓正中;靡于鸟次,是谓小迁;至于悲谷,是谓晡食;回于女纪,是谓大迁;经于泉隅,是谓高舂;顿于连石,是谓下舂;爰止羲和,爰息六螭,是谓悬车(高诱注:『日乘车驾以六龙,羲和御之,日至此而薄于虞泉,羲和至此而回六螭』);薄于虞泉,是谓黄昏;沦于蒙谷,是谓定昏;日入崦嵫,经于细柳,入虞泉之地,曙于蒙谷之浦,日西垂景在树端,谓之桑榆。”今淮南子天文篇文小有异同,其最大差异为初学记引“爰止羲和,爰息六螭”二语,今本作“爰止其女,爰息其马”,盖后人不明古谊而妄改之也。此文记羲和御日而行,历诸程途,景象之瑰奇伟丽,亦不减于生日浴日,盖神话之演变也。至洞冥记乃又演变为三足乌驾日车。卷四云:“东北有地日之草,西南有春生之草,……三足乌数下地食此草。羲和欲驭,以手揜乌目,不听下也。食草能不老,他鸟兽食此草,则美闷不能动矣。”羲和虽仍为日御,驾车者已非六龙。至于书尧典以羲和为羲氏和氏二人,且为掌天地四时之官,则又神话之历史化,不足论矣。   有盖犹之山者,其上有甘柤1,枝干皆赤,黄叶,白华,黑实。东又有甘华2,枝干皆赤,黄叶。有青马3。有赤马,名曰三骓4。有视肉。   1 珂案:甘柤见海外北经“平丘”节注。   2 珂案:甘华亦见海外北经“平丘”节。   3 珂案:青马已见海外东经“嗟丘”节。   4 珂案:三骓已见大荒东经“三青马、三骓”节。经文既云“有赤马,名曰三骓”,则三骓非三骓也,当是一动物之名,疑即此经首节所谓“双双”之兽之类,详该节注。   有小人名曰菌人1。   1 郭璞云:“音如朝菌之菌。”郝懿行云:“此即朝菌之菌,又音如之,疑有讹文。或经当为(上山下囷)狗之(上山下囷)。菌人盖靖人类也,已见大荒东经。”珂案:太平广记卷四二八引博物志逸文云:“西北荒中有小人,长一寸,其君朱衣元冠,乘骆车马,引为威仪居处。人遇其车,抵(抓?)而食之,其味辛,终年不为物所咋,并识万物名字。又杀腹中三虫,三虫死,便可食仙药也。”或即菌人之类也。吴任臣广注引南越志云:“银山有女树,天明时皆生婴儿,日出能行,日没死,日出复然。”又引事物绀珠云:“孩儿树出大食国,赤叶,枝生小儿,长六七寸,见人则笑。”亦斯之类与?   有南类之山,爰有遗玉、青马、三骓、视肉、甘华,百谷所在1。   1 珂案:即海外北经平丘、海外东经嗟丘之类,盖古神人所居之地也。   山海经海经新释卷十一 山海经第十六    大荒西经   西北海之外,大荒之隅,有山而不合,名曰不周负子1,有两黄兽守之。有水曰寒暑之水2。水西有湿山,水东有幕山3。有禹攻共工国山4。   1 郭璞曰:“淮南子曰:『昔者共工与颛顼争帝,怒而触不周之山,天维绝,地柱折。』故今此山缺坏不周?也。”珂案:郭注引淮南子天文篇文。今本云:“昔者共工与颛顼争为帝,怒而触不周之山,天柱折,地维绝。天倾西北,故日月星辰移焉;地不满东南,故水潦尘埃归焉。”今作“天柱折,地维绝”(论衡谈天篇、列子汤问篇并同)为异。楚辞天问云:“康回冯怒,墬何故以东南倾?”王逸注云:“康回,共工名也。”又引淮南子,与此注同。盖各所见本异也。经文“不周负子”,文选甘泉赋、思玄赋注及太平御览卷五九引并无“负子”二字,郭注亦祗释“不周”,“负子”二字盖衍文。西次三经云:“不周之山,北望诸毗之山,临彼岳崇之山,东望泑泽,河水所潜也。爰有嘉果,其实如桃,其叶如枣,黄华而赤柎,食之不劳。”郭璞注云:“此山形有缺坏不周?处,因名。云西北不周风自此山出。”即此。   2 珂案:三余帖(见百二十卷本说郛)云:“半阳泉。世传织女送董子(董永)经此,董子思饮,扬北水与之,曰:『寒。』织女因祝水令暖,又曰:『热。』乃拨六英宝钗,祝而画之,于是半寒半热,相和与饮。”经文寒暑之水,亦斯之类与?   3 郭璞云:“音莫。”   4 郭璞云:“言攻其国,杀其臣相柳于此山。(归藏)启筮曰:『共工人面,蛇身,朱发』也。”   珂案:此经所记,盖有二事,均共工神话之零片散见于此者。一曰“共工与颛顼争为帝,怒而触不周之山”,是以山名不周,郭注引淮南子天文篇文是已。一曰禹治洪水,逐共工,郭引海外北经禹杀相柳(大荒北经作『相繇』)事是已。然细按之,共工与颛顼争及共工与禹争,要无非黄炎斗争神话之余绪而已。以其所争之对象不同,而其人亦或为正面,或为反面,盖皆神话流传之演变,非可以一概而论也,说已详海外北经“禹杀相柳”节注中。郭注引归藏启筮“共工人面,蛇身,朱发”,神异经亦引述之,而云“贪恶愚顽”,则亦诋毁之甚矣。   有国名曰淑士,颛顼之子1。   1 郭璞云:“言亦出自高阳氏也。”   有神十人,名曰女娲之肠1,化为神,处栗广之野2,横道而处3。   1 郭璞云:“或作女娲之腹。”   2 郭璞云:“女娲,古神女而帝者,人面蛇身,一日中七十变,其腹化为此神。栗广,野名。娲,音瓜。”珂案:郭注“其腹化为此神”,藏经本腹作肠,太平御览卷七八引同。   3 郭璞云:“言断道也。”   珂案:女娲之名,首见于楚辞天问,云:“女娲有体,孰制匠之?”王逸注云:“传言女娲人头蛇身,一日七十化,其体如此,谁所制匠而图之乎?”案王之意或谓天问此语当因女娲造人神话而设问,意谓女娲造就他人身体,其“人头蛇身,一日七十化”之“体”又是谁所创造乎?女娲造人神话有二,一则风俗通所记者,云:“俗说天地开辟,未有人民,女娲抟黄土作人,剧务,力不暇供,乃引绳于泥中,举以为人。故富贵者,黄土人;贫贱凡庸者,人也。”(太平御览卷七八引)贫富贵贱之别,乃阶级社会阶级烙印,非神话本旨,置勿论可也。此女娲造人神话之彰明显著者也。一则见诸淮南子说林篇,较隐晦,云:“黄帝生阴阳,上骈生耳目,桑林生臂手,此女娲所以七十化也。”高诱注云:“黄帝,古天神也,始造人之时,化生阴阳。上骈、桑林皆神名。”则是以女娲为主之诸神造人神话也。“黄帝生阴阳”,疑阴阳即阴阳性性器官。“女娲七十化”,“化”当作“化育”解。说文十二云:“女娲,古之神圣女,化万物者也。”即此“化育”之意也。郭此注本诸淮南子,而以“变”释“化”,谓“七十化”为“七十变”,失本旨矣。此写女娲在多次诞育人类之过程中,诸神俱同参加造人工作,有助其生阴阳性性器官者,有助其生耳目臂手者。惜词旨隐晦,竟沉堙不传。女娲功烈,非仅造人,又兼补天。淮南子览冥篇云:“往古之时,四极废,九州裂,天不兼覆,地不周载,火爁炎而不灭,水浩洋而不息,猛兽食颛民,鸷鸟攫老弱。于是女娲炼五色石以补苍天,断鳌足以立四极,杀黑龙以济冀州,积芦灰以止淫水。”是女娲者,诚天地初辟摩肩盘古之大神矣。宜此经记女娲之肠化为十神而处栗广之野,盖犹盘古垂死化身而为四极五岳、日月星辰也。然古籍记女娲补天,或又牵连于共工神话中。论衡谈天篇云:“共工与颛顼争为天子,不胜,怒而触不周之山,使天柱折,地维绝。女娲销炼五色石以补苍天,断鳌足以立四极。天不足西北,故日月移焉;地不足东南,故百川注焉。”其后史记司马贞补三皇本纪因之,亦说女娲补天,是因共工触山而使天地残毁之故,不过易共工所与争之对象颛顼为祝融而已。二文若非讹传,即系误记,实未得古神话本貌。古神话盖以女娲补天为一事,共工触山又为一事,二者并不相涉也。女娲所补之“天”,乃洪古时代,由于今已不能详悉之某种原因——自然界大变动或神国大扰乱——所导致之“四极废、九州裂”之天地大残毁之“天”,故有“断鳌足以立四极”等语。而共工触山所造成之毁坏,则局面较小,仅“天倾西北,地不满东南”,且毁坏以后,至今未闻修复,故始日月西移,百川东注,不周坏而不?。且不周,天柱也,共工触山“折天柱”者,折天之一柱也,又何用女娲“断鳌足以立四极”为?则触山与补天之不相涉也明矣。补天神话自应在触山神话之前。又女娲神话,稍后又与伏羲神话相结合,谓女娲、伏羲兄妹缔婚而繁衍人类。通志卷一三皇纪第一引春秋世谱云:“华胥生男子为伏羲,女子为女娲。”而汉代石刻画象与砖画中,恒有人面蛇身之伏羲、女娲交尾象。文选王文考鲁灵光殿赋亦云:“伏羲鳞身,女娲蛇躯。”知女娲兄妹结婚之说由来亦古矣。唐李冗独异志云:“昔宇宙初开之时,只有女娲兄妹二人在昆仑山,而天下未有人民。议以为夫妻,又自羞耻。兄即与其妹上昆仑山,咒曰:『天若遣我兄妹二人为夫妻,而烟悉合;若不,使烟散。』于烟即合,其妹即来就兄,乃结草为扇,以障其面。今时人取妇执扇,象其事也。”除“结草为扇,以障其面”仍是封建社会产物外,余则此一神话之概略也。此一神话今西南少数民族地区犹传有之,其内容则更近原始,云,伏羲女娲兄妹入葫芦逃避洪水而结婚而再造人类,则是已兼古神话中女娲造人、补天(女娲补天亦有“水浩洋而不息”、“积芦灰以止淫水”语)之部分情节矣。   有人名曰石夷1,来风曰韦2,处西北隅以司日月之长短3。   1 珂案:据大荒东经“(有人)名曰折丹,东方曰折”、“有人名曰鹓,北方曰鹓”及大荒南经“有神名曰因乎,南方曰因”文例,此经“有人名曰石夷”句下,疑脱“西方曰夷”四字。   2 郭璞云:“来或作本也。”   3 郭璞云:“言察日月晷度之节。”郝懿行云:“大荒东经既有●处东极(极应为北,见大荒东经『女和月母国』节注4——珂)以止日月,司其短长,此又云『司日月之长短』者,西北隅为日月所不到,然其流光余景,亦有晷度短长,故应有主司者也。”珂案:经文司日月之长短藏经本作司日月短长。   有五采之鸟,有冠,名曰狂鸟1。   1 郭璞云:“尔雅(释鸟)云:『狂,梦(今本作●——珂)鸟。』即此也。”珂案:郭注尔雅释鸟,亦引此经文。狂,玉篇作鵟,疑即凤凰之属,已见海外西经“灭蒙鸟”节注。   有大泽之长山。有白氏之国1。   1 珂案:白氏之国,宋本、藏经本、毛扆本、吴任臣本氏均作民,作民是也。白民国已见海外西经。   西北海之外,赤水之东,有长胫之国1。   1 郭璞云:“脚长三丈。”郝懿行云:“长胫即长股也,见海外西经。郭云脚长三丈,正与彼注同。一本作三尺,误也。藏经本作脚步五尺,亦与前注不合。”   有西周之国,姬姓1,食谷。有人方耕,名曰叔均。帝俊生后稷2,稷降以百谷3。稷之弟曰台玺4,生叔均。叔均是代其父及稷播百谷,始作耕5。有赤国妻氏。有双山6。   1 郝懿行云:“说文(十二)云:『姬,黄帝居姬水,以为姓。』史记周本纪云:『封?于邰,号曰后稷,别姓姬氏。』(汉书)地理志云:『右扶风斄,后稷所封。』然则经言西周之国,盖谓此。”   2 郭璞云:“俊宜为喾,喾第二妃生后稷也。”郝懿行云:“帝喾名?,?、俊疑古今字,不须依郭改俊为喾也。然经中帝俊屡见,似非一人,未闻其审。大戴礼帝系篇云:『帝喾上妃,有邰氏之女也,曰姜原氏,产后稷。』史记周本纪同。郭云喾第二妃,误也。”珂案:经言“帝俊生后稷”,亦帝喾生后稷也。后稷本西方民族所奉祀之农神,而又附会于东方民族神话中,故言“帝俊生”也。实则后稷之生,与俊喾俱无关系,乃出于原始母权制社会时期“民知有母而不知有父”(商君书开塞篇语)之“感天而生”之神话也。诗生民首咏其事,其后史记周本纪又从而记之,云:“周后稷,名弃,其母有邰氏女,曰姜原,姜原为帝喾元妃。姜原出野,见巨人迹,心忻然悦,欲践之。践之而身动,如孕者。居期而生子,以为不祥,弃置之隘巷,马牛过者,皆辟不践。徙置之林中,适会山林多人。迁之,而弃渠中冰上,飞鸟以其翼覆荐之。姜原以为神,遂收长养之。初欲弃之,因名曰弃。”除“姜原为帝喾元妃”一语为神话牵合于历史不可信外,余均得其?略矣。楚辞天问记后稷之神话亦云:“稷维元子,帝何竺之?投之冰上,鸟何燠之?何冯弓挟矢,殊能将之?既惊帝激切,何逢昌之?”从“冯弓挟矢”句观,似后稷亦如羿之以善射闻,以典籍散亡,其详不可知矣。   3 珂案:经文“稷降以百谷”者,谓稷自天降嘉谷之种以为农殖之需,稷之神性于此可见。书吕刑云:“稷降播种,农殖嘉谷。”此之谓也。   4 郭璞云:“音胎。”   5 珂案:海内经云:“后稷是播百谷。稷之孙曰叔均,是始作牛耕。”即此。叔均或为后稷弟子,或又为其孙者,以传闻不同而记载小有歧异也。孟子滕文公上篇云:“后稷教民稼穑,树艺五谷,五谷熟而人民育。”淮南子泛论篇云:“周弃作稼穑,死而为稷。”后稷在古神话传说中为农事之创制发明者。此经云“叔均是代其父及稷播百谷,始作耕”者,盖叔均又继承后稷之业而发扬光大者也。   6 珂案:海内经“巧倕、叔均”节“大比赤阴”句下郝懿行注云:“『大比赤阴』四字难晓,推寻文义,当是地名。大荒西经说叔均始作耕,又云,有赤国妻氏,然则大比赤阴岂谓是与?”郝说大比赤阴即赤国妻氏,是也,然谓是地名则非,疑均是人名。“大比”之“比”,或即“妣”之坏文,大妣与妻氏义正相应,或指后稷之母姜原乎?未可遽定也。   西海之外,大荒之中,有方山者,上有青树1,名曰柜格之松2,日月所出入也3。   1 珂案:初学记卷一引此作青松。   2 郭璞云:“木名,音矩。”   3 珂案:此方山为日月所出入唯一之山也,然而地在西荒,何可云“出”,此神话之山,诚如郭璞所云:“不可以常理推”(海内西经“贰负”节郭注)矣。   西北海之外1,赤水之西,有先民之国2,食谷,使四鸟。   1 郝懿行云:“初学记十卷引此经无北字,明藏本亦同。”   2 郝懿行云:“先当为天,字之讹也。淮南墬形训海外三十六国中有天民,天古作(上一下先),或作(上兀下兀),字形相近,以此致讹。”珂案:郝说是也;王念孙校同。   有北狄之国。黄帝之孙曰始均,始均生北狄。   有芒山。有桂山。有榣山1。其上有人,号曰太子长琴。颛顼生老童2,老童生祝融3,祝融生太子长琴,是处榣山,始作乐风4。   1 郭璞云:“此山多桂及榣木,因名云耳。”   2 郭璞云:“世本云:『颛顼娶于滕(王贲)氏,谓之女禄,产老童也。』”珂案:滕(王贲),宋本、藏经本作滕坟,大戴礼帝系篇作滕奔。云“颛顼娶于滕氏,滕氏奔之子谓之女禄氏,产老童。”西次三经云:“騩山,神耆童居之,其音常如钟磬。”郭璞注:“耆童,老童,颛顼之子。”即此老童也。   3 郭璞云:“即重黎也,高辛氏火正,号曰祝融也。”珂案:据海内经,祝融乃炎帝之裔,据此经则又为黄帝之裔(此经祝融为颛顼孙,海内经颛顼为黄帝曾孙,故云),亦传闻不同而各异其辞也。   4 郭璞云:“创制乐风曲也。”郝懿行云:“太平御览五百六十五卷引此经无风字。西次三经騩山云:『老童发音常如钟磬。』故知长琴解作乐风,其道亦有所受也。”   有五采鸟三名:一曰皇鸟,一曰鸾鸟,一曰凤鸟1。   1 珂案:经内五采鸟凡数见,均凤凰、鸾鸟之属也。明藏本皇鸟作凤鸟,凤鸟作凤皇,与此异。   有虫状如菟1,以后者裸不见2,青如猿状3。   1 郝懿行云:“菟、兔通。此兽也,谓之虫者,自人及鸟兽之属,通谓之虫,见大戴礼易本命篇。”   2 郭璞云:“言皮色青,故不见其裸露处。”   3 郭璞云:“状又似猿。”郝懿行云:“此兽即毚(去掉免)也。说文(十)云:『毚(去掉免),兽也,似兔,青色而大。』此经云『状如菟』是也。又云如猿者,言其色,非谓状似兔,又似猿也。猿,明藏本作蝯,是。”   大荒之中,有山名曰丰沮玉门,日月所入1。   1 珂案:此丰沮玉门山为日月所入山之一也。   有灵山1,巫咸、巫即、巫?2、巫彭、巫姑、巫真、巫礼、巫抵、巫谢、巫罗十巫,从此升降,百药爰在3。   1 珂案:灵山,疑即巫山。说文一云:“灵,巫也,以玉事神。”楚辞九歌东皇太一:“灵偃蹇兮皎服。”王逸注:“巫也。”云中君:“灵连蜷兮既留。”王逸复注:“楚人名巫为灵子。”是灵、巫古本一字,而此山复有诸巫采药往来,“百药爰在”,与大荒南经巫山“帝药,八斋”之情景相类,因疑此灵山即彼巫山也。   2 珂案:经文“巫?”,宋本作“巫昐”。   3 郭璞云:“群巫上下此山采之也。”珂案:经言“十巫从此升降”,即从此上下于天,宣神旨、达民情之意。灵山盖山中天梯也。诸巫所操之主业,实巫而非医也。郭云“群巫上下此山采之(药)”者,特其余业耳,非可以因有“百药爰在”语遂以医职替巫职也。说已见海内西经“开明东诸巫疗窫窳”节注,并参见海内经“九丘建木”节注。   西有王母之山1、壑山、海山2。有沃之国3,沃民是处。沃之野,凤鸟之卵是食4,甘露是饮。凡其所欲,其味尽存5。爰有甘华、甘柤、白柳、视肉、三骓、璇瑰、瑶碧6、白木7、琅玕、白丹、青丹8,多银铁。鸾凤9自歌,凤鸟自舞,爰有百兽,相群是处,是谓沃之野10。   1 郝懿行云:“西有当为有西,太平御览九百二十八卷引此经作西王母山可证。”珂案:郝说是也,藏经本正作“有西王母之山”。王念孙、孙星衍校同。下文有为西王母取食之三青鸟,可证经文确应作“有西王母之山”。   2 郭璞云:“皆群大灵之山。”   3 郭璞云:“言其土饶沃(藏经本作沃饶——珂)也。”王念孙云:“类聚木部下(卷八九)沃(指经文——珂)下有民字,文选十九之十三(洛神赋注——珂)同,御览居处六(卷一七八)同,珍宝八(卷八0九)同,羽族十五(卷九二八)同,木部六(卷九五七)同。”珂案:郝懿行校文选洛神赋注引此经作“沃人之国”,疑避唐(李世民)讳改耳。经文“沃之国”正应作“沃民之国”,“沃之野”即海外西经诸夭之野也,已见该经“诸夭之野”节注。   4 珂案:吕氏春秋本味篇云:“流沙之西,丹山之南,有凤之丸,沃民所食。”高诱注云:“丸,古卵字也。”   5 郭璞云:“言其所愿滋味,此无所不备。”珂案:郭注海外西经与此略同。   6 郭璞云:“璇瑰亦玉名,穆天子传(卷四)曰:『枝斯璇瑰。』枚、回二音。”郝懿行云:“璇当为璇,本或作琁,误也。琁与琼同,见说文(一)。郭音此为枚,则当为玫字,亦误也。晋灼注汉书云:『玫瑰,火齐珠也。』若经文为玫瑰,郭又不得云亦玉名矣。李善注江赋及洛神赋引此经并作璇瑰,又引郭注云:『璇瑰亦玉名也,琁回两音。』是知经文『璇瑰』,注文『枚回』,并今本之讹矣。大荒北经(首节——珂)正作璇瑰瑶碧,可证。又玉篇广韵引此经并作璇瑰瑙碧,瑶作瑙字,形虽异,音义当同。”珂案:郝说是也。郭注枚回,宋本作旋回,王念孙校同。穆天子传“枝斯璇瑰”句,郭璞注:“璇瑰玉名。旋回两音。”知郭注本不作枚音,枚实今本讹字。   7 郭璞云:“树色正白。今南方有文木,亦黑木也。”郝懿行云:“文木即今乌木也。刘逵注吴都赋云:『文木材密致,无理,色黑如水牛角,日南有之。』”   8 郭璞云:“又有黑丹也。孝经援神契云:『王者德至山陵而黑丹出。』然则丹者别是彩名,亦犹黑白黄皆云丹也。”郝懿行云:“黑丹即下文玄丹是也。白丹者,鹖冠子度万篇云:『膏露降,白丹发。』是其事也。”   9 珂案:鸾凤,藏经本作鸾鸟,吴任臣本、汪绂本、毕沅本同,作鸾鸟是也;兹经各卷所记均作鸾鸟,无作鸾凤者,凤字讹。   10珂案:经文沃之野,藏经本沃下多民字。   有三青鸟,赤首黑目,一名曰大鵹1,一名少鵹,一名曰青鸟2。   1 郭璞云:“音黎。”   2 郭璞云:“皆西王母所使也。”珂案:三青鸟已见海内北经“西王母”节。   有轩辕之台,射者不敢西向射1,畏轩辕之台2。   1 郝懿行云:“艺文类聚六十二卷引此经无射字,藏经本亦无射字,向作乡,是也。”珂案:郝说是也,王念孙、毕沅均校衍射,孙星衍校向作乡。大荒北经云:“有共工之台,射者不敢北乡。”文例与此经同,可证此经下射字实衍,向应作乡。   2 郭璞云:“敬难黄帝之神。”郝懿行云:“台亦丘也。海外西经云:『不敢西射,畏轩辕之丘。』”   大荒之中,有龙山,日月所入1。有三泽水,名曰三淖,昆吾之所食也2。   1 珂案:此龙山为日月所入山之二也。   2 郭璞云:“穆天子传(卷四)曰:『滔水,浊繇氏之所食。』亦此类也。”珂案:郭注穆天子传引经文此二语原作“山海经曰:『有川名曰三淖,昆吾之所食。』亦此类。”与此经略异,或省言之也。郝懿行云:“食谓食其国邑。(国语)郑语云:『主芣騩而食溱洧。』是也。”   有人衣青,以袂蔽面1,名曰女丑之尸2。   1 郭璞云:“袂,袖。”   2 珂案:女丑之尸已见海外西经,彼云“以右手鄣其面”,盖亦图象之不同也。   有女子之国1。   1 郭璞云:“王颀至沃沮国,尽东界,问其耆老,云:『国人尝乘船捕鱼遭风,见吹数十日,东一国,在大海中,纯女无男。』即此国也。”珂案:女子国已见海外西经。郭注本三国志魏志乌丸鲜卑东夷传。   有桃山。有?山。有桂山1。有于土山。   1 郝懿行云:“上文已有芒山、桂山。芒、?声同也。”   有丈夫之国1。   1 郭璞云:“其国无妇人也。”珂案:丈夫国已见海外西经。   有弇州之山,五采之鸟仰天1,名曰鸣鸟2。爰有百乐歌之风3。   1 郭璞云:“张口嘘天。”   2 郝懿行云:“鸣鸟盖凤属也。周书君奭云:『我则鸣鸟不闻。』国语(周语)云:『周之兴也,鸑鷟鸣于岐山。』珂案:郝说是也。鸣鸟即海内西经之孟鸟,亦即尔雅释鸟之寝(侵改梦)鸟,均凤类也。见海外西经“灭蒙鸟”节注。   3 郭璞云:“爰有百种伎乐歌风曲。”郝懿行云:“文选注王融曲水诗序引此经作舞,余同。注爰字,明藏本作言,是也。”珂案:王念孙亦校爰作言。   有轩辕之国1。江山之南栖为吉2。不寿者乃八百岁3。   1 郭璞云:“其人人面蛇身。”珂案:轩辕国人“人面蛇身,尾交首上”,见海外西经。又郭此注六字明藏本作经文。   2 郭璞云:“即穷山之际也。山居为栖。吉者言无凶夭。”   3 郭璞云:“寿者数千岁。”珂案:轩辕国在穷山之际,不寿者八百岁,已见海外西经。   西海陼1中,有神人面鸟身,珥两青蛇,践两赤蛇2,名曰弇兹。   1 郝懿行云:“尔雅(释地)云:『小洲曰陼。』陼与渚同。”   2 郝懿行云:“此神形状,全似北方神禺强,唯彼作践两青蛇为异,见海外北经。”珂案:此神与北方神禺强、东方神禺(豸虎)(大荒东经)似均同属海神而兼风神。”   大荒之中,有山名日月山,天枢也。吴姖1天门,日月所入2。有神,人面无臂,两足反属于头山3,名曰嘘4。颛顼生老童5,老童生重及黎6,帝令重献上天,令黎邛下地7,下地是生噎8,处于西极,以行日月星辰之行次9。   1 郝懿行云:“姖字说文玉篇所无,藏经本作姬。”   2 珂案:此日月山为日月所入山之三也。   3 珂案:山当为上字之讹,宋本、吴宽抄本、藏经本作上。王念孙、毕沅、邵恩多校同。   4 郭璞云:“言嘘啼也。”珂案:此四字王念孙校作音唏。   5 郝懿行云:“史记楚世家云:『高阳生称,称生卷章。』谯周云:『老童即卷章。』”珂案:老童、卷章并字形相似。   6 郭璞云:“世本云:『老童娶于根水氏谓之骄福,产重及黎。』”郝懿行云:“大戴礼帝系篇云:『老童娶于竭水氏之子,谓之高緺氏,产重黎及吴回。』史记楚世家云:『卷章生重黎。』徐广注引世本云:『老童生重黎及吴回。』与帝系同。是皆以重黎为一人也。此经又以重、黎为二人,郭引世本又与徐广异,并所未详。”珂案:书吕刑云:“(皇帝)乃命重、黎,绝地天通。”国语楚语亦云:“颛顼受之,乃命南正重司天以属神,命火正黎司地以属民。”则重、黎古传实二人也,至于后来又以为一人者,则是神话传说之演变,错综纷歧无定,不足异也。   7 郭璞云:“古者人神杂扰无别,颛顼乃命南正重司天以属神,命火正黎司地以属民。重寔上天,黎寔下地。献、邛,义未详也。”珂案:郭注此语,本于国语楚语。楚语下云:“昭王问于观射父曰:『周书所谓重、黎实使天地不通者,何也?若无然,民将能登天乎?』对曰:『非此之谓也。古者民神不杂。及少皞之衰也,九黎乱德,民神杂糅,不可方物。颛顼受之,乃命南正重司天以属神,命火正黎司地以属民,使复旧常,无相侵渎,是谓绝地天通。』”此社会发展,第一次阶级大划分在神话上之反映也。“古者民神不杂”,历史家之饰词也;“民神杂糅、不可方物”,原始时代人类群居之真实写照也:故昭王乃有“民能登天”之问。龚自珍壬癸之际胎观第一(见龚自珍全集)云:“人之初,天下通,人上通,旦上天,夕上天,天与人,旦有语,夕有语。”斯可以解答昭王之问矣。至于“使复旧常、无相侵渎”云云,则无非“绝地天通”后统治者建立之“新秩序”,非可以语于“旧”与“常”也。此经“帝(颛顼)令重献上天、令黎邛下地”,即国语之所谓“绝地天通”也;而郭璞注?云:“献、邛,义未详。”韦昭注国语“重寔上天、黎寔下地”二语云:“言重能举上天,黎能抑下地。”似即本此经“献、邛”义为说。则“献、邛”之义殆即“举、抑”乎?重举黎抑,而天地远睽,正神话中“绝地天通”之形象描写也。“献”有“举”义,固易晓也;然“邛”何以有“抑”义,则难知矣。疑“邛”初本作“印”,印,甲骨文作●,象以手抑人而使之?,义即训抑训按,此印之本义也。后假借为印信之印,渐成专用词,又造“●”字以替之,谓之为“抑”,云:“按也,从反印。”(见说文九)其实抑、印古本一字,印即抑也。“帝令重献上天,令黎印下地”,韦昭所见山海经或即如此,义固朗如也。殆后“印”字一讹而为“卬”,再讹而为“邛”、“邛”,则晦昧难晓矣。今山海经各本有作“卬”、有作“邛”、亦有作“邛”者,书各不一。余所据郝懿行笺疏本作“邛”,未知郭璞当时所见何如?云“义未详”。则字已有讹误,又可知也。   8 郝懿行云:“此语难晓。海内经云:『后土生噎鸣。』此经与相涉,而文有阙脱,遂不复可读。”珂案:此噎即上文之嘘,亦即海内经之噎鸣。海内经云:“后土生噎鸣。”而“黎邛下地”,是黎即后土也;黎所生之噎亦即后土所生之噎鸣也。   9 郭璞云:“主察日月星辰之度数次舍也。”珂案:国语楚语云:“以至于夏商,故重黎氏世叙天地、而别其分主者也。”即此经噎处西极以行日月星辰行次之历史化也。   有人反臂,名曰天虞1。   1 郭璞云:“即尸虞也。”郝懿行云:“尸虞未见所出,据郭注当有成文,疑在经内,今逸。”珂案:郭注“即尸虞也”,宋本、毛扆本“即”作“亦”。   有女子方浴月1。帝俊妻常羲2,生月十有二,此始浴之3。   1 郝懿行云:“北堂书钞一百五十卷引浴上有澄字。”   2 珂案:世本帝繫篇(張澍?輯補注本)云:“帝喾下妃娵訾氏之女,曰常仪,是生帝挚。”羲、仪声近,常羲即常仪也,帝俊亦即帝喾也。吕氏春秋勿躬篇云:“尚仪作占月。”毕沅注云:“尚仪即常仪,古读仪为何,后世遂有嫦娥之鄙言。”“鄙言”与否姑无论矣,然其说则诚不可磨也。是“生月十二”之月神常羲神话,乃又逐渐演变而为奔月之嫦娥神话;常羲本为天帝帝俊之妻,又一变而为其属神羿之妻:神话传说之演变无定,多如是也。   3 郭璞云:“义与羲和浴日同。”   有玄丹之山1。有五色之鸟,人面有发2。爰有青?3、黄?4,青鸟、黄鸟5,其所集者其国亡6。   1 郭璞云:“出黑丹也。”郝懿行云:“上文沃民国有青丹,郭云『又有黑丹也』,谓此。”珂案:藏经本经文“玄丹之山”下有“者”字。   2 珂案:此“人面有发”之五色鸟,即下文“青?、黄?”之类,说详后。   3 郭璞云:“音文。”   4 郭璞云:“音敖。”   5 珂案:经文“青鸟、黄鸟”,大约即释上“青?、黄?”者,说详后。   6 珂案:海外西经云:“(上次下鸟)鸟、(詹鸟)鸟,其色青黄,所经国亡。”又云:“青鸟、黄鸟所集。”即此是也。其云“其色青黄”,可知彼经下文“青鸟、黄鸟”即上文“(上次下鸟)鸟、(詹鸟)鸟”,此经之下文“青鸟、黄鸟”亦即上文“青?、黄?”矣。海外西经又云:“(上次下鸟)鸟人面居山上”,可知此经所记“人面有发”之五色鸟即“(上次下鸟)鸟、(詹鸟)鸟”,亦即“青?、黄?”矣。古文朴陋,故记之凌杂也。   有池名孟翼之攻颛顼之池1。   1 郭璞云:“孟翼,人姓名。”珂案:孟翼之攻颛顼之池者,盖犹此经上文禹攻共工国山,皆因事以名地也。孟翼或亦共工之类,其攻颛顼者,亦黄炎斗争之余绪也。   大荒之中,有山,名曰鏖鏊钜1,日月所入者2。   1 郭璞云:“鏊音如敖。”   2 珂案:此鏖鏊钜山为日月所入山之四也。   有兽,左右有首,名曰屏蓬1。   1 郭璞云:“即并封也,语有轻重耳。”郝懿行云:“海外西经云:并封前后有首,此云左右有首,又似非一物也。”珂案:郭说屏蓬即并封,是也;或前后、或左右有首者,皆兽牝牡相合之象,郝云“似非一物”,其说泥矣。已见海外西经“并封”节注。   有巫山者1。有壑山者2。有金门之山,有人名曰黄姖3之尸。有比翼之鸟4。有白鸟青翼,黄尾,玄喙5。有赤犬,名曰天犬,其所下者有兵6。   1 珂案:巫山已见大荒南经。   2 珂案:上文已有壑山、海山。   3 珂案:姖,藏经本作姬。   4 珂案:比翼鸟已见海外南经。   5 郭璞云:“奇鸟。”   6 郭璞云:“周书云:『天狗所止地尽倾,余光烛天为流星,长数十丈,其疾如风,其声如雷,其光如电。』吴楚七国反时吠过梁国者是也。”王念孙云:“开元占经妖异占篇引郭注云:『周书云:“天狗所止地盖倾,余光飞天为流星,长数十丈,其疾如风,声如雷,走如电。”吴楚七国反时过梁野。』”郝懿行云:“赤犬名天犬,此自兽名,亦如西次三经阴山有兽名天狗耳,郭注以天狗星当之,似误也。其引周书,逸周书无之。”   西海之南,流沙之滨,赤水之后,黑水之前,有大山,名曰昆仑之丘1。有神——人面虎身,有文有尾2,皆白——处之3。其下有弱水之渊环之4,其外有炎火之山,投物辄然5。有人,戴胜,虎齿,有豹尾,穴处,名曰西王母6。此山万物尽有7。   1 珂案:昆仑之丘已见西次三经、海内西经。海内西经丘作虚。   2 珂案:太平御览卷三八引此经无两有字,两有字疑衍。   3 郭璞云:“言其尾以白为点驳。”珂案:西次三经云:“昆仑之丘,实为帝之下都,神陆吾司之。其神状虎身而九尾,人面而虎爪。是神也,司天之九部,及帝之囿时。”即此神。   4 郭璞云:“其水不胜鸿毛。”珂案:弱水已见海内西经。古小说钩沉辑玄中记云:“天下之弱者,有昆仑之弱水焉,鸿毛不能起也。”说与此同。史记大宛传索隐引舆地图云:“昆仑弱水,非乘龙不至。”则尤见其难渡也。郭氏图赞云:“弱出昆山,鸿毛是沉;北沦流沙,南映火林;惟水之奇,莫测其深。”火林,即下文炎火之山也。   5 郭璞云:“今去扶南东万里,有耆薄国;东复五千里许,有火山国,其山虽霖雨,火常然。火中有白鼠,时出山边求食,人捕得之,以毛作布,今之火澣布是也。即此山之类。”珂案:神异经南荒经云:“南荒外有火山,其中生不尽之木,昼夜火然,得暴风不猛,猛雨不灭。不尽木中有鼠,重千斤,毛长二尺余,细如丝。但居火中洞赤,时时出外而毛白,以水逐而沃之即死。取其毛绩纺,织以为布用之;若有垢涴,以火烧之则净。”即郭氏所说也。而搜神记火澣布则是昆仑炎火之山所有,云:“昆仑之墟,地首也,是惟帝之下都,故其外绝以弱水之渊,又环以炎火之山。山上草木鸟兽,皆生育滋长于炎火之中。故有火澣布,非此山鸟兽之皮枲,则其鸟兽之毛也。”则又传说之发展也,可径以之释经矣。   6 王念孙云:“(文选)思玄赋注引此经豹尾上无有字,西山经(西次三经——珂)亦无,(后汉书)张衡传作有尾,无豹字。”珂案:经文有豹尾之有字实衍。   7 郭璞云:“河图玉版亦曰:『西王母居昆仑之山。』西山经(西次三经——珂)曰:『西王母居玉山。』穆天子传(卷五)曰『乃纪名迹于弇山之石,曰西王母之山』也。然则西王母虽以昆仑之宫,亦自有离宫别窟,游息之处,不专住一山也。故记事者各举所见而言之。”郝懿行云:“今本穆天子传作『纪丌迹于弇山之石』,丌即其之假借字也。郭云『西王母虽以昆仑之宫』,以当为居。以,古字作?;居,古文作?,皆形近而讹也。藏经本作『虽以昆仑为宫』,其义亦通也。经言西王母穴处者,庄子大宗师篇云:『西王母坐乎少广。』释文引司马彪云:『少广,穴名。』是知此人在所,乃以窟穴为居。故穆天子传(卷三)载:『为天子吟曰:“虎豹为群,鸟兽与处(今本作于鹊与处——珂)。”』盖自道其实也。它书或说西王母所居玉阙金堂,徒为虚语耳。”珂案:郭注“虽以昆仑之宫”,王念孙亦校以作居。   大荒之中,有山名曰常阳之山1,日月所入2。   1 郝懿行云:“或说(毕沅说——珂)海外西经形天葬常羊之山即此,非也;常羊之山见下文。”珂案:此常阳山与下文“偏句、常羊之山”(二山名)之常羊山,疑均海外西经刑天所葬之常羊山;荒经地名多复沓重出,记非一手,不足异也。   2 珂案:此常阳之山为日月所入山之五也。   有寒荒之国。有二人女祭、女薎1。   1 郭璞云:“或持觯,或持俎。”珂案:女祭、女薎,即海外西经之女祭、女戚,盖祀神之女巫也,说详该节注。   有寿麻之国1。南岳娶州山女,名曰女虔。女虔生季格,季格生寿麻2。寿麻正立无景,疾呼无响3。爰有大暑,不可以往4。   1 郭璞云:“吕氏春秋曰:『南服寿麻,北怀阘耳。』”郝懿行云:“郭引吕氏春秋任数篇文也,南当为西,字之讹。寿麻,彼作寿靡。高诱注云:『西极之国,靡亦作麻。』今案麻、靡古字通。(汉书)地理志云:『益州郡收靡。』李奇云:『靡音麻,即升麻也。』”珂案:藏经本郭注南服寿麻南正作西。   2 吴任臣云:“冠篇:『黄帝鸿初为南岳之官,故名南岳。』女虔学海作女(鬼友)。又路史(后纪六)曰:『帝鸿生白民及嘻,嘻生季格,季格生帝魁。』注云:『嘻其南岳也。』未审孰是。”珂案:吴所引冠编及路史虽均后起臆说,未足为据,然此南岳疑实亦当为黄帝系人物也。经又云:“寿麻正立无景,疾呼无响,爰有大暑,不可以往。”并疑与大荒北经黄帝女魃之神话有关,寿麻其黄帝女魃之转化乎?   3 郭璞云:“言其禀形气有异于人也。列仙传曰:『玄俗无景。』”郝懿行云:“淮南墬形训言『建木日中无景,呼而无响』也。拾遗记(卷一)云:『勃鞮之国,人皆日中无景。』列仙传云:『玄俗者,自言河闲人也,饵巴豆云英,卖药于市,七凡(丸)一钱,治百病。王病瘕,服药,用下蛇十余头。王家老舍人自言父世见俗,俗行无景,王呼俗着日中,实无景。』案此据刘逵注魏都赋所引,与今列仙传本不同。”   4 郭璞云:“言热炙杀人也。”珂案:楚辞招魂云:“西方之害,其土烂人,求水无所得些。”王逸注云:“言西方之土温暑而热,燋烂人肉,渴欲求水,无有源泉,不可得之。”亦此类也。   有人无首,操戈盾立,名曰夏耕之尸1。故成汤伐夏桀于章山,克之2,斩耕厥前3。耕既立,无首,走4厥咎5,乃降于巫山6。   1 郭璞云:“亦形天尸之类。”   2 郭璞云:“于章,山名。”珂案:郭以“于章”为山名,盖误也。章山始是山名,于乃介词,犹下文“乃降于巫山”之于也。   3 郭璞云:“头亦在前者。”   4 珂案:“宋本、毛扆本均作走。”   5 郭璞云:“逃避罪也。”珂案:藏经本立字在无首字下。   6 郭璞云:“自窜于巫山,巫山今在建平巫县。”郝懿行云:“(汉书)地理志云:『南郡巫。』应劭注云:『巫山在西南。』郭云『今在建平巫县』者,见晋书地理志。”   珂案:夏耕断首神话,充分表现成汤亦是具有神性之英雄人物,故其伐夏也,亦得神助。墨子非攻下云:“沓至乎,天有酷命,五谷焦死,鬼呼国,日月不时,寒暑杂至,鹤鸣十夕余。天乃命汤于鏕宫,用受夏之大命。汤焉敢奉率其众,是以乡有夏之境。帝乃使阴暴毁有夏之城。少少,有神来告曰:『夏德大乱,往攻之,予必使汝大堪之。予既受命于天,天命融(祝融)隆(降)火于夏城之闲,西北之隅。』汤奉桀众,以克有夏,属诸侯于薄。”是其征也。虽然,已带宿命论之色彩。楚辞天问云:“缘鹄饰玉,后帝是飨,何承谋夏,桀终以灭丧?帝乃降观,下逢伊挚,何条放致罚,而黎服大说?”夏殷之事,概括于此数语矣。   有人名曰吴回,奇左1,是无右臂2。   1 珂案:王念孙校改经文“奇左”为“奇?”,恐非。   2 郭璞云:“即奇肱也。吴回,祝融弟,亦为火正也。”郝懿行云:“此非奇肱国也。说文(十四)云:『孑,无右臂也。』即此之类。吴回者,大戴礼帝系篇云:『老童产重黎及吴回。』史记楚世家云:『帝喾诛重黎而以其弟吴回为重黎,后复居火正,为祝融。』是皆以重黎为一人,吴回为一人。世本亦同。此经上文则以重黎为二人,似黎即吴回。故潜夫论志氏姓云:『黎,颛顼氏裔子吴回也。』高诱注淮南(时则篇)亦云:『祝融,颛顼之孙,老童之子吴回也;一名黎,为高辛氏火正,号为祝融。』其注吕氏春秋(孟夏篇)又云:『吴国回禄之神托于?。』与注淮南异也。王符、高诱并以黎即吴回,与此经义合。重、黎相继为火官,故皆名祝融矣。”   有盖山之国。有树,赤皮支干,青叶,名曰朱木1。   1 郭璞云:“或作朱威木也。”珂案:朱木已见大荒南经,青叶作青华,是也,此盖字形之讹。   有一臂民1。   1 郭璞云:“北极下亦有一脚人,见河图玉版。”   珂案:一臂民即一臂国,已见海外西经。   大荒之中,有山名曰大荒之山,日月所入1。有人焉三面,是颛顼之子,三面一臂2,三面之人不死3,是谓大荒之野。   1 珂案:此大荒之山,盖日月所入山之六也。   2 郭璞云:“无左臂也。”郝懿行云:“说文(十四)云:『孓,无左臂也。』即此。”   3 郭璞云:“言人头三边各有面也。玄菟太守王颀至沃沮国,问其耆老,云『复有一破船,随波出在海岸边,上有一人,顶中复有面,与语不解,了不食而死』。此是两面人也。吕氏春秋曰『一臂三面之乡』也。”珂案:郭说本三国志魏志东夷传,所引吕氏春秋求人篇文,云“禹西至三面一臂之乡”。注文“顶中复有面”句,宋本、明藏本、毛扆本、吴任臣本、毕沅校本、百子全书本,顶均作项,三国志魏志东夷传亦作项,作项是也,顶字讹。   西南海之外,赤水之南,流沙之西,有人珥两青蛇,乘两龙,名曰夏后开1。开上三嫔于天2,得九辩与九歌以下3。此天穆之野,高二千仞4,开焉得始歌九招5。   1 珂案:开即启也,汉人避景帝(刘启)讳改。   2 郭璞云:“嫔,妇也,言献美女(宋本作人——珂)于天帝。”郝懿行云:“离骚云:『启九辩与九歌。』天问云:『启棘宾商,九辩九歌。』是宾、嫔古字通。棘与亟同。盖谓启三度宾于天帝,而得九奏之乐也。故归藏郑母经云:『夏后启筮,御飞龙登于天,吉。』正谓此事。周书王子晋篇云:『吾后三年,上宾于帝所。』亦其证也。郭注大误。”珂案:郝说甚是。天问“启棘宾商”,据近人研究,商乃帝之形讹,“启棘宾商”者,即“启亟宾帝”也,是知郭注所云为“大误”也。   3 郭璞云:“皆天帝乐名也,开登天而窃以下用之也。开筮(启筮——珂)曰:『昔彼九冥,是与帝辩同宫之序,是谓九歌。』又曰:『不得窃辩与九歌以国于下。』义具见于归藏。”   4 郭璞曰:“竹书曰『颛顼产伯鲧,是维若阳,居天穆之阳』也。”珂案:经文天穆之野,王念孙校改作大穆之野,然“天穆”、“大穆”,古书并见,天、大古本一字,不必改也。   5 郭璞云:“竹书曰『夏后开舞九招』也。”珂案:经文及郭注九招,明藏本字均作韶。经文“开焉得始歌九招”,王念孙校改“得始”为“始得”,固于今文法为顺,然未可以律古文法,亦不必改也。关于夏后开(启)乘龙宾天神话,详海外西经“夏后启”节。   有互人之国1。炎帝之孙2名曰灵恝3,灵恝生互人,是能上下于天4。   1 郭璞云:“人面鱼身。”珂案:经文互人之国,王念孙校改互作氐,是也,见海内南经“氐人国”节注。郭注“人面鱼身”四字,毕沅校本以作经文,云藏经本作经文。郝懿行云乃郭本海内南经之文。今案宋本此四字仍作郭注,则郝说是也。   2 郭璞云:“炎帝,神农。”珂案:汉书人表“炎帝神农氏”张晏注曰:“以火德王,故号曰炎帝;作耒耜,故曰神农。”然炎帝与神农在先秦古籍本不相谋,至汉以后始合而为一也。史记五帝本纪云:“轩辕之时,神农氏衰。”又云:“轩辕乃修德振兵,以与炎帝战于阪泉之野。”是以炎帝为神农矣。绎史卷四引周书云:“神农之时,天雨粟,神农遂耕而种之,作陶冶斧斤,为耒耜鉏鎒,以垦草莽,然后五谷兴助,百果藏实。”拾遗记卷一亦云:“炎帝时有丹雀衔九穗禾,其坠地者,帝乃拾之,以植于田,食者老而不死。”此炎帝神农之所以号为“神农”也。有关炎帝神农之神话,其最著者厥为尝药与鞭药。淮南子修务篇云:“神农尝百草之滋味,一日而遇七十毒。”搜神记卷一云:“神农以赭鞭鞭百草,尽知其平毒寒温之性,臭味所主,以播百谷。”述异记因谓“太原神釜冈,有神农尝药之鼎;成阳山中,有神农鞭药处”:神话而又加以遗迹之指证焉。而明周游开辟衍绎第十八回王子承“释疑”且云:“后世传言神农乃玲珑玉体,能见其肝肺五脏,此寔事也。若非玲珑玉体,尝药一日遇十二毒,何以解之?但传炎帝尝诸药,中毒者能解,至尝百足虫入腹,一足成一虫,遂致千变万化,炎帝不能解其毒而致死,万无是理,此讹传耳。”无论“寔事”或“讹传”,要为后世神农尝药之民间传说,可无疑问。则炎帝之德施亦溥,爱念亦坚矣。西次三经云:“发鸠之山,有鸟焉,其状如乌,文首、白喙、赤足,名曰精卫,其名自詨。是炎帝之少女名曰女娃,女娃游于东海,溺而不返,故为精卫,常衔西山之木石以堙于东海。”其坚志乃甚有父风而令人向慕无穷焉。   3 郭璞云:“音如券契之契。”   4 郭璞云:“言能乘云雨也。”珂案:此经互人国即海内南经氐人国,已见海内南经“氐人国”节注。   有鱼偏枯,名曰鱼妇。颛顼死即复苏1。风道北来,天乃大水泉2,蛇乃化为鱼,是为3鱼妇。颛顼死即复苏4。   1 郭璞云:“言其人能变化也。”   2 郭璞云:“言泉水得风暴溢出。道,犹从也;韩非(十过篇)曰:『玄鹤二八,道南方而来。』”   3 珂案:宋本作谓。   4 郭璞曰:“淮南子曰:『后稷龙在建木西,其人死复苏,其中为鱼。』盖谓此也。”珂案:郭注引淮南子墬形篇文,今本云:“后稷垄在建木西,其人死复苏,其半鱼在其闲。”故郭注龙当为垄,中当为半,并字形之讹也。宋本、明藏本中正作半。据经文之意,鱼妇当即颛顼之所化。其所以称为“鱼妇”者,或以其因风起泉涌、蛇化为鱼之机,得鱼与之合体而复苏,半体仍为人躯,半体已化为鱼,故称“鱼妇”也。后稷死复苏,亦称“其半鱼在其闲”,知古固有此类奇闻异说流播民间也。   有青鸟,身黄,赤足,六首,名曰(鸟蜀)鸟1。   1 郭璞云:“音触。”珂案:海内西经云:“开明南有树鸟,六首。”疑即此。   有大巫山。有金之山。西南,大荒之中隅1,有偏句、常羊之山2。   1 珂案:藏经本隅上无中字。   2 郝懿行云:“海外西经云:『帝断形天之首,葬之常羊之山。』淮南墬形训云:『西南方曰编驹之山。』编驹疑即偏句。吕氏春秋谕大篇云:『地大则有常祥不庭。』疑常祥即常羊也。不庭已见大荒南经。”   按:夏后开即启,避汉景帝讳云。(珂案:此按语为原书所有,未详作者。)   山海经海经新释卷十二  山海经第十七    大荒北经   东北海之外,大荒之中,河水之闲,附禺之山1,帝颛顼与九嫔葬焉2。爰有(丘鸟)3久、文贝、离俞、鸾鸟、皇鸟4、大物、小物5。有青鸟、琅鸟、玄鸟、黄鸟、虎、豹、熊、罴、黄蛇、视肉、璇、瑰、瑶、碧,皆出卫于山6。丘方圆三百里,丘南帝俊竹林在焉7,大可为舟8。竹南有赤泽水9,名曰封渊10。有三桑无枝11。丘西有沉渊,颛顼所浴。   1 郝懿行云:“海外北经作务隅,海内东经作鲋鱼,此经又作附禺,皆一山也,古字通用。文选注谢朓哀策文引此经作鲋禺之山,后汉书张衡传注引此经与今本同。”   2 郭璞云:“此皆殊俗,义所作冢。”   3 珂案:经文(丘鸟),孙星衍校改鸱。   4 珂案:皇鸟,宋本、毛扆本、藏经本均作凤鸟,王念孙亦校作凤鸟。   5 郭璞云:“言备有也。”王崇庆云:“大物小物,皆殉葬之具也。”   6 郭璞云:“在其山边也。”郝懿行云:“艺文类聚八十九卷、初学记二十八卷引此经并作卫丘山,北堂书钞一百三十七卷亦作卫丘,是知古本卫丘连文,而以皆出于山四字相属,今本误倒其句耳,所宜订正。”珂案:王念孙校亦同郝注。附禺山所有各物其部分已见海外北经“务隅之山”节。   7 郝懿行云:“此经帝俊盖颛顼也:下云丘西有沉渊,颛顼所浴,以此知之。”珂案:郝说疑非。此经既明言丘南帝俊竹林,大可为舟;丘西沉渊,颛顼所浴;则帝俊自帝俊,颛顼自颛顼,又何得以帝俊为颛顼邪?此不同于大荒南经所记不庭之山,前云“帝俊妻娥皇生此三身之国”,后云“从渊,舜之所浴也”,以舜亦妻娥皇,固可以谓浴于从渊之舜即“妻娥皇”之帝俊也,而此则无可比附,故不可以以二帝偶共一地即谓彼此相同也。   8 郭璞云:“言舜林中竹一节则可以为船也。”郝懿行云:“初学记(卷二十八)引神异经云:『南方荒中有沛竹,其长百丈,围二丈五六尺,厚八九寸,可以为船。』广韵引神异经云:『筛竹一名太极,长百丈,南方以为船。』玉篇云:『荨竹长千丈,为大船也;生海畔。』即此类。”   9 郭璞云:“水色赤也。”   10郭璞云:“封亦大也。”   11郭璞云:“皆高百仞。”王念孙云:“皆高百仞四字乃正文误入注,见艺文类聚八十八,又见御览木部四(卷九五五),又见类聚木部(卷八十九)。”珂案:“三桑无枝”已见北次二经、海外北经。   有胡不与之国1,烈姓2,黍食。   1 郭璞云:“一国复名耳,今胡夷语皆通然。”   2 郝懿行云:“烈姓盖炎帝神农之裔,左传(昭公二十九年)称烈山氏,(礼记)祭法称厉山氏;郑康成注云:『厉山,神农所起。一日有烈山。』”珂案:今本礼记郑注云:“厉山氏,炎帝也,起于厉山。或曰有烈山氏。”   大荒之中,有山,名曰不咸。有肃慎氏之国1。有蜚蛭,四翼2。有虫,兽首蛇身,名曰琴虫3。   1 郭璞云:“今肃慎国去辽东三千余里,穴居,无衣,衣猪皮,冬以膏涂体,厚数分,用却风寒。其人皆工射,弓长四尺,劲强。箭以楛(宋本楛下有木字——珂)为之,长尺五(藏经本五作八——珂)寸,青石为镝,此春秋时隼集陈侯之庭所得矢也。晋太兴三年平州刺史崔毖遣别驾高会,使来献肃慎氏之弓矢,箭镞有似铜骨作者。问(藏经本问下有之字,是也——珂)云,转与海内国,通得用此。今名之为挹娄国,出好貂、赤玉。岂从海外转而至此乎?后汉书所谓挹娄者(宋本、吴宽抄本者作国——珂)是也。”郝懿行云:“肃慎国见海外西经。郭说肃慎本魏志东夷传,但传本作『用楛长尺八寸』,与郭异,余则同也。今之后汉书,非郭所见,而此注引后汉书者,吴志嫔妃传云:『谢承撰后汉书百余卷。』其书说挹娄,即古肃慎氏之国也。隼集陈侯之庭,鲁语有其事。”   2 郭璞云:“翡、窒两音。”珂案:文选上林赋:“蛭蜩蠼猱。”司马彪注引此经蜚作飞。   3 郭璞云:“亦蛇类也。”郝懿行云:“南山人以虫为蛇,见海外南经。”   有人名曰大人。有大人之国1,厘姓2,黍食。有大青蛇,黄头3,食麈4。   1 珂案:大人国已见海外东经及大荒东经。   2 郝懿行云:“晋语(国语晋语四——珂)司空季子说黄帝之子十二姓中有僖姓,僖、厘古字通用,厘即僖也。史记孔子世家云:『汪罔氏之君,守封禺之山,为厘姓。』索隐云:『厘音僖。』是也。”珂案:国语鲁语下云:“防风,汪芒氏之君也,守封嵎之山者也,为漆姓;在虞、夏、商为汪芒氏,于周为长狄,今为大人。”汪芒氏即汪罔氏,漆姓即厘姓也。则大人者,防风之后,亦黄帝之裔也。   3 珂案:艺文类聚卷六引此作头方。   4 郭璞云:“今南方(虫丹)蛇食鹿,鹿亦麈属也。”珂案:荣山亦有玄蛇食麈,已见大荒南经。又此经文食麈,藏经本作食鹿;注文鹿亦麈属,藏经本作鹿亦麀类。   有榆山。有鲧攻程州之山1。   1 郭璞云:“皆因其事而名物也。”郝懿行云:“程州,盖亦国名,如禹攻共工国山之类。”珂案:郝说疑是。此经下文有“有始州之国,有丹山”,可证。禹攻共工国山已见大荒西经。   大荒之中,有山名曰衡天。有先民之山1。有盘木千里2。   1 珂案:大荒西经云:“西北海之外,赤水之西,有先民之国。”非此。此山地望当在东北。   2 郭璞云:“音盘。”珂案:大戴礼五帝德及史记五帝本纪,均有“东至于蟠木”语,疑即此。论衡订鬼篇引山海经(今本无)云:“沧海之中,有度朔之山,上有大桃木,其屈蟠三千里,其枝闲东北曰鬼门,万鬼所出入也。上有二神人,一曰神荼,一曰郁垒,主阅领万鬼。恶害之鬼,执以苇索,而以食虎。于是黄帝乃作礼,以时驱之,立大桃人,门户画神荼郁垒与虎,悬苇索以御凶。”此“屈蟠三千里”之大桃木,当即“千里”盘木之属。刘昭注后汉书礼仪志亦引此经而文稍异,当皆此经之逸文也。   有叔歜国1。颛顼之子,黍食,使四鸟:虎、豹、熊、罴。有黑虫如熊状,名曰(犬昔)(犬昔)2。   1 郭璞云:“(歜)音作感反;一音触。”   2 郭璞云:“或作獡,音夕同。”郝懿行云:“玉篇云:『(犬昔),秦亦切,兽名。』广韵亦云兽名,引此经。盖虫、兽通名耳。獡见说文(十)。”珂案:郭注“音夕同”,藏经本无同字,同字疑衍。   有北齐之国,姜姓1,使虎、豹、熊、罴。   1 郝懿行云:“说文(十二)云:『姜,神农居姜水以为姓。』史记齐太公世家云:『姓姜氏。』案大荒西经有西周之国,姬姓,此有北齐之国,姜姓,皆周秦人语也。”   大荒之中,有山名曰先槛1大逢之山,河济所入,海北注焉2。其西有山,名曰禹所积石3。   1 珂案:藏经本作光槛。   2 郭璞云:“河济注海,已复出海外,入此山中也。”   3 珂案:禹所积石之山,已见海外北经,详该节注。   有阳山者。有顺山者,顺水出焉。有始州之国,有丹山1。   1 郭璞云:“此山纯出丹朱也。竹书曰:『和甲西征,得一丹山。』今所在亦有丹山,丹出土穴中。”   有大泽方千里,群鸟所解1。   1 郭璞曰:“穆天子传(卷四)曰:『北至广原之野,飞鸟所解其羽,乃于此猎鸟兽,绝群,载羽百车。』竹书亦曰:『穆王北征,行流沙千里,积羽千里。』皆谓此泽也。”珂案:大泽有二:一乃海内北经“舜妻登比氏生宵明烛光,处河大泽”之大泽,一即此泽。此泽即海外北经所记“夸父与日逐走,北饮大泽”及此经“夸父将走大泽”之大泽,说详海内北经“宵明烛光”节注。   有毛民之国1,依姓2,食黍,使四鸟。禹生均国,均国生役采3,役采生修4鞈5,修鞈杀绰人6。帝念之,潜为之国7,是此毛民。   1 郭璞云:“其人面体皆生毛。”珂案:毛民国已见海外东经。   2 珂案:国语晋语四云:黄帝之子二十五宗,其得姓者十四人,为十二姓,中有依姓。据此则毛民当是黄帝之裔,海外东经郝注云禹裔非也。然禹亦黄帝族,则毛民者,虽非其直接裔属,亦其同族子孙也;故禹之曾孙修鞈杀绰人,禹乃“念之”而“潜为”此毛民国,以此也。   3 郭璞云:“采一作来。”珂案:藏经本正作来,无郭注四字。   4 珂案:藏经本作循。   5 郭璞云:“音如单袷之袷。”   6 郭璞云:“人名。”   7 郭璞云:“潜密用之为国。”   有儋耳之国1,任姓2,禺号子,食谷。北海之渚中3,有神,人面鸟身,珥两青蛇,践两赤蛇,名曰禺强4。   1 郭璞云:“其人耳大下儋,垂在肩上,朱崖儋耳,镂画其耳,亦以放之也。”珂案:儋耳,淮南子墬形篇作耽耳,博物志卷一作担耳,依字儋当为聸。说文十二云:“聸,垂耳也。”即郭注所谓“耳大下儋,垂在肩上”之意也。海外北经有聂耳国,即此,说详该节注。   2 珂案:国语晋语说黄帝之子十二姓中有任姓,此经下文复言“禺号子”,禺号即禺(豸虎),乃黄帝之子,见大荒东经,故儋耳亦黄帝裔也。   3 郭璞云:“言在海岛中种粟给食,谓禺强也。”珂案:大荒东经云:“黄帝生禺(豸虎),禺(豸虎)生禺京,禺京处北海,禺(豸虎)处东海,是为海神。”郭璞注:“(豸虎)一本作号。”又注“禺京”云:“即禺强也。”是禺强固禺号子,然其身份乃北海海神,非如郭注所谓“在海岛中种粟给食”之禺号子也。揆此经文意,此“食谷北海之渚中”之禺号子,乃任姓之儋耳国也。谓之“子”者,盖谓其苗裔,非必谓其亲子也。郭注“谓禺强也”盖误。又,旧以“食谷北海之渚中”为句,亦误。“食谷”,应作一句,属上读;“北海之渚中”,应作一句,属下读,始当。   4 珂案:禺强已见海外北经及大荒东经。海外北经云,禺强践两青蛇,与此异。列子汤问篇云:“帝令禺强使巨鳌十五,举首而戴五山。”见海外东经“大人国”节注。   大荒之中,有山名曰北极天柜1,海水北注焉。有神,九首人面鸟身,名曰九凤2。又有神衔蛇操蛇3,其状虎首人身,四长肘,名曰强良4。   1 郭璞云:“音匮。”珂案:经文柜,宋本、吴宽抄本、毛扆本藏经本均作樻。   2 郝懿行云:“郭氏江赋(文选郭璞江赋——珂)云:『奇鸧九头。』疑即此。”   3 珂案:列子汤问篇说愚公事云:“操蛇之神闻之,告之于帝。”操蛇之神或本此。   4 郭璞云:“亦在畏兽画中。”郝懿行云:“后汉礼仪志说十二神云:『强梁祖明共食磔死寄生。』疑强梁即强良,古字通也。”珂案:强良,藏经本作强良。   大荒之中,有山名曰成都载天。有人珥两黄蛇,把两黄蛇,名曰夸父。后土生信1,信生夸父。夸父不量力,欲追日景,逮之于禺谷2。将饮河而不足也,将走大泽,未至,死于此3。应龙已杀蚩尤,又杀夸父4,乃去南方处之,故南方多雨5。   1 郝懿行云:“后土,共工氏之子句龙也,见昭十九年左传,又见海内经。”   2 郭璞云:“禺渊,日所入也,今作虞。”   3 郭璞云:“渴死。”珂案:夸父逐日已见海外北经。   4 郭璞云:“上云夸父不量力,与日竞而死,今此复云为应龙所杀,死无定名,触事而寄,明其变化无方,不可揆测。”珂案:郭以玄理释神话,未免失之。盖夸父乃古巨人族名(玄珠中国神话研究ABC说),非一人之名也。“夸父逐日”与“应龙杀蚩尤与夸父”盖均有关夸父之不同神话,非如郭注所谓“变化无方”也。应龙杀蚩尤与夸父事已见大荒东经。夸父,炎帝之裔,与蚩尤并肩作战以抗黄帝者也,以不幸兵败而为应龙所杀。说详大荒东经“应龙”节注。   5 郭璞云:“言龙水物,以类相感故也。”   又有1无肠之国2,是任姓3,无继子,食鱼4。   1 珂案:藏经本无又字。   2 郭璞云:“为人长也。”珂案:无肠国已见海外北经,云:“无肠国其为人长。”是此注所本。   3 珂案:黄帝之裔十二姓中有任姓(国语晋语四),则无肠国亦当是黄帝裔也。   4 郭璞云:“继亦当作綮,谓膊肠也。”珂案:郭说非是。此无继(国)即海外北经所记之无启(今字作綮(纟改月),讹也)国,“无启”即“无继”也,说见海外北经“无綮国”节注。此言无肠国人乃无启(继)国人之裔也,旧本以“无继子,食鱼”另起,非也。至于“无继”而有“子”,则正是神话传说之诙诡处,“揆之常情,则无理矣”(海外东经郭璞注语)。   共工之臣名曰相繇1,九首蛇身,自环2,食于九土3。其所歍所尼4,即为源泽5,不辛乃苦6,百兽莫能处7。禹湮洪水,杀相繇8,其血腥臭,不可生谷9,其地多水,不可居也10。禹湮之,三仞11三沮12,乃以为池,群帝因是以为台13。在昆仑之北14。   1 郭璞云:“相柳也,语声转耳。”珂案:禹杀相柳事已见海外北经。   2 郭璞云:“言转旋也。”珂案:郭注转旋藏经本作蟠旋。   3 郭璞云:“言贪残也。”珂案:经文九土藏经本作九山,海外北经亦作九山。   4 郭璞云:“歍,呕,犹喷咤;尼,止也。”郝懿行云:“说文(八)云:『歍,心有所恶若吐也。』又云:『欧,吐也。』尔雅释诂云:『尼,止也。』”   5 郭璞云:“言多气力。”珂案:谓相繇之气力能使其所歍所尼者成为源泽。   6 郭璞云:“言气酷烈。”   7 郭璞云:“言畏之也。”珂案:谓畏源泽之辛苦。   8 郭璞云:“禹塞洪水,由以溺杀之也。”珂案:由,因缘也,谓禹塞洪水,因以溺杀相繇也;藏经本由正作因。   9 王念孙云:“御览人事十六(卷三七五)谷上有五字。”   10郭璞云:“言其膏血滂流,成渊水也。”珂案:郭注渊水,藏经本无水字。   11王念孙云:“仞读为牣,牣,满也,史记司马相如传云:『充仞其中。』仞、牣古通用。”   12郭璞云:“言禹以土塞之,地陷坏也。”   13郭璞云:“地下宜积土,故众帝因来在此共作台。”珂案:即海内北经帝尧、帝喾等台。   14珂案:海内北经云:“台四方,在昆仑东北。”   有岳之山1,寻竹生焉2。   1 珂案:文选张协七命李善注引此经作岳山,无之字。   2 郭璞云:“寻,大竹名。”珂案:寻,长也。扬雄方言:“自关而西,秦晋梁益之间凡物长谓之寻。”海外北经:“寻木长千里。”长木既曰寻木,则寻竹自是长竹。寻只是形容词,郭以寻为“大竹名”恐非。玉篇有●字,云“竹长千丈”,当是因寻竹而制之后起字也。藏经本郭注只作“大竹”,无“寻”、“名”二字,是也。   大荒之中,有山名不句,海水入焉1。   1 珂案:藏经本水下有北字,是也,说见大荒南经“天台高山”节注。   有系昆1之山者,有共工之台,射者不敢北乡2。有人衣青衣,名曰黄帝女魃3。蚩尤作兵伐黄帝4,黄帝乃令应龙攻之冀州之野5。应龙畜水,蚩尤请风伯雨师,纵大风雨6。黄帝乃下天女曰魃7,雨止8,遂杀蚩尤9。魃不得复上,所居不雨10。叔均11言之帝,后置之赤水之北12。叔均乃为田祖13。魃时亡之14。所欲逐之者,令曰:“神北行15!”先除水道,决通沟渎16。   1 王念孙云:“御览三十五作傒昆。”   2 郭璞云:“言畏之也。”珂案:共工之台已见海外北经。   3 郭璞云:“音如旱?之魃。”郝懿行云:“玉篇引文字指归曰:『女?,秃无发,所居之处,天不雨也,同魃。』李贤注后汉书(张衡传)引此经作?,云:『?亦魃也。』据此则经文当为?,注文当为魃,今本误也。太平御览七十九卷引此经作?,可证。”珂案:王念孙校同郝注。吴任臣本注文正作“音如旱魃之魃”,可证经文实宜作“?”,注文“旱?”宜作“旱魃”。   4 珂案:太平御览卷七十二引世本云:“蚩尤作兵。”宋衷注云:“蚩尤,神农臣。”是也。则所谓“蚩尤作兵伐黄帝”者,盖黄炎斗争、炎帝兵败,蚩尤奋起以与炎帝复仇也。说已见海外西经“形天”节及大荒东经“应龙”节注。   5 郭璞云:“冀州、中土也;黄帝亦教虎、豹、熊、罴,以与炎帝战于阪泉之野而灭之,见史记(五帝本纪)。”   6 郝懿行云:“纵当为从。史记(五帝本纪)正义引此经云:『以从大风雨。』艺文类聚七十九卷及太平御览七十九卷引此经亦作从。”珂案:藏经本正作从。从通纵,礼记曲礼:“欲不可从。”释文:“放纵也。”   7 郝懿行云:“御览(卷七九)引此经魃作?,藏经本此下亦俱作?。”珂案:唐刘赓稽瑞引此经正作?。   8 王念孙云:“史记五帝纪正义引此『雨止』上有『以止雨』三字,后汉书张衡传注无,御览卅五同,七十九同。”   9 珂案:关于黄帝与蚩尤战争之神话,古来传说多端。较早者有初学记卷九引归藏启筮云:“蚩尤出自羊水,八肱八趾疏首,登九淖以伐空桑,黄帝杀之于青丘。”其后太平御览卷七八引龙鱼河图云:“黄帝摄政前,有蚩尤兄弟八十一人,并兽身人语,铜头铁额,食沙石子,造立兵杖、刀、戟、大弩,威振天下。诛杀无道,不仁不慈。万民欲令黄帝行天子事,黄帝仁义,不能禁止蚩尤,遂不敌。乃仰天而叹,天遣玄女下授黄帝兵信神符,制伏蚩尤,以制八方。蚩尤没后,天下复扰乱不宁,黄帝遂画蚩尤形像,以威天下,天下咸谓蚩尤不死,八方万邦皆为殄服。”记述此一战争之经过,粗具梗概。而又涉及所谓“玄女”者,御览十五引黄帝玄女战法云:“黄帝与蚩尤九战九不胜。黄帝归于太山,三日三夜,雾冥。有一妇人,人首鸟形,黄帝稽首再拜伏不敢起,妇人曰:『吾玄女也,子欲何问?』黄帝曰:『小子欲万战万胜。』遂得战法焉。”或即玄鸟神话(诗玄鸟:“天命玄鸟,降而生商。”)而羼入黄帝神话者也。除此而外,尚有御览卷十五引志林(晋虞喜撰)云:“黄帝与蚩尤战于涿鹿之野,蚩尤作大雾弥三日,军人皆惑。黄帝乃令风后法斗机以别四方,遂擒蚩尤。”通典乐典云:“蚩尤氏帅魑魅以与黄帝战于涿鹿,帝命吹角作龙吟以御之。”俱黄帝与蚩尤战争神话之一节。以俱晚出,受正统思想支配,故不免或状蚩尤而近妖,失古神话本恉矣。然龙鱼河图犹谓“黄帝遂画蚩尤形像,以威天下”,知蚩尤在古传说中位望高也。述异记杂叙蚩尤轶事云:“蚩尤能作云雾。涿鹿今在冀州,有蚩尤神,俗云:人身牛蹄,四目六手。今冀州人掘地得髑髅,如铜铁者,即蚩尤之骨也。今有蚩尤齿,长二寸,坚不可碎。秦汉间说:蚩尤氏耳鬓如剑戟,头有角,与轩辕斗,以角抵人,人不能向。今冀州有乐名『蚩尤戏』,其民两两三三,头戴牛角而相抵。汉造角抵,盖其遗制也。太原村落间,祭蚩尤神,不用牛头。今冀州有蚩尤川,即涿鹿之野。汉武时,太原有蚩尤神昼见,龟足蛇首;囗疫,其俗遂为立祠。”亦以见民间于蚩尤之兴会与同情也。   10郭璞云:“旱气在也。”   11珂案:大荒南经云:“苍梧之野,舜与叔均之所葬也。”郭璞注:“叔均,商均也。”大荒西经云:“稷之弟台玺生叔均。”海内经云:“稷之孙曰叔均。”均此叔均也:传闻不同而异辞耳。   12郭璞云:“远徒之也。”   13郭璞云:“主田之官。诗(大田)云:『田祖有神。』”   14郭璞云:“畏见逐也。”郝懿行云:“亡谓善逃逸也。”   15郭璞云:“向水位也。”郝懿行云:“北行者,令归赤水之北也。”   16郭璞云:“言逐之必得雨,故见先除水道,今之逐魃是也。”郝懿行云:“艺文类聚一百卷,引神异经云:『南方有人长二三尺,袒身而目在顶上,走行如风,名曰魃,所见之国大旱,赤地千里。一名。遇者得之,投溷中乃死,旱灾消。』是古有逐魃之说也。魏书载咸平五年晋阳得死魃,长二尺,面顶各二目。通考言永隆元年长安获女魃,长尺有二寸。然则神异经之说盖不诬矣。今山西人说旱魃神体有白毛,飞行绝迹,而东齐愚人有打旱魃之事。其说怪诞不经,故备书此正之。”珂案:神异经所说之魃当已是旱魃神话之演变,非古传黄帝女魃也。   有人方食鱼,名曰深目民之国1,昐姓,食鱼2。   1 珂案:深目国已见海外北经。   2 郭璞云:“亦胡类,但眼绝深,黄帝时姓也。”郝懿行云:“昐,府文切,见玉篇,与滕、荀二字形声俱近。晋语说黄帝之子十二姓中有滕荀,疑郭本昐作滕或荀,故注云黄帝时姓也。”珂案:郭注黄帝时姓,宋本、毛扆本作黄帝时至,果尔则郝此注可删矣。   有钟山者。有女子衣青衣,名曰赤水女子献1。   1 郭璞云:“神女也。”吴承志云:“献当作魃。上文有人衣青衣名曰黄帝女魃,后置之赤水之北,赤水女子魃即黄帝女魃也。此文当本上句之异文,校者两存之,遂成歧出耳。”珂案:吴说疑是。疑此献本作魃,所以为前文诸?字之“异文”;迨后前文诸?字均改为魃,此魃字亦遂讹为献耳。   大荒之中,有山名曰融父山,顺水入焉1。有人名曰犬戎。黄帝生苗龙,苗龙生融吾,融吾生弄2明,弄明生白犬3,白犬有牝牡4,是为犬戎,肉食。有赤兽,马状无首,名曰戎宣王尸5。   1 珂案:上文云:“有顺山者,顺水出焉。”即此。   2 郭璞云:“一作卞。”   3 郝懿行云:“汉书匈奴传注引此经作弄明,史记周本纪正义引此经作并明,并与卞疑形声之讹转。匈奴传索隐引此经亦作并明。又云『黄帝生苗,苗生龙,龙生融,融生吾,吾生并明,并明生白,白生犬,犬有二壮,是为犬戎。』所引一人,俱为两人,所未详闻。”   4 郭璞云:“言自相配合也。”郝懿行云:“史记周本纪正义、汉书匈奴传注引此经并作白犬有二牝牡,盖谓所生二人相为牝牡也。藏经本作白犬二犬有牝牡,下犬字疑衍。”   5 郭璞云:“犬戎之神名也。”   珂案:犬戎神话盖盘瓠神话之异闻,说已见海内北经“犬封国”节注。此一神话,或又与海内经所记“黄帝生骆明,骆明生白马,白马是为鲧”有关,或亦同一神话之分化也。此经“马状无首,名曰戎宣王尸”之“犬戎之神”,其遭刑戮以后之鲧乎?不可知已。   有山名曰齐州之山、君山、?山1、鲜野山、鱼山。   1 郭璞云:“音潜。”   有人一目,当面中生1,一曰是威姓,少昊之子,食黍2。   1 郝懿行云:“此人即一目国也,见海外北经。『当面中生』四字,藏经本作郭注,非。”   2 珂案:海内北经有鬼国,亦即此;威、鬼音近。   有继无民,继无民任姓1,无骨子2,食气、鱼3。   1 珂案:经文二“继无”王念孙、郝懿行均校作“无继”,即上文无继也。   2 郭璞云:“言有无骨人也。尸子曰:『徐偃王有筋无骨。』”珂案:无骨,即下文牛黎之国,亦即海外北经柔利国也。柔利、牛黎音皆相近,见海外北经“柔利国”节注。   3 郝懿行云:“食气、鱼者,此人食气兼食鱼也。大戴礼易本命篇云:『食气者神明而寿。』”   西北海外,流沙之东,有国曰中(车扁)1,颛顼之子,食黍。   1 郝懿行云:“(车扁),玉篇云:符善切;集韵云:婢善切,音扁。藏经本(车扁)作轮。”珂案:何焯校宋本亦作轮。   有国名曰赖丘。有犬戎国1。有神2,人面兽身,名曰犬戎。   1 珂案:犬戎国已见海内北经,亦即此经上文之犬戎也。   2 郝懿行云:“犬戎,黄帝之玄孙,已见上文,是犬戎亦人也,神字疑讹。史记周本纪集解引此经正作人字。”珂案:王念孙校同郝注;神字应据改。   西北海外,黑水之北,有人有翼,名曰苗民1。颛顼生驩头,驩头生苗民2,苗民厘姓3,食肉。有山名曰章山。   1 郭璞云:“三苗之民。”珂案:三苗国已见海外南经。神异经西荒经云:“西方荒中有人,面目手足皆人形,而胳下有翼,不能飞;为人饕餮,淫逸无理,名曰苗民。”说本此。   2 珂案:驩头国亦见海外南经,即丹朱国也。此云『驩头生苗民』者,盖丹朱与苗民神话之异传,明此两族关系密切也。   3 珂案:厘与僖同,说见上“大人国”节注。苗民亦黄帝之裔也。   大荒之中,有衡石山、九阴山、泂野之山1,上有赤树,青叶,赤华,名曰若木2。   1 郝懿行云:“水经若水注、文选甘泉赋及月赋注、艺文类聚八十九卷引此经并作灰野之山。”珂案:宋本及藏经本正作灰野之山,应据改。   2 郭璞云:“生昆仑西附西极,其华光赤下照地。”郝懿行云:“若,说文(六)作?,云『日初出东方汤谷所登榑桑,?,木也,象形。』今案说文所言是东极若木,此经及海内经所说乃西极若木,不得同也。离骚云:『折若木以拂日。』王逸注云:『若木在昆仑西极,其华照下地。』淮南墬形训云:『若木在建木西,末有十日,其华照下地。』皆郭注所本也。又文选月赋注引此经若木下有『日之所入处』五字。水经若水注引此经若木下有『生昆仑山西附西极』八字,证以王逸离骚注『若木在昆仑西极』,则知水经注所引八字,古本盖在经文,今误入郭注尔。又郭注『其华光赤下照地』,王逸离骚注亦有『其华照下地』五字,以此互证,疑此句亦当在经中,今本误入注也。”   有牛黎之国1。有人无骨,儋耳之子2。   1 珂案:牛黎之国即海外北经柔利国也,其人反曲足居上,故此经云“无骨”矣。   2 郭璞云:“儋耳人生无骨子也。”珂案:儋耳已见前。   西北海之外,赤水之北,有章尾山1。有神,人面蛇身而赤2,直目正乘3,其瞑4乃晦,其视乃明5,不食不寝不息,风雨是谒6。是烛九阴7,是谓烛龙8。   1 珂案:海外北经作钟山,此作章尾山,章、钟声近而转也。   2 郭璞云:“身长千里。”王念孙云:“身长千里四字亦正文误入注。御览神鬼部二(卷八八二)不误,类聚灵异下(卷七十九)同,唯作尺。”珂案:海外北经经文亦有“身长千里”四字,足证郭此注确系经文误入。   3 郭璞云:“直目,目从也;正乘未闻。”毕沅云:“乘恐朕字假音,俗作眹也。”珂案:朕义本训舟缝,引申之,他物交缝处,皆得曰朕。此言烛龙之目合缝处直也。   4 珂案:文选思玄赋李善注、类聚七十九引此经并作眠,俗字也。   5 郭璞云:“言视为昼,眠为夜也。”   6 郭璞云:“言能请致风雨。”毕沅云:“谒,噎字假音。”珂案:毕说是也,言以风雨为食也。   7 郭璞云:“照九阴之幽阴也。”珂案:宋本、藏经本、毛扆本幽阴作幽隐,是也。   8 郭璞曰:“离骚曰:『日安不到?烛龙何耀?』诗含神雾曰:『天不足西北,无有阴阳消息,故有龙衔精以往照天门中』云。淮南子曰:『蔽于委羽之山,不见天日也。』”郝懿行云:“楚词天问作『烛龙何照』,郭引照作耀也。李善注雪赋引诗含神雾云:『有龙衔火精以照天门中』,此注所引脱火字也(藏经本郭注正作火精——珂)。又引淮南子者,墬形训云:『烛龙在鴈门北,蔽于委羽之山,不见日。』高诱注云:『委羽,北方山名。一曰:龙衔烛以照太阴,盖长千里。』云云。”珂案:经文是谓烛龙,文选思玄赋李善注引作“是谓烛阴;郭璞曰:即烛龙也”。关于烛阴神话已见海外北经。   山海经海经新释卷十三  山海经第十八    海内经   东海之内,北海之隅,有国名曰朝鲜1、天毒,其人水居2,偎人爱之3。   1 郭璞云:“朝鲜今乐浪郡也。”珂案:朝鲜已见海内北经。   2 郭璞云:“天毒即天竺国,贵道德,有文书、金银、钱货,浮屠出此国中也。晋大兴四年,天竺胡王献珍宝。”王崇庆云:“天毒疑别有意义,郭以为即天竺国,天竺在西域,汉明帝遣使迎佛骨之地,此未知是非也。”珂案:天竺即今印度,在我国西南,此天毒则在东北,方位迥异,故王氏乃有此疑。或者中有脱文讹字,未可知也。   3 郭璞云:“偎亦爱也,音隐隈反。”王念孙云:“宗炳明佛论(弘明集卷二——珂)引作『偎人而爱人』,又引注文:『古谓天毒即天竺,浮屠所兴。』”郝懿行云:“爱之,藏经本作爱人,是也。列子(黄帝篇)云:『列姑射山,有神人,不偎不爱,仙圣为之臣。』义正与此合。袁宏汉纪云:『浮屠,佛也;天竺国有佛道,其教以修善慈心为主,不杀生。』亦此义也,玉篇云:『偎,爱也。』本此。又云:『北海之隈,有国曰偎人。』以『偎人』为国名,义与此异。”珂案:宋本、吴宽抄本正作偎人爱人。   西海之内,流沙之中,有国名曰壑市1。   1 郭璞云:“音郝。”珂案:水经注禹贡山水泽地所在云:“流沙在西海郡北,又径浮渚,历壑市之国。”   西海之内,流沙之西,有国名曰泛叶1。   1 郭璞云:“音如泛滥之泛。”珂案:水经注无此国,疑脱。   流沙之西,有鸟山者1,三水出焉2。爰有黄金、璇瑰、丹货、银铁,皆流于此中3。又有淮山,好水出焉。   1 珂案:水经注云:“流沙历壑市之国,又径于鸟山之东。”   2 郭璞云:“三水同出一山也。”   3 郭璞云:“言其中有杂珍奇货也。”郝懿行云:“流于此中,藏经本作皆出此水四字。穆天子传(卷一)云:『天子之(古宝字——珂):玉果、璇珠、烛银、黄金之膏。』即此类。”   流沙之东,黑水之西,有朝云之国1、司彘之国。黄帝妻雷祖,生昌意2,昌意降处若水3,生韩流4。韩流擢首、谨耳5、人面、豕喙、麟身、渠股6、豚止7,取淖子曰阿女,生帝颛顼8。   1 珂案:水经注云:“流沙又径于鸟山之东,朝云之国。”   2 郭璞云:“世本云:『黄帝娶于西陵氏之子,谓之累祖,产青阳及昌意。”郝懿行云:“雷,姓也;祖,名也。西陵氏姓方雷,故晋语云:『青阳,方雷氏之甥也。』雷通作累。郭引世本作累祖,大戴礼帝系篇作嫘祖,史记五帝纪同,汉书古今人表作絫祖:并通。”珂案:路史后纪五云:“黄帝元妃西陵氏曰儽祖,以其始蚕,故又祀先蚕。”王瓘轩辕本纪云:“帝周游行时,元妃嫘祖死于道,帝祭之以为祖神。”是关于雷祖之神话也。   3 珂案:史记五帝本纪“昌意降居若水”索隐云:“降,下也,言帝子为诸侯。若水在蜀,即所封国也。”此神话之历史解释也。其本义当为自天下降,谪居若水。   4 郭璞云:“竹书云:『昌意降居若水,产帝干荒。』干荒即韩流也,生帝颛顼。”毕沅云:“韩、干声相近,流即流(去水)字,字之误也。”   5 郭璞云:“擢首,长咽;谨耳,未闻。”郝懿行云:“说文(九)云:『颛,头颛颛谨貌;顼,头顼顼谨貌。』即谨耳之义。然则颛顼命名,岂以头似其父故与?说文(十二)又云:『擢,引也。』方言云:『擢,拔也。』拔引之则长,故郭训擢为长矣。”   6 郭璞云:“渠,车辋,言跰脚也。大传曰:『大如车渠。』”郝懿行云:“跰当为胼,依字当为骿,见说文(四)。尚书大传云:『取大贝大如大车之渠。』郑康成注云:『渠,车罔也。』是郭注所本。”   7 郭璞云:“止,足。”珂案:止,甲骨文作●,金文作●,象足迹之形,即足之本字也。   8 郭璞云:“世本云:『颛顼母浊山氏之子,名昌仆。』”郝懿行云:“大戴礼帝系篇云:『昌意娶于蜀山氏之子,谓之昌仆氏,产颛顼。』郭引世本作浊山氏,蜀,古字通浊,又通淖,是淖子即蜀山子也。曰阿女者,初学记九卷引帝王世纪云:『颛顼母曰景仆,蜀山氏女,谓之女枢。』是也。”   流沙之东,黑水之闲,有山名不死之山1。   1 郭璞注:“即员丘也。”珂案:水经注禹贡山水泽地所在云:“流沙又历员丘不死之山西。”本此为说也。员丘山上有不死树,食之乃寿,见海外南经“不死民”节郭注。   华山青水之东,有山名曰肇山,有人名曰柏高1,柏高上下于此,至于天2。   1 郭璞云:“柏子高,仙者也。”郝懿行云:“据郭注,经文当为柏子高,藏经本正如是,今本脱子字也。庄子天地篇云:『尧治天下,伯成子高立为诸侯,禹时伯成子高辞为诸侯而耕。』史记封禅书说神僊之属有羡门子高,未审即一人否?又郭注穆天子传(卷一)云:『古伯字多从木。』然则柏高即伯高矣。伯高者,管子地数篇有黄帝问于伯高云云,盖黄帝之臣也。帝乘龙鼎湖而伯高从焉,故高亦仙者也。”珂案:经文柏高,宋本作?高;王念孙校亦增子字。   2 郭璞云:“言翱翔云天,往来此山也。”珂案:郭说非是。“柏高上下于此,至于天”者,言柏高循此山而登天也,此山盖山中之天梯也,说详下文“九丘建木”节注。   西南黑水之闲,有都广之野1,后稷葬焉2。爰有膏菽、膏稻、膏黍、膏稷3,百谷自生4,冬夏播琴5。鸾鸟自歌,凤鸟自,灵寿实华6,草木所聚7。爰有百兽,相群爰处8。此草也9,冬夏不死。   1 王念孙云:“(后汉书)张衡传注作广都,御览百谷一(卷八三七)作都广,木部八(卷九五九)作广都,类聚地部(卷六)作都广,百谷部(卷八十五)作广都,鸟部上(卷九十)同。”珂案:据此,则古有二本,或作都广,或作广都,其实一也。杨慎山海经补注云:“黑水广都,今之成都也。”衡以地望,庶几近之。华阳国志蜀志云:“广都县,郡西三十里,元朔二年置。”曹学佺蜀中名胜记谓在今成都附近双流县境。   2 郭璞云:“其城方三百里,盖天下之中,素女所出也。离骚曰:『绝都广野而直指号。』”郝懿行云:“楚词九叹云:『绝都广以直指兮。』郭引此句,于都广下衍野字,又作直指号,号即兮字之讹也。王逸注引此经有『其城方三百里,盖天地之中』十一字,是知古本在经文,今脱去之,而误入郭注也。因知『素女所出也』五字王逸注虽未引,亦必为经文无疑矣。素女者,徐锴说文系传云;『黄帝使素女鼓五十弦琴,黄帝悲,乃分之为二十五弦。』今案黄帝史记封禅书作太帝,风俗通亦云:『黄帝书:泰帝使素女鼓瑟而悲,帝禁不止』云云,然则素女盖古之神女,出此野中也。又郭注天下之中当为天地之中。”珂案:杨慎云:“素女在青城天谷,今名玉女洞。”亦可存以俟考。   3 郭璞云:“言味好皆滑如膏。外传曰:『膏粢之子,菽豆粢粟也。』”郝懿行云:“赵岐注孟子云:『膏梁,细粟如膏者也。』郭注味好,藏经本作好米。又引外传膏粢之子,晋语作膏粱之性,与此异文,所未详。”珂案:郭注膏粢之子,王念孙校改粢作粱。   4 珂案:博物志异草木云:“海上有草名?,其实食之如大麦,七月稔熟,名曰自然谷,或曰禹余粮。”即此之类也。经文百谷,齐民要术十引作百●。   5 郭璞云:“播琴犹播殖,方俗言耳。”毕沅云:“播琴,播种也。水经注(汝水)云:『楚人谓冢为琴。』冢、种声相近也。”郝懿行云:“毕说是也。刘昭注郡国志『鲖阳』引皇览曰:『县有葛陂乡,城东北有楚武王冢,民谓之楚武王岑。』然则楚人盖谓冢为岑,岑、琴声近,疑初本谓之岑,形声讹转为琴耳。”   6 郭璞云:“灵寿,木名也,似竹,有枝节。”郝懿行云:“尔雅(释木)云:『椐,樻。』即灵寿也。汉书孔光传云:『赐太师灵寿杖。』颜师古注云:『木似竹有枝节,长不过八九尺,围三四寸,自然有合杖制,不须削治也。』”吴承志云:“吕氏春秋本味篇:『菜之美者,寿木之华。』高诱注:『寿木,昆仑山木也;华,实也,食其实者不死,故曰寿木。』寿木盖即灵寿,都广之野在黑水间,于昆仑山相近也。”珂案:吴说得之。   7 郭璞云:“在此丛殖也。”   8 郭璞云:“于此群聚。”   9 郝懿行云:“此草犹言此地之草,古文省耳。”   珂案:有关后稷葬所神话,已见海内西经“后稷之葬”节注。   南海之外1,黑水青水之闲2,有木名曰若木3,若水出焉4。   1 珂案:宋本、吴宽抄本、藏经本、毛扆校本均作内,作内是也。   2 珂案:水经注若水引此经无青水二字。   3 郭璞云:“树赤华青。”珂案:若木已见大荒北经,云“赤树,青叶赤华”。此注华盖叶字之讹,藏经本正作叶。   4 珂案:水经注若水云:“若木之生,非一所也,黑水之闲,厥木所植,水出其下,故水受其称焉。”又云:“若水出蜀郡旄牛徼外,西南至故关,为若水也。”   有禺中之国。有列襄之国。有灵山1,有赤蛇在木上,名曰蝡蛇,木食2。   1 珂案:灵山已见大荒西经,为“十巫从此升降”之所,此灵山揆其地望当亦是也。   2 郭璞云:“言不食禽兽也;音如耎弱之耎。”   有盐长1之国。有人焉鸟首,名曰鸟氏2。   1 郝懿行云:“太平御览七百九十七卷引作监长,有上有西海中三字。藏经本亦作监长。北堂书钞一百五十七卷引与今本同。”   2 郭璞云:“今佛书中有此人,即鸟夷也。”王念孙云:“书钞地部二(应是地部一,即卷一五七——珂)两引鸟民,下有四蛇相缭四字。”郝懿行云:“鸟氏,御览(卷七九七)引作鸟民,今本氏字讹也。鸟夷者,史记夏本纪及(汉书)地理志并云:『鸟夷皮服。』大戴礼五帝德篇云:『东有鸟夷。』是也。又秦本纪云:『大费生子二人,一曰大廉,实鸟俗氏。』索隐云:『以仲衍鸟身人言,故为鸟俗氏。』亦斯类也。”   有九丘,以水络之1:名曰陶唐之丘2、有叔得之丘3、孟盈之丘4、昆吾之丘5、黑白之丘、赤望之丘、参卫之丘、武夫之丘6、神民之丘7。有木,青叶紫茎,玄华黄实,名曰建木8,百仞无枝,有九欘9,下有九枸10,其实如麻11,其叶如芒12,大爰过13,黄帝所为14。   1 郭璞云:“络犹绕也。”郝懿行云:“文选游天台山赋及景福殿赋注引此注并云:络,绕也。”   2 郭璞云:“陶唐,尧号。”   3 珂案:有叔得之丘,有字疑衍。   4 郝懿行云:“叔得孟盈盖皆人名号也。孟盈或作盖盈,古天子号(见路史前纪三——珂)。”   5 郭璞云:“此山出名金也。尸子曰:『昆吾之金。』”郝懿行云:“昆吾之山已见中次二经。此经昆吾,古诸侯号也。大戴礼帝系篇云:『陆终产六子,其一曰樊,是为昆吾。』淮南坠形训云:『昆吾丘在南方。』”   6 郭璞云:“此山出美石。”珂案:南次二经云:“会稽之山,其下多砆石。”郭注云:“砆,武夫石,似玉。”是也。   7 郭璞云:“言上有神人。”郝懿行云:“文选游天台山赋注引此经作神人之丘,书钞仍作神民,以郭注推之,似民当为人。”   8 珂案:建木已见海内南经。揆此经文意,建木乃生于上文所说“九丘”之上,下文“(上)有九欘,下有九枸”,义即与“九丘”相应。吴任臣广注引游氏臆见云:“建木在西若水滨,盐长之国,九邱之上。”是也。   9 郭璞云:“枝回曲也;音如斤斸之斸。”郝懿行云:“玉篇云:『欘,枝上曲。』本此。藏本经文枝下有上字,今本脱也。”珂案:郝说是也;御览卷九六一引此经正作上有九欘,应据补。   10郭璞云:“根盘错也。淮南子(说林篇)曰:『木大则根欋。』音劬。”   11郭璞云:“似麻子也。”   12郭璞云:“芒木似棠梨也。”珂案:中次二经云:“葌山有木焉,其状如棠而赤叶,名曰芒草。”   郭注盖本此为说。   13郭璞云:“言庖羲于此经过也。”郝懿行云:“庖羲生于成纪,去此不远,容得经过之。”珂案:郭郝之说俱非也。过非经过之过,乃“上下于此,至于天”(见前“柏高”节)之意也。淮南子坠形篇云:“建木在都广,众帝所自上下。”高诱注:“众帝之从都广山上天还下,故曰上下。”云“上天还下,故曰上下”,得“上下”之意矣,然云“从都广山”,则尚未达于一间也。揆此文意,“众帝所自上下”云者,实自建木“上下”,非自都广“上下”,此“建木,……大皞爰过”之谓也。古人质朴,设想神人、仙人、巫师登天,亦必循阶而登,则有所谓“天梯”者存焉,非如后世之设想,可以“翱翔云天”(“柏高”节郭璞注语)任意也。自然物中可藉凭以为天梯者有二:一曰山,二曰树。山之天梯,首曰昆仑。淮南子坠形篇曰:“昆仑之丘,或上倍之,是谓凉风之山,登之而不死;或上倍之,是谓悬圃,登之乃灵,能使风雨;或上倍之,乃维上天,登之乃神,是谓太帝之居。”高诱注:“太帝,天帝。”是缘昆仑以登天也。次即前文所记华山青水之东之肇山,“柏高上下于此,至于天”:其以山为天梯而梯天之状本甚明白,而郭注以“翱翔云天,往来此山”,则是臆说无根也。且“上下”亦绝不同于“翱翔云天”式之“往来”,郭注之非,不待深辩。再次即海外西经所记巫咸国境之登葆山,云“群巫所从上下也”。“群巫所从上下”者,亦“上下于天”之意,非如郭注所谓“采药往来”也。从来巫师之主业,皆在于下宣神旨,上达民情,而不在于“采药”。诸巫或亦采药疗死者,特其业余耳。再次即大荒西经所记“十巫从此升降,百药爰在”之灵山,疑亦登葆山之异名也。郭璞注云:“群巫上下此山,采药往来也。”以“上下”释“升降”,固得其意矣,而复云“采药往来”,仍未免失之。“十巫从此升降”者,亦谓十巫循此以登天,为人神之介也。以此山“百药爰在”,故或亦便道“采药往来”,然固非以次要之医职替巫职也。山之天梯大约可以考见者在于是矣。黄梅戏“天仙配”“槐荫别”一出,织女谓董永曰:“董郎,你看这两块顽石,一块高来一块低,好似为妻上天梯。”犹存以山为天梯之古谊。至于树之天梯,则古籍中可考者唯此建木。他如山海经所记三桑(北次二经、海外北经)、寻木(海外北经),淮南子坠形篇所记之若木,十洲记所记之扶桑,虽皆长数百丈、数千丈乃至千里之大树,然未闻可以缘之以登天也。唯此建木,乃云“大爰过”。“过”者非普通于树下“经过”之“过”,如仅系普通于树下经过,亦不值如此大书特书。此“过”者,实“众帝所自上下”之“上下”:此“为百王先”(汉书、帝王世纪)之大皞庖羲,亦首缘此建木以登天也。于是乃有记叙书写之价值。树之天梯,古籍虽仅载建木,然后世民间则续有所传:盛森编花的故事凌霄花云,七仙姑撒下凌霄花种子,顷刻长成天梯,自天送董永之子还家;中国民间故事选春旺和九仙姑云,九仙姑下凡经年,忽于天井种葫芦,遂踏葫芦叶升天为寿于其父:均树之天梯之遗意也。汉唐地理书钞辑唐李泰括地志云:“佛上忉利天,为母说法九十日。佛上天青梯,今变为石,没入地,唯余十二磴,磴间二尺余。彼耆老云,梯入地尽,佛法灭。”赫胥黎进化论与伦理学(一九七一年科学出版社出版)页三二云:“有这样一个有趣的故事,名叫『杰克和豆杆』。这是一个关于一颗豆子的传说,它一个劲儿地长,耸入云霄,直达天堂。故事的主人公,顺着豆杆爬了上去,发现宽阔茂密的叶子支?着另一个世界,它是由同下界一样的成份组成的,然而却是那样新奇。”是外国民间亦有以山或树为天梯之说矣。   14郭璞云:“言治护之也。”珂案:郭此注亦似是而实非也。中次十一经云:“丰山有羊桃,可以为皮张。”郭注云:“治皮肿起。”彼“为”固可以训治,然此亦训治(护),则于义殊未谐也。试思统治宇宙、日理万机之黄帝,何暇兢兢于“治护”一树乎?此“为”者,当是“施为”之“为”,言此天梯建木,为宇宙最高统治者之黄帝所造作、施为者也。正如七仙姑撒下一粒仙种、顷刻长成天梯然,黄帝之“为”建木亦应如是也。古代学者于神话缺乏理解,恒以哲理玄谈或人事现象释之,宜每扞格而难通也。   有窫窳,龙首,是食人1。有青兽,人面2,名曰猩猩3。   1 郭璞云:“在弱水中。”珂案:窫窳居弱水中已见海内南经。   2 郝懿行云:“郭注海内南经云:『狌狌状如黄狗。』此经云『青兽,人面』,与郭异。太平御览九百八卷引此经无青兽二字,盖脱。艺文类聚九十五卷引作『有兽』,无青字,当是今本青字衍也。”珂案:王念孙校同郝注,青字实衍。   3 郭璞云:“能言。”珂案:礼记曲礼:“猩猩能言,不离禽兽。”此郭注所本。吕氏春秋本味篇云:“肉之美者,猩猩之唇。”高诱注云:“猩猩,兽名也,人面狗躯而长尾。”狌狌知人名,已见海内南经。   西南有巴国1。大2生咸鸟,咸鸟生乘厘,乘厘生后照3,后照是始为巴人4。   1 郭璞云:“今三巴是。”   2 珂案:大,吴任臣、郝懿行注以为即伏羲,是也。然大(太皞、太昊)与伏羲在先秦古籍中,本各不相谋,至秦末汉初人撰世本,始以太昊与伏羲连文,而为太昊伏羲氏。故吕氏春秋孟春纪云:“其帝太皞。”高诱注云“太皞,伏羲氏。”或即本于世本之说也。此经无伏羲而唯有大,若非大皞、伏羲各不相谋,即作者直以大为伏羲矣。从其发展观之,后者之可能性尤大。考“伏羲”一名,古无定书,伏羲、宓牺、庖牺、伏戏、包牺、包羲、伏牺、炮牺、虙戏……均是也。伏羲神话今存者已尟,太平御览卷七八引诗含神雾云:“大迹出雷泽,华胥履之,生宓羲。”而列子黄帝篇记华胥氏之国,略云:“华胥氏之国,其民入水不溺,入火不热,斫挞无伤痛,指擿无痟痒,乘空如履实,寝虚若处林,云雾不其视,雷不乱其听,美恶不滑其心,山谷不踬其步。”说者谓即伏羲母华胥所居之国(王瓘轩辕本纪注),以书阙有间,不可知已。   3 珂案:御览卷一六八引此经照作昭。   4 郭璞云:“为之始祖。”珂案:世本氏姓篇(秦嘉谟辑补本)云:“廪君之先,故出巫诞。巴郡南郡蛮,本有五姓,巴氏、樊氏、曋氏、相氏,郑氏,皆出于五落钟离山。其山有赤、黑二穴,巴氏之子生于赤穴,四姓之子皆生黑穴,未有君长,俱事鬼神。廪君名曰务相,姓巴氏,与樊氏、曋氏、相氏、郑氏凡五姓,俱出皆争神。乃共掷剑于石,约能中者,奉以为君。巴氏子务相,乃独中之,众皆叹。又令各乘土船,雕文画之,而浮水中,约能浮者,当以为君。余姓悉沉,惟务相独浮,因共立之,是为廪君。乃乘土船从夷水至盐阳,盐水有神女,谓廪君曰:『此地广大,鱼盐所出,愿留共居。』廪居不许。盐神暮辄来取宿,旦即化为飞虫,与诸虫群飞,掩蔽日光,天地冥晦,积十余日。廪君不知东西所向,七日七夜。使人操青缕以遗盐神,曰:『缨此即相宜,云与女俱生,宜将去。』盐神受而缨之。廪君即立阳石上,应青缕而射之,中盐神,盐神死,天乃大开。廪君于是君乎夷城,四姓皆臣之,世尚秦女。”路史作者罗泌及世本辑者之一雷学淇均以为廪君姓巴氏,即太皞伏羲氏之后也,姑存以俟考焉。   有国名曰流黄辛氏1,其域中方三百里,其出是尘土2。有巴遂山,渑水出焉3。   1 郭璞云:“即酆氏也。”珂案:流黄酆氏之国已见海内南经。又南次二经云:“柜山,西临流黄。”亦此也。   2 郭璞云:“言殷盛也。”杨慎云:“出是尘土,言其地清旷无嚣埃也。”郝懿行云:“言尘坌出是国中,谓人物喧阗也。藏经本域字作城,出字上下无其是二字。”珂案:诸说意或正或反,然皆以出产尘土或超出尘土之“尘土”为言,俱非上古种落所有景象也。独清蒋知让于孙星衍校本眉批云:“尘土当是麈、麀等字之讹。”为巨眼卓识,一语中的。今按此经“尘土”确系麈字误析为二也。麈字形体本长,如书之竹简,其长当又特甚;钞者不慎,误析为“尘土”二字,乃极有可能。“其出是麈”者,言此国之出产唯麈也。藏经本无其是二字,“出麈”则义更晓明。山海经大荒南经:“黑水之南,有玄蛇食麈。”大荒北经:“大人国有大青蛇,黄头,食麈。”白氏六帖、艺文类聚、太平御览等引之,均以麈为麈而误入尘部,益知此经“尘土”为“麈”之误析,盖无可疑焉。   3 郝懿行云:“水经若水注云:『绳水出徼外。』引此经亦作绳水。(汉书)地理志云:『蜀郡旄牛,若水出徼外,南至大莋入绳。』即斯水也。”   又有朱卷之国。有黑蛇,青首,食象1。   1 郭璞云:“即巴蛇也。”珂案:巴蛇食象,已见海内南经。   南方有赣巨人1,人面长臂2,黑身有毛,反踵,见人笑亦笑3,唇蔽其面,因即逃也4。   1 郭璞云:“即枭阳也;音感。”珂案:枭阳国已见海内南经。   2 珂案:海内南经作长唇,是也;长臂当是长唇之讹。   3 珂案:当依古本作“见人则笑”,见海内南经“枭阳国”节注。   4 珂案:藏经本“即”作“可”,于义为长。   又有黑人,虎首鸟足,两手持蛇,方啖之。有嬴民,鸟足1。有封豕2。   1 郭璞云:“音盈。”   2 郭璞云:“大猪也,羿射杀之。”珂案:吴其昌卜辞所见殷先公先王三续考略云:“『封豕』疑即『王亥』之字误。第一,凡古书中遇『封豕』『封豨』字,下必记羿杀之文,独此文下绝无『羿』字,或羿射封豕之记载。第二,『封豕』与『王亥』字形极相近。”又云:“大荒东经云:『有困民国,勾姓而食。有人曰王亥,……名曰摇民。』而海内经云:『有嬴民,鸟足。有封豕。』『困民』之『困』,乃『因』字之误,『因民』、『摇民』、『嬴民』,一声之转也。”如吴所说,则此经之嬴民,即大荒东经之因民(困民)、摇民,此经之“封豕”,即大荒东经之王亥,“有嬴民,鸟足;有封豕”者,盖亦王亥故事之节述也。前节所记“又有黑人,虎首鸟足,两手持蛇方啖之”者,或亦与王亥故事有关。大荒东经云:“有易潜出,为国于兽,方食之,名曰摇民。”摇民其虎首鸟足之黑人乎?   有人曰苗民1。有神焉,人首蛇身,长如辕2,左右有首3,衣紫衣,冠旃冠,名曰延维4,人主得而飨食之,伯天下5。   1 郭璞云:“三苗民也。”   2 郭璞云:“大如车毂;泽神也。”   3 郭璞云:“岐头。”   4 郭璞云:“委蛇。”   5 郭璞云:“齐桓公出田于大泽,见之,遂霸诸侯。亦见庄周,作朱冠。”珂案:庄子达生篇云:“桓公田于泽,管仲御,见鬼焉。公抚管仲之手曰:『仲父何见?』对曰:『臣无所见。』公反,诶诒为病,数日不出。齐有皇子告敖者,曰:『公则自伤,鬼恶能伤公?』桓公曰:『然则有鬼乎?』曰:『有。山有夔,野有彷徨,泽有委蛇。』公曰:『请问委蛇之状何如?』皇子曰:『委蛇其大如毂,其长如辕,紫衣而朱冠,其为物也,恶闻雷车之声,见则捧其首而立,见之者殆乎霸。』桓公辴然而笑曰:『此寡人之所见者也。』于是正衣冠与之坐,不终日而不知病之去也。”是郭注之所本也。闻一多伏羲考谓延维、委蛇,即汉画象中交尾之伏羲、女娲,乃南方苗族之祖神,疑当是也。   有鸾鸟自歌,凤鸟自舞。凤鸟首文曰德,翼文曰顺,膺文曰仁,背文曰义,见则天下和1。   1 郭璞云:“言和平也。”珂案:南次三经云;“丹穴之山,有鸟焉,其状如鸡,五采而文,名曰凤皇。首文曰德,翼文曰义,背文曰礼,膺文曰仁,腹文曰信。是鸟也,饮食自然,自歌自舞,见则天下安宁。”与此略异。然此经作“翼文曰顺,背文曰义”则是也,王念孙校引有多证,此不具。说文四云:“凤出于东方君子之国,翱翔四海之外,过昆仑,饮砥柱,濯羽弱水,莫宿风穴,见则天下安宁。”风穴盖丹穴之讹也。韩诗外传卷八云:“黄帝即位,宇内和平,未见凤凰,惟思其象。乃召天老而问之,天老对曰:『夫凤象,鸿前麟后,蛇颈而鱼尾,龙文而龟身,燕颔而鸡喙,载德负仁,抱忠挟义,小音金,大音鼓,延颈奋翼,五彩备明。天下有道,得凤象之一,则凤过之;得凤象之二,则凤翔之;得凤象之三,则凤集之;得凤象之四,则凤春秋下之;得凤象之五,则凤没身居之。』黄帝曰:『于戏,允哉,朕何敢与焉!』于是黄帝乃服黄衣,戴黄冕,致斋于宫,凤乃蔽日而至,止帝东囿,集帝梧桐,食帝竹实,没身不去。”凤之灵异备于此矣。论语子罕云:“子曰:『凤鸟不至,河不出图,吾已矣夫!』”孔子犹兴不至之叹,则其传说之古可知已。   又有青兽如菟,名曰(上山下囷)狗1。有翠鸟2。有孔鸟3。   1 郭璞云:“音如朝菌之菌。”而郝懿行云:“(上山下囷)盖古菌字,其上从?,即古文艹字也。如芬熏之字,今皆从草,古从?,作(上山下分)(上山下熏)字,是其例也。(上山下囷)狗者,周书王会篇载伊尹四方令云:『正南以菌鹤短狗为献。』疑即此物也。”   2 珂案:周书王会篇云:“仓吾翡翠。”楚词招魂“翡翠珠被”王逸注云:“雄曰翡,雌曰翠。”洪兴祖补注引异物志云:“翠鸟形如燕。赤而雄曰翡,青而雌曰翠,翡大于翠。其羽可以饰帏帐。”   3 郭璞云:“孔雀也。”珂案:周书王会篇云:“方人以孔鸟。”尔雅翼卷十三云:“孔雀生南海,尾凡七年而后成,长六七尺,展开如车轮,金翠斐然。始春而生,至三四月后雕,与花萼同荣衰。”   南海之内有衡山1。有菌山2。有桂山3。有山名三天子之都4。   1 郭璞云:“南岳。”郝懿行云:“郭注中次十一经衡山云:『今衡山在衡阳湘南县,南岳也,俗谓之岣嵝山。』宜移注于此。衡阳郡湘南见晋书地理志。”   2 郭璞云:“音芝菌之菌。”郝懿行云:“菌即芝菌之字,何须用音?知郭本经文不作菌,疑亦当为(上山下囷)字,见上文。”   3 郭璞云:“或云衡山有菌桂,桂员似竹,见本草。”珂案:文选蜀都赋刘逵注引神农本草经云:“菌桂出交趾,圆如竹,为众药通使。”   4 郭璞云:“一本三天子之鄣山。”郝懿行云:“注一本下当脱作字,或云字。三天子鄣山已见海内南经。藏经本经文直作三天子之鄣山,无郭注。”   南方苍梧之丘,苍梧之渊,其中有九嶷山1,舜之所葬,在长沙零陵界中2。   1 郭璞云:“音疑。”   2 郭璞云:“山今在零陵营道县南,其山九溪皆相似,故云『九疑』;古者总名其地为苍梧也。”郝懿行云:“苍梧之山,帝舜葬于阳,已见海内南经。说文(九)云:『九嶷山,舜所葬,在零陵营道。』楚词(离骚)史记(五帝本纪)并作九疑,初学记八卷及文选上林赋注引此经亦作九疑,琴赋注又作九嶷,盖古字通也。罗含湘中记云:『衡山九疑皆有舜庙。』又云:『衡山遥望如阵云,沿湘千里,九向九背,乃不复见。』”   珂案:舜亦古神话中之神性英雄,如羿禹然。其一生之功业,厥为驯服野象。然舜服野象神话之最古面目已湮昧难晓矣,可考者惟舜与其弟象斗争之神话,楚辞天问云:“舜服厥弟,终然为害,何肆犬豕而厥身不危败?”是此一神话之大概也。其详则见于楚辞天问洪兴祖补注引古本列女传,云:“瞽叟与象谋杀舜,使涂廪。舜告二女。二女曰:『时唯其戕女,时唯其焚汝,鹊如汝裳,衣鸟工往。』舜既治廪,戕旋阶,瞽叟焚廪,舜往飞。复使浚井,舜告二女。二女曰:『时亦唯其戕汝,时其掩汝,汝去裳,衣龙工往。』舜往浚井,格其入出,从掩,舜潜出。”今本列女传已经修改,无鸟工龙裳之事,唯云:“瞽叟又速舜饮酒,醉,将杀之。舜告二女,二女乃与舜药浴汪,遂往,舜终日饮酒不醉。舜之女弟系怜之,与二嫂谐。”舜之女弟系,即世本“敤手作画”之敤手,俗书连写,误合敤手二字为击,再误遂成为系也(清王照圆说)。是象所以谋杀舜之三事:涂廪、浚井、饮酒,均得尧二女之谋而解免,二女亦神其术矣。中次十二经云:“洞庭之山,帝之二女居之。”最古之神话,二女盖天女也,虞人之舜(虞舜)得天女之助而使凶悍狡谲之野象驯服。逮古说沉湮,始有舜服弟象之说。然何以知舜之弟象必野象乎?曰:从象之封地、葬所、神祠以见之也。史记五帝本纪正义引帝王世纪云:“舜弟象封于有鼻。”集解引王隐晋书云:“大泉陵县北部东五里有鼻墟,象所封也。”此封地之以“鼻”为名者也。路史发挥五辩帝舜冢注云:“幽明录云:始兴有鼻天子冢、鼻天子城,昔人不明为何人,乃象冢也。”此葬地之以“鼻”为名者也。史记五帝本纪引括地志云:“鼻亭神在道县北六十里。故老传云:舜葬九疑,象来至此,后人立祠,名鼻亭神。”此神祠之以“鼻”为名者也。而鼻者,乃动物象之最特征,民间传说中既名象之封地、葬所、神祠以“鼻”,则此“鼻”者岂非最古神话中野生长鼻大耳象之鼻之残留乎?刘赓稽瑞引墨子佚文云:“舜葬苍梧之野,象为之耕。”舜服野象,益信而有征矣。   北海之内,有蛇山者1,蛇水出焉,东入于海。有五采之鸟,飞蔽一乡2,名曰翳鸟3。又有不距之山,巧倕葬其西4。   1 郝懿行云:“海内北经之首有蛇巫山,疑非此。”珂案:蛇巫山本应在海内西经,自非此北海内之蛇山也。   2 郭璞云:“汉宣帝元康元年,五色鸟以万数,过蜀都,即此鸟也。”珂案:文选思玄赋注引经作飞蔽日。郭注蜀都,明藏本作属县,元康元年何焯校三年,蜀都校属县,云:“三辅诸县也。”黄丕烈、周叔弢校同。太平御览卷五十引此注蜀都正作属县,元年仍旧。   3 郭璞云:“凤属也;离骚曰:『驷玉芑而乘翳。』”郝懿行云:“广雅云:『翳鸟,鸾鸟,凤皇属也。』今离骚翳作鹥,王逸注云:『凤皇别名也。』史记司马相如传张揖注及文选(思玄赋)注、后汉书张衡传注引此经并作鹥鸟,上林赋注仍引作翳鸟。”   4 郭璞云:“倕,尧巧工也;音瑞。”珂案:下文云:“帝俊生三身,三身生义均,义均始是为巧倕,是始作下民百巧。”则此巧倕即义均也。郭云“尧巧工”者,淮南子本经篇云:“周鼎着倕,使衔其指,以明大巧之不可为也。”高诱注云:“倕,尧之巧工也。”盖本于此。然世本作篇(張澍?集補注本)宋衷注則又或以為“黃帝工人”,或以為“神農之臣”,均莫知所據。实则据书舜典:“帝(舜)曰:『俞!咨垂(倕),女共工。』”倕乃舜臣,且即舜子商均也;见下文“帝俊生三身”节注。   北海之内,有反缚盗械1、带戈常倍之佐,名曰相顾之尸2。   1 吴任臣云:“汉纪云:『当盗械者皆颂系。』注云:『凡以罪着械皆得称盗械。』”   2 郭璞云:“亦贰负臣危之类。”珂案:刘秀上山海经表亦称贰负之臣“反缚盗械”,已见海内西经“危与贰负杀窫窳”节注。   伯夷父生西岳,西岳生先龙,先龙是始生氐羌,氐羌乞姓1。   1 郭璞云:“伯夷父颛顼师,今氐羌其苗裔也。”郝懿行云:“周书王会篇云:『氐羌鸾鸟。』孔晁注云:『氐地之羌,不同,故谓之氐羌。』郭云『伯夷父颛顼师』者,汉书古今人表云:『柏夷亮父颛顼师。』新序杂事五云:『颛顼学伯夷父。』是郭所本也。”   北海之内,有山,名曰幽都之山1,黑水出焉。其上有玄鸟、玄蛇2、玄豹3、玄虎4、玄狐蓬尾5。有大玄之山。有玄丘之民6。有大幽之国7。有赤胫之民8。   1 王念孙云:“类聚祥瑞下(卷九九)作武都,文选注七之二十九(子虚赋——珂)作幽都,尔雅释兽郭注同,白帖十七作武都。”珂案:楚辞招魂云:“君无下此幽都些。”王逸注云:“幽都,地下后土所治也;地下幽冥,故称幽都。”此幽都之山,有玄鸟、玄蛇、玄豹、玄虎、玄狐蓬尾,又有大玄之山、玄丘之民、大幽之国等,景象颇类招魂所写幽都,疑即幽都神话之古传也。招魂复写幽都之门者土伯之状云:“土伯九约,其角觺觺些;敦?血拇,逐人駓駓些;参目虎首,其身若牛些。”王逸注:“土伯,后土之侯伯也。”此幽都之黯惨恐怖又倍于幽都之山也。   2 珂案:大荒南经云:“黑水之南,有玄蛇食麈。”   3 珂案:中次十一经云:“即谷之山,多玄豹。”   4 郭璞云:“黑虎名虪,见尔雅(释兽)。”   5 郭璞云:“蓬,丛也;阻留反。说苑曰:『蓬狐文豹之皮。』”郝懿行云:“小雅何草不黄篇云:『有芄者狐。』言狐尾蓬蓬然大,依字当为蓬,诗假借作芃耳。郭云阻留反,于文上无所承,疑有阙脱。太平御览九百九卷引此注作『蓬蓬其尾也』,无『阻留反』三字,非。牟廷相曰:『丛字可读如菆。』则阻留当是丛字之音也。”   6 郭璞云:“言丘上人物尽黑也。”   7 郭璞云:“即幽民也,穴居无衣。”郝懿行云:“郭注疑本在经中,今脱去。”   8 郭璞云:“?已下正赤色。”   有钉灵之国,其民从?已下有毛,马善走1。   1 郭璞云:“诗含神雾曰:『马自鞭其,日行三百里。』”珂案:三国志魏志乌丸鲜卑东夷传裴松之注引魏略云:“乌孙长老言,北丁令有马胫国,其人音声似鴈鹜,从膝以上身头人也,膝已下生毛,马胫马蹄,不骑马,而走疾马。”即此钉灵之国也。   炎帝之孙伯陵1,伯陵同吴权之妻阿女缘妇2,缘妇孕三年3,是生鼓、延、殳4。始为侯5,鼓、延是始为钟6,为乐风7。   1 珂案:国语周语云:“大姜之侄,伯陵之后,逢公之所凭神。”左传昭公二十年云:“有逢伯陵因之。”即此伯陵。然韦昭杜预均注云“殷之诸侯”,则与此经所谓“炎帝之孙”不合,或正以见神话与历史之殊途也。   2 郭璞云:“同犹通,言淫之也。吴权,人姓名。”   3 郭璞云:“孕,怀身也。”   4 郭璞云:“三子名也;殳音殊。”   5 珂案:经文始为侯上疑脱殳字。侯,射侯也。   6 郭璞云:“世本云:『毋句作罄,倕作钟。』”郝懿行云:“初学记十六卷引此经与今本同。说文(九、十四)云:『古者毋句氏作磬,垂作钟。』与郭引世本同。又初学记引世本毋作无,盖古字通用。又引乐录云:『无句,尧臣也。』”珂案:缘妇所生三子形貌未有所闻,唯路史后纪四云:“鼓兑头而(鼻丘)?。”独记鼓貌,当非臆说,或有所本。   7 郭璞云:“作乐之曲制。”   黄帝生骆明,骆明生白马,白马是为鲧1。   1 郭璞云:“即禹父也。世本曰:『黄帝生昌意,昌意生颛顼,颛顼生鲧。』”郝懿行云:“郭引世本云:『昌意生颛顼,颛顼生鲧』,与大戴礼帝系世次相合,而与前文『昌意生韩流,韩流生颛顼』之言却复相背,郭氏盖失检也。大抵此经非出一人之手,其载古帝王世系,尤不足据,不必强为之说。”珂案:郝说是也。且尤有进者,神话之世系尤不可以历史之世系律之。即如此经“骆明生白马,白马是为鲧”之白马,亦当是生物之白马,而非人姓名也。此与大荒北经记“黄帝生……弄明,弄明生白犬,白犬有牝牡,是为犬戎”,疑亦当是同一神话之分化,彼经之“白犬”即当于此经之“白马”也。犬马既俱生物,则经所记者,自是神话,何可以历史律之乎?以历史释神话,宜恒扞格而难通也。   帝俊生禺号,禺号生淫梁,淫梁生番禺1,是始为舟2。番禺生奚仲,奚仲生吉光,吉光是始以木为车3。   1 郝懿行云:“北堂书钞一百三十七卷引此经淫作经。大荒东经言黄帝生禺(豸虎),即禺号也,禺号生禺京,即淫梁也,禺京、淫梁声相近;然则此经帝俊又当为黄帝矣。”珂案:黄帝即“皇帝”(古籍多互见无别),初本“皇天上帝”之义,而帝俊亦殷人所祀上帝,故黄帝神话,亦得糅混于帝俊神话中,正不必以禺号同于禺(豸虎)便以帝俊即黄帝也。   2 郭璞云:“世本云:『共鼓货狄作舟。』”   3 郭璞云:“世本云:『奚仲作车。』此言吉光,明其父子共创作意,是以互称之。”珂案:说文十四云:“车,夏后时奚仲所造。”管子形势解篇云:“奚仲之为车也,方圜曲直,皆中规矩钩绳,故机旋相得,用之牢利,成器坚固。”元和郡县图志卷九云。“奚公山在(滕)县东南六十六里,奚仲初造车于此。”滕县属今山东省。   少皞生般1,般是始为弓矢2。   1 郭璞云:“音班。”   2 郭璞云:“世本云:『牟夷作矢,挥作弓。』弓矢一器,作者两人,于义有疑,此言般之作是。”郝懿行云:“说文(十)云:『古者夷牟初作矢。』郭引世本作牟夷,疑文有倒转耳。宋衷云:『夷牟,黄帝臣也。』说文(十二)又云:『挥作弓。』与世本同。吴越春秋(勾践阴谋外传)云:『黄帝作弓。』荀子解蔽篇又云:『倕作弓,浮游作矢。』俱与此经异也。”珂案:墨子非儒下云:“古者羿作弓。”吕氏春秋勿躬篇亦云:“夷羿作弓。”盖均传闻不同而异辞也。   帝俊赐羿彤弓素矰1,以扶下国2,羿是始去恤下地之百艰3。   1 郭璞云:“彤弓,朱弓;矰,矢名,以白羽羽之。外传(国语吴语——珂):『白羽之矰,望之如荼』也。”珂案:御览卷八百五引随巢子云:“幽厉之时,天赐玉玦于羿,遂以残其身,以此为福而祸。”当亦帝俊赐羿彤弓素矰神话之异闻也。楚辞天问云:“冯珧利玦。”郝懿行以为亦是帝俊赐羿弓矢之事,其或然与?   2 郭璞云:“言令羿以射道除患,扶助下国。”珂案:楚辞天问云:“帝降夷羿,革孽夏民。”即其事也。   3 郭璞云:“言射杀凿齿、封豕之属也。有穷后羿慕羿射,故号此名也。”珂案:羿射凿齿事已见海外南经“羿与凿齿战”节。羿盖东夷民族之主神,故称夷羿,与传说中之夏代有穷后羿,确是两人。羿“扶下国”,乃帝俊所命。“恤百艰”者,正如郭注所云,是“射杀凿齿、封豕之属”也。然其主要功业,乃在于上射十日。而十日者,帝俊之子也。羿射十日,得罪天帝,故天问纪其事云:“冯珧利决,封豨是射,何献蒸肉之膏而后帝不若?”“不若”云者,天帝有憾于羿之射杀其子也。推想羿必因此降谪凡间,故其后乃有往求不死之药于西王母,嫦娥窃以奔月之事。此羿自非代夏而有天下、任用寒浞、受其愚弄、“将归自由、家众杀而亨(烹)之”之有穷后羿。然羿与后羿故事,先秦典籍即已混殽不清。如羿射封豕,左传昭公二十八年亦有后羿射“实有豕心”之伯封之记叙。而屈原离骚云:“羿淫游以佚田兮、又好射夫封猪(猪原作狐,从闻一多楚辞校补改);固乱流其鲜终兮,浞又贪夫厥家。”天问于羿“射河伯”、“射封豨”二问之后,又云:“浞娶纯狐,眩(玄)妻爰谋,何羿之射革而交吞揆之?”是均混羿之神话于后羿之传说矣。高诱注淮南子(俶真篇、泛论篇)已屡辨之,今郭注亦同高说,知二者实殊不宜混同也。   帝俊生晏龙1,晏龙是为琴瑟2。   1 珂案:帝俊生晏龙,晏龙生司幽,已见大荒东经。   2 郭璞云:“世本云:『伏羲作琴,神农作瑟。』”郝懿行云:“说文(十二)云:『琴,神农所作;瑟,庖牺所作。』此注盖传写之讹也。初学记十六卷引琴操曰:『伏牺作琴。』又引世本、说文、桓谭新论,并云:『神农作琴。』二说不同。据初学记所引说文,是与世本同之证。”珂案:北堂书钞卷一百九引此经是下有始字。御览卷五七七引此经是作始。王念孙校“为琴瑟”上有“务”字,“务为琴瑟”,则是以琴瑟为戏弄之具,非造作之意,似于义为长也。郭璞所见本或即如此,否则其所注释便与正文抵牾。   帝俊有子八人,是始为歌舞1。   1 郝懿行云:“初学记十五卷、艺文类聚四十三卷、太平御览五百七十二卷引此经并云:『帝俊八子,是始为歌。』无舞字。”珂案:路史后纪十一注引朝鲜记(吴任臣说即此经荒经已下五篇)云:“舜有子八人,始歌舞。”是径以帝俊为舜也。   帝俊生三身1,三身生义均2,义均是始为巧倕,是始作下民百巧3。后稷是播百谷4。稷之孙曰叔均,始作牛耕5。大比赤阴6,是始为国7。禹鲧是始布土,均定九州8。   1 珂案:帝俊妻娥皇生三身之国,已见大荒南经。   2 珂案:此义均即大荒南经与舜同葬苍梧之舜子叔均(商均),亦即大荒西经“稷之弟台玺生叔均”之叔均及此经下文稷之孙叔均:均传闻不同而异辞也。说已见大荒南经“苍梧之野”节注。   3 珂案:巧倕葬不距山西,已见上文。此云“义均是始为巧倕”,知义均即巧倕也。郭璞云:“倕,尧巧工也。”然吕氏春秋古乐篇云:“帝喾命有倕作为鼙、鼓、钟、磬、笭(原作吹苓,据许维遹吕氏春秋集释改)、管、埙、箎、鼗、椎钟。”则倕亦尧父帝喾之臣也。其实倕乃舜子商均。路史后纪十一云:“女罃(英)生义钧。义钧封于商,是为商均。”是其证。以传说演变无定,遂成歧出,实皆一也。世本(張澍?集補注本)云:“倕作钟。垂作规矩准绳。垂作铫。垂作耒耜。垂作耨。”墨子非儒下篇云:“巧垂作舟。”笋子解蔽篇云:“倕作弓。”则倕之创制亦多矣,此其所以称“巧倕”也;经又谓其“始作下民百巧”,明其如羿、禹之具有神性也。神话之义均原为帝俊之裔,原有大功于民,历史化而为舜子商均后,遂与尧子丹朱同称“不肖”矣。神话人物与历史人物其评价之颠倒常有如是者。淮南子本经篇云:“周鼎着倕,使衔其指,以明大巧之不可为也。”以与“作下民百巧”之颂美态度比,显持贬斥态度矣。此则后世统治者愚民之谬论,未可以厚诬古之神话英雄也。   4 珂案:此承上文“倕作下民百巧”而言。“百巧”者,主要盖指耒、耜、铫、耨等农具也。故云“后稷是播百谷,稷之孙曰叔均,始作牛耕”。义均、叔均,在此又为二人:均神话之歧变也。大荒西经云:“帝俊生后稷。”后稷,神话上为帝俊之子、历史上复为帝喾之子也。   5 郭璞云:“始用牛犁。”珂案:经文“叔均始作牛耕”,大荒西经作“叔均始作耕”,无“牛”字;御览卷八二二引此经亦无“牛”字。   6 郭璞云:“或作音。”郝懿行云:“『大比赤阴』四字难晓,推寻文义,当是地名,大荒西经说叔均始作耕,又云有赤国妻氏,大比赤阴岂谓是与?”珂案:郝说大比赤阴即赤国妻氏,是也;然谓当是地名则非,疑均当是人名。“大比”或即“大妣”之坏文,赤阴,或即后稷之母姜原,以与姜原音近也。   7 郭璞云:“得封为国。”珂案:史记周本纪云:“封弃于邰。”邰、姜原所居国也。此“大比赤阴,是始为国”之意乎?   8 郭璞云:“布犹敷也。书曰:『禹敷土,定高山大川。』”珂案:郭引书禹贡文,今作“奠高山大川”。此亦承上文播百谷、作牛耕之意而言。   炎帝之妻,赤水之子听訞生炎居,炎居生节并,节并生戏器1,戏器生祝融2,祝融降处于江水,生共工,共工生术器,术器首方颠3,是复土穰,以处江水4。共工生后土5,后土生噎鸣6,噎鸣生岁十有二7。   1 郝懿行云:“史记索隐补三皇本纪云:『神农纳奔水氏之女曰听詙为妃,生帝哀,哀生帝克,克生帝榆罔。』云云,证以此经赤水作奔水,听訞作听詙,及炎居已下文字俱异。司马贞自注云:见帝王世纪及古史考。今案二书盖亦本此经为说,其名字不同,或当别有依据,然古典逸亡,今无可考矣。訞与妖同;詙音拔。”   2 郭璞云:“祝融,高辛氏火正号。”珂案:大荒西经云:“颛顼生老童,老童生祝融”,祝融又为黄帝裔。然黄炎古本同族,故为炎帝裔者,又可以传为黄帝裔也,说已见大荒西经“太子长琴”节注。   3 郭璞云:“头顶平也。”郝懿行云:“颠字衍,藏经本无之。”珂案:路史后纪四云:“术嚣(器)兑首方颠。”颠字似不衍。   4 郭璞云:“复祝融之所也。”郝懿行云:“穰当为壤,或古字通用;藏经本正作壤。”珂案:路史后纪四亦作壤。   5 珂案:国语鲁语云:“共工氏之霸九有也,其子曰后土,能平九土。”即此经“共工生后土”神话之历史化。有关共工神话,详海外北经“共工臣相柳氏”节注。   6 珂案:孙星衍校增“音咽”二字于“后土生噎鸣”句下,未知所据。   7 郭璞云:“生十二子皆以岁名名之,故云然。”珂案:古神话当谓噎鸣生十二岁或噎鸣生一岁之十二月。大荒西经云:“黎(后土)下地是生噎,处于西极,以行日月星辰之行次。”即此噎鸣,盖时间之神也。   洪水滔天1。鲧窃帝之息壤以堙洪水2,不待帝命3。帝令祝融杀鲧于羽郊4。鲧复生禹5。帝乃命禹卒布土以定九州6。   1 郭璞云:“滔,漫也。”   2 珂案:据上文“黄帝生骆明,骆明生白马,白马是为鲧”,则此帝自应是黄帝。滔天洪水正是身为上帝之黄帝降以惩罚下民者。旧约创世纪云:“耶和华见人在地上罪恶很大,就后悔造人在地上,(便)使洪水泛滥在地上,毁灭天下。”即斯之类也。   3 郭璞云:“息壤者言土自长息无限,故可以塞洪水也。开筮曰:『滔滔洪水,无所止极,伯鲧乃以息石息壤,以填洪水。』汉元帝时,临淮徐县地踊长五六里,高二丈,即息壤之类也。”   4 郭璞云:“羽山之郊。”珂案:南次二经有羽山,郭璞注云:“今东海祝其县西南有羽山,即鲧所殛处,计其道里不相应,似非也。”是羽山古传在东裔;然而神话传说中地名,往往亦非可以实指也。   5 郭璞云:“开筮(归藏启筮——珂)曰:『鲧死三岁不腐,剖之以吴刀,化为黄龙』也。”珂案:初学记卷二十二引归藏云:“大副之吴刀,是用出禹。”亦其事也。经文“鲧复生禹”即楚辞天问所谓“伯鲧腹禹”(原作“伯禹腹鲧”,从闻一多楚辞校补改)也;复即腹之借字。郭注黄龙,藏经本作黄能。   6 郭璞云:“鲧绩用不成,故复命禹终其功。”   珂案:有关鲧禹治水之神话,楚辞天问言之綦详,云:“不任汨鸿,师何以尚之?佥曰『何忧,何不课而行之?』鸱龟曳衔,鲧何听焉?顺欲成功,帝何刑焉?永遏在羽山,夫何三年不弛?伯鲧腹禹,夫何以变之?纂前就绪,遂成考功,何续初继业,而厥谋不同?洪泉极深,何以窴之?地方九则,何以坟之?应龙何画?河海何历?鲧何所营?禹何所成?九州安错?川谷何洿?东流不溢,孰知其故?东西南北,其修孰多?南北顺椭,其衍几何(内数字与今本不同,据闻一多楚辞校补及他家校释改)?”虽已历史与神话杂糅,然“鸱龟曳衔”、“应龙何画”云云,犹可以补古神话阙佚,余则大体同于此经所记。然则鲧之被殛,乃因盗窃天帝息壤平治洪水,非如历史家所目之为“方命圯族”(书尧典)也。故屈原离骚云:“鲧婞直以亡(忘)身兮,终然夭乎羽之野。”九章惜诵云:“行婞直而不豫兮,鲧功用而不就。”均有叹惋怜惜之意:盖鲧之功烈在古神话中犹未全泯也。鲧被殛羽山,死三岁不腐,其腹生禹,行迹乃又过于希腊神话取火者之普洛米修斯矣。惟鲧入羽渊所化,则诸书所记不一。归藏启筮云:“化为黄龙。”左传昭公十七年云:“化为黄熊。”国语晋语八云:“化为黄能。”拾遗记卷二云:“化为玄鱼。”龙、熊、玄鱼均无疑问矣,惟“能”解释各异。左传释文云:“熊一作能,三足鳖也。”史记夏本纪正义亦云:“鲧之羽山,化为黄熊,入于羽渊。熊,音乃来反,下三点为三足也。束皙发蒙记云:『鳖三足曰熊。』”由是言之,熊者熊字之讹,熊即能也。然说文十云:“能,熊属,足似鹿。”韦昭注国语亦云:“能似熊。”任昉述异记亦云:“陆居曰熊,水居曰能。”则此熊属之兽,又可以居水也。三足鳖或系诬辞,水居之能说亦牵强,熊不可以入渊,玄鱼则古“鲧”字之析离,更不足据,要以古说黄龙为近正也。鲧原为天上白马,周礼夏官庾人:“马八尺曰龙。”则天马化龙,亦想象之自然,无足异也。至于鲧与天帝作斗争,则有吕氏春秋行论篇记其异闻,云:“尧以天下让舜,鲧为诸侯。怒于尧曰:『得天之道者为帝,得地之道者为三公。今我得地之道,而不以我为三公。』以尧为失论。欲得三公,怒甚猛兽,欲以为乱。比兽之角,能以为城,举其尾,能以为旌。召之不来,仿佯于野以患帝。舜于是殛之于羽山,副之以吴刀。”固已相当历史化,然仍可以窥见其神话之本来面目也。此“怒甚猛兽”、“比兽之角,能以为城,举其尾,能以为旌”、“仿佯于野以患帝”之鲧,其斗志亦坚、神力亦伟矣!“鲧复(腹)生禹”后,为天帝者,乃不得不“卒命禹布土以定九州”,鲧虽被殛潜渊,此一斗争则终获胜利,虽天帝之严威亦不得不暂为敛息,其为民望之所属固可见也。楚辞天问“应龙何画”王逸注云:“禹治洪水时,有神龙,以尾画地,导水所注,当决者因而治之也。”应龙,吾人已知乃黄帝神龙,曾以“杀蚩尤与夸父”(大荒东经)立大功者,今乃助禹治水,则亦当为黄帝之任命也。拾遗记卷二云:“禹尽力沟洫,导川夷岳,黄龙曳尾于前,玄龟负青泥于后。”“黄龙曳尾”,自即是“应龙画地”也,“玄龟负青泥”者,青泥当即是息壤,即“帝卒命禹布土”之“土”也。淮南子墬形篇径云:“禹乃以息土填洪水,以为名山。”知禹治洪水初亦专用湮塞之一法,与其父同,非若历史记叙禹用疏而鲧用湮也。逮后文明日进,反映于神话中治水之禹乃始湮疏并用,故天问于“洪泉极深,何以窴之”问语之后,乃复有“应龙何画?河海何历”问语,“窴之”者湮也;“何画”者疏也:是天问之禹已湮疏并用矣。拾遗记“黄龙曳尾”、“玄龟负青泥”仍湮疏并用也。而海内经所记“帝卒命禹布土定九州”,乃专主于湮,是海内经之神话,较天问更原始,犹存古神话本貌,洵可珍也。关于禹治洪水神话,说最纷繁,然后起者多,概从略不录。   郝懿行云:“右大荒、海内经五篇,大凡五千三百三十二字。”   附   录   山海经叙录   西汉刘秀上山海经表曰:侍中奉车都尉光禄大夫臣秀领校、秘书言校、秘书太常属臣望所校山海经凡三十二篇,今定为一十八篇,已定。山海经者,出于唐虞之际。昔洪水洋溢,漫衍中国,民人失据,(危文)(崎岖)于丘陵,巢于树木。鲧既无功,而帝尧使禹继之。禹乘四载,随山?(刊)木,定高山大川。益(珂案:益字何焯校盖)与伯翳主驱禽兽,命山川,类草木,别水土。四岳佐之,以周四方,逮人迹之所希至,及舟舆之所罕到。内别五方之山,外分八方之海,纪其珍宝奇物,异方之所生,水土草木禽兽昆虫麟凤之所止,祯祥之所隐,及四海之外,绝域之国,殊类之人。禹别九州,任土作贡;而益等类物善恶,着山海经。皆圣贤之遗事,古文之着明者也。其事质明有信。孝武皇帝时尝有献异鸟者,食之百物,所不?(肯)食。东方朔见之,言其鸟名,又言其所当食,如朔言。问朔何以知之,即山海经所出也。孝宣帝时,击磻石于上郡,陷得石室,其中有反缚盗械人。时臣秀父向为谏议大夫,言此贰负之臣也。诏问何以知之,亦以山海经对。其文曰:“贰负杀窫窳,帝乃梏之疏属之山,桎其右足,反缚两手。”上大惊。朝士由是多奇山海经者,文学大儒皆读学,以为奇可以考祯祥变怪之物,见远国异人之谣俗。故易曰:“言天下之至赜而不可乱也。”博物之君子,其可不惑焉。臣秀昧死谨上。   东晋记室参军郭璞注山海经叙曰:世之览山海经者,皆以其闳诞迂夸,多奇怪俶傥之言,莫不疑焉。尝试论之曰,庄生有云:“人之所知,莫若其所不知。”吾于山海经见之矣。夫以宇宙之寥廓,群生之纷●(纭),阴阳之煦蒸,万殊之区分,精气浑淆,自相濆薄,游魂灵怪,触象而构,流形于山川,丽状于木石者,恶可胜言乎?然则总其所以●(乖),鼓之于一响;成其所以变,混之于一象。世之所谓异,未知其所以异;世之所谓不异,未知其所以不异。何者?物不自异,待我而后异,异果在我,非物异也。故胡人见布而疑黂,越人见罽而骇毳。夫翫所(珂案:夫翫所三字何焯校作盖信其)习见而奇所希闻,此人情之常蔽也。今略举可以明之者:阳火出于冰水,阴鼠生于炎山,而俗之论者,莫之或怪;及谈山海经所载,而咸怪之:是不怪所可怪而怪所不可怪也。不怪所可怪,则几于无怪矣;怪所不可怪,则未始有可怪也。夫能然所不可,不可所不可然,则理无不然矣。案汲郡竹书及穆天子传:穆王西征见西王母,执璧帛之好,献锦组之属。穆王享王母于瑶池之上,赋诗往来,辞义可观。遂袭昆仑之丘,游轩辕之宫,眺钟山之岭,玩帝者之宝,勒石王母之山,纪迹玄圃之上。乃取其嘉木艳草奇鸟怪兽玉石珍瑰之器,金膏烛银之宝,归而殖养之于中国。穆王驾八骏之乘,右服盗骊,左骖騄耳,造父为御,奔戎为右,万里长骛,以周历四荒,名山大川,靡不登济。东升大人之堂,西燕王母之庐,南轹鼋鼍之梁,北蹑积羽之衢。穷欢极娱,然后旋归。案史记说穆王得盗骊騄耳骅骝之骥,使造父御之,以西巡狩,见西王母,乐而忘归,亦与竹书同。左传曰:“穆王欲肆其心,使天下皆有车辙马迹焉。”竹书所载,则是其事也。而谯周之徒,足为通识瑰儒,而雅不平此,验之史考,以着其妄。司马迁叙大宛传亦云:“自张骞使大夏之后,穷河源,恶睹所谓昆仑者乎?至禹本纪、山海经所有怪物,余不敢言也。”不亦悲乎!若竹书不潜出于千载,以作征于今日者,则山海之言,其几乎废矣。若乃东方生晓毕方之名,刘子政辨盗械之尸,王颀访两面之客,海民获长臂之衣:精验潜效,绝代县符。于戏!群惑者其可以少寤乎?是故圣皇原化以极变,象物以应怪,鉴无滞赜,曲尽幽情,神焉廋哉!神焉廋哉!盖此书跨世七代,历载三千,虽暂显于汉而寻亦寝废。其山川名号,所在多有舛谬,与今不同,师训莫传,遂将湮泯。道之所存,俗之丧,悲夫!余有惧焉,故为之创传,疏其壅阂,辟其茀芜,领其玄致,标其洞涉。庶几令逸文不坠于世,奇言不绝于今,夏后之迹,靡?于将来;八荒之事,有闻于后裔,不亦可乎。夫蘙荟之翔,叵以论垂天之凌;涔之游,无以知绛虬之腾;钧天之庭,岂伶人之所蹑;无航之津,岂苍兕之所涉:非天下之至通,难与言山海之义矣。呜呼!达观博物之客,其鉴之哉。   山海经目录总十八卷 本三万九百十九字,注二万三百五十字,总五万一千二百六十九字。郝懿行云:此玉海所校也,今校经三万八百二十五字,注二万三百八十三字,总五万一千二百八字。   南山经第一 本三千五百四十七字,注二千一百七字。郝懿行云:此已下明藏经本所校也,今校经一千八百六十一字,注一千二百四十六字。   西山经第二 本五千六百七十二字,注三千二百二字。今校经四千六百四十四字,注三千七百二十六字。   北山经第三 本五千七百四十六字,注二千三百八十二字。今校经四千二百四十一字,注一千六百三十九字。   东山经第四 本二千四十字,注三百七十五字。今校经二千一百三字,注四百五十五字。   中山经第五 本四千七百一十八字,注三千四百八十五字。今校经八千四百一十六字,注三千五百八十二字。   右五臧山经五篇,经二万一千二百六十五字,注一万六百六十一字,总三万一千九百二十六字。   海外南经第六 本五百一十一字,注六百二十二字。今校经五百七十五字,注六百八十五字。   海外西经第七 本五百三十七字,注四百五十二字。今校经五百五十九字,注四百五十八字。   海外北经第八 本五百八十四字,注四百九十三字。今校经六百一字,注五百二十四字。   海外东经第九 本四百四十二字,注五百九十五字。今校经四百五十七字,注五百九十六字。   海内南经第十 本三百六十四字,注七百九字。今校经三百七十七字,注六百五十六字。   海内西经第十一 本四百三十九字,注六百九十五字。今校经五百一十四字,注七百四字。   海内北经第十二 本五百九十四字,注四百九十五字。今校经五百十字,注五百九十二字。   海内东经第十三 本六百二十四字,注一千四百九十五字。今校经六百三十五字,注一千七十二字。   右海外、海内经八篇,经四千二百二十八字,注五千二百八十四字,总九千五百一十二字。   大荒东经第十四 本八百六十四字,注八百一十三字。今校经八百五十八字,注九百二十四字。   大荒南经第十五 本九百七十二字,注五百九十八字。今校经九百七十七字,注六百一十七字。   大荒西经第十六 本一千二百八十二字,注一千二百三字。今校经一千一百一十八字,注一千二百八十五字。   大荒北经第十七 本一千五百六字,注七百六十七字。今校经一千七十一字,注八百四字。   海内经第十八 本一千一百十一字,注九百六十七字。此海内经及大荒经本皆进在外(珂案:宋本、毛扆本作逸在外)。今校经一千一百四十一字,注九百七十五字。   右大荒经海内经五篇,经五千三百三十二字,注四千四百三十八字,总九千七百七十字。   清郝懿行山海经笺疏叙曰:山海经古本三十二篇,刘子骏校定为一十八篇,即郭景纯所传是也。今考南山经三篇,西山经四篇,北山经三篇,东山经四篇,中山经十二篇,并海外经四篇,海内经四篇,除大荒经已下不数,已得三十四篇,则与古经三十二篇之目不符也。隋书经籍志山海经二十三卷。旧唐书十八卷,又图赞二卷,音二卷,并郭璞撰;此则十八卷又加四卷,才二十二卷,复与经籍志二十三卷之目不符也。汉书艺文志山海经十三篇,在形法家,不言有十八篇。所谓十八篇者,南山经至中山经本二十六篇合为五臧山经五篇,加海外经已下八篇,及大荒经已下五篇为十八篇也。所谓十三篇者,去荒经已下五篇,正得十三篇也。古本此五篇皆在外,与经别行,为释经之外篇。及郭作传,据刘氏定本,复为十八篇,即又与艺文志十三篇之目不符也。郦善长注水经云:“山海经薶缊岁久,编韦稀绝,书策落次,难以缉缀。后人假合,多差远意。”然则古经残简,非复完篇,殆自昔而然矣。艺文志不言此经谁作,刘子骏表云:出于唐虞之际。以为禹别九州,任土作贡,而益等类物善恶,着山海经。王仲任论衡、赵长君吴越春秋亦称禹益所作。颜氏家训书证篇云:“山海经禹益所记,而有长沙零陵桂阳诸暨,由后人所羼,非本文也。”今考海外南经之篇,而有说文王葬所,海外西经之篇,而有说夏后启事。夫经称夏后,明非禹书;篇有文王,又疑周简:是亦后人所羼也。至于郡县之名,起自周代,周书作雒篇云:“为方千里,分以百县,县有四郡。”春秋哀公二年左传云:“克敌者上大夫受县,下大夫受郡。”杜元凯注云:“县百里,郡五十里。”今考南次二经云:“县多土功”、“县多放士”,又云“郡县大水”、“县有大繇”:是又后人所羼也。大戴礼五帝德篇云:“使禹敷土,主名山川。”尔雅亦云:“从释地已下至九河皆禹所名也。”观禹贡一书,足觇梗概。因知五臧山经五篇,主于纪道里、说山川,真为禹书无疑矣。而中次三经说青要之山云:“南望墠渚,禹父之所化。”中次十二经说天下名山,首引“禹曰”。一则称禹父,再则述禹言,亦知此语,必皆后人所羼矣。然以此类致疑本经,则非也。何以明之?周官大司徒以天下土地之图,周知九州之地域,广轮之数。土训掌道地图,道地慝。夏官职方亦掌天下地图。山师、川师掌山林川泽,致其珍异。邍(原)师辨其丘陵坟衍邍●之名物,秋官复有冥氏、庶氏、穴氏、翨氏、柞氏、薙氏之属,掌攻夭鸟猛兽虫豸草木之怪蠥。左传称禹铸鼎象物而为之备,使民知神奸,民入山林川泽,禁御不若,螭魅??,莫能逢旃。周官左氏所述即与此经义合。禹作司空,洒沉澹灾,烧不暇撌,濡不给扢,身执虆垂,以为民先。爰有禹贡,复着此经。寻山脉川,周览无垠,中述怪变,俾民不眩。美哉禹功,明德远矣;自非神圣,孰能修之。而后之读者,类以夷坚所志,方诸齐谐,不亦悲乎!古之为书,有图有说,周官地图,各有掌故,是其证已。后汉书王景传云:“赐景山海经、河渠书、禹贡图。”是汉世禹贡尚有图也。郭注此经而云:“图亦作牛形”,又云:“在畏兽画中”;陶征士读是经诗亦云:“流观山海图”:是晋代此经尚有图也。中兴书目云:“山海经图十卷,本梁张僧繇画,咸平二年校理舒雅重绘为十卷,每卷中先类所画名,凡二百四十七种。”是其图画已异郭陶所见。今所见图复与繇雅有异,良不足据。然郭所见图,即已非古,古图当有山川道里。今考郭所标出,但有畏兽仙人,而于山川脉络,即不能案图会意,是知郭亦未见古图也。今禹贡及山海图遂绝迹不复可得。禹贡虽无图,其书说要为有师法,而此经师训莫传,遂将湮泯。郭作传后,读家稀绝,途径榛芜。迄于今日,脱乱淆讹,益复难读。又郭注南山经两引“璨曰”,其注南荒经“昆吾之师”又引音义云云,是必郭已前音训注解人,惜其姓字爵里与时代俱湮,良可于邑。今世名家则有吴氏、毕氏。吴征引极博,泛滥于群书;毕山水方滋,取证于耳目。二书于此经,厥功伟矣。至于辨析异同,?正讹谬,盖犹未暇以详。今之所述,并采二家所长,作为笺疏。笺以补注,疏以证经。卷如其旧,别为订讹一卷,附于篇末。计创通大义百余事,是正讹文三百余事,凡所指擿,虽颇有依据,仍用旧文,因而无改,盖放郑君康成注经不敢改字之例云。嘉庆九年甲子二月廿八日栖霞郝懿行撰。   所据板本及诸家旧注书目   山海经传十八卷 晋郭璞撰 宋淳熙七年池阳郡斋尤袤刻本 明正统十年刻道藏本(涵芬楼影印,原缺十四、十五卷) 明成化元年吴宽抄本 明刻本(毛扆校) 明万历十三年吴管刻山海经水经合刻本(黄丕烈、周叔弢校) 同上刻本(邵恩多校) 清康熙五十三年至五十四年项絪群玉书堂刻本(王念孙校注) 同上刻本(何焯校——□□泰临) 清干隆黄晟槐荫草堂刻本(失名校注)山海经补注一卷 明杨慎撰 清光绪元年湖北崇文书局刻百子全书本山海经释义十八卷 图一卷 明王崇庆撰 明万历二十五年蒋一葵尧山堂刻本山海经广注十八卷 图五卷 清吴任臣撰 清干隆五十一年金阊书业堂刻本山海经存九卷(附图) 清汪绂撰 清光绪二十一年?立雪斋原本石印本山海经新校正一卷 古今篇目考一卷 清毕沅撰 清干隆四十六年毕沅灵岩山馆刻经训堂丛书本(孙星衍校)山海经笺疏十八卷 图赞一卷 订伪一卷 清郝懿行撰 清嘉庆十四年仪征阮氏琅环仙馆刻本山海经地理今释六卷 清吴承志撰 民国十一年南林刘氏求恕斋刻本   引用书目   书(周)孟子(战国邹孟轲)史记(汉司马迁)庄子(战国宋庄周)墨子(战国宋墨翟)墨子闲诂(清孙诒让)管子(周管仲?)文选(六朝梁萧统)后汉书(六朝宋范晔)山海经笺疏(清郝懿行)读山海经(晋陶潜——陶渊明集)尔雅(汉)埤雅(宋陆佃)博物志(六朝)周书(周)?嬛记(元伊士珍)楚辞(战国楚屈原等)山海经图赞(晋郭璞)神异经(六朝)集韵(宋丁度等)广雅(三国魏张揖)駢雅(明朱謀?)匡謬正俗(唐顏師古)讀書偶識(清鄒漢勛)丹朱與驩兜(童書業——浙江圖書館館刊四卷五期)竹書紀年(戰國魏。佚)吕氏春秋(秦吕不韦)六韬(汉。佚)艺文类聚(唐欧阳询)太平御览(宋李昉等)赤雅(明邝露)情史(明冯梦龙)原化记(唐皇甫氏)初学记(唐徐坚等)说文(汉许慎)括地图(汉?佚)玉篇(六朝梁顾野王)异域志(元周致中)山海经广注(清吴任臣)尸子(战国楚尸佼。佚)广韵(隋陆法言)异物志(汉杨孚。佚)外国图(六朝?佚)抱朴子(晋葛洪)神仙传(晋葛洪)论衡(汉王充)小说(六朝梁殷芸。佚)古小说钩沉(鲁迅)大戴礼(汉戴德)水经注(北魏郦道元)诗含神雾(汉。佚)国语(周左丘明)括地志(唐李泰。佚)法苑珠林(唐释道世)渊鉴类函(清张英等)太平广记(宋李昉等)述异记(六朝梁任昉?)西游记(明吴承恩)汉武故事(六朝。佚)洞冥记(六朝)三国志(晋陈寿)穆天子传(战国)皇览(三国魏王象等。佚)北堂书钞(唐虞世南)玄中记(晋郭璞。佚)蜀典(清张澍)凉州异物志(六朝。佚)绎史(清马骕)新书(汉贾谊)尚书大传(汉伏胜。佚)太公金匮(六朝。佚)补史记三皇本纪(唐司马贞)   ——以上海外南经,以下书名重见者不录   诗(周)商代的神话与巫术(陈梦家——燕京学报第二十期)随巢子(战国。佚)楚辞校补(闻一多——闻一多全集)玉函山房辑佚书(清马国翰)三才图会(明王圻)韩诗外传(汉韩婴)礼记(周)宋书(六朝梁沉约)左传(周左丘明)遁甲开山图(汉。佚)世本(秦汉。佚)路史(宋罗泌)春秋纬元命苞(汉。佚)伏羲考(闻一多——闻一多全集)天问“阻穷西征”新解(唐兰——禹贡半月刊第七卷一二三期合刊)瑞应图(六朝梁孙柔之。佚)本草纲目(明李时珍)汉书(汉班固)  ——以上海外西经   酉阳杂俎(唐段成式)广博物志(明董斯张)五运历年纪(三国吴徐整。佚)琱玉集(唐。残)独异志(唐李冗)龙鱼河图(汉。佚)中国古代旅行之研究(江绍原)太古蚕马记(三国吴张俨?)搜神记(晋干宝?)荀子(战国赵荀况)启蒙记(晋顾恺之。佚)齐民要术(后魏贾思勰)天中记(明陈耀文)  ——以上海外北经   谷梁传(战国谷梁赤?)列子(晋张湛?)列子集释(杨伯峻)毛诗正义(唐孔颖达)古微书(明孙?)高唐神女传说之分析(闻一多——闻一多全集)异苑(六朝宋刘敬叔)茅亭客话(宋黄休复)吴越春秋(汉赵晔)白虎通(汉班固)十洲记(六朝)列仙传(汉刘向?)风俗通义(汉应劭)焦氏易林(汉焦延寿)临海异物志(三国吴沉莹。佚)  ——以上海外东经   晋书(唐房乔等)闽书(明何乔远)桂海虞衡志(宋范成大)荆楚岁时记(六朝梁宗懔)祖冲之述异记(六朝齐祖冲之。佚)金楼子(六朝梁萧绎)巫山县志(清李友梁)河图玉版(汉?佚)江源记(六朝宋庾仲雍。佚)岳阳风土记(宋范致明)山海经地理今释(吴承志)  ——以上海内南经   舆地志(六朝陈顾野王。佚)汉唐地理书钞(清王谟)上山海经表(汉刘秀——见山海经)华阳国志(晋常璩)蜀中名胜记(明曹学佺)山海经补注(明杨慎)梦溪笔谈(宋沉括)读书杂志(清王念孙)拾遗记(六朝梁萧绮?)  ——以上海内西经   魏略(三国魏鱼豢。佚)汉魏丛书本搜神记(唐?)敦煌写本搜神记(唐句道兴——见王重民等辑敦煌变文集)三五历纪(三国吴徐整。佚)岭表纪蛮(刘锡蕃)沙坪坝出土之石棺画象研究(常任侠——说文月刊第一卷第十、十一期合刊)殷虚书契前编(罗振玉)铁云藏龟(清刘鹗)九歌古剧悬解(闻一多——闻一多全集)殷王亥惨死及后君王恒上甲微复仇之传说(江绍原——一九三六年十一月二十八日北平华北日报副刊“中国古占卜术研究”)列女传(汉刘向)岭南异物志(唐孟管。佚)洽闻记(唐郑遂。残)徂异记(宋聂田。残)  ——以上海内北经   帝王世纪(晋皇甫谧。佚)汉书人表考(清梁玉绳)殷虚卜辞综述(陈梦家)卜辞所见殷先公先王三续考(吴其昌——燕京学报第十四期)易(周)中国古代宗教与神话考(丁山)轩辕本纪(唐王瓘——见云笈七签卷一百)黄帝内传(佚)广成子传(佚)  ——以上大荒东经   公羊传(汉公羊寿)博古图(宋王黼等)墉城集仙录(五代蜀杜光庭)屈原赋今译(郭沫若)事物绀珠(明黄正一)  ——以上大荒南经   说郛(明陶宗仪)三余帖(宋?)通志(宋郑樵)商君书(秦商鞅?)鹖冠子(周?)壬癸之际胎观(清龚自珍——龚自珍全集)开元占经(唐瞿昙悉达)潜夫论(汉王符)孝经援神契(汉。佚)开辟衍绎(明周游)  ——以上大荒西经   中国神话研究ABC(玄珠)方言(汉扬雄)稽瑞(唐刘赓)黄帝玄女战法(六朝?佚)志林(晋虞喜。佚)通典(唐杜佑)通考(元马端临)  ——以上大荒北经   弘明集(六朝梁释僧佑)说文系传(南唐徐锴)游氏臆见(佚)花的故事(盛森)春旺和九仙姑(见中国民间故事选第一集)白氏六帖(唐白居易)论语(周)尔雅翼(宋罗愿)元和郡县图志(唐李吉甫)神农本草经(三国魏吴普。佚)王隐晋书(晋王隐。佚)幽明录(六朝宋刘义庆。佚)新序(汉刘向)说苑(汉刘向)桓谭新论(汉桓谭)发蒙记(晋束皙。佚)周礼(周)  ——以上海内经